自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

雲のなかと雲のうえと雲海と御釜(Aug-2019)

 雲が晴れた。これまで十数メートル先の視界ですらおぼろげだった。車の速度だったなら不安でならないほどの白い世界、それが晴れた。
 本当のところは奥羽山脈中覆域を覆っていた厚い雲の上に抜けただけだった。蔵王エコーライン。標高は1,300メートルを超えた。空が澄みわたるように青くて、太陽はまぶしいほどに明るくて、日の当たるところと影になっているところの明暗のコントラストが強すぎて目がついていけない。夏が突き抜けていた。
 僕は自転車を降りた。絶景を眺めるためにといえば聞こえはいい。でも残念なことに脚も体も動かなくて自転車を止めたに過ぎない。そしてこれがもう何度目かわからない。僕は自転車を置き、雲の深い海となったここまでの道のりを写真に収めた。僕の気分は抜けた青空とは逆に、今ひとつ晴れていなかった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190813161027j:plain

 

(本日のマップ)

f:id:nonsugarcafe:20190818204318j:plain

GPSログ

 

 

「ナガさん、ナガさ~ん」
 坂の途中、下って来た自転車から手を振られ、呼び止められた。僕は足を止めた。
「よかったぁ、会えた」
 そういって止まったのは福島のアンさんだった。ご主人とふたり、僕が上る坂を下って来た。挨拶を交わすものの、僕は息が切れてしまっていて言葉がまったく続かない。

 

 蔵王自転車旅、#day1。

 

