自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

国鉄白棚線・御斎所街道(Aug-2018)

 もともと新潟の頸城くびき地区に出かけようと思っていたのだ。友人のUさんの夏サイクリングのようすを追っていたら、新潟の水田と海を見たくなってしまったから。上越線の石打駅から日本海・柏崎の海まで行くルートを引いて準備までしていた。それは国道353号線、新潟県区間を終端まで走破するルートでもある。
 しかしながらそこへネガティブな条件が襲いかかる。
 まず、ツールド妻有つまりの開催である。津南町十日町市で繰り広げられる自転車ライドイベントで、これが8月26日の日曜日に実施されることを知った。僕が走ろうとしていたのは8月25日の土曜日ではあったけど、場所が場所だけに参加者が前日入りすることは確実であろうこと、いつも定員に達する盛況ぶりらしく参加者も千人以上規模の相当数であること、それだけの人が前日入りしたら、ライドのコースとはまた違うところを前日に走ろうよと大勢が繰り出すことは想像に難くないこと、そんな想像・妄想レベルの何もかもがネガティブな要素だった。イベント嫌い、集団が苦手な僕には、その地区に近づくことさえ拒否させる、強い影響力を持っている。
 それでも週末の頸城の天気は全般的に良かったのだ。だから僕は自分を落ち着かせるように、「イベントの地区は自分のルート上の30%程度だから、大丈夫だ」などと言葉にして飲みこんでいた。いても気にしなきゃいいんだといい聞かせた。
 が、予報は週半ばに変わった。中四国・近畿圏を横断した台風20号が、雨雲を引き連れて日本海上を東へ向かったのだ。週末の日本海側の天気は悪化した。新潟県全域、上越中越下越も。降水確率は70%や80%といった高確率を示し、ネガティブな要素として加わった。しかしながら同時に安堵している自分にも気づいた。
 前置きが長くなったが、これゆえ、僕は天気予報から逆に走れる場所を探すというスタンスに切り替えなくちゃならなかった。すでに金曜日だった。
 土曜日の各地の天気を、時間別に見ていく。
 どこも午前中が曇りで午後は雨だった。降り出しの時間が違うだけだ。12時に降り出してしまうところは選ぶことはできない。できるだけ遅くなるところを探さなきゃならなかった。
 各地を並べてみると、関東から見て北で東のほうが降り出しが遅いことがわかった。特に福島県南の浜通りいわき市などは降り出しが18時ともっとも遅かった。
 僕はこの福島県南を、中通りから浜通りに向けて走ることにした。白河からいわきへ。白河の雨の降り出しは15時だったけど、出発地だからその時間までいることはないし、降られはしないだろう。
 地図を見ていて見つけたテーマがふたつ。
 ひとつは旧国鉄白棚はくほう線跡だ。戦中に廃線となった鉄道路線で、国鉄鉄道路線廃止のなかじゃ早いほうじゃないだろうか。しかし国鉄路線としては生き残って、軌道路盤を全面舗装で埋めてバス専用道路とし、今もなお白棚線として走っている。僕は廃線探訪よりは、どういった土地を鉄道路線が走っていたのかに関心が強いので、自転車がバス専用道路に入れないのはさほど大きな問題ではなく、その周辺の空気や雰囲気、生活のようすなどが感じられれば好奇心はじゅうぶん満たせられる。
 もうひとつは御斎所ございしょ街道である。国鉄白棚線に関してはもともと知っていたものであるのに対し、この御斎所街道は今回地図を見てはじめて知った。いわれも何も知らない。まあいい、この道にルートを置いてみよう。
 御斎所街道は中通りから浜通りへ向かう道だった。中通りから石川までのあいだの道を深く追わず、きちんと見つけることができなかったのだけど、白河からあるいは須賀川から石川を目指しているようだ。だからルートを今回、御斎所街道全線としてしまうと国鉄白棚線跡は走れなくなってしまう。僕は天秤にかけるまでもなく、そこは白棚線に傾いた。結果、白河から国鉄白棚線跡に沿って棚倉へ、そこから水郡線に沿って石川へ、石川からは御斎所街道に乗って古殿ふるどのから浜通りのいわき湯本へ向かうルートとした。

