自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋深し会津旅2Days - 2(Nov-2019)

その1から続く

 

 駅の改札をそのまま出てきた人もそれなりにいたのだけど、知らぬ間にみないなくなってしまった。もっとも降車客の行く末を観察していたわけでもなく、僕は僕で輪行してきた自転車の組み上げを離れたところでやっていたのだから、それがわからなくたって当然といえば当然。歩いて帰る人ならそのままどこかに歩いていくし、車で迎えに来てもらった人もいるだろう。ロータリーを出入りする車をいちいちチェックしていたわけでもない。気づいたらもう数人しか駅前にはいない。ただ待っていたタクシーが出払ったようすはないから、タクシーに乗った人はいないんだろう。少ししてバスが入ってきた。白地に紺と赤の帯が施されたバスで、「内川」と行き先が書いてある。ここが始発なのか空車でやってきた。あるいはここまで乗客なんていなかったのかもしれない。バスには二十歳くらいの眼鏡の女性がひとり乗った。それきりだった。彼女は自分以外に乗客がいないことを特に気に留めるようすもなく、まっすぐ前を向いて席に座っていた。眼鏡の縁は赤く、肩にかからないくらいの髪が美しかった。僕は彼女がどこまで行くのか興味を覚えた。自転車にバッグを付け、ガーミンの電源を入れてログを初期化するあいだ、バスは扉を開けて静かに止まっていたが、とうとう彼女以外誰も乗らなかった。輪行袋をたたみながら見ていると、バスは満足するわけでもなくかといって不満げでもなく重たげな音のセルを回し、ドアを閉め、ロータリーをぐるりと一周して出ていった。彼女の行き先はもちろんわからず終いだった。
 そんな駅だった。男ふたり女ひとりのイカした若者がロータリーの前のベンチに座ってたむろしていたが、おおよそ鉄道には関係なさそうだった。バスにも乗らなかったし待っているタクシーに手を挙げるわけでもない。ただそこにいて、大きな声と大げさな動作でイカした話をしているだけだ。しばらくすると郡山ナンバーの日産マーチが入ってきて警笛を鳴らした。彼らは立ち上がり車を囲むように集まって、後部座席の両側から扉を開けて乗り込んだ。すでに前席にふたりが乗ってやってきた日産マーチは5人になってぎゅうぎゅうだった。幼さもあり十代のようにも見えたけど、車で出かけたりするのなら二十代かもしれない。とにかくイカしていた。車内にはそんなイカした若者たちの熱い空気が充満した。すぐさまロータリーをひとまわりして出ていった。日産マーチはレンタカーだった。集まってどこかに行くのだろう。最もイカした楽しい一日のために。
 彼らまでいなくなってしまうと駅前はひどくしん、、とした。誰もが鉄道もバスもタクシーも必要としてないのだ。僕らが関東からこうしてやってくるとき鉄道は不可欠だけど、地元からしてみたら駅なんてただのランドマークにすぎないのだ。せいぜい待ち合わせに都合がいいくらいだ。うっちぃさんが電車のなかでいった、無駄に大きくてきれいな駅がそこにあるだけだった。
「肌寒くないですか?」
 そううっちぃさんがいう。
 今日はここから奥会津、国道400号を走るためにうっちぃさんとやってきた。たまたまながら先週と同じ列車で待ち合わせをし、同じ列車に乗り継いだ。今日は終点まで乗って会津田島福島県である。
 肌寒いです、と僕は答えた。日が昇って気温も上がってくれると助かりますね、僕はそういったが、すでに10時になろうとしていた。日は昇っているし気温が上がるならしかるべき時間ではあった。
 互いに準備を終えて、それでは行きましょうといった。
「泊まりの前提で、会津若松まで走っちゃうことでいいですよね」
 とうっちぃさんがいう。
「はい、そうしましょう。そのつもりで準備もしてきましたし」
 僕は会津若松までのルートをガーミンに表示し、一泊できる荷物を入れたリュックを背負った。

 

