自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

自転車車載と鷲子山上神社(Feb-2019)

 本殿とは別の鳥居から階段を上がった先に金色をした大フクロウがあった。参道に覆いかぶさるように大きいもので、しかしながら僕から見たらそれは神々しくも神秘的でも神通力を感じさせるものでもなかった。金色の張りぼて。フクロウをデフォルメした何かのキャラクターが漫画から抜けだしたようなさまに、とはいうもののその場で興醒めしたわけではない。この神社にこういうものがあるのだと知っていたから。
 鷲子山上神社──とりのこさんしょうじんじゃ。
 なかなか読めるものじゃない。僕は全く読むことができなかった。
 栃木県那珂川町(かつての馬頭町)と茨城県常陸大宮市(かつての美和村)の境界に座す。創建は古く歴史ある神社らしいのだけど、この大フクロウをはじめとする数々のフクロウが──それらのうち金色をしているものも少なくない──、どうも僕の眼には俗物的に映って仕方がない。そして金運が上がるとか、宝くじに当たるとか、ほうぼうに書かれているこれらカネにまつわる具体的な御利益が、神社の神秘や建築の美しさを楽しもうとする期待を打ち消してしまう。
 大フクロウを支えている四本の金の柱にはご丁寧に左右の手で触れる場所まで印づけられていて、これに触れてまわるためにちょっとした行列だ。「これで今年は宝くじが当たっかもしんねぇなあ、がはは」と笑うおばちゃんにもはや感情さえ抱くことなく、その行列の後ろに付き、順番にしたがって両手を付く妻と、そのあとから同じようにひとつひとつ手を触れていく僕自身を客観的に投影し、まあこれでいいんだと思うにとどめた。レジャー・スポットに来ているのだと楽しめばいい。
 妻がとちテレ(栃木テレビ)のRideOnという自転車番組を見ていて──もちろんとちテレは圏外なのでユーチューブチャンネルで見ているのだけど──、この神社が取り上げられたときに行ってみたいといい始めたのだ。大フクロウ、それ以外にも数々のフクロウ、金運アップを前面に押し出す、由緒よりも俗的さを感じてしまう神社。TVの映像を見て、行くのであればそういうものだと割り切って行けばいいやとそのときから思っていた。
 まるでふつうの郵便丸ポストのようなものに、フクロウへのお願い事を書いて投函できるようになっていた。形こそそうだけど郵便ポストではないから、もちろんどこかに届くような代物ではない。「なにか書いて入れようよ」と妻がいうので、僕は黙って「ぜいたくはひとつもいりません。小さな幸せに恵まれますよう」と書いた。妻はそうだね、いいねといった。そういわれると僕は少しばかり満足した気になり、百円を入れてポストに収めた。百円が多いのか少ないのか、まったくわからなかった。

 

 

 墓参りに行こうと決めていた日だった。いつもならもう少し頻繁に訪れるのだけど、四か月くらいあけてしまった。お墓のある栃木県の県北は、埼玉県の越谷から出かけるとどうしても丸一日がかりになってしまうので、なるべくなら北関東方面の用事と絡めたり興味あるところをまわったりする。何の用事も興味もなければもちろん単純に往復することもあるけど。
「自転車を積んで行ってみよう」
 と僕はいった。

 

