自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

緑のもみじロード(Nov-2019)

 風邪を引くのは悪くない。むしろ年に一度や二度は風邪を引くべきだ。そのほうが体は強くなるし定期的に抵抗力がアップデートされる。これは持論である。だから風邪を引くことはかまわない。
 しかしよりによってだ。今日は木曜日である。
 午後に入ったころから腰と股関節に鈍痛が感じられた。それが時間を追うごとに重みを増していく。「寒い?」同じ部屋で仕事をしている同僚にそうやって聞くと、「寒いですよ、今日は」という。最低気温の底を更新し、雨がときおり降る日差しのない一日は、寒い日なのか自分の寒気がそうさせているのか区別がつけられなかった。鼻の奥から伝わるような頭の痛みもつらかった。「明日はもっと寒いらしいです」同僚はそう付け加えた。
 定時になると僕は同僚に今日はこれで上がるよといった。なんだか熱っぽい気がすると伝えた。
「明日、さらに寒いらしいから無理しないで休んだほうがいいですよ」
 僕はありがとうといい、今日の作業で組み入れた結果を確認しないといけないから明日は絶対来るよと笑った。わりと熱には強いほうだから37度台だったらまず仕事を休むことはしないし、つらさがそれほどでもなければ38度台でも仕事にはなる。ただ土曜日のことを考えると僕は少しばかり気が重くなった。そこまで引きずって土曜日欠席するわけにはいかない。
「もしつらいようなら、明日の午前中に確認して報告を上げて、午後は帰らせてもらうかも」
 少しだけ弱気になってそういった。
「インフルエンザもけっこうはやってますから、高熱出て下がらないようなら医療機関に行ってくださいね」
「ああ、インフルエンザ……」僕はやれやれと思う。「そうだね」
 帰り道を歩く。もうこの季節の18時なんて真っ暗だ。目の奥がじんじんとうずき、顔から頭にかけてぼおっとしていた。間違いなく熱あるなこれ、と思う。眼鏡をかけていることがおっくうになり、外してポケットに入れた。こうなるとド近眼の僕には足もとさえよく見えない。歩道の段差には何度もつまづいた。夜となれば暗い色の服を着た人はすぐそばまで来ないと気づかない。直前ではたと気づいて進路を開ける。

 

 帰って熱を測ってみると38.2度あった。思ったよりあった。仕事をしているときのしんどさだとせいぜい37度くらいだと思ってた。まあでもこのくらいならきちんと寝れば明日の仕事はなんとかなるはず。あとは土曜日だ。サイクリングに行くのだ。
「あす、さらに土曜日と冷え込みは一段と厳しくなるでしょう」
 テレビの関東地方の天気予報はそういった。さらに追い打ちをかけてくるような予報だ。
 食欲はあったので夕飯はきちんと食べ、そのまま布団に入ることにした。LINEグループでは「全員君津で大丈夫そうですね、君津を出発地にしましょう」って盛り上がっていた。僕はだるくてその輪にひとつの返信もできず、眺めるまま布団に入った。

 

 金曜日。朝を迎えた。体は軽くなっていた。熱を測ってみる。36.4度。よし。そのまま仕事へ向かう。若干の風邪の余韻を感じる。頭の重みやら腰や股関節や節々にある鈍痛。
「午前中だけやって帰るかも」と僕は同僚にいった。
「大丈夫ですか?」同僚はそう心配してくれる。
「昨日よりは全然軽いし、熱も下がってるみたいだから。大丈夫」
 それから僕はこれでどうでしょうと君津起点のルートをLINEグループに送った。久しぶりに参加した気分。もともと僕は君津スタートにしたいって前からいってたので、そのとき準備していたルートを貼り付けただけだけど。
 仕事をしていたらだんだんと元気になってきて、結局午後も仕事ができた。ただ翌日の用意を何ひとつしていなかったので、定時を過ぎたらすぐに仕事を上がることにした。体調はもう大丈夫だろうなと思った。近所のスーパーで買い物をして帰る。パン、おにぎり、チーカマ、缶コーヒー。
 そして着るものにいちばん悩む。2度ってどんな寒さだ?

