自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

富士四湖サイクリング(Jul-2018)

 暑さから、逃げてきた。
 朝の7時半過ぎ、河口湖に着いた。
 初め、週間予報で週末になるとこの暑さも落ち着くでしょうといっていたのに、金曜日になれば週末はさらなる暑さになるでしょうといい換えてきた。去年の8月のような、毎週毎週雨模様の日々に比べたら恵まれているのかもしれないけど、外での運動は控え室内で積極的に冷房を使うようにと呼びかけているのだから、どちらがいい年といえるんだろう? まあ人間は今現在の状況を悲観しがちだから、僕も去年のほうがまだよかったよっていうんだろうな。濡れても熱中症の心配はないしね、などといいながら。去年の自分なら、とうていそんなこといわないだろうけど。きっと、暑くても晴れ空のもとを走れたほうがいいっていうに違いない。
 そんなわけで、こんな状況のもと、気温のきわめて上がりがちな関東平野内陸部・埼玉県にいるよりも、どこか涼しいところに出かけたほうがましなんじゃないと、明け方から出てきた。

 

 まだ時間が早いせいか、それほど人出は多くなかった。
 涼しいうちに、富士五湖周辺をまわってみようと思う。とはいえ午前中、プラス食事の時間くらいで考えるなら、せいぜい河口湖を起点に西側の四つの湖が今日の範囲かな、山中湖を入れると、標高も突出しているし、距離もだいぶかさむから。人も車も多いところだしね。
 僕は河口湖を東から反時計回りに、まず走り始めた。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 

 河口湖の北岸を行く県道21号を、「湖北ビューライン」という。ビューはレイクビューのことかと思いきや、富士山ビューだとどこかのサイトにあった。命名の真偽は定かじゃないけど、いずれにせよ豪勢な名が付けられている。資源が潤沢だとうらやましい。僕の近所には湖も富士山もないから、そんな名など付けようもない。
 そしてその名のとおり、湖越しに富士山が見えた。雪のない、夏の富士だ。雪を冠していると女性的だけど、雪のない山肌は力強くてゴツゴツして、男性的に見える。そのすそ野には雲がかかっていた。
 秋から冬の澄んだ空気とは違い、全体的に薄ぼんやりと見えた。そのせいか距離を感じる。冬の河口湖から見る澄みきった光景は、まぢかな圧倒感を受けるから不思議なもんだ。

 

 河口湖畔は交通量が多いけど、西に向かうにしたがい減っていった。主たる観光地は南岸も北岸も河口湖大橋の周辺で、そこから旅館街や別荘地が連なる。車の量が減るのはそういったところへ向かうからだろうか。車が少なくなると、気も楽になる。
 河口湖畔西浜の郵便局で、湖北ビューラインは丁字路を右に折れる。僕もそれにならって右折した。ここで道は湖岸を離れ、西湖へ向かうことになる。
 西湖は河口湖よりおよそ百メートル高く位置する。
 つまり、上る。
 じわりじわりと気温が上がり始めていた。でも大丈夫。空気はさわやかだ。
 坂を上り切り、頂点のトンネルを抜けたところで湖北ビューラインはいよいよ西湖畔に出た。


 西湖はにぎやかである。
 河口湖が別荘地を中心としているのに対し、ここはキャンプ場が中心だ。それもバンガローやログハウスを要する大規模なキャンプ場が多い。子供会やボーイスカウトガールスカウトがバスでやってきても受け入れられるほど。学校のある期間なら林間学校で来るところもあるかもしれない。それに加えてテント泊のキャンパーがいる。朝のこの時間から薪や炭に火が入り、肉が焼かれるにおいがほうぼうから漂ってくる。富士山を遠くに見ながらのキャンプはぜいたくだなあなんて、うらやましくなってくる。
 釣りも盛んだ。だから釣り宿も多い。湖岸に下りた車に釣竿が立てかけられているのがたくさん目に入る。ああいう釣竿、みな高いらしい。あってもあってもつい次が欲しくなるって、むかし仕事を一緒にやった7歳ばかり年下のタナカ君がいっていた。違うの? どう使い分けるの? と聞くと、「本当は違わないんすよ」と笑っていった。建前上は仕様も用途も性能も違うんですけどね、と。自転車に興味を持っていて、マウンテンバイクが欲しいんすけどというから、もしかしたら自転車も同じことになるかも・・よと僕がいうとまた笑っていた。
 道は、気づくと西湖のはずれを過ぎ、湖畔を離れていた。すっかり静かになった。人の数が減り、車の数が減った。そして青木ヶ原の樹海に入った。