 

(本日のルート)

f:id:nonsugarcafe:20180901081234j:plain

GPSログ

 

 

「お久しぶりです、おはようござます」
 新白河駅前で自転車を組んでいたところへ、栃木の友人のYさんが来てくれた。昨日急きょ頸城から変更したルートを拾ってくれ、一緒に走りましょうと来てくれたのだ。もう一年近くぶりになるだろうか。
「おはようございます。今日はわざわざ、ありがとうございます」
 と僕は答えた。Yさんはまったく変わっていなかった。変わっているとすれば自転車の走行距離が万単位で増えていることくらいだろう。Yさんがふだん走る距離は、僕が走る距離より1ケタ多い。
 僕はガーミンにルートを表示した。
「すみません、僕の趣味ルートに来ていただくなんて」
 ただ、国鉄白棚線跡といっても大半は国道289号だ。白河市内の大半の路線跡は舗装してバス専用道路になっているから入ることができないし、その専用道路に沿える道を昨夜頑張って探してみたものの、行き止まりになったり、てんで見当違いのほうへ向かってしまったり、並行に走れる箇所がそうはなかったからだ。それでも曲がり曲がりながら並行できるところは入ってみるし、棚倉町内の専用道が廃止された区間も、入れそうなら入ってみようとルートに組み込んできた。
「いえいえ。あとをひたすらついてきますんでよろしくです」
 とYさんがいった。
 むしろ白河の地などしょっちゅう走って僕などよりよほど詳しいYさんが前に出るべきところだから、本末転倒だ。僕は苦笑いしながら、じゃあ行きましょうといった。

 

 走りながら白河ラーメンの話をした。
 僕は白河ラーメンが好きで、ここまで食べにくることもあるし、地元埼玉で白河ラーメンの店ができたと聞けば──それはほぼ百パーセント「とら系」だが──、出かけて食べる。
 この白河へ、走る時間の少ない日にやってきてはラーメンを食べて帰るYさんの行動をこれまで目にしていた。とはいえ、白河まで60キロくらいあるそうだ。時間がない日だからと白河へ来てラーメンを食べて帰っていく、それだけで往復120キロなわけで、やっぱり僕とは1ケタ違うのだ。
「この、南湖なんこの近くでしたら、『かい』ですね。よく行きます。あとその手前にある『あずま食堂』も」
「混みますか?」
「混みますね、ピークのときは」
「とら系ではないんですね」
「違います、どっちも」
 聞けばYさんはとら食堂には行っていないらしい。待ち時間を考えると、という。確かに1時間以上の待ちを覚悟しなきゃならないとら食堂は、一日がそれで終わってしまいそうだ。
 南湖公園の南側を通過しながら、そのふたつのラーメン屋を指し示してくれた。

 

