自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋深し会津旅2Days - 3(Nov-2019)

その2から続く

 

 そこが食堂だと知らなければ存在に気づかなかったろう。暖簾のれんが出ていなければ食堂とはわからなかったろう。
 福島県金山町、会津川口駅前。

 

 実は僕はここに来ている。何年も前の夏のことだ。
 その日、僕は六十里越の国道252号を走ってきた。朝、上越線の小出の駅を発ち、ひたすら只見線沿いを走った。道路と鉄道と川(もしくは海)という僕にとってのトリオ・ザ・ゴールデン(黄金の三つ編み)に加え、有数の絶景地を楽しむ旅として、こぼしてすくいきれないほどの満足を得た。いよいよ到達した六十里越トンネルの新潟口でツイートしたことを覚えている。まだこのときいわゆるガラケーを使っていて、ツイートをメールに頼っていたころだ。偶然にもそこにauの電波が来ていた。なにもかもを実に楽しんでいた。
 しかしながらそれにともなうコース・プロフィールは僕の能力を超えていて、只見まで下りさらに只見線の不通区間を並走するころにもうずいぶんと消耗していた。おそらく六十里越への上りですでに力を使い果たしていたんだろう。不通区間の終りは会津川口駅、そこから会津若松までが福島県側の折り返し運用だった。このまま福島県側の只見線(仮に、只見東線と呼ぼう)に沿って走り、程よき場所で輪行に切り替えればいいと考えていた計画だったのに、その終端である会津川口駅にたどり着いた瞬間、迷いもなく終えることを決めた。乗る区間を選ばない18きっぷを持っていたというのも大きかったかもしれない。僕は会津川口の駅前で即座に輪行収納し、会津若松行きの列車を待つことにした。
 そのとき会津川口まで食事もとらず走り続けてきた僕は、当然ながら空腹だった。輪行収納を終えると周辺に食事のできるところがないか探した。でもとても小さな駅前だった。町や集落と呼べるほどのものじゃなかった。同じ金山町でも玉梨・八町温泉の周辺の集落のほうがよほど広がりがあるし、鉄道のない昭和村のほうがよっぽど何か探せるんじゃないかって気がする。そんな程度の駅前だ。周辺をしばらく歩きまわったが、食堂などひとつも、、、、存在しなかった。そんなものはこの駅前にはなかった。コンビニや商店さえないものだから僕は駅に戻った。駅舎内に売店があったのが幸いだった。そこでカップラーメンを見つけ、売店の女性に「お湯はありますか?」と聞いた。「ありますよ」といわれ僕はようやく救われた気分になる。カップラーメンを買い、まだまだある列車の待ち時間でそれを食べた。
 当時もこの食堂は存在していた。しかしもう暖簾はしまわれていたんだと思う。食堂は道路に面してまるで回転刃で切り落とした食パンのようなフラットな切妻で、暖簾だけが食堂を認識させる手掛かりだった。これがしまわれてしまえばどう見たって一般の住宅との区別はない。僕はその日、「会津川口駅前には食堂のたぐいはない」と判断したに違いない。

 

