自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

三遠自転車旅#2浜名湖編(May-2018)

 渥美半島でのサイクリングから豊橋で一泊したのち、7時半にチェックアウトを済ませた。国道1号を車で東へ向かう。豊橋のまちは、混雑する車に交じって、路面電車が車線中央部を走っていた。国道1号を走る唯一の路面電車だそうだ。
 子供の日、まちを離れ農村風景になると、むかしながらの大きなこいのぼりが掲げてある。まさに水を得た魚、こいのぼりはどれもこれも水平になり、力強く泳いでいた。
 つまり、昨日同様風は強い、ということだ。
 愛知県から静岡県に入り、国道1号を離れ、浜名湖の湖岸に出ると何台かの自転車とすれ違った。公園駐車場に向かうわずかな距離で、まだ8時半という時間にしてみな走っていることを知る。前日同様の風を少し気にしながらも、これだけ走っているのなら自分も走ろうかという気になる。昨日走ることをあきらめた妻も今日は走るといった。連日の風であきらめたか、浜名湖という期待しているロケーションにあと押しされたか。
 浜名湖ガーデンパークに車を入れた。駐車場では他にも自転車を組み上げている人を見かける。浜名湖を自転車で走るって人、意外といるみたいだ。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 外に出てみると、どうしようもない風ってほどじゃない。昨日に比べればましなほう。2台の自転車を組み上げ、ガーミンに表示された今日のルートを確認する。反時計回りに浜名湖を一周、奥浜名の入り組んだ地形にも入り込んでいき、およそ70キロある。一日あればまわりきれるだろうと計算した。公園駐車場の閉門時間は17時半。さすがに大丈夫なはず。風は西寄り、あるいは北西風。時計でいえばおよそ5時の位置にあるガーデンパークから反時計回りに経路を取るから、前半のほうが向かい風がきついだろうと想像した。

 

 

 ゆっくり、脚を慣らすように出発した。まずここまで車でやってきた道の続きを自転車で走る。県道323号。この公園へやってくる車、舘山寺へ向かおうとする車、それから湖岸を観光する車なんかで交通量は多い。この道を何キロか走った先で、歩道から自転車道が分岐した。車道からは大きな段差があるから、一度自転車を降りて持ち上げ、歩道に入った。

 

 今日のルートは、浜松だいすきネット運営の浜名湖一周サイクリングWEBというページにある、「ハマイチ・ブルーコース」をそのまま持ってきた。これに多少の寄り道なんかを加えて走れたらいいと思う。
 そのルート通りに入ったサイクリングロードは湖岸に至近で、そこは強烈な潮の香りに包まれていた。湖岸というよりまるで海岸線を走っているようだ。同じ汽水湖でも茨城県の涸沼はここまで潮の香りはしない。もっとも向こうは長い川(涸沼川)をへて海へ注ぐし、ここ浜名湖は湖がそのまま海へつながっているから、ずいぶん違うんだろう。
 こいのぼりを力強く泳がせていた西風はやっぱり強烈で、それは走行の抵抗はもとより、湖面をあおって起こす波も大きくする。波は激しく湖岸に打ち付けている。昨日などもっと大きかったのかもしれない。湖面から高さにして数メートルもないサイクリングロードは、ときに波にのまれ、しぶきをかぶる。何箇所も浸水したり泥まみれになっているところがある。

 

 近くにあるパン屋、「ぐーちょきぱん」に寄ってみることにした。特にジブリに強い思い入れはないのだけど、魔女の宅急便に出てくるパン屋を再現したその建物に興味がわいた。
 ぐーちょきぱんの場所はわかっているのだけど、サイクリングロードから抜け出せない。一般の車道とは完全に隔離されている道は、車と分けられた安心感が高いものの、周辺への出入りが自由にできない不便さがある。
 県道を越えて住宅地の路地を入っていくとそれはあった。映画の世界が再現されていた。

 