 国道289号の脇に、ちょうどサイクリングロードのように細い道が分けてできたのが見えた。しばらく並行している。これが白棚線なのだと直感した。バスが走ってくるわけじゃないのだけど、歩行者も自転車もいない。ちょうど幹線道路のすぐ脇を並行する筑波りんりんロードのように見えた。そうだ、そもそも廃止鉄道路線の跡地利用で成りたちは同じだ。道幅だって同じだ。
 並行は、長くなかった。白棚線は緩やかに右へ、つまり南へと離れていった。ここは僕も、国道を離れるルートを引いた。白棚線になるたけ近いところを曲がりながら行くルート。ガーミンに表示されたとおりに国道から右折する。右折は大変だった。相当な交通量でしばらく待ってから渡った。そこからの道は交通量などそもそもほとんどないし、走りやすかった。別の世界だった。
 白棚線を横切るそこにバス停があった。水色に塗られた木造の小屋があって、待合所になっていた。かつてならここは駅だろうか。自転車を止めて置いた。
「バスが来たら絵になりますねー」
 とYさんがいう。時刻表を見るとおおよそ一時間に一本の割合でダイヤが組まれていた。
「一時間に一本だからそうそう現れないでしょうね。ローカル線みたいなもんですね」
「そりゃそうですね」
 そんなことをいい、バス停に自転車を置いたり、一般車両進入禁止の看板のところへ行ってみたり、それで写真を撮って過ごしていたら、Yさんが、
「あっ」
 といった。「バスが来た」
 本当だ。まっすぐ伸びるバス専用線の向こうから、国鉄時代から変わらぬ塗装のバスが近づいてくる。まるで、待望のローカル線の列車がやってきたときのように、弾んだ気持ちになった。
「自転車をまずどけましょう」
 とYさんがいう。
「そうですね」
 そそくさと僕らは専用道から離れた場所に自転車を置いた。
 路線バス一台が、なぜかこんなにワクワクする。
 バスは停留所に近づくと減速した。運転士は水色の待合所に、あるいは周辺に人が待っていないことを確認すると、興味なさそうに僕らを交互に見た。こうやって白棚線散策に来ちゃバスが来ては眺めているっていう人、他にもいるんだろうか。僕らが明らかに乗客じゃないという目視を刹那に済ませると、そのまま通過した。そして白河へのまっすぐな専用道を加速していった。
「いいタイミングでしたねえ、いいもの見れました」
 とYさんがいった。そうなんだ、と僕は思った。Yさん、こんな世界観に興味があるんだ、と。まあ、興味があるかないかはわからないけど、瞬間的な関心は持つのだと。僕への社交辞令かもしれないけど。
「計ったようでしたね。これはなかなかない」
 と僕も満足して答えた。

 

f:id:nonsugarcafe:20160825090921j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180901082839j:plain

f:id:nonsugarcafe:20160825091011j:plain

 

 ルートは一度国道に引き戻される。バスも国道を走る区間だ。かつての鉄道線の上に国道が敷かれたのだろう。
 棚倉町に入りすぐ、また白棚線は国道から分かれる。しかしこの区間磐城棚倉駅までバスは国道を行く。
 僕らは国道から右折し、離れた。
 白棚線は白河市内の専用道路と同様、一度舗装されバス専用線になった。今は道路の入り口が幅広のガードレールで入れないよう封鎖されている。
「行きますか」
「行きましょう」
 そんな会話をし、自転車を押して道へ分け入った。
 ガレていた。舗装はボロボロだ。周囲の木々が無法に枝葉を伸ばし、誰も通らなくなった道路を埋め尽くそうとしていた。じっさい、かがまないと通り抜けが困難な枝もあったし、それでもくぐれない枝は手ではらう必要があった。
 他の道と交差をするところは、そのつど同様にガードレールでロックアウトされていた。僕らは自転車を降り、土手に足を滑らせないように気をつけながら越えていく。
 次の区間は走れる状態じゃなかった。土砂が道路を埋め尽くし、草まで生えていた。道はいつ埋もれたのか。道はいつから使われていないのか。すぐ脇に並行して、軽トラが走るようなダブルトラックがあった。トラック部分以外は草で埋もれていた。
 先に、続く築堤で緩やかな左カーブを描いているのが見える。美しい。
 僕はここで国道に戻りたくなどなかった。この美しさを見ながら旧線でこのまま行きたい。
「この道で行きましょう」
 と僕は脇のダブルトラックを指してYさんにいった。
「了解です」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫かなあ……」
 Yさんの言葉に、はたとわれに返った。
 ふつう、ロードバイクで未舗装路など走らないのだ。舗装路の延長のように何も考えずダートに突入していく人など、まずいないのだ。僕がふだんやっていることはふつうじゃない。
 Yさんは自転車が痛む、パーツやタイヤにキズがつく、そんなことを考えたんじゃないかと思う。それが、当たり前なのだ。誰だって大切な自転車だから、きわめてふつうの発想だ。しまったな、と思った。
 百メートルばかり行くと、白棚線のガードレールに切れ目があった。土砂かぶりはもうなく、舗装面が見えていた。
「ここで移りましょう」
 と僕はいった。僕はほっとした。Yさんもほっとしたに違いなかった。

