自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

2018夏・東北/Day2東能代-五所川原#2(Aug-2018)

Day2#1からつづく

 

(本日のルート)

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GPSログ

 

「もうすぐ来るんかい?」
 国道101号からサイの河原と書かれた標識を見て、どうやら海側に道がありそうだと踏んだ僕は、左に分けた細い道を選んで進んだ。そこにはちいさな踏切と、カーブの末にトンネルに入っていく妖艶ようえんな線路形状があった。僕は思わず魅せられて写真を撮っていた。そこへ通りかかった車からオジサンが顔を出し、僕に声をかけてきたのだ。
「すみません、わからないです」
 僕は列車の時間まで把握しているわけじゃないから、この踏切がいつ鳴りだして、列車がやってくるのか、知らなかった。
「なぁんだ、電車の写真撮りに来たんじゃないんか」
「そうですね、そういうわけではないので」
 僕は自転車旅の途中でいい風景の場所があったから写真を撮っていたのだと付け加えた。
「へえ、てっきりここだから電車の写真かと思ったよ。──ほら、見えるけ? 下の岩場でもう三脚構えてる人が何人かいるやろ」
 僕にはよくわからなかった。なので少し身を乗り出してみてみた。やっぱり良くわからない。でもそれじゃ何なんで、
「本当ですね」
 といった。
「ここは電車の写真撮るとこって有名だからよ。ポスターにもなったらしい」
「そうなんですか」
 こんなに風光明媚な場所で、かつローカルの五能線となれば、18きっぷか、行くぜ東北シリーズかな、などと思う。
「おお、行ってみい。いい景色だから」
 僕は笑って返した。さすがにあの下まで行ったら時間がかかる。余裕たっぷりの行程だったら行ってもいいけれど。
「どっから来たの?」
「埼玉です。──あ、でも今日は能代から走ってます」
「そうかい。俺はさ、地元なのよ。もともとここの出身でさ、若い時に仕事で東京出てったんだ。もう長いこと横浜に住んでたんさ。でも母ちゃんも死んじまって、こっち戻って来ようかなって気になって、戻ってきたんさ」
「そうだったんですか」
「でもよ、冬は寒いっから嫌なんよ。だから冬は今でも横浜」
「そうなんですか?」
「そうそう。だからよぉ、別荘みたいなもんよ。二重生活」
 オジサンはガハハと笑った。
 それからしばらく、踏切に面した道路のど真ん中に車を止めたまま、窓越しに僕に話をした。通る車もなかった。この土地の良さも話したし、自転車でどこまで行くんだい、五所川原? それは大変だわ、なんて話をしたり、出川も来たんだよここ、走ってったんだよと話したりした。充電バイクだと僕も気づく。見ましたよ私もと答えた。オジサンは得意げだった。なんかわかる。あの番組が自分の土地に来たらきっと嬉しい。こんな地方なら余計だろうと思う。僕だって得意になる。
「じゃあねえ、頑張ってな。いいところだから楽しんでってよ」
 とオジサンはいった。僕はありがとうございますと答えた。オジサンの車はサイの河原のほうへ走っていった。
 僕は手を振って送ったが、ちょっと休憩しすぎだったなあと苦笑いもした。

 

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 そんなわけだから、僕は少し急ぐことにした。といっても僕に速度を上げるという芸当はないから、寄り道やう回路的な場所をカットするほかなかった。残念ではある、とっても。特に深浦に入ってからというもの、国道を走っていたって海岸線の道に出たって、何度足を止めたくなったかわからない。脇に入りたくなったかわからない。絶景だけを集めたフィルムを流されているようで、キリがないのだ。少し取捨選択をするつもりで進んだ。
 高台にある風力発電の風車が勢いよく回っていた。風があるなか坂を上った。上り切ると、長めの坂だったものだから無駄に下りたくなくなってしまった。平坦になったところで海へと分かれる道が現れた。しかしそちらに進路を取れば下ってまた国道に戻ってくるのに上らなくちゃいけなくなる。だからやめた。風だって負担だ。だから国道101号をそのまま進んだ。とはいえ見ればそこは、ウェスパ椿山駅や艫作へなし駅、不老不死温泉、黄金崎へ向かう道だった。下って上り返すことを避けたがため、五能線沿いの一大有名地を通過してしまった。よかったんだろうか。

 

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 素朴な漁港を通過した。深浦の中心街に入ったようだ。国道も港湾部に沿って走り、にぎやかな通りになった。マグステ丼ののぼりが出ていた。
 マグステ丼──深浦町が売り出し中の「マグロステーキ丼」のことらしい。
 お腹が空いていた。ちょうどお昼もまわった。どこにしようかと考えたとき、マグステ丼ののぼりに引き寄せられた。その目の前にある建物がずいぶんと重々しくカタブツだなあと思ったら、そこは深浦町役場だった。役場の食堂でマグステ丼を供しているらしい。
 ──しかしマグロかあ。