 僕は今日、蔵王越えを目指していた。18きっぷを使っておよそ6時間の列車旅、降りた白石駅宮城県だった。18きっぱーで混雑する列車を乗り継ぐことに必死で、降りて初めて、遠くまで来たなと実感した。
 奥羽山脈に構えた蔵王山を越えていくように、蔵王エコーラインという道路がある。天空の絶景道路のひとつに数えられ、僕もいつか走りたいと思っていた道だった。9号10号と動きの読めない台風がお盆休み週間を直撃する予報から、僕は夏の旅の行き先をいつまでも決められずにいて、台風進路と天気の予報で、いくつかの脈絡のない多方面の候補地からここ蔵王越えに確定したのがようやく土曜日のことだった。出発を火曜日とし、蔵王御釜に行ってみて、山形へ抜ける。一泊ののち、翌日は山形蔵王に寄ってみたい。そんなルートを描いた。
 そんな折に偶然、アンさんと会話をする機会があったので、僕が蔵王エコーラインに出かけようと思っていることを告げた。そしてそれに興味を持ってくれた。福島からでも決して近いわけじゃないのに。僕は計画したコースを示した。遠刈田温泉からそのまま蔵王エコーラインに入るのではなく、国道、県道を経由して青根温泉から峩々温泉をまわり、中腹からエコーラインに合流する。前日、アンさんから連絡をもらった。午前中からエコーラインに向かい、御釜に行ってくるという。そして下り、僕の描いたコースを逆にトレースしてみるといった。
 白石駅を出発した時点で11時半、遠刈田温泉に入ったときにはすでに昼過ぎだった。道路わきにある気温表示は32度を示していて、ひどく蒸し暑かった。本当はいち早く進みたかったのだけど、お昼を食べておかないと食べられなくなるだろうと思って、ファミリーマート冷やし中華を買った。「モバイルTポイント、支払いはペイペイで」──間髪入れずにレジを済ませる。会津西街道沿いのコンビニで同じように支払いしようとしたら携帯の電波が弱くてえらく手間取った。でもここはそんなことひとつもなかった。大都市となんら変わらない。僕はイートインの隅の席でそれを食べた。
 遠刈田温泉を抜ける県道12号から国道457号は交通量が多く、観光の車と商用の車と、半々に混じっていた。考えてみたらお盆休み週間とはいえ平日なのだ。温泉街を抜けると県道12号が左に分岐する。これが蔵王エコーラインの起点だ。大きな赤い鳥居が道路にかかっている。ほとんどの交通が左へ曲がりこの鳥居をくぐって行った。僕は青根温泉へ向かうため、国道457号を直進した。ここにはもう車もほとんど来ない。
 青根温泉の温泉旅館が見えてきた。人はまったく歩いていない。古くから名のある温泉だけど小さくて地味だな。僕は峩々温泉へ向かうため国道を離れ、県道255号へ入った。いやでも青根温泉の中心街はもう少し国道を進んだ先だったはずだ。温泉街をひとまわりくらいして来てもよかったんだ、それからだ。全ぼうを見ずに感想を持つのもどうだかとわれながら思う。
 県道255号は分岐するなり雰囲気のいい山岳路だった。夏の深い森のなかを行く道は日差しをさえぎり、薄暗かった。
 僕が今日、蔵王エコーラインを起点から上っていくのではなく、国道県道で青根温泉、峩々温泉をまわって行くルートを選んだ理由は、ひとつはこれら古き温泉を通ってその風情が味わってみたかったから、もうひとつはエコーラインの起点から入った坂道は急傾斜できついと聞いていたから。ちょっとの見どころもあって坂も楽になるのなら両得じゃないかって考えた。
 しかし県道255号で上る坂は楽じゃなかった。道幅も狭く、大半センターラインもなく、県道というより舗装林道のようだった。道に不安を覚えそうだけど、間違えてもいない。カーブを抜けても抜けても、坂が延々と続いていた。青根温泉の温泉街に立ち寄ったわけじゃなく、坂のメリットも感じていないってなれば、なんでこっちに来たんだって話でもある。
 森のなかで日差しがさえぎられていたから太陽が雲に隠れたことに気付いていなかった。そして坂を上って行くにつれ、今度は僕が雲のなかへ入っていた。それに気付いたのが、どうもあたりが白く覆われているようだったからだ。途中、森から道が抜けだし、眺望の広がるところがあった。紅葉台、と書いてあった。しかしそこはもう何も見えなかった。白く霞んでいるとかじゃない、周囲一帯が白く覆われているんだ。ただ、ひとつも涼しくない。蒸し暑いばっかり。
 紅葉台も、特に止まることなく通り過ぎた。多少なり、時間を気にしていたのだ。
 もともと出発が遅かったとはいえ、このあたりまで上って来た時間がやっぱりけっこうかかっていて──それは初めから予想していたことではあった──、予想したこのペースのまま行くと御釜リフトに間に合わないのだ。
 僕はこの一日目のトピックとして、蔵王エコーラインという道路そのものと、蔵王山山頂──刈田かった岳──から望む御釜を見ることを考えていた。かつて蔵王にはスキーで何度か来たことがあるものの、冬はこの蔵王山を越えることができない。御釜に来ることもできず、見たことがなかったのだ。
 御釜を見るために刈田岳に上がるには、蔵王ハイラインという道路か、刈田リフト──通称:御釜リフト──を利用する。ただし蔵王ハイラインは自動車専用の有料道路で、徒歩や自転車は通してもらえない。したがって僕の選択肢は御釜リフトに限られるわけだ。
 ホームページで御釜リフトの営業が16時半まで、と見た。
 紅葉台を過ぎて一度上り切って、下るとそこが峩々温泉だった。古き湯治の一軒宿は車こそ何台も止まっているもののひと気はまったくない。しんと静まり返っている。むかしこの温泉の写真を見たことがあった。今も変わらずだけどここへのアクセスは宿の送迎車だ。この送迎車がかつてはボンネットバスだった。それが写真の旅情を強く引き立てていた。いやむしろ、温泉や湯治宿よりこのボンネットバスの印象だけを記憶していた。ひと気のない周辺をひとまわりしてみる。しかしながらもうボンネットバスの姿は見られない。峩々温泉と書かれた大柄なハイエースが一台置かれているだけだった。

f:id:nonsugarcafe:20190813131743j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813134434j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813135928j:plain

 僕はここで大きな誤算を知る。ボトルの水が底をついていた。多少はあるかもしれない、底から数センチ程度。でもそんなのは数えて何口か程度だ。僕は飲み物を峩々温泉で手に入れようと、計算しながら走っていた。消費量、残量から見ればその計算に間違いはなかった。ちょうどいい減り方だったわけだから。しかし誤算はここ峩々温泉に自動販売機のひとつもなかったことだ。考えてみたらここはさっきの青根温泉などと違い、温泉街じゃないんだ。一軒の湯治宿があるだけで、街歩きを楽しむような場所じゃない。そんな場所に道路脇の自動販売機など必要なはずもなかった。
 一軒宿の扉をノックして、ペットボトルの一本も手に入れることはできたかもしれない。でも僕にはそれができなかった。臆してしまった。もともと極度の人見知りだし飛び込みで話をするなんて僕の真逆にある行為だし、ひと気のなさと湯治宿の大きさが安易に人を寄せ付けない凄味があった。僕はあきらめて道へ戻った。今の時点でそれほどのども渇いていない、もうすぐエコーラインだしすみかわスキー場あたりまで頑張れば何とかなるんじゃないかって考えた。
 峩々温泉を出てまたすぐさま坂が始まった。どうも今日は見た目以上に坂がきつく感じる。このくらいの坂ならばいつももう少し楽に走れるんじゃないか? それが不思議でならなかった。じっさい見た目よりもきつい坂なのかもしれないけど、でもどうしたってそうは見えなかった。僕はすでに足をつきたいほど疲れている。ガーミンの表示速度はずっと4キロや5キロを示していた。もうこれ以上落ちたら、押して歩いたほうが速いに違いなかった。そして僕を呼ぶ声が聞こえた。