 すりガラスで中のわからない引き戸を引くと、ガラガラガラと音を立て、しかしながら何の抵抗もなく軽く開いた。店内はさほど広くもなく、そして驚くほど混んでいた。ふたりで店内を見まわす。テーブルは中途半端に埋まり、ひとつだけ開いているのは座敷席の、食べ終えたラーメン丼がいくつも載ったテーブルだけだった。
 店の状況はよくわからなかった。でもこれだけの情報から読み解き、僕らは判断する必要にせまられた。解はふたつだ。ひとつは埋まったテーブルの空き席に相席で座る──ふたつ空いているところはないから、ばらばらに相席だ。もうひとつは下げられていないラーメン丼が下げられるのを待つか、だ。
 途方に暮れていたのは10秒にも満たなかったかもしれない。たぶん、とても長く感じたんだ。座敷のいちばん奥のテーブルでひとりで食べているおばちゃんが、
「ここ来な。こっち移っから」
 といった。おばちゃんは自分のラーメン丼を持ち、空きラーメン丼が載せられているテーブルの隅に移った。そして、「ほら、入れっから」と僕らを呼び寄せた。
 僕らは恐縮しつつ、礼をいいながら靴を脱いで座敷に上がった。そのおばちゃんはただの客なのか店の人なのかまったくわからなかった。僕は混乱したが、席を確保できたことで安心した。
 程なくして厨房から出てきたお母さんが店の外に出て暖簾を店のなかへ入れた。隣で食べるおばちゃんが、
「スープが終ったんだな」
 といった。店のお母さんは特にいらっしゃいませともいわず、下手をすると僕らに気づいていない可能性もあった。厨房に入ったっきり食べ終えた丼も片せずにいるのだ。今いるこれだけの客にひとりで料理を供しているのかもしれない。ふと心配になった僕は隣の席のおばちゃんに、
「僕ら、食べられますかね」
 と聞いた。
「大丈夫じゃねぇか? どれちょっと待て、聞いてきてやっから」
 と箸を置いて席を立ち、厨房を覗く。
「なあ、わかってるけ? お客さん。ふたりだけっど、食べられるよな?」
「ああ、あるよ。でもそれで最後だ」
 店のお母さんからそう返事が返った。
 店は食堂を名乗っていたが、手もとのメニューにあるのはラーメンだけだった。僕らは味噌ラーメンを注文し、それからしばらく僕は店内のようすを観察した。
 座敷のテーブルは小さな子供ふたりを連れた若い夫婦の地元家族。それと僕らにテーブルを譲ってくれたおばちゃん。この人もどうやら地元の人のようだ。土間のテーブルには男女ふたりが小さなテーブル、大きいテーブルのほうには四人、このうちのふたりは組で台湾人らしい。残りのふたりはそれぞれひとりずつで、土間の客はいずれも観光客と思われた。台湾人は大きなカメラを持っていたので、只見線撮り鉄なのかもしれない。只見線って海外にまで有名なのかと驚いた。最近の外国人観光客は日本人の僕らが知らないような日本の場所に出かけているような気がする。四人家族のいちばん小さな子はまだ赤子で、ぐずり始めたのちいよいよ泣き出した。お母さんがラーメンどころじゃなくなったので、隣のおばちゃんが「おーいいよいいよ、外に行こう」といって抱いて外に出て行った。そんなことをするものだからてっきり夫婦どちらかの親なのだと思ったら、あとで赤の他人だってわかった。
 ずいぶん長いこと赤子をあやして戻ってきたおばちゃんは、また僕らの隣のテーブルについた。そして「これ、食べて」と自分が食べていた千枚漬けが載った皿を僕らに寄こした。ラーメンと千枚漬けの組み合わせに僕は少々混乱した。でも断る理由もないので礼をいって頂戴した。僕はうっちぃさんに「食べましょう」といった。
 食事を終えたおばちゃんは、アイフォーンをサクサク使っている。そして若いお母さんに話しかけながら「これじゃねえとダメなんだ、ガラケーだと動画もなんも見らンねぇんだからよ、まぁご(孫)の動画とか見らンねんだもん」などといってアイフォーンを若いお母さんに見せている。奥会津のおばちゃんが、スマートフォンをあれだけ敏速に操作しているさまに僕は驚いた。例えば僕の親戚関係のおばたちはみなガラケーだったはず。
 僕らがラーメンを食べ終えるころには、土間にいた観光客はみな店を出て行った。店には若い家族とアイフォーンおばちゃんと僕らが残った。もう店じまいで手が休まったのか、店のお母さんも土間に出てきた。そして僕らに「これ、大根煮たから、食べてって」と皿に盛られた大根を手渡された。「どうせ作ったもんだから」といった。大きかったラーメンにすっかり満腹を覚えつつ、恐縮しながら皿を受け取った。けっこうな量だった。それから店のお母さんは土間の大きなテーブルについてアイフォーンおばちゃんと若いお母さんを呼び、鍋ごとドンと置いた僕らと同じ大根の煮物をつまめといった。みんなでラーメンのあとに大根の煮物を食べる。
「ここにいると根が生えますね」
 うっちぃさんはそういって笑った。
 まるで何もかも昭和のころのドラマでも見ているような気分だった。

