自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

苔をゆく 群馬・小平座間林道(Jul-2019)

 地図で見つけた道だった。そこでは県道なのか市道なのか、林道なのかそれとも登山道なのかわからなかった。わかったのは「こんなところに道がある」という事実であり、それをたどった結果、「つながっている」ことから湧いた興味だった。
 道は現在のみどり市、かつての大間々町から北へ向かっていた。大間々から北へ向かう道は、一般的な交通に使われる道としては二本あって、ひとつは国道122号、もうひとつが県道257号である。いずれも渡良瀬川に沿うよう敷設されていて、おもに右岸を行くのが国道122号、川を挟んで左岸を県道257号が通っている。県道257号は桐生市内、かつての黒保根くろほね村の八木原という地区で渡良瀬川を渡って国道122号に合流してしまうが、県道257号から分岐した市道が引き続き左岸を北上して上流の草木ダムまで続いている。この右岸左岸の道路陣形で栃木県との県境手前、沢入そうりという場所まで続いている。右岸の国道122号が幹線であり、主交通を担っている。対する左岸は道も脆弱で、ときおり通行止めの規制を受ける。多くは風雨など災害による崩落や道路損壊、それにともなう道路工事で、それは市道のみじゃなく県道257号の区間でもだ(僕はかつて県道257号の通行止めに二度ほどあっている)。国道122号のメインに対して、サブと呼ぶには弱く、生活交通以外の交通はほとんどないんじゃないかと想像できる。こんな規模・規格の違いはあれど、国道一本と県道+市道一本によるふたつの道路が大間々から北へ向かう交通路だと思っていた。そこにもう一本の道を見つけたのだ。というよりは見つけた道がたまたま北上ルートでつながっていた。道はかつての東村、座間という集落に至る。ここは草木湖のすぐ手前でもあり、こんなところまで行けるとは、大間々からの第三の北上ルートといってもいい、そう僕は考えた。
 第三のルートは渡良瀬川に沿ってはいない。その支流である小平おだいら川という河川に沿っている。大間々の景勝地──紅葉の時期になるとよく名が聞かれる──高津戸たかつど峡の先、新栄橋を渡って右に分ける道から入っていく。国土地理院の地図で見ると最初は二本線の道路表記である。これは県道334号小平塩原線。この道を10キロばかり行くと道路表記は一本線に変わる。このあたりでいくつかのこの一本線を分けているのだけど、迷路のトラップをかいくぐるように、そのうちのひとつだけつながっている線がある。飽きて嫌になりそうなほど幾重にも連なったつづら折の果て、旧東村の座間という集落に至り、県道343号不動滝近くに出る。
 道は、林道小平座間線といった。

 

(本日のルート)

 

 

 小平鍾乳洞を身体の冷却代わりに見学し、「それじゃいよいよ行きましょう」と同行のS家夫人にいった。S家の御主人も来るのかと思いきや、今日は不参加といった。したがって今日はご夫人ひとり。なんでも前日、夫婦ふたりで0時前後まで飲み歩いていたらしい。タフだ。そのうえで朝S家夫人が自転車に乗るといった。さらなるタフだ。逆によく自転車に乗ろうなどと考えたなと思う。アルコールに弱い僕はそんな時間まで飲んでいたら自転車に乗ることなどできない。
 もともとは一日かけて輪行でひとり出かけようと思っていた日だった。しかし梅雨も明けないさなかに本土上陸を果たす台風のせいで、計画はふいになった。近畿から東日本一帯が傘マークだった。終日のサイクリングはあきらめた。でも狙った地域、狙った時間帯でのピンポイント・ピンポイント・サイクリングならあるいは大丈夫かもしれない。代替案としてはショボすぎだけど、ちょこっとでも自転車に乗るのだ。そこで選んだのが群馬県の東毛地区だった。
 思い出すように浮かんだのが、小平座間林道だった。しばらく通行止めが続いていたが、去年解除になったと聞いた。なるほどグーグル・ストリートビューで見るといまだ通行止めの写真だ。ここ、行ってみようか──。距離は大間々から入り県道と合わせて座間までおよそ30キロ。全線舗装と聞いているから未舗装と違って時間が読めないってこともないだろうし、ならば限られた時間の割り当てには持って来いなんじゃないかって思った。本当なら同じく去年開通した作原沢入林道と組み合わせたかったのだけど、まずはここだけ走ったっていい。それに今日はピンポイント・ピンポイント。地域も限られ、時間も限られる。ちなみに朝見た予報では、作原沢入林道が抜ける栃木県足利市佐野市は雨マークがテレコに並んでいた。そこへちょうどS家から連絡が来た。
 鍾乳洞の出口の扉を開けると、とたんに僕のメガネは真っ白に曇った。スイッチひとつ、一瞬ですりガラスに変えてしまう瞬間調光ガラスのようだった。
「外はひどい湿気です。今日はくれぐれも熱中症に注意していきましょう」
 僕はあとから出てきたS夫人に声をかけた。