 

 

 明けて土曜日になった。結局何だったのだろうあの熱は。何事もなかったようなふだん通りの体調で半蔵門線錦糸町で降りた。朝の最低気温2度は外れたのかもしれない。そこまで寒い気はしない。
 指定券券売機で休日お出かけパスを買ってホームへ上がった。今度の電車は君津ゆき。乗ってしまえば終点までそのまま運んでくれる。メンバーから乗りましたと連絡の入った先頭車両までホームを移動し、そこへすぐさま電車が入ってくる。ぎりぎり。待ち合わせとしてはNGだな余裕なさすぎと反省する。乗ると先に東京駅から乗ってきたふたりが席を確保して待っていてくれた。
「おはようございます」そういってふたりが確保してくれていた席に着き、まずは今回誘ってもらった礼をいった。
 みなそれぞれが一年ぶり以上の再会だったが、そこにお久しぶりとかご無沙汰してなどという言葉がないくらいの親近感がある。そのあいだにもHさんはひとりで高知県にサイクリングに行き、Mさんはひとりで篠山にサイクリングに行っている。朝食用に買ってきたパンを食べながらふたりの自転車行の話を聞いた。輪行はどこへでも自転車を運んでくれる。そのサイクリングがポタリングであれガチ走りであれ、いつもの旅のスケールを変えないまま、旅の範囲を大きく広げてくれる。話を聞いているだけでそれを実感する。いい旅ですねと僕はいう。本当いいところだから行ってくださいとふたりはいう。僕はうなずく。すべての旅はいろいろな側面を持ちいろいろな良さがある。それに自転車が組み合わさっていればなおさらいい。
 船橋津田沼、稲毛、千葉。朝の下り快速は少しずつ人を降ろしてゆき、内房線に入るころには車両内の他の客も数えるほどになった。乗車率と反比例するようにテンションばかりが上がり、Hさんは歌など歌う。『夢想花』を歌い出しから歌い、『勝手にしやがれ』を2番から歌った。木更津駅発車メロディーに合わせて『証城寺の狸囃子』をフルで歌った。発車メロディーは途中で止められているのに。いっぽうのMさんは木更津で暮らしていたことがあって、懐かしいのともう来ないかもしれないからと、内房線に入ってから毎駅ドアが開くたびにホームに降り立ちそしてまた乗っている。何なんですかそれと聞くと、地面を踏んで思い出と実感を刻むのだという。あ、それわかるぅとHさんがいう。──わからない。
 錦糸町から乗って1時間少々で君津に着いた。その列車の終点で降りるのって気が楽だ。ゆっくり乗客のいちばん最後に改札を出た。歩いていて、もう明らかにウィンドブレーカーはいらない。気温の予想が外れたのかもしれないし、太陽の光のせいかもしれない。駅前広場でめいめい自転車を組みつつ、このあと合流するうっちぃさんを待った。僕らが組む輪の中に、「ここで混ぜてもらってもいいですか」と輪行者が自転車を肩に声をかけてきた。もちろんどうぞと答えた。僕らだって勝手にやっているだけなのだからどうぞも何もないのだけど。彼がおろしたその袋は専用で、開くと中から複雑に梱包された折り畳みの小径車が現れた。Mさんが「今日はどちらに行くんですか?」と聞くと、「もみじロードです」と答えた。

 