 

 そこは強烈な鉄道線だった。
 くだんのダブルトラックは、やがて右にそれて行ってしまった。したがってここには今僕らが走る道しかない。
 そう、鉄道に乗っていると時としてこういった箇所を走る。人家もなく道路もない、誰も入ってくることのない区画。山あいや丘陵部の、トンネルや堀割で前後をくくられた区間によく見る。道ひとつないところだ。道路が人の営みのある集落に寄るようう回してしまったり、山や川をクリアするのに鉄道とは別のルートを取ったりして、鉄道だけ取り残される。あるいは鉄道も、道路と同じようにう回をしたかったのかもしれない。でも道路のようなカーブを作れないから、トンネルを掘るなり切り通しにするなりしてまっすぐ進むしかないのだ。鉄道に乗っているとそんな場所を走るのを窓から眺めることがある。
 電車線ならともかく、非電化路線であればそこは電線すらない。
 白棚線がまさにそうだ。ガソリンカーなど走らせていた路線が廃止されバスに転じ、道路として舗装されただけだ。他の道路も架線も電線も、なにひとついらないのだ。
 鉄道線として区切られた独自の風景があった。鉄道旅をしているとき、車窓に見たこういう風景にさして感慨も重みもなかった。しかし生身でここに立つどどうだろう。肌で感じたことのない風がそこにあった。自分を包む感じたことのない空気がそこにあった。今後、鉄道旅をするときに、こういったポイントに目がいくようになるかもしれない。今まで素通りだった風景に。
 鉄道らしい緩い左曲線ののち緩い右曲線。道路は築堤の上を行く。両端を守るガードレール。鉄道の単線幅はぴったりバス一台の幅員だ。
 僕らは進み、止まり、思い思いに写真を撮った。そしてまた走った。

 

f:id:nonsugarcafe:20160825093929j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180901083000j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180901082946j:plain

 

 やがて町なかに出た。
 国道118号の旧道、県道177号。これを越えてさらに磐城棚倉駅へ向かう。水郡線の線路に寄り添うよう弓なりを描いていく。驚いたのはそこが宅地になっているのに、きれいな弓なりカーブが残っているのだ。廃線後に土地が明け渡される場合、多くは更地にされ、道路がいちから敷き直される。たいていは直角に。そのほうが道はまっすぐになるし、住宅向けに土地分割するさいにきれいな四角形を取れるから。しかしここは、緩やかな鉄道曲線に沿って家が建っている。やがて磐城棚倉駅の鉄道柵が現れ、道は直角に曲がるが、そのまま直進すれば水郡線と等間隔に線路が並ぶ位置だろうと見て取れた。僕らは線路沿いの道から、駅前広場に出た。

 

 磐城棚倉駅、白棚線の旅を終えた。

 

f:id:nonsugarcafe:20180901083040j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180901083050j:plain

 

