自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

西伊豆スカイラインと爪木崎の水仙

 すべての旅がいい旅だったと振り返れるのならそれは素晴らしい。そうじゃない旅だってある。つまらなかった旅、印象に残らなかった旅、つらい思いやいやな思いをした旅──そういう旅があってこそ経験値だって上がっていくし、いい旅をできたときのうれしさもひとしおだ。

 この旅はどちらかというと後者に入ると思う。

 

 僕はすべての旅を書き残しているわけじゃなく、書かずに終えた旅もある。その理由はさまざまだけど、いい旅だったという印象で終われなかったものも一部ある。

 だとするとこの旅もそうなる可能性はある。でも書いておこうと思う。根拠はともかく。

 そういえば以前、書かずに終えた旅のひとつに西伊豆があった。もう3年か4年になるか。西伊豆は僕にとって感動の多い場所だ。西伊豆でなぜ立て続けにいい印象で終われなかった旅が生まれるのだろう。本来はこの地で得られる感動や興奮が期待値として出かける前のハードルを上げてしまうのか。

 この旅は昨年末、年の瀬も押し迫った2016年の最後、12月30日に出かけたものだ。

 

 

 冬の朝の輪行は凍えていることが多い。震えながら外の景色を眺めていたり、座って眠っていても寒さで中途半端に目を覚ましてしまったり、僕が寒がりゆえ少しの寒さであっても過敏に反応してしまうからなのか、じっさい凍えている。

 でも今日はそうではなかった。あるいは着ているウェアのおかげかもしれない。気温の数値にしたって──家を出たときの越谷市の気温は氷点下だった──、肌の露出している顔や首に感じる寒さにしたって、凍えるのにじゅうぶんなほど気温が下がっていた。何にしても凍えないで済むのかありがたい限りだった

 熱海で乗り換えた東海道線の沼津ゆきは5両編成の列車でここまでの東海道線の二本分の乗客を受け入れたおかげで混んでいる。僕は駿豆線に乗り換えるから三島で降りてしまうけれど、車内の乗客は沼津まで行き、どっと降りて、さらなる椅子取りゲームをこの先の列車でもしないとならないんだろう。

 三島駅からは伊豆箱根鉄道駿豆線へ。18きっぷを使っているときは有人改札を通る必要がある。この三島駅有人改札で行く手を阻まれることが多い。首都圏からのスイカ・パスモなどICカードで入場したとき、ここの自動改札では出られないから。知らずにICカードで入場してくる人も少なからずいて、有人改札で精算をする必要がある。それがグループならけっこうな行列だ。過去に伊豆箱根を一本、これで逃したこともあった。

 今回そういったこともなく修善寺ゆきの電車に乗るとこれまでの混雑がうそのように空いて静かな車内だった。

 のんびりと、列車が左右に揺れる単線で中伊豆を南下する。途中どこの駅からだっただろう、杖をついた年配の男性が僕の向かいの席に座った。

「あなたは、競輪の選手ですか?」

 こう尋ねられることはある。よくあるシーンのひとつだ。

「いえいえ、違います。ただのサイクリング」

 男性は耳が遠いようだった。そのうえサイクリングという言葉に馴染みがないようにも感じた。いずれにせよ伝わっていない。僕の言葉にうなずいては見せたが、しばらく窓の外を眺めたのち、

「これから伊東に行くんですか」

 と言う。

「いや、競輪じゃありませんよ」と僕は苦笑いのうえ答える。

 男性は納得できない表情で、それでも座席に深く座りなおした。

 電車は終点、修善寺駅のくし型ホームにゆっくり侵入した。

 修善寺駅の駅舎は見まごうほどきれいになっていた。

 

(リニューアルした修善寺駅

「また会いましたな」

 駅前で自転車を組んでいると、わきに立ったのはさっきの年配の男性だった。

「選手でないとすると、練習生かなにかですか」

 どうも僕を競輪の人にしたいようだ。

 自転車を組み上げて準備を終えると、同じ電車で輪行をしてきた人が自転車を組み終え、おにぎりを食べている。

「今日はどちらまで行かれるんですか?」

 とどちらからともなく話す。

西伊豆スカイラインを走ろうと思ってます」

 と彼は言う。

「それじゃ同じですね、僕も西伊豆スカイラインへ向かおうと思ってます。どちらまで行くんですか?」

「河津に行こうと思ってます」

「じゃあ風早峠まで行って湯ヶ島に下って、天城峠を越えるんですか?」

「そうですね。──どちらまでですか?」

西伊豆に下って、あとは最短ルートで下田に向かおうかと思ってます」

 走っていればまた会うかもしれませんね、そう言って僕は修善寺駅前を出発した。

 

(本日のルート)

→GPSログ

 

 

 年の瀬の修善寺温泉は少しだけ静かな気がした。何度かここを自転車で通っているけれど、いつもは多くの人がせわしなく行きかう。今日はゆったりと時間が流れている。

 

