北総水田サイクリング(Jul-2018)
千葉の稲作は早い。関東では一般的に五月初旬から終り頃までのあいだで行う田植えを、いつも四月の中旬くらいから始めている。ゴールデンウィークに走ってみるとたいてい、植えつけられた水田を見ることができる。だから今の時期の関東の田んぼといえば見事なまでの緑のじゅうたんを見せてくれるけれど、千葉ではもう稲穂が付き始めている。田は緑から黄金色に色を変え始めようとしていた。
◆
台風が、やってきた。
週の中ごろに発生した台風12号は、それまで良好だった週末の天気予報を大きく修正させた。初めは週末は影響で雨なのかと落胆する程度だったものが、上陸するのだと話が変わってきた。日本の
関東では土曜日に猛烈な荒天を見せ、日曜日には去っていった。
それでもすっきりと台風一過とはならなかった。西進するという奇妙な台風はいつまでも雨雲を残していった。西へ向かう自分自身に引きこむように、東に雨雲の帯を連ねて見せた。それが夕立か、ゲリラ豪雨のような強烈な雨を降らせた。かと思えばとんでもない日差しの晴れ空を見せた。それを一時間のうちに何度も、10分に一度変化させて見せた。
そんなまったく読めない天気の変化は、あるいは僕のいる越谷だけだったかもしれない。雨雲レーダーを見ていると、越谷、草加、春日部、そんな狭い一帯だけなのだ。
──千葉県ならもうこのあと雨雲がかかることはないんじゃないか。
僕はもう昼になろうかという頃、雨雲レーダーの6時間後までの予想を見てそう判断した。何の準備もせず輪行袋だけをつっこんだ自転車を引っ張り出し、周期的に繰り返される土砂降りの
JR成田線、、
ここは、台風一過の空だった。
(本日のルート)
(GPSログ)
◆
失敗したなあと思った。
駅舎が新しくてきれいで立派だった。
これだったら隣の
輪行で降りる駅、乗る駅の雰囲気って大事。僕にとって。
ボトルすら持ってこなかったので、缶コーヒーを一本飲んだ。のどが渇いたらその都度止まって買って飲むほかない。まあそれもよくやる。慣れているし、人里から離れる峠への道でもなければまず不安もない。
服だって朝着たふだん着のまま。Tシャツ、デニムのハーフパンツ。
走ろうと思ってる距離が10キロなんだから、それでじゅうぶん。
台風一過は、また先週のような異常な暑さへの逆戻りを予想させた。さっきより今、15分前より今のほうが暑いし蒸す。さっさと行っちゃおうとサコッシュを肩に掛けた。
今日の、いちばん初めの思いつきは、「つくだ煮を買いに行こう」と考えたことだった。千葉県北総地域にかかる雨雲はなさそうだったこと、そして北総で思い浮かんだのが佐原の地名とつくだ煮だった。
家から行けないこともないけれど、越谷はいつまでたっても土砂降りと晴天を繰り返していたし、それを見ていたらすっかり出遅れた。それに50キロも60キロも走る気分じゃなかった(実際もっとあるし)。つくだ煮屋さんだって何時までやっているかよくわからず、できるなら早めに着いたほうがいいに違いない。結果、ふだん着のままつくだ煮を入れて帰るサコッシュだけ持って、10キロ手前から走るような、少し奇妙なサイクリングになった。
それが出発してすぐ、目にした広大な水田風景に感嘆することになった。
JR成田線は関東平野を行く路線とはいえ、ここはもう都心からも直結しておらず、ローカル線だ。駅を出れば線路は単線になり、並行して走る自転車から見えるようすは片持ちポールの架線柱だけだ。それがこうべを垂れ始めた水田に埋まっているようだ。
今、列車が来ないかな、と思う。
残念ながら、列車は現れなかった。
今回サイクリングしているルートは、鉄道でいうとふた駅の区間、下総神崎-大戸-佐原だ。
ひとつ目の大戸まではおおむね線路に沿うように走った。
道路はほぼ国道356号線で、水田のなかを抜けていった。過ぎていった台風の名残で風が強かった。稲が傾くほど風に流されていた。