 僕はその名前を知らなかった。そもそも今回の端緒は、今度茂原から大多喜、大原にサイクリングに行こうと思うのだけど作ったルートを見てくれないかとHさんに頼まれたことだった。僕はそれを見、いすみ鉄道沿いの国道が嫌じゃなければ問題ないと思いますよ、これいいルートですねと答えた。Hさんは、じつはサイクリングを兼ねて台風に遭った千葉に出かけて、お金を落としてきたいのだといった。子供のころ木更津や館山に住んでいたことがあり、千葉は第二のふるさとだからといった。そして11月の最終週か12月の初めの週にはもみじロードに紅葉を見に行こうと考えてるんですといった。そうだ一緒に行きませんかと誘ってくれた。
 僕はもみじロードを知らなかった。その言葉を知らされて初めて調べてみた。するともみじロードとは千葉県道182号の通称だった。上畑湊かんばたみなと線──横根峠近くの県道34号長狭ながさ街道との交差点から、富津市内の国道465号との交差点までを結ぶ県道で、その全線がもみじロードの名前で呼ばれていることを知った。僕はこの県道をよく知っていた。この地域を走るときは県道88号を選ぶことが多かったのでたまたま走ったことはなかったものの、地図でも見ていたし計画段階ではルートに組み入れたこともある道だった。名前を知らなかっただけだ。通称をつけたのはあるいは最近なのかもしれない。

 

「一緒じゃないですか」とHさんが小径車氏にいった。この時季は選ぶところみんな同じなのかもしれませんねと僕はいった。もみじロードからどこへ行くんですかと小径車氏が聞き、館山ですとHさんが答えた。館山からは輪行で帰りますと。なるほど輪行ですしそういう手がありますね、僕は保田に出てまたここへ戻ってこようと思ってますという。
「お待たせしました」
 とうっちぃさんが到着した。僕らと一緒に組み上げをしている小径車氏を見て「おっ」といった。
「タルタルーガですか」
「ご存じですか」
「ツーリングにとっても適したいい自転車ですよね」
 うっちぃさんは一目見て小径車の話題を切り出す。と同時のまわりの三人はタルタ……? という表情で見るばかり。これいろんなところが本当によく考えられてるんですよ、分解も荷物の積載もと説明してくれると、おぉという表情で小径車氏が見る。この方タイレルにも乗ってるんです、と僕はうっちぃさんを紹介した。
「へえ、タイレルに」
 小径車氏はもちろんタイレルを知っていた。
タイレルもそうですけど、この自転車もどこがどうやって組み上がったのか、見てても結局わかりませんでした」そう僕がいうとうっちぃさんは笑った。
 そこに残る小径車氏に挨拶をし、それじゃあひとまずコンビニに行きましょうと駅前広場を出発した。しかし出発してふたつめの信号ですぐにあとから出た小径車氏が追いついて来た。僕らはその角のセブンイレブンに寄ろうと道からそれたので、もう一度お気をつけてと挨拶した。
「あの方、ものすごく速いですね」そううっちぃさんがいった。

 