 

 鍾乳洞を出ていくつかの集落を過ぎると、道は細くなった。中央線はなくなり、舗装面も荒れ始めた。林道との区別もつかない。忘れたころにあらわれる県道標識で、ここはまだ県道なのだと認識するくらいだった。
 坂はゆるゆると上っていた。周囲の木立はやがて徐々に道を覆い、森のなかへいざなった。隣には小平川が離れずついていて、涼しい風を呼び起こしていた。じっさい気温も多少低いんじゃないかって思った。でも過ごしやすくない。まったくだめ。きっとこれ湿度のせいなんだ。かいた汗が乾くことがないと、気温が低くても熱中症になる──今がまさにその状況だった。
「これダラダラとしんどいですねえ」
 僕は中途半端な斜度で距離ばかりかかる道に不満を漏らした。もうあとガツンと上っちゃってくれてもいいのに、と──。どうせもうちょっとなんだろうしと思った。
「だって、千メートルまで上るんでしょ?」
「えっ!?」僕はS夫人の返事に驚いた。「まさかぁ」
 朝、出かける段ぎりぎりに僕はルートを引いた。距離とコースプロフィール──それは一度上って一度下るという構成を確認しただけ──を見たきりで、いっさいの標高を確認していなかった。だからいわれた標高に僕はピンとこなかった。会話をしながらS夫人のようすを見ると、僕より汗をかいているようできつそうだった。これだけの湿度だから、仕方がないと思う。「確認します」といって僕は止まった。休憩を兼ねて。食べられるものがあったら食べておいてくださいともいった。そのあいだ僕はスマートフォンを取り出して朝引いたルートを見てみようとした。しかしながら僕のワイモバイルは圏外だった。ソフトバンクの3G回線すら、来ていない場所だった。
「だって間違いなく見たよ、桐生の出発が250だから、750くらい上るんだなって思ったもん」
「いやぁ……」僕は半信半疑だった。まさか、またGPSiesの標高間違いかなんかでしょう、と続けた。とても信じられず僕はそうやってルート作成サイトのせいにした。足尾山地である。しかももう山も終ろうという南端である。前日光や古峰ヶ原、粕尾峠の一帯とは違う。だいたいあの三境林道だってピークは850メートルくらいだ。千メートルってことはないだろう。「今、圏外になっちゃってて調べられないんですけど、そんなことはないと思いますよ」と僕はいった。千メートルなんだとしたら、おおごとだ。
 しばらく走った先に、道の斜度が大きく変化しているのを見た。木立のなかの暗がりに吸い込まれるような道の先が、折れ曲がったトタン板のように急な勾配に変化している。
 同時に、道の雰囲気に違いを感じた。そこで界を隔てているように思えた。近付いていくと、道端に山吹色をした菱形(というか正方形)の標識が立てられていた。それは僕が待ち望んでいたものに違いなかった。

 