 

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「この先に只見線のめがね橋があるんですけど、10キロ切るくらい、30分で行けますか?」
 本当にすっかり根が生えてしまった。もう14時をずいぶんまわっている。ここからは只見線に沿ってまず会津坂下を目指す。その途中、会津若松から会津川口に向かってやってくる下り列車とすれ違う。ラーメンを食べながら時間からすれ違うポイントを逆算していた──ただ美味い美味いといっていたわけでもないのだ。有名な第一只見川橋梁まではさすがに距離がありすぎてかなわなかった。すっかり長居したおかげで僕が知るいちばん手前のめがね橋でやっとというくらいだった。只見線の写真を撮ることが僕にとってどれだけ意味あるのか怪しいけれど、本数の少ない路線で列車がせっかく来るのだし、それならどこでもいいから撮ってみたいと思ったのだ。
「そしたらじゃあ気にしないで先に行ってください。道は一本でしょう?」とうっちぃさんがいう。
「そうですか。道はそうですね国道252号一本です」
 会津川口の駅前を出発した。国道252号と只見線雄大な只見川が入り組んで走る。山はもちろん紅葉だ。
 下り一辺倒だと思っていたけれど微妙な上り返しが何度もあらわれる。そのいちいちが負担になった。満腹も体を重くしていた。上り下りを繰り返しながら、線路が交差しながら右に行ったり左に行ったりする。只見川も同じ。トリオ・ザ・ゴールデン(黄金の三つ編み)、美しい。
 国道の脇、只見川のほとりで三脚を立て、野鳥でも狙いそうな特大のレンズを付けたカメラがあった。ぬしは何をするでもなくそのかたわらで腕を組んでいた。かといってとりたてて退屈そうでもなかった。僕は特大レンズの向く先を見た。そこに只見線のめがね橋が小さく見える。あれかと思う。なるほどここは遮るもののない一等地。僕も真似しようかと思ったものの、とうてい僕のコンデジのレンズではあのめがね橋をとらえることはできない。そこからまだ数百メートルはあった。線路も道路も、トンネルをひとつ越える必要がある。
 ともあれ、まだ列車は来ていないことがわかった。一等地のカメラ主のようすを見てそうだろうと思った。僕はひとまず安心し、もっと近くを目指した。トンネルを越え、出たところのカーブからめがね橋を斜め下から望んだ。道路の脇にちょっとしたスペースがあり、車が一台止まって三脚が投げられたように置いてあった。こちらの主は誰もいない。なんとかここまで30分足らずで着いた。
 その場に立つと、僕はまず周辺を見渡した。右手を流れる只見川は大きくゆったりとして優雅だった。アジアのどこぞの国の大河のようだった。そして何より山が美しい。只見線のめがね橋は、山肌に沿って走ってきた線路がそのえぐれた箇所を越えられず橋を架けているようだった。例えば只見川を越えるようなダイナミックな橋ではなかった。壁に張り付いた場所になぜか橋が存在している、そんな印象を持った。しかしいずれにしても見応えのある風景だ。只見線、国道252号、只見川──いい組み合わせだ。
 ほとんど間を置かずうっちぃさんも到着し、僕に並べて自転車を置いた。「まだ来てません」「間に合いましたね」と会話する。並んでカメラを取り出してどう撮ろうかと狙いを定めた。そこに車で只見線を追いかけて来たらしい若者三人が、車を止めた。降りてアングルを確認している。そしてまた車に乗り込みどこかへ行ってしまった。気に入らなかったんだろうか。確かにアングル的にはいまいちな印象があり(道路とそこを走る車が入りそうだ)、大きなレンズを持っているならさっきのバズーカを構えていた人の場所がやはり一等地だと思う。
 いよいよ只見線がやってきた。アイボリーと緑と深緑とに塗り分けられたキハ40の3両編成。ヘッドライトを点けゆっくり走っていく。緩やかにカーブを描くめがね橋を渡っていく姿は優雅だ。特に加速するようすもない。急ぐ必要もないんだというように。只見川の流れもまた緩やかだから余計にそんな気分になる。急いでいるのは国道252号を走る車やトラックやダンプたちばかりだ。
「撮れました?」
「撮れました撮れました」
 列車が行ってからもしばらく僕らはそこにとどまった。ここの風景をしばらく見ていた。
「素晴らしいですね、この紅葉と風景は」
 と僕はいった。列車に対する焦りももうなくなったから、じっくりこの景色を眺める。「食堂のお母さんは今年の紅葉はだめだっていってたけど、とんでもないものすごいですね」
「いってました。今年は赤が汚いっていってましたね」
 ラーメンを食べ終えたあと、道すがら見てきた紅葉の素晴らしさを伝えたら「今年はきれいに染まらねぇンだ」って返された。「全然っさ」と。雨が多かった今年、赤が染まる前に汚い赤茶色になってすぐさま枯れて、落ちてしまうんだそう。アイフォーンおばちゃんも、若いお母さんもそれに口をそろえた。残念だなあといっていた。
「いや全然きれいですけどね、われわれからすれば」うっちぃさんはそういって風景の写真を収めた。僕も同感である。一緒になってここの写真を撮った。
 車の脇に放り出された三脚の主は結局ここには現れなかった。