 駅すぐ近くの踏切を渡って裏手を走る国道289号の田島バイパスに入った。表通りの国道121号と国道289号の交差点を避けたかったから。抜けづらい交差点というわけじゃないのだけど、わざわざ交通量が多い場所を通る必要もない。昔はスキーの帰りとなれば渋滞を起こすほどだった。スキー場から帰る車はこの交差点を右折する。一度の信号での通過台数が少ないからいつだって混雑していた。おまけに交差点待ちが阿賀川の橋までかかると、橋が凍結した日には止まった車が決まって再発進できず、より一層混乱を招いていた。会津鉄道会津田島駅に入るのに90度のカーブを曲がるちょうどその場所だ。
 そんなこともあってなのか、あるいは町の中心を抜ける国道の交通量を逃がすためなのか、駅の裏側にバイパスが造られた。わずか1キロ半ばかり。とはいえ本線からはクランク状に交差点を二度曲がってこないとならなくて面倒なのに、その先が伸びて直結するようすもない。もう10年どころか20年くらいこのままだった気がするから、これからもずっとこのままなんだろう。少なくともスキーをする人なんて比較にならないほど減ったから、それで本線の交差点で渋滞することはなくなっただろう。日常の、町なかの国道本線はどうなんだろう、混んでいるんだろうか、いやきっと大したことないんじゃないか。
 人気のない演劇部のような田島バイパスで阿賀川を渡り、500メートルも行くと突き当たる。ここからいよいよ国道400号だ。青看標識には右に昭和とある。
 道はありきたりな片側一車線、対面通行全二車線の舗装路で、路肩もしっかり確保されていて道幅は広い。中央線は白破線で引かれていた。舗装はきれいだが決して新しくなさそうで、随所に細かなひび割れがあったり補修の跡があったりする。中央線も路側帯も消えかかっているところが少なくない。それでいてこのきれいな路面状況が保てているのは、根本的に交通量が少ないんだろうなって思う。轍掘れもないし、大きな割れも、欠けや陥没もない。冬季閉鎖区間ではないはずだから、冬、雪が積もっても除雪車が入ることが他に比べて多くないのかもしれない。除雪車が頻繁に入ると路面はどうしても荒れるから。
 そんなきれいな国道で水田地帯のなかを山に向かっていく。もちろん米はとうに刈り取られていて、白茶けった稲の根っこと真っ黒な土がそこにあるだけだ。そういえば以前、稲が背高く伸びようとする時期にここ南会津をうっちぃさんと走ったことがあった。確か大内宿を訪れた帰りだったと思う。遠くまで見渡す水田全体が若青色で、どこまでも美しかったし、道をどう取っても気持がよかった。田んぼの真ん中の車も来ない里道をのんびり走り、会津を好むうっちぃさんが一面の光景を見て「この米を食べたい」といった。同じ風景を見て僕も同じように感じた。日の長い季節の夕暮れどきに、遠くの太陽が赤く全体を染め始めていた。そのときのことを思い出した。
 田島の町にいるときはさほど感じなかったのだけど、徐々に高度を上げていくにしたがって、山の木々の色づきに気づいた。周囲を取り囲む、それほど高くない山々が黄色を中心とした複雑な色を織りなしていた。
「来ましたねえ」
「来ました」
 並行する阿賀川の支流、高野こうや川にダムが見えてきた。国道は地形に合わせることなく高架橋などを駆使して平均的な勾配を維持しながら直線的に上っていく。ダムの高さまで上っていこうとする国道から小さな集落が俯瞰できた。
 いちいち、止まらずにいられない。
 休憩をはさみながら、坂を上り続ける。その途中にトンネルがふたつある。高野トンネルと積入山つみいりやまトンネル。ふたつ目の積入山トンネルは1.5キロもあり、この長いトンネルを越えると一度下郷町に入る。
「ダンプが意外と走るんですね、この道」
 とうっちぃさんがいった。
「なるほどいわれてみると。気にしてませんでした」
「気にならないほどの交通量ですからね、いいですねえ」
「ですよね、今の長いトンネルでもおっかなくなかったですし」
 下郷へ向かう県道346号を右に分け、続くこの上りを制すれば舟鼻峠、今日のルートのピークであり昭和村との町界である。いよいよ、奥会津が近づいてきた。
 気づくと上り続ける道から中央線が消えていた。明らかに道幅も狭くなっていた。1.5車線幅といったところで、乗用車ならすれ違いに困難はないくらいだけど、待避所が用意され標識も用意されている。ダンプが通るような道ならばそのすれ違いも考慮されているのかもしれない。
 地図で見れば一帯は広葉樹林と針葉樹林のマークしかない場所だ。それら地図記号の場所が、まるできれいに縁取られ区分けされているみたいだ。この時期にここへ来ると、紅葉と常緑がそれぞれの区画を主張するように、色を塗り分けるように、山肌を彩っていた。
 何度も立ち止まる──。
 おそらくこの区間は昔からの道路なんだろう、田島(南会津町)での一直線高規格道路とは違い、道幅も狭いし路面も荒いし、道付きはいわゆる巻き道だ。細かなカーブと、ときに大きなヘアピンカーブを交えたつづら折で山肌に沿って標高を稼いでいく。
 紅葉だ。