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 わずか10キロで休憩のうえ、軽食を取るというのもどうかとは思うけど、妻は気持ちよく楽しく走れればいいわけだから、これで良しとする。イベントのエイド・ステーションのように。多くのそれはイベントのウリだけど、それをすべて余さず立ち寄っていたら食べ過ぎで動けなくなりそうな気がする。──出たことがないから知らないけれど。
 サイクリングロードに戻ってさらに湖岸に沿って進んだ。
 湖の水、正直汚いなと思う。見ていて、走っていて気持ちいいと実感できる水じゃない。

 

 遊園地、巨大なビル群──それは旅館やホテルだ──、そんな風景が近づいてきて、やがて飲み込まれる。舘山寺(かんざんじ)温泉だ。湖岸の浜にはたくさんのウィンドサーファーが集い、出帆しようとしていた。たまたまだろうけど、なぜか女の子ばかり。
 そして温泉街に入るとサイクリングロードはうやむやになる。
 こうなると、どこをどうたどるのが正解なのかわからない。僕らの前を走っていた小径車のふたり組は、違う路地へ入っていった。とはいえ僕の頼るべきルートはガーミンで表示しているハマイチ・ブルーコースしかないから、それにしたがって走ることにする。
 水辺は、湖の入り江なのか、どこかからの水路なのか、あちらこちらに入り組んだ形を見せた。高い竹垣で囲われた旅館の裏手は、ディズニーランドのバックヤードと同じで見てはいけない空間、その脇の道は細くて、気をつけないと落っこちそうだ。柵がないところもあるし。入り江か水路か、それはきっと水深は浅いに違いないけど、落ちるなんてありえない。気をつけて走る。
 温泉街と遊園地の脇を通るわけだから、散策している人も多い。状況によっちゃ、押していく必要がありそう。

 

 遊園地はパルパルって名前だ。
 僕が舘山寺温泉にやってきたのはまだ10代の頃。運転免許を取りたてで、どこかにドライブがしたかった。もう30年以上も前だ。そのときこの遊園地で遊んだわけでもなく、それっきり来ることもなかった場所なのに、パルパルという名前が記憶に残っていた。人間、あまり役に立たないことを覚えているもんだ。
 パルパルを過ぎ、大草山へ上る舘山寺ロープウェイの下をくぐった。走ってきた道は県道の歩道にいつのまにか吸収され、もう自分がサイクリングロードを走っているのか、ただの歩道を走っているのか、よくわからなくなったので、車道に下りた。

 

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 浜名湖を自転車で走る人がこんなにもいるとは知らなかった。
 レンタサイクルも充実しているから、旅行ついでに自転車を借りて近所を散策という人もいるだろうけど、小径車やクロスバイクで長い距離を走っている人もいる。さっき見た顔がまた走っている。もちろんロードバイクだって多い。荒川サイクリングロードに比べたら少ないだろうけど、見沼代用水のヘルシーロードよりは多い。何人ものスポーツバイクを見、逆方向を走っている人とすれ違った。

 舘山寺温泉が後ろへ離れていくと、一般道を走り、そして起伏が多くなる。そんなに標高があるわけじゃないけど、コースプロフィールがのこぎりの刃のようにジグザグに刻まれているコースだから、なかなかくたびれる。ガーデンパークから舘山寺温泉まではまったくの平坦だったから、坂にからだを慣らしていかなきゃならない。小高い丘を上ったかと思うと、下る。一時、湖の景色を離れ、雑然とした、あまりきれいじゃない林のなかを抜け、東名高速をくぐったりした。
 何度かの上り下りを繰り返してまた湖畔への道へ出た。道の細さと入口の車止めポールから、どうやら自転車道らしい。
 前を、さっきから何度も見かけている男女のサイクリストが走っていた。明らかにペースが速いのだけど、彼らはコースを外れたり、止って写真を撮ったりしているものだから僕らが追い越し、彼らがまた追いついては抜かしていく。引佐細江──読めない、いなさほそえと読むらしく、これが浜名湖と同じなのか違うのかもよくわからない──にかかる赤い橋で止ってふたりで写真を撮っていた。僕はこの橋を渡らない。
「気賀に行こうと思う」
 と僕は妻に声をかけた。妻は耳慣れない音に、何をいっているのかそのものわからなかったみたいだ。

 