 1月、ある日僕が自家用車を運転していると、ひとつの警告灯が点灯した。それから間もなくしてもうひとつ。ABSの異常を知らせるランプとトラクション・コントロールが働かないときに付くランプだった。あまりの脈絡のなさに僕は飽きれて、ひとまずメーターパネル内の写真を撮るかとスマートフォンを取りだしているあいだにさらにもうひとつ警告灯が今度は点滅を始めた。油温の異常を示すランプだった。警告灯がお祭りでも始めたようだった。やれやれ。異常を示すランプ類になにひとつつながりが感じられなかったが、車は問題なく走ってくれるようだった。僕が撮った写真を妻がスバルのよく知るメカニックに送ると、「あららww」と返ってきたようだった。
 数日ののち、妻がスバルに車を持ち込むと、メカニックは状況説明と見積もりをくれた。ざっくりいうと電気系統のある根幹部分とCVTのオイル噴射のトラブルだといった。故障箇所は小さく特定できているのだけど、交換部品が大きなユニット単位になってしまうので、結果数十万の見積もりになった。「乗り換えも手だと思いますよ」と彼はいった。僕の乗りかたを考慮しつつ、長く乗りたいという意志を知りつつ、いってくれているのはわかった。メンテナンスも惜しまず丁寧に乗ってきたつもりの車は大きななトラブルをまだ起こしたことがなく、場合によってはこれから立て続けに起きるかもしれない。同型の車が10万キロ超で発生しがちな大掛かりなトラブルをいくつか挙げてくれた。でも運がよければ30万キロ過ぎても何も起きずに走ってるかもしれませんけどね、と彼は続けた。15万キロ足らずの走行距離で気に入っている車を手放すのは悲しかった。僕は物質に対する愛情はないのでそういう面の感情はないけど、便利に乗っているこの車は今、もう造られていない、、、、、、、、、のだ。正直いって欲しいと思う車がない。
 ふつうに走るとはいえ、決断を先延ばしにするわけにもいかなかった。修理するならするで早々に出す必要があるし、買い換えるならそうするで情報収集を始める必要があった。さんざん悩んだ挙句、車を替えることにした。
 車を替えたときに気にするところは、自転車をどう積めるか、、、、、、だ。ふだん輪行がほとんどの僕ではあるけれど、車で運ぶことだってある。だから自転車が積めるかどうかというのは大きな問題なのだ。同じ車種であれば悩むことはないけど、車が違うと想像もつかない。屋根上に付けるキャリアは持っているものの、室内に積めるかどうか見ておきたい。そして納車が墓参りを予定していた二日前に決まった。週末に間に合うのなら自転車を積んで墓参りに行き、そのまま栃木県北を走ろうというのは悪い提案じゃなかったはずだ。僕の話に妻は乗った。

 

 墓参りを終えた。信仰心は皆無だけど墓参りに来ると気持がすっきりする。そしてなにより車の荷室に自転車を積めることを確認できたのは大きな成果だった。あとは今日、サイクリングを楽しめばいい。

 

 気まぐれに、年に数えるほどしか乗らない妻と自転車で走るときは、コース設定にいつも悩む。坂は上りたくないし、飽きるコースは嫌だとはいわないものの飽きれば口数も減り機嫌も悪くなる。だから鷲子山上神社という行き先が出たときは当然心配した。ルートを引き、勾配のプロフィールを見ながら「とんでもない坂だって廣瀬もいってたじゃん」(元宇都宮ブリッツェンの選手、現同チームGM)というと、「押すからいいよ」といった。
 寺をあとにしてから、車を那珂川町まで走らせ、道の駅ばとうに止めた。

 

(本日のルート)

 

 

 馬頭から烏山まで那珂川沿いを走った。県道27号那須黒羽茂木線は南へ向かうが、この区間を荒々しく蛇行する那珂川は離れたり寄り添ったりを繰り返すので、道路から見えたり見えなかったりした。八溝山地鷲子とりのこ山塊の西端をゆく道は、崖状斜面を緩やかに上ったり下ったりした。
 真っ赤なトラスの興野大橋に向かう県道27号から離れると、那珂川の河畔にテントが並んでいるのが見えた。
「あれ、市がやってる無料のキャンプ場らしい」と僕は自転車を止めていった。
「へえいいね、けっこう人いるね」
「考えてみたらまだ2月じゃん。冬キャンが流行ってるんだなあ」
「うちの装備じゃ無理だけど」と妻が笑う。「でもこの時期でこれだけいるってことは、夏になったら大変なことになるかもしれないね」
 確かに想像に難くない。河畔の芝生はよさそうな環境だけど、そう広くはないように見える。混雑したら張ったもん勝ちだろうか。

 