大戸駅は以前、輪行で使ったことがある。帰りの乗車駅にしたのだけど、列車を待つにふさわしい、なんにもない駅だった。無人駅で、歩道橋のような屋根のない
大戸駅の跨線橋とホームを横目で見つつ、踏切で線路を越えた。線路沿いの道もなさそうなので、大戸から佐原のあいだは線路から離れるルートにした。
道は坂に入った。路地のような細い道は先まで見通せない。そう長い坂でもないだろうと思って気を抜いていたら、意外にきつめの勾配で、カーブを曲がれど曲がれど終わらない。曲がり角のたびにしくじったと思う。変速しないと上れなくなる。チェーンとディレーラをきしませながら変速した。むかしのスプロケットやチェーンだとこんなにトルクのかかった状態で変速するなんでできなかったろうに、進化を遂げているんだなと感動する。いや感動したのは上り切ってから。上っている途中にそんなことを考える余裕はない。想像よりも何倍も苦しめられながら坂を上り、やっと丘陵部の頂点にたどり着いた。
さっきまでの水田風景とは変わって、森のなかの道だった。林のなか、背の高いまっすぐな幹が、日差しを遮っていた。千葉の風景らしく、竹林も多い。
丘陵部を上り切ったあと、これを一気に下った。細い道は曲がりくねっていて、ゆっくり進む必要があった。ところによって、濡れた路面もあった。
下るとまた上る。ちょうど丘陵部が手の指のようにほうぼうへ伸びていて、そこを横切るように進むものだから、上っては下りてを繰り返す。そのあいだの平地──決して広いわけじゃない──に一面の水田があった。周囲を丘陵部に囲まれていて閉塞的な場所だ。こんなところでの水田に、別世界感を覚えた。
走ると同時に僕は、飲みものを探していた。でも見つけられなかった。自販機ひとつなかった。人里を離れたわけではない。点在する農家のなかを走っているし、商店らしき建物もあった。しかし商店らしき建物はもう何年もその雨戸を閉ざしたままに見えた。店頭に自販機があっても、サンプルさえ抜かれ止まっているものしかなかった。懐かしくなる飲料ブランドのペイントが施されていた。あきらめて進んでも、道の途中にコンビニや自販機などなかった。
成田から佐原、潮来、鹿島とつながる国道51号を横切ると、佐原の街に入ったことを実感した。古い無区画な農家が点在する風景から、区画整理された住宅の風景に変わる。家も今ふうの明るい色使いの建物になる。にわかに交通量も増えた。
地理の教科書くらいでしかお目にかかれない天井川の風景がある。天井川とは道路や平地面よりも上を流れている川。ここの場合は水路らしく、これが天井川に当たるのかどうかよくわからなかったのだけど、ともかく僕は水路の下をトンネルで通過した。
最後の丘を上り、そして下ると佐原の街なかに入った。思いのほか唐突に、町なかに入った。
◆
僕の目的は達せられなかった。
つくだ煮屋は明かりをすべて落とし、のれんは店内に仕舞われていた。
ガラス戸に顔を押し付けて中を覗くと、古い木造家屋のなか柱時計だけがゆっくり動いていた。子供の頃によく見た計量はかりがあった。それ以外は何もなかった。つくだ煮はどこにも見当たらなかった。
店が定休だったのか、売り切って早仕舞いしたのか、それさえよくわからなかった。僕はなにも調べずにきた。ちょっとでも調べていたらわかったかもしれない。
仕方がないから街なかと小野川沿いを少しだけ気晴らしに走った。とんでもない夏が戻って来たようだった。日差しは痛く湿度は汗が乾かないほど高い。気温がどのくらいなのか想像がつかなかった。朝方まで引きずっていた台風と、戻ってきてしまった酷暑で街に出歩いている人はあまり多くなかった。小野川を行く船もなかった。
小野川沿いを踏切近くまでやってくると、そこから線路に沿って佐原駅へ向かった。
駅はすぐだ。駅でサイクリングは終わり。広く明るくなった駅前と、すっかりきれいに大きくなった駅舎は小江戸観光地の玄関にふさわしいのかもしれない。外国人がかわるがわる記念写真を撮っていた。
10キロほどだった。こんなサイクリングもいい。輪行が圧倒的に長いけど、でもいい。