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 気賀は東海裏街道にあたる姫街道の宿場町であり、街道監視の関所が置かれた町だった。
 今はこの姫街道天竜浜名湖鉄道(通称:天浜線、かつての国鉄二俣線)が走る。気賀には気賀駅がある。
 町の中心を目指し、駅に向かってみた。
 姫街道はよく、本道の通行に難儀を示した女性が裏街道を選んだことからそう呼ばれるようになった説を目にする。でもここに限れば東海道に比べてむしろ起伏が激しく、東海道がきついからこちらを通りましたっていうのはないなぁと思う。難所の碓氷峠に対する上州姫街道に比べて、その説はピンとこない。まあ、こういうものには諸説があるし、新居関に比べて気賀関が女の取り締まりが緩やかだったとかいうのもひっくるめて、通称になったんだろう。
 町に入ると、そこかしこで「みそまん」の看板を見かける。
 なんだろう、みそまん……。
 しかしホテルでのバイキング朝食をしっかり食べ、走り出して早々にパンも食べた身には食欲がわいてこない。みそまんに対する想像力もわかないので、そのまま通過した。
 駅だ。大きめの木造駅舎は赤を主体とした装飾が施されていた。
 僕は見ていないので知らなかったが、大河ドラマ井伊直虎のゆかりの地だそうだ。よくよく見て回るとそこかしこが井伊直虎一色だ。
 駅にはレンタサイクルも多数常備されていた。ママチャリに並んで、小径車やクロスバイクもあるようだった。浜名湖周辺全体で自転車に力を入れているんだってわかる。
 踏切が鳴り、天浜線の列車がやってきた。けっこうな乗り降りがあった。地元客とは違いそうだから、直虎効果もあってのことかもしれない。降りた客がレンタサイクルを借りている。採算ラインはわからないけど、うまく回っていそうだ。軽快なディーゼル音が太めのトルクを感じさせながら、鋭く加速して走っていった。

 

 気賀の関所跡は無料で見学ができるそうなので、立ち寄ってみることにした。
 にしても、浜名湖周辺にたくさんあったバイクラックがない。ぐーちょきぱんにさえあったのに。駅でスポーツ自転車を含めて貸し出しているのなら、なおあればいいのに。浜名湖全体で自転車を盛り上げて、立ち寄りスポットとしてとてもいい場所なのだから、あればいいのに。
 直虎の顔ハメパネルに入って写真を撮ってくれという妻。よく復元されて資料も解説も整っているいい場所だった。ただ僕はかつての宿場町をゆっくり走って散策するのが楽しかった。関所・宿場時代からの堀を生かした、いい町なみだった。

 

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 このあたりは奥浜名湖というのだろうか。
 舘山寺温泉までの浜名湖とは違う表情だ。水もきれいだ。サイクリングロードなのか、湖岸の細い道を走る。自然も豊かだ。道にヒトデが打ち上げられ(あるいは人の手で上げられたのか)、干からびていた。道のど真ん中で、昼寝でもしていたのか、ずいぶんのん気にしているヘビを正面から踏んでしまった。回避もブレーキも間に合わなかった。ヘビはのたうちながら逃げていった。鳥も、いろいろな声が聞こえる。
 湖畔と林のなかを繰り返し進んだ。そのたびに小さな坂を上り下りする必要がある。
 瀬戸港で休憩して、トイレに立ち寄った。港はもちろん船が発着する。遊覧船と書いてあるけれど、きっぷ売り場はフェリーなんかのそれだった。湖の観光や、遊覧船といった雰囲気がない。まるで海と、生活のための船の港みたいだ。

 

 一度、並行する国道に出た。
 そこには酒蔵があり、酒蔵がやっているカフェがあると見たので、休憩にした。
 お昼近くでどうしようか悩んだけど、やっぱりこの先ウナギを食べようと、コーヒーとプリンだけにした。プリンは、酒粕のプリンを選んだ。

 

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 かくしてウナギである。
 さっき通りかかったうなぎ屋は、驚いたことに「本日は売り切れました」の札を出していた。11時過ぎのことだ。店は11時開店で、いったいなんなんだろうと首をかしげた。
 でもこういうことがあるのかもしれない。
 候補に挙げた店のひとつだったけど、他もそういうことがなければいいと祈った。