 駅の軒下で休憩をした。僕が自販機で飲みものを買いベンチに座って飲むと、Yさんもそうした。
「白棚線の跡って前に一度走ったことはあったんですよ」
 Yさんがいった。
「そうでしたか」
「ただあの走れなくなってる道は見つけられなかったですね」
「面白い道でしたね」
 この路線は短命であった。
 もともと城下町であり郡部の中心であった棚倉は、日本鉄道(現在の東北本線)が白河を経由し、鉄道のない町になったことで衰退をたどり始めた。地元では、近隣に炭鉱もあったことから、鉄道を望む声は多かった。有志や有力者で鉄道敷設の出願をするものの、免許が下りなかったり、免許が下りても今度は計画が実行できなかったりと、やっと白棚鉄道として開通したのは大正5年のことだったそう。しかし炭鉱が相次いで閉鎖になり、鉄道の輸送はやがて貨物よりも旅客が中心になる。
 昭和に入り、磐城棚倉と水戸を結ぶ水郡南線が開通すると、乗客はそちらに流れた。その後白棚鉄道は国鉄に買い上げられ白棚線となるが、太平洋戦争での金属拠出でレールをはじめとした資材一式はぎとられてしまった。
 戦後鉄道復活を望む声もあったが、復活の形は専用道路化されたバス路線であった。
 水郡線が棚倉の鉄道輸送を担っていること、すでに戦前で乗客の減っていた白棚線が、現在も一時間に一本のバスを走らせられていることを考えれば、鉄道ではなくバス転換したのは正解だったのかもしれない。
 駅の待合室を覗くと、水郡線の列車を待つ人が数人いた。

 

「これから行く街道は何と読むんですか?」
 僕がルートを用意した御斎所街道のことだ。
「ございしょって読むらしいです」
 飲みものを飲み終えると、その御斎所街道を走るべく、石川へ向けて出発した。

 

 道は水郡線にも沿った国道118号である。ゆるやかなアップダウンが続く。
 浅川の町を経て、石川に入った。
 石川町は肉丼が有名なんだとYさんがいう。時間も11時になるし、この町で食べてもいいなと思った。
 しかし肉丼を扱う店が見つけられない。国道を離れ、町の中心街に向かった。おそらくこの道も国道の旧道だろう。
 磐城石川駅の前を通過し、店や銀行が立ち並ぶ道筋を一軒一軒目を配りながら走った。しかしそれらしいものが見つけられない。肉丼を扱うお店どころか、食堂自体がないのだ。
「国道のほうなのかもしれないですね」
 とYさんがいう。確かにそれはある。「今はそういう時代ですよね」と僕はいった。
 探しつつも御斎所街道に入り、町の中心を抜けるところまで来てしまったので、
「この先に道の駅があるんですけど、そこまで行くと、肉丼じゃないですがなにか食べられます。いかがですか」
 と提案した。
「あ、いいですよ。どのくらいあります?」
「5キロはありますね。10キロ弱くらいだと思います」
「ああ、いいですね」
「時間は大丈夫ですか? ここから30分くらいでしょうけど」
「大丈夫です大丈夫です」
 僕が提案したそれは道の駅ふるどののことだった。さらに石川よりも先の町で、時間がかかってしまうことを心配した。Yさんは今日、夕方用事があるといっていたから。かかった時間は、折り返して白河に帰るYさんにとってまるまる倍かかる。走り始めてから、引っ張りすぎてしまったかもしれない、と思った。

 

 道路には道の駅の大きな標識があるものの、道の駅自体はこじんまりとしていて、最近のレジャー施設のようではない。ここでいいのかなと迷うくらいだった。
 道の駅ふるどの。11時半過ぎには着いた。
「暑かったですね、日陰がまったくない」
「本当ですね」──本当に、棚倉の駅にいた頃とはもうまったく違う。暑いし、日差しが痛い。
 ここの食堂でそばを食べた。Yさんは折り返して白河へ戻る。僕はようすを見つつといっていたいわき湯本へ向かうことにした。ようすとは、天気だ。豪雨が襲うようなら、水郡線から輪行することも考えていた。とりあえず、空はまだ青い。

 

「それじゃまたお会いしましょう」
「今日はわざわざありがとうございました」
 僕はYさんを見送った。来た道を戻っても面白くないから、塙方面を経由しようかなといっていた。それも楽しそうだと思った。Yさんは速い。今日半日僕に付き合い、合わせて走ってくれたから、ここからは自身の楽しみでガンガン飛ばして帰るだろう。
 僕は県道14号をいわき方向へ向かった。