 君津から大貫駅の付近を里道さとみちでつなぎ、最終的には内房線沿いの国道465号に吸収され、佐貫町駅前を通過した。そこから国道と分かれ、海沿いを行く県道256号新舞子海岸線を選択した。県道はすぐに内房線を踏切で渡り、海を目指す。
「ここですよね~」そういってHさんが止まり、みんなが止まった。「ナガさんが、大好きな踏切の風景っていった場所」
 確かにHさんのいうとおりだった。僕はこの県道の踏切の風景が好きで、何度か通ってもいるし、佐貫町の駅周辺に来るときはこの道を選ぶようにしていたいた。海側から見る踏切と、田んぼで一面広くつき抜けた駅とホームへの見通しが大好きだった。
「よく覚えてましたね」
 思わず僕はいった。果たして僕がこの踏切を話題にしたのはいつだろう。もう5年以上前じゃないか。しかもツイッターで一度つぶやいたきりだ、おそらく。「だいぶむかしに一度いったきりですよ」
「イメージのわく場所だったし、それから通ってもいるんで、通るたびにそのときのツイートを思い出すわけですよ」
 そうHさんがいう。「それを覚えてたんで、ナガさん来るし今回スタートを佐貫町の駅にしたんですよ」
「わざわざ?」
「だってもみじロードに行くなら上総湊でいいんですし」
 僕はびっくりした。しないわけにはいかなかった。ブログの記事で触れていたならともかくツイッターである。流れて消えてなくなってしまうツイートを、しかももう何年も前かさえわからない──5年より前である自信はあった、なぜならここを向こう5年以上通っていないから──、いちツイートを覚えていたというのだから。
「なんか、ありがとうございます」と僕はいった。それからちょっと恥ずかしくなり、──っていえばいいのかな、と付け加えた。
「いやいや同じですよ、通ってて好きな場所なんで」
 県道256号は確かに海岸線ながら、少しだけ小高くなった高台の木々のあいだを進んだ。だからそうそう海が見えるわけじゃないのは残念だった。そのほんの一瞬木々が途切れ、海をすき間から見通せた。真っ青な空のもと、ラメの粒子のようにきめ細かくキラキラ輝く海が目に飛び込んだ。と同時に、ふもと近くまで雪を載せた見事なまでの富士山が、その輪郭も際立つほど鮮やかに、大きく目に飛び込んできた。
 そこはおそらくお金持ちの別荘の私有地で、アプローチのスロープに沿って海まで視界が抜けていた。スロープはある程度の道幅を持っていたし、海岸まで下りられそうな先のようすだったから、きっと海岸への道と間違えて迷い込んだり、風景の良さにつられて入り込んでしまう人がいるのかもしれない。県道からの入り口に大きな進入禁止のマークを掲げ、私有地と書いていた。
「確かにこの坂を下りていきたくなっちゃいますね、わかります」
 とうっちぃさんがいった。
「プライベートビーチでしょ、すごい」
 とHさんがいう。「ポルシェ止まってるし」
 そのとおり息をのむほどだった。プライベートビーチももちろんながら、この風景が、まさに絶景というにふさわしかった。一瞬ばかり開けた、というシーンがチラリズムの感覚に重なるのか、それをより一層高めていた。冬のような澄んだ空気は遠くの山をより近く実感させ、強烈なピントで目に届いた。太宰ならここも「まるで、風呂屋のペンキ画だ」と形容してくれるだろうか。狼狽し、顔を赤らめてくれるだろうか。

 

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 上総湊からは内陸へと入る。僕はルートに湊川対岸の里道に取ったが、じっさいの進路は国道465号に取った。最終のコンビニに寄っておきたかったのと、Hさんが「絵になるバス停」があるといったからだ。
 コンビニでしばらく休憩を取ったあと、さらに国道465号を内陸へと進んだ。左に洋品店のある場所にそのバス停があるという。そろそろ県道182号もみじロードの終点だよというところまできて、それはあった。
 バス停小屋がありそのわきにバス停ポールが立っている。上部丸板と時刻表を掲げた案内板のあるごくふつうのバス停ポール。バス停小屋は角材を柱に屋根と一平二妻の三面の壁で覆っただけの粗末なもので、平側の壁に据え付けのベンチがついていた。台風でも無事だったんだなという感想は過言じゃなかった。その内壁外壁にたくさんのでかでかとした広告看板が貼られていて、みな目の前の洋品店のものだった。看板も古いし書体も独特の時代を感じさせた。いつからこうして広告を出しているんだろう。これだけ派手に出し続けているということは毎月毎月広告料を支払っているんだろうか、そんな余計なことまで考えた。
 いわばノスタルジーなバス停で、ありがちといえばありがちでもあった。
「ここが元祖なんです。いちばん初めに上げた絵になるバス停なんです」
 とHさんがいった。
 Hさんはこういった趣あるバス停を見つけると、ハッシュタグ「絵になるバス停」をつけてツイートしている。何度も見かけたことがあるし、ほかにも同じハッシュタグに乗っかってる人もいる。事実僕も便乗して上げたことがある。Hさんにとってその第一弾がここなのだそうだ。
「ここが原点なわけですけど、ここを越えるバス停はないですねえ」
 という。
「いいですね、ここを上回る趣のあるバス停を全国で探すっていうのも楽しいですね」
 と僕はいった。こういう旅の途上に副要素として存在するものって確かにいいと思った。見どころやポイントを、初めから目的として盛り込んだ場所とは違う、偶然にも出合うもの。副要素としてテーマを持っていれば旅のなかで一連のつながりを見せるに違いない。それが人によってマンホールであったりおにぎりやヘキサなどと呼ばれる国道県道標識であったり、ダムであったりキリスト看板であったりマルフクであったり飛び出し坊やであったり、そういうことだ。副要素をテーマを持って楽しめたら面白いに違いないって実感した。
「いいでしょう?」
「いいです、ありです」
 四人それぞれでカメラに収め、ハッシュタグ「絵になるバス停」で同時に上げることにした。図らずも、一枚とて同じ絵になることがなかった。
「楽しい。これから出かけたらその先々で絵になるバス停を探してみます」
 と僕はいった。