 

「わざわざ来てもらってありがとうございます」
 と僕はアンさんにいった。同時にはじめましてとアンさんのご主人に挨拶した。
「ナガさんが来るっていう話をしてくれなければ、上ってみようっていう興味も湧かなかった場所ですから、背中を押してくれたようなものですよ」
「もう上まで上って来たんですよね、早いですね」
「上ってきました。きつかったですけど上れましたよ」
「上はいい天気なんでぜひ行ってください」
 そうご主人もいってくれる。
御釜も行って来たんですか?」
「いや、行ったことあるし、リフト代もったいないから、リフトのところまで行って引き返してきた」
 そうご主人が笑った。
 車もまったく来ない県道の路上で、しばらく話をした。
「この先、飲み物が手に入るところはありますか?」
「どこだろう?」そうふたりは顔を見合わせる。
「こまくさ平までないんじゃないかな」
 そうご主人がいった。
「どのくらいかかります?」
「30分はかかるんじゃないかな」
 30分……、僕は困ってボトルが空であることを告げた。峩々温泉で飲み物を手に入れられなかったと。
「すみかわのスキー場は?」
「ああ、あるかもしれないけど、エコーラインから入って行かなくちゃならないよ」
「そうですか……」
 まったく空っぽなの? とのご主人の問いにええと答えると、「そしたらこれでよかったら持ってって」といって、自分のボトルに残っている飲み物を僕のボトルに移してくれた。残っている全部を。
「いいんですか? 少しくらい残しておいてくれていいんですよ」
「いやもうあとエコーライン下りしかないから、飲み物なんてなくてもね」
 ご主人が僕のボトルに注ぎ終えると今度はアンさんが、
「私の分もあげるから」
 と僕のボトルに足した。そんなわけで僕のボトルはなみなみに満たされた。
「なんだかすみません。助かりました、ありがたいです」
 僕はキャップを閉じ、ボトルケージに戻した。
「ちなみにここからどのくらいですか?」
「一時間と、う~ん、30分もあれば」
 とご主人がいう。
「2時間あれば上れますか?」
「それは大丈夫、2時間はかからないから」
 とふたり口をそろえた。
「1時間半あれば上れるんじゃないかしら。私が鳥居からリフトまで2時間15分だから。この辺まで45分で上がってきたはずだから1時間半だと思う」
「じゃあ、リフト間に合うかもしれませんね」
「そうね、何時まで?」
「16時半って、ホームページにありました」
「ああ、間に合う間に合う」
 そうふたりはいった。時計は午後2時半近くになっていた。

 

 ふたりは僕をエコーラインの合流点で見送ってくれた。僕は手を振って別れた。

 

  

 雲海の上のワインディングロードを眺めていた。
 でもそれは、絶景を心ゆくまでいつまでもってわけじゃなかった。あまりの疲れに、次のスタートが切れずにいただけだった。
 美しい道路というのを実感していた。予想したとおり、いやむしろ予想以上の美しさだった。道路というものに美を求めるというのは本当にひと握りのマニアだけだろうから、僕もここで多くを語りはしないけど、その美しさは他の名のある有数の絶景道路とじゅうぶんに肩を並べる道路だった。これを求めてきただけのことはあった。そして今日、雲海という気象現象が絶景にさらなる花を添えていた。
 なのに、心の底から湧き立っていなかった。それは疲労と、このまま上り切れないんじゃないかという不安だった。もっとこの景色を存分に楽しみたかった。写真集のような絶景を、感動と感情に変換したかった。でも僕にはポテンシャルが不足していた。見て、美しいと、まるでただ客観的に現実的にいうばかりだった。見える風景に、ふさわしい言葉をつけて表現しているにすぎなかった。見て感想をいうんじゃなく、感じたかった。できなかった。悔しいけど。
 やっと標高1,300メートルを越えたところ。まだ300メートルを残している。ふたりと別れ、最初こそ頑張って上り続けていたものの、標高1000メートルを越えたあたりからは標高3~40メートルおきに足をつき止まっていた。けっして急いで上っているわけじゃない。無理なスピードを出しているわけじゃない。ガーミンは時速4キロとか6キロとか表示している。それでいいと思った。遅くていい無理すんなって、ずっと自分に声をかけている。それでも進めなかった。