 県道29号常陸太田那須烏山線に入っていよいよ鷲子山上神社へ向かう。まずこの道で栃木茨城県境を越えたのち、国道293号を経由して神社への坂に入っていく。現在の標高が100メートル足らずで、鷲子山上神社が450メートルあるから350メートル以上上らなきゃならない。すぐに上り始め、きつくはないけれど均一のアングルで上っていった。
 雰囲気は、同じ那須烏山から常陸大宮へ向かう、ひとつ南側を走る県道12号那須烏山御前山線によく似ていた。徐々に山斜面が迫りくる県境への上りは、平地のある限り狭いなかで田畑が見られ、それがなくなると木々に覆われた。斜度はわりと均一めだけど、県境が近づいてくるにしたがってきつくなった。でもとんでもない急勾配が現れたり、平坦や下りが現れたりするわけじゃなかった。
 茨城県常陸大宮市のサインボードが現れたころ、「完全に終ってる。もう上る気になれない」と妻が苦笑していった。それから、道は少しだけ下り坂になった。
 一度国道293号を走ってすぐに「鷲子山」と書かれた看板が現れた。ここで自転車を降りて休憩。手もとの標高は260メートルと表示されている。看板には神社まで2.5キロとある。神社の標高が450メートルだったから、この距離で200メートルばかり上る必要がある。休憩していると、意外にも車が立て続けに入っていくのがわかった。有名なんだろうか。僕は知らなかったけど。
 神社への細い道へ入った。とたん、風景は何ともいえないいい風景になった。懐かしさとも少し違う、片田舎の風景だからいいのか、静かに続く道に和んだ。しかし道に傾斜は少ない。上りではあるけれど、ガッツリ上ってはいない。残り距離を考えるならもっと上らなきゃならないはず。少なくとも1キロ以上、そんなのどかな風景と緩い坂道が続くばかりだった。
 田畑が終ると森に入ったのか、道が木々に覆われた。
 こういう風景の道を走ってくると、タヌキやキツネに化かされる、日本古来の民話を思い出す。化かされる話はタヌキやキツネに限らないけれど、やはりそのふたつが多い。そして地域地方を問わない。暗い夜道を歩くと化かされるよ、という教訓めいたものもあれば、誰かの不思議な体験談が口伝され話が肉づけされ、これから化かされたという物語になったものもあるだろう。現代でもファンタジー小説は数多いんだから、魔法や超能力ばかりでなくこんな日本古来のものを取り入れても面白いかもしれないななどと思う。しかしなんでタヌキとキツネなんだろう。
「神橋だ、神橋」と妻がいう。
 なるほど先に朱塗りの欄干が見える。日光の神橋に見立てていったんだろう。
「いや、むしろはりまや橋」と僕はいう。
「ああ確かに。日本三大……」
「でもはりまや橋の朱塗りの欄干、なくなったらしいよ」
「そうなの?」
「がっかりしないような、それらしい、、、、、赤い小さな橋を別に造ったんだとか」僕はいい、見たわけじゃないけどと付け加えた。
 この小さな橋を越えると、徐々に勾配がきつくなり始めた。ここまでが緩すぎたのだ。2.5キロで200メートル上らなくちゃならないのに、田畑と点在する家々、それから森に入るまでの1キロ以上、ごく緩めの勾配で来ただけだ。残り標高と残り距離から想像すると、恐ろしい坂が現れるんじゃないかと不安になる。
 早々に「あーもうメンドイ。降りる」と妻は自転車を降りて押し始めた。確かにだんだんと勾配はきつくなる。坂の道端には「美和」と書かれた標石が埋もれかかっていた。かつての美和村の存在を示すものを、こればかりじゃなく、いくつか目にすることができた。
 その先に、まるで段差といってもいいようなコンクリート舗装のヘアピンカーブが現れた。
「あーこれだ。MIHO氏がいってたやつ」
 と僕が立ち止っていうと、あとから押してきた妻は興味があるのかないのか、ちらっと見ただけで疲れた表情のまま、僕の前を行き過ぎた。もう何百メートルも押している。
 とちテレRideOnで「このカーブのイン側は30%あるらしいですよ」といっていた。真偽はわからないけど。大外をまわればまあ上れる。
 山頂が近付いてきて、傾斜が緩んだ。さすがに押し疲れたのか、乗るといって妻も再び乗り始めた。わずかばかりの距離で鷲子山上神社に着いた。

 

 