 

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 それからも只見線と只見川と国道252号が織りなす造形美は続いた。
 三島町会津宮下の駅に近づいたところで国道400号を左に分けた。朝からずっと走ってきた道だ。ここから西方を経て、そこから取ったのであろう西方街道という名で山を越え、黒沢、野沢と走っていく。野沢の国道49号との交差点が国道400号の終点である。
 今日の僕らは国道252号を直進する。引き続き只見線と只見川を楽しむルート。只見川の左岸に沿って見えなくなっていく国道400号を目で追い、この区間もまた訪れようと思った。少しだけ未練がましく見送りながら、僕らの国道252号は何度目かの只見川の橋を渡って右岸に出た。
 国道が久しぶりにずいぶん長めの坂を上った。ずいぶん距離も走ってきたのでここでの上り坂はなかなか大変だった。そこに「ビューポイント」と書かれた小さな看板があったので休憩を兼ねて自転車を止めた。そこが第一只見川橋梁のビューポイントだった。
 只見東線のなかで最も有名な撮影スポットといっていいかもしれない。ここで撮られた写真は数多く目にしてきたし、季節を問わずここを目指す人は絶えないと聞く。もちろん僕だってタイミングがあっていればここを渡る只見線を押さえたかった。しかしここを通過する只見東線は一日6往復。撮影に適する日の当たる時間を考えるならわずか3往復だ。ここで列車を収めるなら、もう目的をそれに絞り込むしかない。サイクリングのついでにっていうわけにはいかない。
 が、柵から覗いてみたものの、鉄橋はまったく見えない。
「どこなんでしょう、ないですね」
 僕がそういうと、
「これを上っていくんじゃないですか」
 とうっちぃさんが指した。階段のつけられた、ハイキングコースのような道がそこにあった。
 瞬間、ここをどのくらい行くのだろうと頭をよぎった。時間は15時を回っていて、日が傾き始めている。山間をゆく今日のルートは、すでに影に入ることが多くなってきた。と同時に気温が下がってきたのを感じる。会津若松までまだ30キロ以上距離を残しているし、どうも僕は気がいていた。
 でも階段を上ってすぐに、ビュースポットに着いた。そしてそこから、これまで何度もポスターや広告、何枚ものプロ・アマ写真家の鉄道写真で見てきたアーチ橋を目にした。
 列車は残念ながら時間が合わず、この時間に現れることはない。それでもこの紅葉と橋の造形を合わせてみるだけでも圧倒的な見応えだった。なるほどこれは列車を写真に収めたくなる場所だと理解した。撮りつくされた構図、撮れば撮るだけ世に金太郎飴を生み出すだけであろうと、自分が撮りたいのだという衝動に駆られるのが理解できる気がした。それだけ心をつかむ何かがある。
 しかしここから橋を眺めて、撮影チャンスの少なさを強く実感した。列車自体は今ここで一時間足らず待っていればやってくるのだ。でももう満足のいく写真は撮れないだろう。第一只見川橋梁はすでに山の影の中にあった。日の当たる紅葉の山肌とは対照的で、ここから見ていてももう真っ黒にしか映らない。一時間後の16時台では写すことも困難だろうと想像できた。そうなるとここで写真に収められる列車は、さっきまで僕が思っていた3往復よりもさらに少なく、2.5往復あるいは2往復くらいしかないのじゃないか。
 僕らのほかにカップルが橋の写真を撮っていた。女性はスマートフォンで、男性は一眼レフで撮っていた。昔なら鉄道に乗ったり鉄道の写真を撮ったりする女性などこの世にいない存在だと思っていた。でも今はこうして当たり前のように存在し、男性と変わらず行動していたりする。昔本当にいない存在だったのか、声を上げずにいたのか、わからないけど、僕は彼と彼女を見てほほえましく思うと同時に、ちょっとうらやましかった。
 僕らもそうやってアーチ橋を眺めていたところへ、大勢の団体がここへの階段を上ってくるのが見えた。僕はうっちぃさんに行きましょうかと声をかけた。このビュースポット、10人以上いるのは困難ではないかってほどの狭い場所だった。混乱が予感できた。少し慌てるように階段を下りていく。ふくらんで何列にもなって上ってくるので、すれ違う時に足もとを選んでよける必要があった。よけ場がないときはすいませんと声をかけた。しかし聞いていないような聞こえていないようなそのままぶつかりそうな状況に何度かなった。そのなかで耳に届くのは日本語じゃなかった。外国人? それですいませんが届かないのか。丸太で組まれた階段のステップを外れ、脇の斜面を気を付けて降りた。
「外国人、こんなところにまで来るんですか……」
 自転車を準備しながら僕は驚いていった。
「どこにでも来るものだと思ったほうがいいのがわかりますね」
 にしても、こんなただの撮り鉄スポットだ。
「しかしどうやって来るんですか、ここまでいったい」
「バス、ですか」
 そうなのか、と思う。でもそれしかないよな、と思う。鉄道写真家が来るだけの場所を訪れるバスツアーっていったいなんなんだろう。不思議だ。