 

f:id:nonsugarcafe:20191105230135j:plain

f:id:nonsugarcafe:20191105230144j:plain

f:id:nonsugarcafe:20191105230158j:plain

 

 舟鼻トンネルを抜けた。
 たぶん僕らは紅葉の色彩のなかにいる。離れたところから見たら、あるいはドローンで映し出してみたら、きっとそうだろう。下りでスピードに乗ると木々の葉のそれぞれの色が目まぐるしく後方に流れる。ちかちか。紅葉の赤、橙、常緑の緑、チカチカ。昔ながらの三色LEDと同じ配色だ。それが点滅してどんどん後ろに流れて行っているんだな、ちかちか。どっぷり紅葉に浸かっているせいで、頭が正常な状態じゃない。
 頭を冷やそう、休憩。

 

f:id:nonsugarcafe:20191105230215j:plain

f:id:nonsugarcafe:20191105230226j:plain

 

 会津の集落は赤トタン屋根が目に付く。もちろんほかの色のトタン屋根もあるけれど、ほとんどが赤いし、どうしたって赤トタンに目が行く。そんな家々が素朴に、しかしながらけっこうな戸数が国道沿いに立ち並んでいる。それに集落と集落のあいだにあまり距離もない。見方によっては国道沿いにずっと町が続いているといったっていいくらいだ。僕は正直驚いた。奥会津、特にここ昭和村は鉄道がなくバスのみに頼る陸の孤島で、すでに限界集落とされている。高齢化率も極めて高い。そんな場所にこれほどまでに住居が立ち並んでいるというのが正直意外だった。
 もちろん峠近辺は人っ子ひとりいないし、実際住居があるのは国道400号と401号の沿道の一部であることも想像できる。でも、勝手ながら僕自身の想像ではもっと家もなく山林ばかりなのかと思っていたのだ。よっぽど千葉県の房総半島の県道を走っているより建物が多い気がする。
 とはいえすべてが木造住宅で、鉄骨コンクリートの建物なんて果たして何割あっただろうっていう程度だし、ビルと呼ぶような高層(いや都市部でいうなら中層、低層)の建物はひとつもない。住居だってもはや人が住んでいるかもわからない。
 それでも僕が想像していたような山中の道ではなかった。

 

 町じゅうに鐘が鳴った。
 おそらく昼を知らせる防災行政無線からのチャイムだろう。それだけのことで急にほっとした気分になった。最後まで聞いているとなぜかじんと沁みてきた。首都圏にいるから耳にしないだけで、町にはいろんな形の時を知らせる合図があったし、もちろん今だってこうしてある。どこの町だって時を知らせる鐘があったほうがいい。でも、減っていくのかもしれない。朝夕のお寺の鐘がうるさいと声の上がる時代にもなった。チャイムの音がドップラー・シフトによって変化へんげしながら後方へ飛んで行った。
 右手に黄金色一色に染まった大きなイチョウの木が見えた。その奥に古い木造校舎の学校がある。
「寄ってみましょう」
 僕はうっちぃさんに声をかけ、国道を折れた。
 学校の校舎っていうのは、いつの時代のものであろうと、どうしてそれだとわかるんだろう。
 喰丸くいまる小学校の跡だそうだ。
 木造二階建ての校舎は威風堂々とし、現役そのものだった。これが小学校として現在機能していないのは、決して老朽化なんかじゃなく児童がいなくて小学校の統合があったからだろうって容易に解釈できた。そして完璧な紅葉というものがあるなら、この大イチョウをいうに違いない。校舎との色のバランス、立ち位置、そしてこれだけの大きさすべて、まるで計算されたかのようにそこに存在していた。黄色に色づく葉のお手本のような存在だった。まさに見入る見事さだった。
「ガロですね」
 とうっちぃさんがいう。
 木造校舎の二階だろうか、全開の窓から音楽が聞こえてくる。ギター? オルガン? タンバリン? そんな楽器が聞き取れるか聞き取れないかとともに、マイクで音量を上げたボーカルの歌が聞こえてくる。
「フォークですね。知ってます?」
「名前は知ってます。ただどんなグループだったのか、どんな歌を歌っていたのかは知らないです。歌は知っているかもしれないけど、ガロっていうのとつながらないですねきっと」
 僕はそう答えた。
 なんでまたここで──。
 楽器類はどれもスピーカーを通していないんだろう、ほとんど聞こえてこないから、増幅されたボーカルだけが聞こえてくる。フォークの独特のハーモニーが。当人たちは気持よく歌い上げているに違いない。ハーモニーも乱れなく歌われているから経験があるか練習を積んでいるんだろう。でも僕にはどうしたってスピーカーから届く大きな歌声がヒステリックに聞こえてならなかった。
 フォークが嫌いなわけじゃない。音楽を好まないわけでもない。
 でもこういう公共の場で、半強制的に聞かされることが嫌だ。もしかしたら自分の好きな音楽であってもこういう場で聞かされたら逃げ出したくなるかもしれない。駅前で路上ライブをやってるとたいてい居心地の悪さを覚え、1秒でも早く走り抜けようとするか、遠回りする。こっちが強烈な恥ずかしさを覚える。聞きたい音楽があるなら自ら選んでライブに行く、そういうことだ。
 でも多くの人はそういう抵抗がまったくないのだろう。フォークソングの合唱が続く木造校舎を覗きに入っていく。
 曲が変わった。なんという曲か知らない。でも耳にしたことはある。
 駐車場になっているのは校庭だった場所か、そこにはけっこうな台数の車が止まっていて、他府県ナンバーも多い。きっと喰丸小はここ昭和村の観光スポットに違いない。
 僕もこの木造校舎をもっとじっくり見てみたくて、校舎内も入って見学したくて足を近づけようとしたけれどダメだった。お茶を濁すように大きなイチョウ越しに写真を何枚か撮って、それでもいるだけで恥ずかしくなってきて、うっちぃさんに「行きます?」といった。曲は『酒と泪と男と女』の合唱になっていた。
「行きましょう」