 

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「すみません」
「はい、何になさいます?」
「雪にんじんのビーフシチューとパスタのセットをお願いします」
 一度町役場で自転車まで止めたのに、マグステ丼をやめた。たぶん僕は魚がそれほど好きじゃないのだ。ふだんからそういうところがある。僕は町役場を出てすぐのところにあるセイリングという洋風食堂に寄ることにした。
 バイクラックがある。青森県の海沿いの町の小さな店で、意外だった。
 店に入るとカウンターと座卓で、もちろんひとりの僕はカウンターに座った。店を眺めてみるとボトルがたくさんある。夜はきっと洋風居酒屋なんだ。

 メニュー先頭に来たのはビーフシチューだった。やった、肉だ。でも刺身の定食もある。マグステ丼もあった。名物だしそうよだね。僕はビーフシチューを選んだ。海鮮が有名な町に来ても平気で牛丼屋で済ませるタイプだ。名物じゃなくていいし、肉のほうが好きだ。
「あとすみません、お水をもう一杯いただけますか」
「はい、どうぞ。──どちらから来られたんですか?」
「埼玉です。自転車は今日、能代から走ってるんですが」
「暑いですか?」
「暑いです」
「でしょうね」
 僕が入ったときはひと組のカウンター客とひと組の座卓客がいたが、カウンター客が出て、それからふた組入った。ふた組ともカウンターについた。そしてみんなが刺身を頼んだ。なんだかひとりで異端な気分になった。仕方ない、マグロの町に来たのだからマグロを食べるのだ。それが正解。マグロの町に来ても牛丼があればそちらに行く僕とは違う。

 

 美味しいお昼だった。雪にんじんというにんじんがふんだんに登場した。
 美味しい食事を終えるとコーヒーが飲みたくなる。肉や洋食だけじゃなく、そばでも魚でも刺身でも、そう。カフェイン中毒なのかもしれない。
 コンビニが能代から先、もう鰺ヶ沢までないのは調べていた。さっきの店でコーヒーを飲んでから出ればよかったなとも思った。缶コーヒーでいい。見つけたら飲みたい。
 でも今日走っているここ、能代からずっと、自販機の脇にゴミ箱がないところばかりなのだ。そうなると自販機があっても手を出せない。空き缶を持って走る荷物の余力もない。
 去年、富士山スカイラインを走ったサイクリングを思い出した。周遊区間を上り切った水ヶ塚公園のレストハウスに立ち寄ったとき、そこには「ごみはお持ち帰りください」の貼り紙があった。当然ゴミ箱はない。その日、強烈な寒さだった標高1400メートルでは、温かいものを飲まずにいられなかった。僕は確かコーンスープか何かをレストハウス内で買った。表に出て飲みながら、オートバイで来ていたお兄さんと「寒いねえ」「そうですねえ」などと話をした。缶もスープもすぐに冷たくなってしまうほどだった。
 飲み終えると、空き缶が邪魔になった。どうにか荷物のなかに工夫して入れられないかと苦戦していると、オートバイの兄さんが、
「俺はさっき、店で捨ててもらったよ」
 といった。「持ってきて出たごみならともかくよ、ここで売ってるもの飲んで出たごみなんだから処分しろよって」
 なるほどある側面、理にかなってる。
 しかし僕は小心者なので、店に行ってそんなことをいい出せもせず、背中のポケットのものをサドルバッグになんとか移すことで、空き缶を背中に入れてふもとまで下った。

 

 

 また、立ち止った。
 高台から見下ろした線路が、道路があまりにも美しかったから。
 海岸ぎりぎりまで線路が迫り、海岸線に合わせてカーブしていた。まるで写真を見ているような俯瞰図だった。どこまでも静かで、じっとしていた。
 目を凝らしてみると、その海岸線に駅のホームが見える。ちいさな駅だ。
 ──列車が、来ないだろうか。
 まあ来るはずもない。超閑散路線は時間をきっちり調べておくか、線路に張り付いて走らなければ列車に出合えることはない。
 ──駅へ行ってみよう。
 僕はゆるい下り坂を飛ばした。
 驫木とどろき駅、といった。

 