 パッケージツアーのように順次触るべき柱やフクロウの像に触れ、願い事を収めたりして戻ってきた。フクロウのかわいいお守りでもあれば買いたいと妻がいうので社務所に行ってみると、ここもまた大行列だった。なんで社務所が? そう思いつつ行列のようすを見ていると、御朱印をもらうための順番だった。もちろんお守りを買う人も同じ列に並んでいるのだけど、ほとんどの人が御朱印帳を渡し、書いてもらっていた。これはもはや一大ムーヴメントだな、と小声ながら思わず口をついてしまった。妻にさえ聞こえたかどうかもわからないが。
 ある時期、坂東三十三観音めぐりについて調べていたことがあった。興味本位で、自転車でまわってみるのも面白いんじゃないかって思ったのが発端だった。そのうちのひとつである東京浅草の浅草寺せんそうじが、
御朱印集めはスタンプラリーではございません」
 との表題で、厳しめの口調で苦言を呈しているのを目にした。僕はそのとき、「いやいやスタンプラリー的軽い感覚で始めたって動機としてはいいんじゃないだろうか、その初動からめぐるうちに信仰心も湧いてきてくるかもしれないし、堅苦しくとらえなくても」と思う側面を持ちつつも、同時に浅草寺のいうことも至極まっとうだともう一側面を感じていた。
 結局待つことをあきらめたのか気に入ったものがなかったのか、妻は何も買わずに社務所の列を離れた。
 もう一方にある鳥居と山門に行ってみる。これらをくぐった石段の上が本殿である。結果的にみれば、本殿をお参りもせず、金の大フクロウを見、金運の柱に触れてきたなど、むしろ僕が俗物丸出しじゃないかと思った。
 あらためてお参りをしようと手を洗い口をゆすいでいると、「大丈夫ですか、寒くありませんか?」と背後から声がかかった。見ると白衣と浅葱色あさぎいろの袴をまとった神職だった。明らかに僕や妻の恰好を見てそう思ったのだろう。「ええ、大丈夫です」と僕らは答えた。
「上ってきたのですか? ここまで」
「はい。上ってきました」
「それはすごい。ご苦労さまでございます」
 神職は手に三宝を持っていた。三宝には御札がいくつか載っている。後ろに人の列を引き連れていることから、これから本殿で祈祷をするのだろう。
「靴が石段には滑りやすいでしょうから、どうぞお気をつけてお上がりください」
「ありがとうございます」
 神職とそのあとの行列を見送り、柄杓ひしゃくを置いた。
 ふと思う。──ここまで上ってきたのがご苦労さま? 靴が滑る?
 あるいは神職は自転車に乗るか、よく知っているのかもしれない。鳥居の前のバイクラックはこの神職が置いたのかもしれない。
 そして本殿への石段をゆっくり上った。

 

 

 帰りは馬頭に戻るため、県道232号矢又大内線を下った。この道は旧馬頭町内で完結する道で、U字型に半環状している。その中間に鷲子山上神社がある。馬頭に下るといっても近道になる時計まわり方向ではなく、大那地の集落をめぐる反時計まわりルートを取った。
 なんと素朴な風景だろう。大那地は大きな集落だった。家々が点在し、空気がそのすき間をゆっくり流れている気がした。点在が、文字どおりの点在、、だった。冬褐色の広がりがどこまでも心にしみてくる。住民は田畑に出ている人が何人もいた。耕うん機を転がしているわけじゃなく、なんだかわからないけど田畑にいた。土をいじるように、何らかの作業をしていた。こういった集落にありがちな、人がいるのかいないのかわからない、息づかいも聞こえてこない、死んでいるかのような集落とは違っていた。町営バスの停留所があった。バスが交通インフラを支えている。ここには営みがある。
 この県道232号から県道234号小田野大那地線が分岐している。地図で見るとこの大那地の集落からそのまま南下し、旧美和村の中心街へ抜けていく道だった。県境の山の稜線は鳥帽子掛峠という峠で越えていた。実に興味深い道だった。目で追うと名残惜しくなるからやめた。妻がさすがにお腹がすいたといっている。そうだ、まちに出て昼食にしないといけない。今日は馬頭の「レストラン道」へ行こうと思っている。先を急ごう。それまで、まだこの風景を楽しめそうだ。

 

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