 

f:id:nonsugarcafe:20191105230244j:plain

f:id:nonsugarcafe:20191105230300j:plain

 

 すでに正午をまわっている。できればお昼は金山町の会津川口駅くらいまで行ってからにしたいと思っていた。ここまでの見応えのある紅葉道路で足を止め、存分に楽しんでしまった結果、自分のなかで計算していた時間が押していた。しかしながら会津川口まで空腹が持ちこたえるだろうか。ガーミンを見るとここまで23キロほど走ってきたことになっている。ルートを引いたときの記憶では会津川口駅で45キロだった。20キロ余り。下り基調を前提に考えて1時間半ってところか。とりあえず向かって、僕はともかくうっちぃさんが空腹を覚えてしまったら仕方ないその場で探そうと考えた。
 引き続き国道400号を走る。道は下り基調ではあるのだけど、もう標高の大半を吐き出してしまったからほぼ平坦に近い。それと北東方向から吹いてくる強めの風が抵抗になって気分が滅入った。
 集落は続いた。やはり同様の赤トタンの家々が、現れては消え、間をおいては現れた。それだけで会津に来たことを実感でき、会津を走っているこの時間がうれしくてたまらななかった。本当にたくさんの集落がある。字町名をひとつひとつ調べながら照らし合わせたら面白かったなと思う。国道400号を走る。

 

f:id:nonsugarcafe:20191107132438j:image

 

 町界はなんて事のない道端にあって、藪に埋もれてしまいそうな町名標識を見つつ金山町に入った。そしてそのまま玉梨温泉、八町温泉を横目で通過した。つげ義春ワールドにも登場したというここ(福島県の秘境温泉はつげ氏のお気に入りであったと思われる)を訪ねてみようと思っていた。でも温泉街というものがあるわけじゃなく、川の向こうに共同浴場があるだけだった。沿道に温泉旅館も一軒見つけた。それらがこの町のなかにポツンと現れる。
 お風呂に入るつもりはなかったし、なるほどこういうところかとわかれば、あとは素通りすることにした。お昼の時間も過ぎていたし。
 僕自身も空腹を覚えつつあった。うっちぃさんはきっともうおなかが空いているだろう。もう少し、あと5キロほどで会津川口に着けるはずだ。
 最後に現れた下り坂の道を駆け下りると道が突き当たった。交差点は国道252号。会津川口の駅前だ。
「お待たせしました。お昼にしましょう」
 と僕はいい、交差点の目の前にある食堂を指さした。
「おなかすいた」
「僕もです」
 自転車を止め、食堂の引き戸を開ける。ガラガラガラと小気味よい音がした。

 

(本日のルート)

 

 

★お世話になったうっちぃさんのブログ

cccgogo.blogspot.com


 

その3へ続く