 

 

 この県道14号が御斎所街道である。石川町からすでに走ってきた道でもある。
 御斎所街道は古殿といわきとのあいだにある御斎所山や御斎所峠からその名が由来。古来難所だった街道は今、峠をトンネルで抜けていく。宿場もいくつかあって、通ってきた石川町に石川宿、それから古殿町竹貫たかぬき宿があった。
 竹貫宿を通過した。沿道の静かな集落といった印象。古くからある建物もいくつか見受けられる。かつての宿場町がふつうの集落になった、典型的な町だなと思った。

 

 御斎所街道は、表記を「御斎所」としているものと「御斉所」としているものを見かける。本来、「斎」と「斉」は別の漢字だ。意味も異なる。「斉」はせいであり、さいとは読まなかったものだが(諸説あり)、人の姓で斎藤さんや斎木さんが、自身を略表記するのに「斉」の字を用いるというのは古くからやられていたことのようだ。しかしあくまで人名上の話であり、混在して使うものではないはず。「電車」に、字体が近いからと「雷」を充て、雷車ででんしゃと読ませられても無理を禁じ得ない。国歌斉唱を国歌斎唱とは書かないし、斎場での葬儀を斉場でとは書かない。
 御斎所が仏教のおときを語源としているなら御斎所なのだろう。仮に斉だとしたら、語源はなんだろう……。推測だけど、御斎所が本来で、略字がわりに斉の字を充てた人がいて、そのままどちらも広まったんじゃないだろうか。
 滋賀県三重県のあいだにある御斎おとき峠でも同じ表記ゆれ(御斉)をよく見るし、同じような話を聞く。

 

 上り坂も終わりまで来ると、御斎所トンネルが現れた。まずこのトンネルをくぐると次に現れたのが御斎所洞門。紛らわしいけど別のもの。このどちらかの上に御斎所峠があるのだろう。
 これらを越えると下り。かつての御斎所洞門周辺の渓谷は名勝だったそうだ。いやいやこれでもなかなかの景観だ。

 

 リアキャリアに重たそうなサイドバッグを下げたクロスバイクが前に走っていた。Tシャツにハーフパンツ、学生が自転車旅を楽しんでいるのだろうか。道が上りにかかるとひどく重たそうだ。首から腕からふくらはぎまでまっ黒になった日焼けは、昨日今日のものじゃなさそうだった。もう休みじゅうずっと走っているのかもしれない。がっちり締まった体躯は荷の重さに勝る力強さを感じた。
 やがて追いつき、並んだので、
「こんにちは」
 といった。
「あっ、こんにちは」
 というサイクリストは女性だった。髪もバッサリ短かったから男性かと思ってた。
「暑いですね、今日は」
 と声をかけると、
「暑いです。もう勘弁」
 と笑った。僕はお気をつけていい旅を、といってそのまま前に出た。後ろからありがとうございます、と聞こえた。

 

f:id:nonsugarcafe:20160825130549j:plain

f:id:nonsugarcafe:20160825130828j:plain

f:id:nonsugarcafe:20160825124647j:plain

 

 

 僕が常磐線湯本駅に着き、自転車を輪行袋にパックしてひと息つく頃、Yさんは白河に戻った、とツイートしていた。僕は思わず嘘だろっと声が出た。古殿からではいわき湯本に出るよりも白河に行くほうが圧倒的に距離があるはずなのだから。やはり桁違いに速いのだ。
 そして雨に濡れたとあった。僕は幸い降られることはなかった。

 

 列車を待っていると西に厚い雲が見えた。これか、この雲に降られたのかなと思うやいなや、とんでもない勢いで雨が降り始めた。15時前。雨は予報よりずいぶん早まったみたい。

 

f:id:nonsugarcafe:20160825140239j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180901083254j:plain