 

 こまくさ平に着いたのが15時20分。30分どころじゃなかった。ちょうど一時間。ようやくたどり着いた自販機で飲み物を買い、少し長めの休憩をしたもののペースは上がっていなかった。こまくさ平が1,250メートルくらいだったから、休んでも50メートル少々上っただけでもう足をついてしまったってことだ。
 ──進む。

 

 僕は坂を上るとき、その時間を距離ではなく標高で計算する。ある程度の斜度があれば(4~5%以上)、その緩急にかかわらずたいてい同じ時間で当てはまる。かつてここでそれをまとめてみた(→登坂行程時間のめやす)。僕の場合、たいてい100メートルを15分でどの坂も計算できた。調子が良ければそれももう少し縮められていた。しかし今日は、さっき100メートル上るのに見ていた限り、19分かかった。
 まずい、と思う。1,400メートル、15時45分。まだ200メートル少々ある。もし仮に100メートルラップが20分になったとすると、これからまだ40分はかかることになる。リフトの営業時間、それからあと40分もこの脚が果たして持つのだろうかという不安。いろんなものが頭をめぐった。
 ようやく蔵王ハイラインの分岐に着いた。右は自動車だけの聖域。自転車も徒歩も入って行くことはできない。羨ましく眺めつつも右に見送り、エコーラインを先に進んだ。
 16時20分。刈田リフト到着。

 

f:id:nonsugarcafe:20190813145707j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813155016j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813155248j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813161246j:plain

 

 アンさんのいう1時間半に遠く及ばなかった。2時間かかった。そして最後のひと漕ぎ、駐車場の上の高台にある、「お釜リフト」と書かれた乗り場に駆け上がった。そこにはバイクラックがあった。僕は自転車をかけた。
 リフト小屋からは玉こん(山形名物玉こんにゃく)を煮る匂いがした。ソフトクリームを食べている人もいる。僕は中に入って改札口へ向かった。そこには「本日の上りリフトは終了しました」と、札が下げられていた。
 券売所の窓口にも、同じ札が置かれていた。
「リフト、終っちゃいましたか」
 僕は玉こんを売っている若い女性に聞いてみた。彼女は「はい」と笑った。
 僕は力が抜けたように待合のベンチに腰を落とした。それは絶望ではなかった。どちらかというと空虚。からっぽだった。レストランだって、閉店と同時がラストオーダーじゃない。つまりそういうことだ。下りに乗った人が続々とリフトから降りてくる。たいていは軽装で、スカートもいればヒールもいる。車で上がってくればあとはリフトで上るだけで御釜を見られるのだ。別にどんな恰好だっていい。改札のおじさんがせっせと片づけを進めている。僕を一瞥するも、自転車かいよく頑張って上って来たね、特別今から乗ってきな、なんて情状酌量はなかった。そこへ僕と同じように今着いた人が来た。片づけするおじさんに「もう終っちゃったの?」と聞いている。「リフトは終ったけどね、ハイラインっていう有料道路通れば山頂まで行けますよ」といった。そうだね、車なら選択肢あるね、僕は会話を聞きながらそう思った。
 僕は券売所の上に掲げられた蔵王山周辺の地図を眺めていた。ハイキングベースで描かれたもので、登山道も記されている。リフトがあり、ハイラインもあった。そこに、この御釜リフト沿い、点線が描かれているのを見つけた。
「歩いて行けるんですか? 御釜
 僕は玉こんを売る女の子に聞いた。
「はい、登山道があります」
「リフトの脇?」
「いえ、一度この小屋を出て下に下りてください。登山道って札の立った道があります」
「どのくらい?」
「20分くらい」
 僕は小屋を出た。もう日が傾き始めている。

 

 

