自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

まちの洋食屋──市道となったかつての幹線道──

 まちの洋食屋が好きだ。
 多くは古くからある店で、個人店の割合も高い。個人店だと今や年齢も高くなっていて、老夫婦でやっていることも少なくない。想像するに、最近始めた洋食屋であれば大なり小なりチェーン店がどうしたって多いし、若い人が個人店を始めるとイタリアンだフレンチだとその専門性を生かした分野に特化する傾向があるように思う。それらも広義で取ればもちろん洋食屋なのだろうけど、洋定食というのがふさわしい──定食のライスはどんぶりで、味噌汁が付いてくるような「和」のテイストも洋食屋、、、のひとつの顔だ──メニューのラインナップはもう、作り手側は好まないのかもしれない。

 

  午前中家で用事のあった週末のある日、半日はつぶれてしまうので、一日じゅう本を読んで過ごそうかと考えていた。さんざんコーヒーでも飲みながら。コーヒー豆なら一日10杯飲んでも一週間や10日じゃ底をつくことがないくらいある。
 しかし外は秋晴れの晴天だった。立冬を過ぎた暦でいえば、小春日和といっていい。
 お昼くらいは食べに出ようか──。
 せっかくの晴天を前に、そう思った。

 

 何を食べに? と考えたとき、まちの洋食屋が浮かんだ。
 洋食屋に行きたいなと思うとき、たいていはこれといった具体的メニューに行き着かないことが多い。ナポリタンでもいい、オムライスでもいい。もちろんハンバーグだってビーフシチューだってポークソテーだってチキン南蛮だって、何だっていいのだ。じっさい、考えもなく日替わりランチを選ぶこともあるし、その店独特の変わり種メニューをチョイスすることもある。どちらかというと初動はまちの洋食屋に行きたいという動機だけだ。メニューは行った店でそのときの気分で選ぶ。
 さてどこへ行こう。

 

 

 僕は自転車を引っ張り出していた。
 小春日和のお昼ごはんは、結局サイクリングになっていた。

 

 かつて国道122号を車で走っていたときによく目にしていた洋食屋があった。ファミリーレストランって書いてあった。ずっと気になっていたけど、行かずじまいだった。道はかつて、昔ながらのまちの中心道路だったため狭くて走りにくく、渋滞が避けられなかった。その目の前にあった。国道122号はやがて大規模なバイパスが完成し、僕自身ももちろん多くの車が新しいバイパスを走るようになった。大規模ショッピングモールや大型量販店、チェーンの飲食店やガソリンスタンドが沿道にできると、交通だけじゃなく商圏もバイパスに移って行った。そして僕は洋食屋のことなどすっかり忘れてしまった。
 何きっかけだっただろう。
 おそらくグーグルマップを見ていたのだと思う。現在久喜市となったかつての菖蒲町周辺を見ていたとき、現在は市道に降格されたかつての国道122号沿道に、その懐かしい名前を見つけたのだ。野いちご。
 自転車ではそこそこ距離がある。すっかり片道一時間余りのランチ・サイクリングになった。

 

「ワン・ツー・ツーのバイパスができて、向こうへ行っちゃったでしょう──」
 と奥さんはいった。地元の響きだった。どこからどのあたりまでかわからないけど、沿道や近辺の人は国道122号のことをワン・ツー・ツーと呼ぶ。もちろん誰がいい出し、広まったのか露も知らない。でも学生時代の草加に住んでいた友人も使うし、ここ菖蒲の洋食屋の奥さんも使う。東京都足立区出身の妻も使っていたし今でも変わらず使っている。例えば群馬県はどうなんだろう、国道122号が通る太田市桐生市みどり市の人は呼ぶのだろうか、終点栃木県の日光市の人は果たしてどうだろう。
 ファミリーレストラン野いちごは、ご多分にもれず初老夫婦の経営だった。ご主人が厨房に入り奥さんがフロアを仕切る。この形態は多い。国道4号沿いで入った小さな洋食屋もそうだったし、うちの駅近くの小さな中華料理屋も同じだ。墓参りで出かける栃木県の洋食屋は親夫婦のあとを追い息子も厨房に入り、ダブル・シェフとなった。フロアはお母さんが見ていたが、こちらも最近はふたり。息子さんの奥さんだろうか。代替わりを上手に引き継げた店だと思う。
「このあたりはもともと農家ばかりだったんだけど、高齢で続けられなくなった家が多くてね、田んぼを手放したところが多かったんです。そこへ大きな会社がいくつもやってきて、特に物流系のね。だから今度はそういう人たちが寄ってくれるようになったんです」
 僕はハンバーグと唐揚げの盛り合わせ定食を食べ終え、ひと息ついていた。もう14時も過ぎていたので、もうひと組の客が帰ると、客は僕ひとりになった。彩り豊かな皿の上を丁寧に平らげ、ご飯も粒を残さず食べてみそ汁もきちんと飲んだ。残すのは好きじゃない。残すくらいなら頼まない。食事と入れ替えに奥さんがコーヒー(ランチについていたドリンクだ)を運んでくると、それから奥さんとの会話が続いた。話好きらしい。
「特に物流の会社にとっては、ワン・ツー・ツーと、それから圏央道のインターができたでしょう? あれが相当便利なようですよ。千葉の館山から、こちらのほうが便利だからと、会社ごとこちらに移ってきたところもあるみたいです」

 

 コーヒーを飲み終え、ごちそうさまでしたと僕はいった。それから「間に合ってよかったです。15時までだったのですね」と加えた。
「夜はやってないんですね」
 と僕が聞くと、
「もうこんな年ですし。日中のこの時間開けるだけでも7時間は働いてますから。仕込みがありますしね」
「そうですよね」
「もう、なかなか続きません。それでも皆さんこうやってきてくださるから」
 お会計を済ませ、ごちそうさまでしたというと、そのとき一度だけ厨房のご主人が顔をのぞかせた。僕はご主人にも礼をいった。
 店を出ると、奥さんが一緒に出て見送ってくれた。店の看板の柱に止めた僕の自転車を見て、
「こちらに自転車を置くところがあるんですよ」
 といった。いわゆる三面を壁にした、小さな自転車置き場だった。
「ほんとだ、ここにあったんですね。じゃあ今度はここに止めさせてもらいます」
 と僕はいった。
「ええ、ぜひまたお越しください」
 と見送られた。

 

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 それから、僕はまた田んぼの真ん中の道を一時間以上走って、家に帰った。

 

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