 

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 一時間近くで柳津やないづの町まで下りてきた。
 16時を過ぎ、会津若松までまだ25キロ以上残した状態だったけど、体が冷えてきてしまって僕はうっちぃさんに休憩を申し出た。町の中心に入ってくると、先に道の駅があると標識が出ていた。そこに入ろうと思う。
 道の駅で自転車を止めてみると、周囲の暗さにあらためて気づいた。太陽はもう姿を隠してしまったし、山の影が包み込んでしまっていたからだ。かろうじて残っている明るさはきっと、いまだに透き通るような青空が照明の役割をしてくれているんだと思う。これが夜の色に変わるころはもう真っ暗なのだろう。
 僕は寒さを回復しようと、自販機で見つけたおしるこを買った。それほど熱くはなかったけど、開けてひと口飲むと甘さと温かさが心地よかった。僕はそれを手にベンチに腰を下ろした。道の駅に入ってくるバスを眺めていた。バスはアイボリーと緑と深緑に塗り分けられている。只見線気動車を模しているに違いなかった。しかも側面に「キハ40」などとご丁寧に書いてある。面白い趣向だなあと見ていた。あとから座ったうっちぃさんも同じおしるこを買っていた。
 駐車場では何かのスタッフジャケットのようなものを着た女の子が、運転席に残っているドライバーに声をかけてまわっていた。あるいはトイレや買い物から戻ってくるドライバーに声をかけていた。何人か、交渉が成立したのか車の前に出て、女の子がそのボトルを取り出しフロントグリルのメッキの部分を磨いて見せた。ワックスか何か、ケミカル用品の営業なんだろうか。ひとり終ると次の車、それが終るとまた次へと渡り歩いた。そして広く駐車場をよくよく見れば、同じスタッフジャケットを着た若い男女が数人いるようだった。
 うっちぃさんが顔をしかめる。
「ダメなんだよなあ、ああいうの」
 おしるこの缶を親指と人差し指で挟み、ぐるぐると何度か回すようにしてまた口に運んだ。「だって百パーセント見込みのない営業活動でしょ。無作為で当てずっぽうだし、偶然にもよっぽど気に入ったって人がいたって買うかどうかわからないし、買ってもそのあと継続使用の可能性なんてないでしょう? 買ったらそれはただのお義理ですよ。それにあんな突然声かけられて絶対買わないですよ。ああいう可能性ゼロの営業ってする側も嫌だしされる側も嫌です。見ているだけでつらい」
「なるほど、わかるような気がします。──でも事務所で仕事してるときってそういう飛び込みやってきたりしません?」
「そういうときって仕事をしているときだから、まだ臨み方があるというか。でもやっぱりいやだなあ、聞いているのもつらくなる。だってこっちは絶対断るんだし、向こうは絶対断られるってわかってるんだし。その時間はたまらないでしょう」
 女の子が黒いトヨタ・ボクシーのおじさんをうまく捕まえて、今度はヘッドライトを磨き始めた。
「そんな活動に休みの週末を充てるって考えるとまたさらに嫌ですね」
 僕は手に持ったおしるこを流し込んだ。小豆のつぶつぶは残ったままだ。仕方ない、これは絶対に飲めないのだ。それよりもこの場を早く出よう。そう思った。わかるのだ僕も。このケースがぴったり合致なわけではないけれど、うっちぃさんにとっての今この時間は、僕にとってのさっきの「ガロ」なのだ。いたたまれない。うっちぃさんの目に入る光景が僕にフォークソングのハーモニーとなって入り込んでくる。僕の缶は空になった。
「行きましょうか」