 

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 樹海の中で湖北ビューラインは終った。富士五湖を結ぶ大幹線道路、国道139号に吸収されるように。僕も進路を国道に取り、圧倒的な交通量のなかに飲まれた。
 精進湖は国道から分岐して周回する。湖畔道路は、女坂峠を越えて甲府へ向かう国道358号と、県道706号とで構成されている。国道139号から見てΩの形状でめぐってくる。
 富士五湖のなかでいちばん小さいこの湖は、こうやって回るとなんだか取ってつけたようだなと思った。ついでにまわっている感じ。それともこうして湖ばかりめぐっていて、だんだんと飽きてしまったのかな──。
 角度が悪いのか、富士山がそれほど見えない。北岸で国道358号から県道706号へと移った。むかしからあるようなレストランと、旅館が小ぢんまりと固まっていた。道路から湖畔へ下りられるようになっていて、せっかくだからそこへ行ってみた。小砂利の浜ではなにかイベントが催されるのか、その準備を着々と進めているようだった。
 精進湖の風景は釣り船だ。手漕ぎボートのように見える船が、まるで軍隊の隊列みたいに一糸乱れることなく一列に並んでいた。そういうルールなんだろうか。誰もが守り、誰ひとり乱すものがない。列もさることながら、並んでいる間隔すら測ったように等間隔で、こういうのを見てしまうとこの中に入ることはできないなと思う。きっと不文律とか、明文化されないルールとか、数多くあるに違いない。適当な感覚で始めると間違いなくとがめられ、そして輪に入れてもらえないんじゃないか。そこは湖上に形成されたムラ・・だ。
 木々のすき間から富士山がようやく見えた。微妙な角度だ。そして雲が、まとわりついていた。
 精進湖を離れるとまた国道139号に戻る。さらに西へ、本栖湖を目指した。
 国道の交通量のせいもあるかもしれないけど、明らかに暑くなっていた。樹海の木々は国道には覆いかぶさっていないから、道路に日陰などなかった。緩めだけど下り基調なのが救いだった。

 

 精進湖で見た、富士にまとわりつくような雲は、本栖湖に着いてみればそのすべてを覆い隠してしまっていた。千円札のビュースポット──そういわれてしまうと、まるで踊らされているようでうっとうしさがあるけれど、そんなことを考えようが、富士山はそもそも雲隠れしてしまい、ビューもなにもなかった。
 なんとなく予感はあった。大きくない雲ながら、精進湖で見たそれは、本栖湖に着く頃には雲のなかになってしまうだろうって感じさせた。そのとおりだった。まあこうやって毎回毎回、見えたり見えなかったり、はっきり鮮明に見えたりぼんやり霞んでいたり、風景が違うからサイクリングとか旅って楽しいんだけど。
 アニメ「ゆるキャン△」で有名になった浩庵こうあんキャンプ場に立ち寄って、飲みものを買った。ほとんどなくなったボトルを空にして一本、それとは別に冷たい缶コーヒーを一本買って飲んだ。浩庵キャンプ場はキャンプだけじゃなく、食堂やさまざまなマリンレジャーを提供しているようで、それは大盛況。車が駐車場に入りきれず、路上にあふれていた。ここから先の湖畔道路へ向かう車は多くないものの、行き来の車やここの出入りの車で何度となくデッド・ロックを繰り返していた。
 休憩後は本栖湖を周回するため南岸のルートへ向かった。浩庵キャンプ場から先は交通量がめっきり減った。ここは南岸に用のある人しか入ってこない。通り抜けに使うには曲がりくねっていて見通し悪く、道も細いから都合が悪い。すれ違いのたびに減速を強いられる道は、北岸の国道300号に比べてメリットもない。通り抜け以外で用があるといってもいくつかのキャンプ場とマリンレジャーのためだけだ。観光施設があるわけじゃないからひっきりなしに車が出入りするところじゃなさそうだ。
 木立のなかの道は日陰で涼しかった。ここまでの道や浩庵キャンプ場の休憩で浴びていた強烈な日差しの力を思い知らされた。ときおり駆け抜ける風はむしろ肌に冷たく感じるほどだった。広い湖に、カヌー、カヤックスタンダップ・パドルを楽しむ人が見え、湖面が華やいでいた。とはいっても河口湖や西湖のような観光地的騒々しさもなく、とても静かだった。湖面から楽しげな笑い声が届くほどだ。そうやってマリンレジャーを眺めつつ涼しく走るサイクリングは最高だった。
 この道は山梨県道709号本栖湖畔線という。