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 小平座間林道の始まりである。
 そこに立ってみても、さっき遠目に感じたような『境界』のような明確な差は感じなかった。空気にも違いはなかった。違いとしてあるのは少し先で急激に変わる坂の勾配くらいだった。さっき見て感じた空気の差は何だったんだろう。
「行きましょうか」
 僕はそういい、念のためツール缶から出した鈴をS夫人の自転車に下げた。そしてここからは前をお願いしますといった。
「万が一僕が離れてしまったら、止まって待っててください」
「そうなの?」
「はい、単独行は避けましょう」
 雰囲気や空気に明確な違いはなかった県道と林道の両者だけど、走ってみると勾配以外にも微妙な違いがあった。やはり道路規格が落ちた気がした。舗装の質もそれほど良くないし、整備も行き届いていなかった。陥没や穴があるのを見ると、県道に比べて整備に入ることは半分にも満たないんだろうなと思った。あるいは道路が壊れない限り入らないかもしれない。こういうのを見ると、いよいよ林道らしさが増してきたと思う。
 整備の問題か、あるいは根本的な交通量の問題か、路面の枯葉や枯れ枝、転がっている落石が圧倒的に増えた。それから苔である。路面にも苔が見られるようになった。斜度もきつくなった坂はタイヤにトルクもかかりやすい。苔のうえはとにかく滑るから、苔を避けるラインを取って走った。
 林道に入ってからあちこち水が多い。脇を流れる小平川に流れ込むように山肌から水が流れ出してくる。道を川が横切る洗い越しというものを山岳道路で見かけることがあるけど、ここは横切るわけじゃなく道路の脇をそのまま水が流れていた。坂の斜面を川のように流れていた。路面にいっさいの水切りが施されていないからどこまでも流れていく。低規格、低予算の林道だとゴム製の水切りを付けているのを見るけれど、ここはそれすらない。側溝も横断する溝もないから流れ放題。これじゃ路面もボロボロに荒れるし、土砂や落石、木の枝葉がありったけ道路上に散乱してしまうよなと思った。
 小平川の砂防ダムからも水の多さを感じさせた。まるで豪傑な滝のごとく水が流れ落ちている。横を通過したとき寒くすら感じたほどだった。長く晴れ間もほとんどなかった梅雨がもたらした水だ。関東の山はどこも地盤が緩んでいるに違いない。
 S夫人に疲労が出ているようで気にしながら走った。日も遮られ、流れる水のすぐ脇でそれほどの暑さは感じないから、おそらく猛烈な湿度のせいだろう。ゆっくりしたペースでようすを見ながら走る。無理があるなら止まって休み休み行きましょうといった。それもあって、この林道がどんな場所でどんな風景か、あまり気がまわらなかった。でも森のなかを行く林道に眺望らしい眺望はなかった記憶。S夫人はたびたび止まって補給を口にしている。足を止めるそこはたいてい森のなかだった。
 苔だけは目を見張るほどだった。僕は苔には関心がないのだけど、S夫人がここまで育った苔はかなりのものだという。見事だという。路肩の縁石はまるで道の行き先を示すかのようにすき間なく緑のラインになっていたし、法面のコンクリート壁が現れれば一面を苔が覆っていた。場所によっては路面も苔が覆っていた。これもまた今年の長梅雨がもたらした芸術なんだろう。ただここまでの質と量はさすがに簡単には育たないんじゃないだろうか。まったく車の通る気配のない道はもちろん人の姿も見かけない、僻地感の強いこの林道だからこそだと思った。
 そう、ここは交通量がまったくない。林道に入ってから人家がないから、まず住民の往来がない。そして大間々から旧東村への貫通路としての役割も感じられなかった。なにしろ道はつづら折がすさまじいのだ。走れど走れどガーミンの地図が進まない。南に大きく折れて東に曲がっていく、ヘアピンカーブで180度向きを変え、西に向かっていた進路を右に折れて北に向かう。そうやって最初通った地点とさほど変わらない場所に戻ってくる。それの繰り返し。位置移動に対する距離がかさみ過ぎる。道も狭く屈曲ばかりだからスピードも出ないし、とてもじゃないけど車でこの道を選ぶ理由が見当たらない。この道は大間々から北へ向かい旧東村へ抜ける第三の交通路にはなり得ないだろうなと思った。
 そして僕はガーミンを見てふと思ったことがあった。気付いたら標高が800メートルを越えているのだ。画面の右上にピークを示す上矢印がちらっと見えているのだけど、800メートルの縮尺表示で2メモリ半くらいある。直線で2キロくらいだろうか。でもここから距離を想像するのがあまりにも困難だった。ここまでも距離の目測を誤ってしまっていたし、平均線に対する振れ幅が大きすぎる折れ線グラフのようなルートじゃ直線2キロの残距離をとてもイメージできなかった。だから3キロともそれ以上ともじゅうぶんに考えられた。──とすると最初にS夫人がいった標高千メートルはあながち間違っていないんじゃないか。ここに来てそう思うようになった。と同時に末恐ろしくもなった。
 少し前に僕らを追い越していったオフロードバイクが、下って来てすれ違った。おやっと思う。オフロードバイクでヘルメットもゴーグルもそれ用をしていた。そこから考えるにおそらく趣味の人だ。生活住民でもなければ工事などの作業者とも思えなかった。なぜ趣味のオフロードバイクが完抜け林道を走破しないのか。それとも最後まで走破して往復してきたのだろうか。それにしては早すぎるし、この一帯は、僕個人からすれば抜けきったあとも三境林道や草木湖をめぐる県道など魅力がたくさんある。行き止まりの道も好む人であればよりたくさんの枝葉のような林道がある。同じ道を戻ってきたオフロードバイクに少しだけ嫌な予感を感じた。
 林道サイクリングは、僕の計算違いで──というか標高千メートルを想像もしていなかった──とんでもない時間を費やしていた。時計はすでに15時をまわっていた。距離がかさみ標高を重ね、時間を費やした結果、S夫人の疲労をいっそう濃くさせている。休憩の回数が増え、進みもさらに悪くなる。休憩の回数ごとに補給が出てくるのは驚いたし見事だった。よくこれだけ計算して持ってきているなと思った。四次元ポケットがついているんじゃないかってほどの印象。毎回毎回食べられるものがあるのははたから見ていて救いだった。あとは心配なのは雨だったけど、いまだ降り出していない。僕は雨のリミットを15時と見ていたけれど、幸い落ちてくるようすはない。林道に入ってから、路面の流出土砂を見て、雨が少しでも降ってきたら引き返しましょうといっていた。山の地盤の弱さを気にしていた。坂に関心の薄いS夫人は初めのうちわかったそうしようといっていたのに、ピークが徐々に近づいてきて、せっかく来たのだから上り切りたいと、いうことが変わってきた。
「あと何キロ?」
「2キロぐらいじゃないかと……」
 距離を聞かれ、僕は語尾を濁す。1キロくらい手前で同じことを聞かれ、そのときもあと2キロと答えていたから。つづら折の距離が長すぎて、直線距離から計算ができずにいる。S夫人は何も答えなかった。さっきもそういったじゃん、そういいたいに違いなかった。軽トラが一台、僕らの脇を追い越していった。オフロードバイクに続いて2台目の車両だった。