「汚いわな、これ」
 御釜を望むいい場所を探して歩いていた僕に、一眼レフを首から下げたおじさんが声をかけてきた。おじさんも僕同様、眺めたり写真を撮ったりするのにいい場所を探そうと、保護柵に沿って歩いていた。
 僕も、たいして綺麗じゃないな、と思ってた。
 観光写真で見たことのあるような、宝石のような深いエメラルド・グリーンじゃない。淀んだ緑色にしか見えなかった。うちの近所のドブ川だって緑色だ。そっちの方にむしろ近いかもしれない。
「むかし来たことあるんやけどな、もう30年も前だけど。もっと綺麗やったわ」
 おじさんはそういう。もっとも30年前の記憶なんて怪しい。美化されている可能性も大だ。
 もう日が傾いて、カルデラには外輪山の影が強く落ちていた。御釜はもう暗い。

 

 あたりは木のない荒涼とした土の山だった。どこまでも遠く見通せた。刈田岳の山頂に続く道にはまだたくさんの人が歩いていた。そこに神社もあって多くの人が出入りしている。反対には同じ蔵王山熊野岳への登山路が伸びている。これだけ見通せていると、目印もないから逆に道に迷いそうだ。宮城県側には僕が真っ白ななかを上ってきた雲が、いまだ横たわっていた。それが雲海となって続いていた。そしてまた暗い影を落とした御釜を眺める。明らかに来るのが遅かった。日が注いでいればもう少しきれいに目に映ったかもしれない。
 おじさんは僕としばし話をしたあと、じゃましたな、といって去って行った。
 風が、こおおおお、と音を立てていた。

 

f:id:nonsugarcafe:20190813164410j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190813164427j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190819213957j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190819214012j:plain

 

 僕が上った道は、登山道じゃなかった。かつてはそうだったのかもしれないけれど、今はだれも歩くことない道のようだった。玉こんのお姉ちゃんは「登山道の札が立っている」といっていたけど、僕が上った道にはそれがなかった。本来の登山道は見つけられなかった。そして道の途中、離れた場所に立った看板を見た。文字が小さくて読みづらかったけど、そこには「入山禁止」と書いてあるように読めた。
 しかしながら僕はその来た道を下るしか頼りがなかった。蔵王山周辺のハイキング地図を持っているわけじゃないからだ。そしてリフトに乗るつもりの勢いのまま、山に上ったことを後悔した。下る道がわからなくなってしまった。手ぶらで上ってきたことは、あと先見ないリスクだった。木々がない。草こそ生えているが、だだっ広い荒涼とした土の原野は、どこが道でどこが道以外なのかよくわからなかった。まして僕が上った登山道ではない道なんて、さらにはっきりしなかった。
 ガーミンを持って来なかったことを後悔した。あれがあれば通った軌跡が水色のラインで表示される。それをたぐれば間違えずに帰ることができた。しかしガーミンは自転車のハンドルバーに付けたままだった。僕は記憶と勘を頼りに上ってきた道を探すしかなかった。でも記憶なんて役に立たなかった。この登山、底の硬い、クリートのついた自転車シューズで苦労して上ったこともあって、蔵王エコーラインヒルクライム同様、何度か息絶えて途中休憩せざるを得なかった。そうやって必死で上った。ゆえ、記憶にとどめる余裕なんてまったくなかった。
 僕はある一本の道に、確信を持って下った。何のことはない勘だけだ。そう違わない場所の道でも下りる峰がひとつ違えば命取りになりかねないから、この勘に賭けるしかない。途中で強い硫黄臭気に襲われる。気持悪くなるほどのもので、長く嗅いでいたらあるいは危ないのかも。上って来た道でも同じ臭気を感じた。下りよう、きっとこの道で大丈夫だ。

 

f:id:nonsugarcafe:20190813164040j:plain

 

 戻ってきた。戻ってきて初めてわかったのが、リフト小屋の見づらい脇から登山道が伸びていた。「登山道」の立て札も立っていた。でもいい、行って帰って来られたんだから。結果オーライ。そういうことにしよう。
 自転車を取りに戻る。ここにはもう誰もいなかった。そしてリフト小屋はすべてのシャッター、扉という扉が固く閉ざされていた。ひとり取り残された気分になった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190813172554j:plain

 

 下る。もう残りはすべて下りだ。17時30分。山は急速に夜に変わろうとしている。エコーラインをどんどん下った。
 県境。
 いよいよ僕は山形県へ入る。

 

f:id:nonsugarcafe:20190819214406j:plain

 

*****

 

 お会いできたアンさんもご自身のブログに書いてくださっていました。うれしい。ありがとうございます。

blog.livedoor.jp