 

 柳津を過ぎ、国道252号は国道49号に突き当たり、吸収された。国道252号もそこそこ交通量のある道だったけれど、国道49号はその比じゃないほど圧倒的だった。ただ広めに取られた路肩で走りにくいことはなかった。道は暗さをずいぶん増して、6割くらいの車がヘッドライトを点けている。ここまでずっと一緒に下ってきた只見川は離れて行ってしまった。そしてまたここでひと山、峠のような坂道じゃないけどちょっとした上りをこなす。この山を越えて坂を下るといよいよ会津坂下あいづばんげの町に入る。
 町なかではさらに交通量が増えた。ここで只見線とも別れる。町の国道になった国道49号はもう広い路肩もない。道にはたくさんの街灯がともり、周りの車のヘッドライトとあわせてとても明るいのだけど、それが逆に一層の暗さを覚えさせた。
 夕暮れどきの混沌とした国道は、今日一日の旅を終えるのにむしろ心地よかった。走りにくささえある、乗用車、大型車、ダンプもいるような道で車にまみえ、思い返すのではなく印象だけに浸る、、、、、、、のだ。絶景や気持のいい道で終えるよりもむしろこんな混沌と気だるさのなかで一日を締めくくるほうが僕は好きだ。熱を帯びたライブ会場を出て、新宿駅まで(あるいは渋谷駅や赤坂駅中野駅東京テレポート駅まで)歩く雑踏。考えたり思い出したりするんじゃなく、ただイメージにだけ浸っている時間。一日着たスーツを脱いで、しわを取りちりを払い、折り目を正してハンガーにかけ、クローゼットにしまうように。
 会津坂下の町を出て、会津若松までのあいだのちょっとした暗がりをゆく。今日、楽しかったです──僕は走りながらうっちぃさんにいうともなくいった。でもうっちぃさんには届かなかったようだ。1キロ1キロ、5分ごとに夜が覆いかぶさってくる。暗がりの国道がゆるゆると小さな坂を上った。宮古橋──阿賀川を渡る橋だ。これを越えるといよいよ会津若松市。橋の真ん中まで上り詰めると、会津若松の、大皿のような街の明かりがあった。左のまだ青みを残した空に、僕らからでは見えない夕陽の欠けらを映した磐梯山が、わずかばかりのオレンジ色を放っていた。

 

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(本日のルート)

 

 

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その4へ続く