 

 長かった。そしていよいよ到達したガーミンのピークマークの場所には何もなかった。確かに道が上りから下りへと転じていた。しかし看板も標識もない、おそらく峠に名前さえないんだろう。GPSの標高は確かに千メートルを越えていた。そんなことってあるんだろうか。ここの少し北、足尾山地を横切る三境林道が850メートルなのに。でも今になって思い出した。三境林道はトンネルで越えているのだ、三境隧道で。山の峰をこえているわけじゃなかった。この道とは違う。
 上りの途中一度開けた眺望から見えた緩やかなすそ野はおそらく赤城山だったんだろう。厚い雲に覆われていて山すそなのか大地の斜面なのかさえわからなかった。それもこの峠からは見ることもできない。それでもピークにこうして立って、充実と上り切った感があるようだった。達成感。S夫人が峠を示すこれというものが何ひとつないなかで、満ち足りて写真を何度も撮っていた。

 

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「で、結局何も食べなかったんだ」
 S家ご主人は僕のグラスにビールを注ぎながらいった。
「何も手持ちがなかったんだもの。下って国道沿いで食堂にでも入ろうと思ってたから、最初から持って行かなかったんだよね」
 と僕は答えた。お昼抜きかあとご主人が笑う。
 帰ってからのおつかれさま会は21時になってしまった。今日一緒に行かなかったS家ご主人がオイル・サーディーンを作っていてくれた。
「何かあげなかったの? またたくさん持っていったんでしょう?」
 とご主人が夫人に聞く。
「あげてたら私が死んじゃうよ」
 というS夫人に、そらそうでしたね、と僕はいった。
「まあ何にせよ、よく今日の状況で雨に降られませんでしたよ」
 峠を下り、帰りは渡良瀬川沿いの国道122号を走って、桐生に戻ってきたのは18時過ぎだった。そのあいだ、一度も雨に降られることがなかった。
「こっちは一度ざっと降ったのにね」
 そういってご主人が三人分のビールを注ぎ終えると、それを配っておつかれさまでしたといった。

 

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