 

 

 そこから最初の信号が県道182号もみじロードの終点でもあった。国道465号を離れいよいよもみじロードに入る。
「初めてっていってましたっけ?」とHさんがいう。
「そうなんです、初めてです」
「ナガさんでも走ったことない道あるんですね」
 そりゃあるでしょうと笑った。数ある道のうち、走ったことのある道なんて千分の1%にも満たない。
「この先のカーブがとてもいいんですよ。これから始まるワクワク感があります」
 まるで僕みたいなことをいう。他にもこんなカーブがいいとか道付きがいいとかいう人がいるなんて思いもしなかった。そろそろですよ、とHさんがいう。
「おお、いい」
 道は水田であろう広く抜けた風景のなか、緩い大半径の右カーブで丘陵部へ向かっていた。確かにいい。
 緩やかな勾配で丘陵を上り始めて、しばらく行くと湊川の支流、志駒川が近づいてきた。
 丘陵、森、竹林、緩やかな勾配に緩やかなカーブ、まさに房総内陸らしい風景──。
 僕は思い返してみる。なんだか久しぶりな気がする。いつ以来だろう。僕が房総に来るのはどちらかというと冬が多い。寒さがきわめて苦手な僕が相対的に「暖かい」という印象を持っているのに加え、山々は冬になると雪が降ったり凍結したり道が閉鎖されたりするせいで、結果的にそういう偏りを生むのだ。とはいいつつもこの前の冬にはこっちの方面に来たっけ? 少し思いを巡らせてみたが、思い出すことはできなった。
 志駒不動様の水とあったので立ち寄った。湧き水らしい。車を止める広いスペースとトイレ小屋があった。湧き水は設置された蛇口から出ていて、それを受ける流し台があった。栓を目いっぱいにひねったような水量が蛇口から出ていて、すべてシンクへと流れ去っていた。そこが流し台そのものだからまるで水道のように見え、とんでもなく無駄なことをしているように見えてしまう。ひと口、口に含むと甘くておいしかったので、ちょうどなくなりかけていたボトルのお茶を飲んで空にし、この水を入れた。
 ところでもみじロードというからには期待は紅葉である。しかしそれを実感できる場所はなかったし、現れもしなかった。まだ時季が早いのか?
 それはその先にある地蔵堂の滝でおおよそわかった。地蔵堂の滝は志駒川に流れ込む沢が作っている小さな滝で、ここに滝があると知らされなければ誰も気づかない程度のものだった。沢にかかる橋から眼下を眺め、木々枝葉のあいだからはるか下に覗く程度の滝だ。滝をめでてうんぬんいうほどのものじゃない。
 この滝の周囲を覆う木々がみなもみじだった。沢にかかる葉はどれも赤子の小さな手で、上から下まで、手前も奥も、まさにうっそうと茂っていた。
 このもみじの葉はどれも深い緑色だった。くすんだ深い緑が一帯を覆っていた。まだ紅葉には早かったのかと思う。
 しかしながら同時に、足もとに落ちた赤子の手のような葉が今年の紅葉を象徴していた。
 どれも黄ばんでいるのだ。
 赤く染まってなどいなかった。多くは緑の色が抜け黄色く黄ばんだもみじの葉で、あとは赤く染まろうとしながらもそのまま黄ばんでしまっている、茶色くくすんだ葉だった。たくさんの葉が落ちているにもかかわらず、赤く染まった葉はひとつも落ちていなかった。
 僕も今年いくつかの紅葉を見に行き、その行く先々で今年は色が悪い、染まりが悪いと耳にしてきた。汚いし、すぐに落ちる、そんな内容ばっかりだった。そんなことないよなあ、きれいだよなと思いながら走ってきたところもある。栃木の土呂部から湯西川や、福島の南会津から奥会津なんかがそうだ。それでも地元の人にいわせたら色が悪い、染まりが悪い、すぐ落ちるってことなんだろう。
 その典型例をまさに今ここで見ているようだ。木々に残った葉はいまだ染まらず緑色のものばかりだ。対して色の変わった葉はさっさと落ちてしまい、それも赤く染まったものじゃなく黄ばんでいた。それが足もとに積もるように葉が落ちていた。そういうことなのだ、今年の紅葉は。
 僕やうっちぃさんは栃木や福島の旅でその話を聞いていたし、Hさんは今回ここに来るにあたって富津市の観光協会にもみじロードの紅葉状況を電話で確認していた。全体的に紅葉は始まっているが、彩りが悪くすぐに落ちてしまうということだったそうだ。そのとおりだった。
「また来年、ってことですね」
 Hさんがいった。来週、再来週ではなく、あえて来年といった。まだ早い、ではなく、今年は難しい、ということだ。三人もうなずいた。みんなが今年の紅葉のさまを納得した。同時にここはあらためて期待を寄せてくるべき場所なんだと認識した。これらもみじの葉たちが一斉に赤に染まったらいったいどんなことになるだろう。とりたててアピールするような取り柄もない小さな滝が、あるいは人の心をつかんで離さない強烈なビュースポットに化けるのかもしれないと想像できた。この一角だけ切り取ってもみじロードを名乗ってもきっと何の問題もない、そう感じさせるほどの場所だった。それから想像を静かに胸にしまった。
 地蔵堂の滝の小さな駐車場の一角で、地元のおばちゃんふたりがレジャーテーブルの上に自分たちで手作りしたお菓子や総菜や佃煮みたいなものを並べて売っていた。Hさんがそれにつられ、スイートポテトを買った。みんなで分けて食べようとそれを四分の一にし、食べた。そこにあった大きなイチョウの木から落ちた、黄色が鮮やかな葉のじゅうたんの上で、スイートポテトをつまむと秋を感じられた。