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 ようやく見つけた。
 何のことはない、空き缶のゴミ箱を。自販機の横にあった。
 有数の観光地、観光列車リゾートしらかみも立ち寄る、千畳敷である。
 駅の目の前のおみやげ屋が、自販機の脇にゴミ箱を置いていた。これで缶コーヒーが飲める。
 自転車を止め、コーヒーの前にのどの渇きを一度リフレッシュしようと、ボトルのお殿水とのみずを飲んだ。
 千畳敷は海岸に広がる平らな岩盤で、もちろん人気の観光地ゆえ車も多く止っている。ちらほらと人が岩礁の上を散策して歩いていた。僕は缶コーヒーを飲みながらそんな光景と、海を見ていた。暑いけど、心地いい。
 そこへ列車が入ってきた。リゾートしらかみがやってきた。まさかここでとは、よりによってだ、と思った。仮設のようなホーム一本の駅に列車が止り、扉が開くとたくさんの人が道路を横断してこちらにやってきた。あっという間に僕が眺めていた岩礁の風景は人でいっぱいになった。
 僕は飲み終えた空き缶をゴミ箱に捨て、乗客たちが戻ってくる前に出発した。
 リゾートしらかみは走っているときに並走するのがいい、観光地で一緒に観光するのは避けたい、そんな結論を胸にまとめ、出発した。

 

 

 千畳敷近辺はこのあたりで名の知れた海水浴場のようで、泳ぎに来ている人をたくさん見かけた。そしてここから先、ぐんと車の量が増えた。
 すぐに鰺ヶ沢の町に入った。国道101号は町の中心部を避け、内陸に入ってしまうので、分岐の道を取った。おそらく街なかを走っていた頃の旧101号だろう。
 鰺ヶ沢の漁港を抜け、町なかを抜け、山から下りてきたバイパスに合流した。ここまで来ると今日の絶景国道101号も終りだ。内陸に入り、交通量も多くなる、ふつうの幹線国道だ。僕はそのまま国道101号で五所川原を目指す。
 テレビで有名なブサカワ犬「わさお」の店を過ぎ、久しぶりのコンビニを見つけた。ファミリーマートに入ってフラッペを飲んでからだを冷やす。最近はファミマもイートインスペースのある店が多くなって嬉しい。休憩しながら明日の天気を見た。

 

 もともと、あと一日の予定は立てずに来ていた。
 天気がどうなるかよくわからなかったから。
 先週の初めに見た時点では、傘マーク付きの降水確率70%だった。出発前になると傘マークが消え降水確率は40%になった。それでここへやってきたのだけど、今日のゴール五所川原から先は白紙にしていた。明日の天気がいちばん怪しかったから。天気が悪くなれば明日は五所川原から輪行して帰る、そういうつもりだった。もちろん明日の宿も取っていない。家を出るときに、旅のさいちゅうに天気が持ちそうとわかり、かつ宿が取れたらもう一日走ると家族には伝えた。そして天気は大丈夫そうだと今わかった。
「東北は天気が持ちそうです。もう一日、旅を続けてもいいでしょうか」
 そう、妻にLINEを入れた。
 僕は席を立ち、最後五所川原を目指す。すぐじゃない、小一時間かかる。一気に行こう。

 

 鰺ヶ沢町からつがる市を経て五所川原に達する道中は、都市部の交通だった。交通量が格段に増えて車と一緒に走り、信号も多くなった。車に合わせたタイミングにしてあるのか、自転車だと信号のひとつひとつで止められた。海から離れ、台地を坂で直線的に上ると一面にりんご畑が広がった。それまでの海岸線ぎりぎりの風景とはまったく違い、別の一日を過ごしているような気分だった。右手に大きく見えるはずの岩木山はすっぽりと、全面が雲に覆われている。東へ一直線、ひたすら走った。岩木川を渡ると五所川原。着いた。思い返せば長かった。最近、百キロを超える距離なんて好んで走ってないから、なんだかひどく長い一日だった気がした。町なかへ入ると直接ホテルには向かわず、一度駅に向かった。
 6年前、僕はここにいた。やはり荷物を積み、この自転車に乗っていた。さんざんな、旅の始まりがここにあった。そのときの記事を開いてみた。

 

cycletrip.jugem.jp

 

 スマートフォンを見た。妻からLINEが入っている。
「どうそいってらっしゃい。どこへ行くのでしょう?」
「これからホテルに行ってあすの宿を探します。それが取れたなら行き先も決めます。どこも取れなければ帰ることになってしまうけど」
 と僕は返した。

 

 少し寄り道。駅の東側へ行く用を思いつき、駅北すぐの車は渡れない踏切を渡る。6年前にも渡った踏切。「ふみきりちゅうい」、「とまれみよ」、腕木式信号機。たぶん、変わってない。そのまま残っていた。

 

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(Day3へつづく)