 

 奥浜名湖のこのあたりは猪鼻湖というらしい。そういえばサイクリングロードをほとんど見かけなくなった。車と一緒に国道362号を走る。現代版姫街道は、交通量も多い。
 しばらくは気ぜわしい道を走りながら、瀬戸橋へたどりついた。
 ここのたもとのうなぎ屋に入ることにする。
「お食事されますか?」
 駐車場の案内をしているおじさんが声をかけてきた。
「お願いできますか」
「少しお待ちいただきますが、かまいませんか?」
「ええもちろん」
 狭い場所に、車がぎちぎちに止められている。「自転車、どこに置いたらいいでしょう」
「ではこちらへ」
 と案内してくれる。店の壁に立てかけるように、自転車を置いた。

 

 大きな店じゃない。座敷に一列、湖に面した大きなガラスに沿ってテーブルが並べられているだけ。2、30分待って入ったけど、からだ休めにちょうどよかった。窓から大きく瀬戸橋を望んだ。その向こうに船着き場がある。2時間前に寄った瀬戸港じゃないか。目と鼻の先だ。猪鼻湖をぐるっと大きくまわって、橋をはさんでわずか数百メートル先に戻って来たってことだ。

 

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「お待たせして申し訳なかったですね」
 食事を終え、店を出ると、駐車場のおじさんが声をかけてきた。
「いえいえ、本当に美味しかったし、待った甲斐がありました。それに、待ったといってもそれほどの時間じゃなかったですし」
「今日はお天気も良くてよかったですね」
「本当、よかったです。でも風が強いですね」
「ああ、そうですかねえ。昨日はすごかったですが」
 ──ん? このくらいの風、浜名湖じゃ当たり前なのかな。
 おじさんの口ぶりから、そんなことを思う。
「どうぞ引き続きお気をつけて。ぜひ楽しんでってください」
 そういって、僕らを見送ってくれた。信号が青に変わり、おじさんに頭を下げ、先に向かった。

 

 

 湖畔の西から南へは自転車道はない。ふつうに道を走っていく。
 南下するにつれ、ここまで付かず離れず走ってきた天浜線が遠くなっていった。工場や住宅が多くなり、面白味にも欠ける。そして東海道本線が近づいてくる。駅は、鷲津だ。
 特に見どころもないようだし、湖からも遠ざかっているので、淡々と進んだ。
 風が舞っているのか、風向が変わったのか、どうも追い風になってくれない。鷲津から新居に向かう南東向きのところで、今日一日分を取り戻せるんじゃないかって期待していたのに。

 

 新居で浜名湖と再び対面した。河口に近く、浜名湖がやけに大きく映る。道が浜名湖のうえにかかり、新幹線や東海道線に並行した。列車からよくみていた風景だ。新幹線に乗っていると急に車窓が明るくなったように感じる場所である。海との境界に天高い円弧を描いた浜名大橋がかかっている。それが、自転車に乗りながらでも見える。列車の車窓で見ていた景色を今、自転車に乗りながら見ている。これは楽しい。
 そして、やっと追い風を感じた。

 

 ずっと橋で貫いていて、ずっと湖の上にいるような気分だ。僕は、高いところや、足もとが心もとなくうすら寒く感じるところが苦手だけど、きっとほとんどの自転車乗りには快感を得られる道に違いない。しまなみ海道の絶景が快感の人であれば、きっと間違いない。
 新幹線とすれ違った。タイミング良く。たったそれだけのことなのに、まるでお膳立てしたクライマックスのように感じた。

 

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 浜名湖一周旅はエンディングに入った。湖上の橋梁をつないでガーデンパークに戻ってきた。方角を変えてやがて横風から向かい風になる強風は、がらんどうの橋の上じゃ、飛ばされそうで怖いほどだった。
 一周っていうのはわかりやすくていい、そう妻がいった。目標が明確で、達成感が倍増する、という。
 そして公園に戻った。「満足」と妻がいった。