 

 もみじロードは全般、今日走ってきたどの道よりも交通量が多かった。県道182号はそれほど交通量の多い場所とは思えなかった。きっと僕らと同じ、紅葉を目的にやってきた人たちだろう。乗用車もいればオートバイもいた。オートバイは1台が過ぎると続けて10台20台通るような集団が多かった。もちろんソロもいた。とにかく誰もが飛ばしていた。適度に楽しめる緩やかなカーブがそうさせているのかもしれなかったが、期待の紅葉がまったくもって期待外れだったせいで、精いっぱいの楽しみで埋め合わせをしているふうでもあった。
「そろそろトンネルだと思います」
 とHさんがいった。そのトンネルを抜けるともみじロードは終りだそうだ。もみじロードはどこまでも緑だった。色づき始めた葉は黄ばんで枯れて落ちてしまった。だから残っている葉がよりいっそう緑であることを感じさせた。あるいはこの道路一帯、その名に恥じぬだけの、もしかしたらそれ以上のもみじばかりの道なのかもしれない。たいていは秋が深まれば黄色に染まったり赤茶になったりする木々が混在して、パッチワークみたいな装いを見せる。多種多様な木があってこそだ。しかしここにはそれがない。みなすべて緑色をしているし、葉が落ちている木もあった。ともするとすべてがもみじなのかもしれない。
 トンネルが見えてきた。口径の大きな、とても短いトンネルだった。入ってすぐに出てしまった。それを出ると県道34号長狭街道との交差点だった。県道182号の起点。これで今日のもみじロードのサイクリングは終った。

 