 ずいぶん前に、この道を走ったことがある。
 まだ春になったばかりの三月下旬か四月上旬だった。そのときにはじめて、この道が冬の期間は閉鎖になることを知った。今日と同じように、浩庵キャンプ場の側から入った。西から南岸を通る反時計回り。浩庵キャンプ場を過ぎて少しのところに冬季閉鎖のためのゲートがあった。冬季閉鎖と書かれた立て看板が、端のほうで力なく立っていた。ゲートは、開いているでも閉まっているでもなかった。僕はせっかくだから回ってみたくて、ゲートの先へ進んだ。
 ゲートから先は、同じ道の続きであるのに、強烈な別世界の印象があった。肌を通して伝わってくるのだ。それはこの区間が少なくとも何ヶ月かのあいだ、手つかずになっていたからだ。人間の作る世界から自然によってできあがる世界へ空気が変わってしまうからだ。通行止めになっている道路──林道や県道、国道もあれば廃道もそうだ──のゲートから先に足を踏み入れた瞬間はみな、感じる異気配だった。本栖湖の県道709号も、中途半端な閉じ具合のゲートは、まだその先の空間を人間のものとして取り返してはいなかった。
 路肩に雪がまだ残っていた。本栖湖は標高が900メートルばかりだし、それほど雪の降る土地という印象もない。果たしていつ降った雪だろうか。でも古いものであってもこうやって交通が規制され、車が入ってこなければ、雪も相当の期間、融けずに残っているんだろう。季節はもう春めいてきていたけど、それは冬が名残惜しげに主張しているようだった。湖に出ている人などいないし、道に車も一台もやってこないから、道路は完全にひとり占めだ。存分に楽しめばいいのに、僕はいささか緊張していた。純自然の空間は、人間の生活する空間とは空気を異に感じ、いつも緊張する。怖さかもしれないが、荘厳さに触れるような。
 路肩の雪が増えたり減ったりする道で、その舗装面を選ぶように走った。そうするうち、反対側のゲートに着いた。
 ゲートは、きっちり強固に閉ざされていた。
 僕は先に進むのをためらった。ゲートはともかく、脇から抜けられないようなゲートではなかったように記憶している。越えれば続きを走って周回するだけだ。しかしながら結局僕はここで折り返すことにした。たまたまゲートの向こうに見えた、ここまでにはなかった大きな雪塊のせいではなかったと思う。もう記憶も怪しいけれど。
 そして今日も、反対側のゲートにたどり着く。夏のさなかだ、もちろんゲートは開かれていた。

 

 

 本栖湖を周回すると、さっき走ってきた国道300号に戻った。木立のなかの道は終り、またからだじゅうを刺してくる鋭利な日差しのもとに出た。そしてここで、富士四湖周回は終った。
 河口湖まで戻る必要がある。来た道を戻るけれど、湖畔は来るときに走った道とは対岸を選ぶつもり。枝豆か、あるいはいんげんのようなルート図。

 

 この時間になってみてわかった。
 結局、ここまで来ても、暑さから逃げられはしなかった。

 

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