(年の瀬の修善寺温泉

 ここから県道12号で戸田(へだ)峠を目指す。古くからの県道12号は修善寺温泉から徐々に山が迫って狭くなる農村を上っていく細い道だが、今は温泉街を通らない広いバイパスができている。温泉利用客以外の車は標識でそちらに誘導されるから、自転車は交通量の少ない道を大きく使ってゆっくり上っていける。

 冬の低い日差しに輝く朽葉色の休耕田を眺めながら、行く先の空に重々しい雲がかかっていることに気づいていた。この先向かう達磨山は雲の下にある。

 県道12号はやがて旧道とバイパスが合流する。ここからはバイパスのままの道幅で、バイパスのままの交通量になる。でもここも年の瀬だからか車は多くない。戸田峠に向かう途中にあるだるま山ドライブインに立ち寄った。駿河湾越しの富士山のビュースポットでもある。それを目的に立ち寄ったけれど、富士山だけが完全に雲に覆われていた。沼津から清水に向けた海岸線がきれいに冬の日差しを受けているのに、その奥にかかった雲が富士の裾野さえ見せてくれない。

 ここのところの僕は富士全景に恵まれない。

 戸田峠まで上りきるとここからいよいよ西伊豆スカイラインに入る。かつて有料道路だったころからの名前、現在県道127号として無料開放された道路は今でもその名で呼ばれている。

 西伊豆スカイラインへ向かうルートを取るなら戸田峠はピークではなく中間点。西伊豆スカイラインはさらに上り続け、西伊豆の高峰達磨山の脇を抜ける。そこまでさらに二百メートル近く上る。

 雲は、僕の上だけにかかっていた。西伊豆スカイラインはその名の示す通り眺望に優れた道で、沼津への景色にやがて駿河湾から太平洋へつながる海、戸田の港町の景色も加わる。いずれの風景も日差しを受けた青空のもと、輝いた美しさを目に届ける。しかし僕の上空は思いグレーの雲がかかり、日差しは届かない。ゆえに、寒い。

 進んで、時間が過ぎても富士山の雲が晴れることはなかった。駿河湾越しの遠く青い空のなかに、白い峰々が連なっているのが見える。おそらく南アルプス。そんな風景が見られても富士山だけは姿を現さない。

 美しい道路とそこから望む風景。これが西伊豆スカイラインのすべてだ。観光スポットはおろか、商店もコンビニもない。人も暮らしておらず電気も来ていない。でも何もいらない。これだけでいい。このために僕は何度もここへ足を運ぶ。

 

(だるま山ドライブインからの眺め)

(県道12号戸田峠から西伊豆スカイラインへ)

西伊豆スカイラインの魅力)

 達磨山を過ぎると土肥(とい)峠(船原峠)へ向けての下りだ。標高にしておよそ三百メートルを駆け下りる。下りきったところが峠。

 土肥峠を過ぎると道は再び上りに転じる。同時に土肥峠を境に道は西伊豆スカイラインから西天城高原道路に変わる。県道でいうと127号から411号に変わる。でも走り続けていく限り道としての差は感じえないし、ここを自転車で走ることで得られる道の美しさ、風景のダイナミックさはどちらも変わることがない。

 しかし僕はこの道をいつものように楽しんで走ることができずにいた。目の前にある上り坂を淡々と上るだけだ。──そう、じつに残念なことだ。

 周囲の樹木が熊笹に変わり、遠くだけでなく近くの眺望まで開ける。これから走るべき道が山肌に弧を描くように示された。もうすぐ風早峠だ。走る車はまれで、すれ違ったり追い越されたりすることは少ない。僕を追い越していった車を目で追うこともできる。車が先に見える道に現れるのが30秒、1分、あるいはそれ以上か、この道と自然の大きさを感じる。そして僕は淡々と上り続けることに変わりがない。

 西天城高原道路は背に富士山を望むことができる。僕はいつもここを走るときに富士山を眺めるために止まり、写真を写し、そしてじっくりと眺める。それを風早峠に向かう途中何度も繰り返す。でも今日はそれをせずに上り続けていた。もちろん、今日富士山を眺めることはかなわないだろうと雲のようすを見て最初から考えてしまっていたこともあるけれど、もう僕はやっと上り続けているだけだった。後ろを振り返ってみようという気力が起きなかった。

 風早峠に着いた。ここも美しい峠だ。湯ヶ島から上ってくる県道59号との交点で、西天城高原道路としてはピークではないけれど、T字路から三方向の道路の遠景が望め、西には宇久須の海も目にすることができる。