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 館山の海はすでにオレンジ色に染まりはじめていた。太陽が一日の役目を終えてもうずいぶん高度を下げていた。目的地の館山まで無事到着し、みんなで目指していた北条海岸の日没に間に合った。むしろちょうどよかった。ここに早く着いて日没を待ったら体を冷やしていたかもしれない。
 ここまでくれば自由だ。思い思いに桟橋に出たり渚まで下りたりして過ごした。いつからだろう全体に薄もやがかかってしまったようで、対岸の富士山は輪郭だけがおぼろげにあって、かろうじてその存在がわかる程度だった。新舞子海岸の高級別荘越しに見たシャープなその姿はなかった。だいたいこんなものだ、と僕は思った。試しに写真に収めてみたけれど、はっきりと写るものじゃなかった。
 そしてここにいる誰もが一日を終えようとしていた。桟橋から投げ釣りをしている人たちはぼちぼち片づけを始めていたし、おもちゃを手に砂浜で遊んでいた小さな子たちはそれらをバケツに収め、両親に手を引かれ歩き始めた。日没を待っていた恋人たちは駐車場の車から砂浜や桟橋に現れた。ピックアップトラックの荷台にあぐらをかいていたあんちゃんは太陽の位置から時間を逆算してバーナーの火を入れた。それからドリッパーのフィルターに二度、挽いたコーヒー豆を入れた。1分という単位で太陽はぐんぐん降下する。それにつられるように周囲は赤みが増し、暗みが漂った。暗みはドロッとしたコーヒーフレッシュのように、かき混ぜない限り溶けて交わろうとしなかった。そんなふうに赤と濃紺が全体を包んでいた。海もすっかり黒くなり、東京湾への入湾を待つ白い大きな船が二灯、強い光を放つライトを点灯して、それだけがはっきり見えた。太陽はどうやら洲崎すのさきの中腹に落ちそうだ。海や相模湾の対岸へ落ちるわじゃなさそう。きっと季節によるのだろう。ピックアップトラックからコーヒーのいい香りが漂った。
 最後まで覗いていたわずかばかりの太陽の一条の光が洲崎の向こうに消えてなくなってしまっても、誰が騒ぎ立てるということもなく静かに夜に切り替わった。人が出たり入ったりする神社の一角で執り行われている儀式のようだった。ぴったりとふたを閉じる、、、、、、ように一日が終った。とはいえ、さあ日が沈んだから帰ろうという人は誰もいないようだった。歩く人は歩き、写真を撮る人は写真を撮り、遊ぶ人は遊んでいた。コーヒーを飲むあんちゃんはコーヒーを飲んでいた。洋上の船は相変わらず待たされているのか、同じ位置で同じように照明を点灯していた。少しだけそれが白みを増したように感じた。
 日没後しばらくすると、薄もやではっきりしなかった富士山が赤く目に映るようになった。ここから見るともう沈んでしまった太陽が、赤く富士山を照らしていた。海にも空にももう暗みがすっかり溶け込んでいて、それが赤い富士山の輪郭を際立たせて見せた。空を見ると沈んでいった太陽の軌跡を追うように、三日月が白く光っていた。熟練の彫刻職人が軽い力で削り出した彫りカスのように細かった。一日の仕事を終えたカラスが列をなし、空の赤いところから暗みの群青色に向かって飛んで行った。

 

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(本日のルート)

  

 

 僕は今、暖房の効いたカフェでこの文章を書いている。暖房は適度なのだがジャケットを脱げずにいた。おまけにマスクをしている。コーヒーを飲むときだけマスクをずらし、それをまた元に戻す。僕は風邪に見舞われている。
 もみじロードから帰った翌日、また風邪がぶり返した。熱が再び高くまで上がるということはなかったのだけど、今度はのどと鼻をやられた。のどは息苦しさを、鼻は止まらず鼻炎から頭痛も呼び起こした。寝て過ごすほどじゃなかったけど、寝て過ごさなかったせいかずいぶん引きずってしまった。
 ぶり返したというより、なんだか土曜日だけ風邪がお休みしてたみたいだ。大きな台風が直撃で通過するときに、その目の中に入ったような一日だった。ともかくサイクリングの日一日は何ともなかったし、とても元気だった。
 だいぶ収まってきた。よくなってきた。そんなわけで上着を着、マスクをしてこれを書いている。Hさんにスイートポテトのお金を払うのを忘れてる、それを思い出した。