 僕はいつもここで自転車を降りて時間を過ごすのだけど、今日は通過をした。峠の道端にハイエースともう一台の乗用車に分乗してやってきた、カラフルなサイクルジャージに身を包んだグループがハイエースから自転車を下ろしている。これからチームトレーニングだろうか。自転車の楽しみ方の世界観が違うのだから気にしなければいいものを、なぜか同じ場所で立ち止まることに抵抗を覚えてそのまま進んだ。どうせ立ち止まるのならひとりになりたいと思った。それに加えて、ここでは止まらず、今日はさらに先を目指した仁科峠で立ち止まればいいじゃないかと思った。僕はひたすら進むことばかりを考えて上り続けていた。せっかくこの道を目的にやってきたのに、その目的を得ようとせず、自ら楽しめない方向に追い込んでいっているようだった。

 仁科峠は風早峠から1キロ余りで、ここが西天城高原道路でのピークになる。

 ここで立ち止まり景色を楽しんだ。と言っても僕の頭上には相変わらず雲がかかっていて、道路の美しさは際立たなかった。遠く風景は青空に恵まれているようで、海も日を受けて輝いている。しかし寒さと道の色の悪さに長居もせず、下りに転じた先へ進んだ。道端にあった気温表示は3度と示していた。寒いわけだ。日中としては僕には寒すぎる気温だった。

 でも立ち止まって風景を楽しむなら、仁科峠よりも風早峠のほうが好みだ。

 

(西天城高原道路のピーク、仁科峠)

(気温3度……)

 西伊豆の山稜からは県道59号で松崎へ下る。今日楽しみにしていた道のひとつだ。以前ここへ来たときには県道410号で宇久須へ下った。そのときから59号は気になっていた。

 県道410号と別れると道は途端に狭くなった。そういや松崎に向かう車も県道410号をまわるようにと案内が出ていた。県道59号はおそらくこの一車線の道幅でずっと続くのだろう。

 この道に入ってそれまでの低木や熊笹が中心の木々が常緑樹や針葉樹の高い木々に変わった。それだけのことなのにまったく違った風景に見える。それはどうだ、じつにいい雰囲気じゃないか。トンネルもなく、山肌から山肌へ移りながら小さなつづら折を繰り返しながら少しずつ下っていく。

 山のなかはたっぷりと長く、楽しむにはじゅうぶんだった。

 しかし僕はほとんど止まることなく坂を下り続ける。ここはいい、ゆっくりと走りたいと思った。思いながら、止まらずに下った。残念だったけれど。

 ここはあらためてゆっくり下ることにしよう。

 

 

 松崎のコンビニに寄り、肉まんを食べホットコーヒーを飲んだあと、僕はもうひとつの目的であった下田へ向かった。バサラ峠を越える県道15号から国道414号へつなぐルートを取ったのだけど、僕は下田に着いたらもう輪行して帰ろうかと思い始めていた。

 もうひとつのその目的は爪木崎の水仙だった。

 しかしすっかり走る気力を損なってしまった僕はバサラ峠を越えるにも三回も足を止めるほどだし、峠を越えてからの下りも重力に任せてただただ下るだけだった。

 なんとか16時前に下田の駅前を通過したときに爪木崎に行ってみようと思ったのは、まだ日が暮れていなかったからに過ぎない。あるいは水仙の季節にここへまた来る機会がどれだけあるだろうと考えていたかもしれない。

 僕は爪木崎の水仙を眺めていた。

 時間的にこれでちょうどよかったのかもしれない。暮れかけたオレンジ色の日に染まる水仙と岬は見事だった。

 

(夕暮れどきの爪木崎)

 遊歩道の階段で浜に下り、ひとまわりした。この時間でも人はけっこういた。目の前の大海原、太平洋から打ちつける波の音がやっぱり寒さを助長して、ひとまわりだけして自転車に戻った。

 そういえばちゃんと食事をしていなかったなと思いつつ、でも駅前まで行ってしまうと簡単な食事は逃しそうだったから途中のすき家で牛丼を食べた。でも一日かけてだらだらと手持ちの食事を食べていたから、空腹だったのかどうかはわからない。

 駅までは1キロと少し。でも下田の街はもうすっかり日が落ちていた。

 

伊豆急下田駅

 

 そもそも、ルート計画と時間があっていなかった。それは伊豆のダイナミックさに隠れた道の難易度を過小評価したか僕の力量を過大評価したかだ。いやでもそのいずれだってない。伊豆は何度か走っていてその大変さも理解しているし(じっさい計画を走りきれず断念したことが二度や三度あるし)、僕は自転車乗りでもアスリートではなく、鍛えるとか何かを目指して練習を積むということをしているわけじゃないから自分の力量だってわかっている。

 そうなるとあれだ。伊豆の計画を立てるときに無理に詰め込みすぎてしまうのだ。冬の日の短い一日に、スタートがどうしても遅くなるアクセスに時間のかかる場所であることを忘れて、行きたいところ、走りたい道だけでルートを組んでしまうのだ。そして時間に追われ、無理がたたる。見たい景色も見ず、先にすすまなくたゃならない。

 ──確かに僕は時間ばかり気にしていた。