自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

千葉北総、里みちから小江戸へ(feb-2017)

 マクロビって、なんですか──。

 僕はMさんにそう聞いた。

「ひと言で言うなら、宇宙」そうMさんは答えた。「自然から得たものを、そのまま調理すること。すべて、まるごと。余すことなく、捨てることなく。それは自然が織りなす宇宙そのもの、それが食事として形になって表れたもの」

 目の前に置かれた膳、マクロビオティックの昼食。静かに、ゆっくり手を合わせて箸を取り、玄米ご飯を口に運んだ。

 みち、川、水路、沼、丘陵、田畑、林、集落、路地、生活、空、大地……マクロビランチは今日一日のサイクリングを映し出しているようでさえあった。

 

 印旛沼のオランダ風車はまわっていなかった。まだ管理の人が出勤していないのだろうか。風車にはちょうどよさそうな強くない風が流れている。強風過ぎると止めるのだとか? 風力発電の風車でもそんな話を聞いたことがある。

 今日は、週間予報じゃずっと強い風が予想されていた。週明けのころは8メートルだとか9メートルだとか、そんな数字が並んでいた。やがてうれしいことに、だんだんと弱まるよう予想は変わっていった。とはいうものの、前日の予報でも6メートルの予報が出ていて、これがずっと僕らを不安にさせていた。しかしながら、今、風は穏やかだ。

 気温は低い。でも、青空のなかを徐々に日が昇りはじめ、街や道や僕らを温めはじめた。予報が外れて風が弱いから、寒さをそれほど感じずにいた。

 

(今回のルート)

GPSログ

 

 京成電車輪行してきた僕らは、京成佐倉駅で下車した。

 もともとはUさんMさんとHさんも加わった4人での北総サイクリングを計画していたのだけど、残念ながらHさんが参加できなくなった。それは成田から太平洋を望む飯岡灯台を目指すルートだった。しかしながらHさん含めて楽しみたい箇所がふんだんに盛り込んであるものだけに、今度Hさんの来られる機会に取っておくことにした。そこであらためてルートを引き直し、同じ北総ながら出発地も成田から京成佐倉に変えた。

 印旛沼までは駅からわずか数キロ、十五分ほどしか走ってないのに「佐倉はすごい、ここはまた走りに来ないと」とMさんが言う。僕とUさんは笑って「今いるし、今走ってるし」と言った。それだけの距離で何が琴線に触れたのか、僕も人のことは言えないけれどおもしろい感性を持っているMさんは風車やポプラの木を望む印旛沼を眺め、夢中で写真に収めていた。

 千葉の魅力は里みちにある、とUさんは言い僕もそう思っている。前回Uさんが計画してくれたルートは嶺岡中央林道からその周辺の里みちを組み入れた感動的ルートだった。今回僕もそれにならうように小道へと分け入っていく。

 里みちはGPSマップを見ながらでも迷う。

 印旛沼をそうそうに離れて丘陵部の細い道へ入った僕らは道を確認したりあるいは選択を間違えて戻ったりした。道はしょっちゅう方角を変えるし、極端に細くなったかと思えば突然センターラインが現れたりもする。

 そんな道路を進みながら僕らは吉高のオオサクラヘ向かっていた。道はいつのまにか国道になり交通量が増えた。それからまた道を分け入る。

 もちろん桜の季節にはほど遠いし、こんな時期に見たってただの巨木だ。でもこのオオサクラがあるこの一帯の道と風情が好きでルートに組み入れた。

「三春を思わせますね」

 と巨木を遠巻きに眺めたUさんが言った。

「そうですか。やっぱり三春も桜が咲くと大混雑ですか?」

「それはもう。観光バスだってひっきりなしにやってきます」

「ここも花の時期は大混雑です。そばまで行くことはできるんですけど、どれだけ時間がかかることか。それに桜の全景を写そうと遠巻きにカメラを構えたところで、人しか写りません」

「三春も似たようなものですけど、あそこの場合違うのは、同じような枝垂れ桜、滝桜が周囲にたくさんあるんです。有名なのはひとつですけど、有名じゃないのだってじゅうぶんきれいです。でもそこには人がまったくいなくて、静かでね。ゆっくり見たり写真撮ったりできるんです。おもしろいもんです」

 そうUさんは言った。

 なにが人気をわけるのだろう……。僕はその人気のない、でも見ごたえのある桜たちに興味を持った。

 オオサクラの周囲には業者が入って工事をしていた。ここは入れないよ、と言われたので、サクラの近くまで行ってみたかったのですが、と言うと、向こうの道からなら行けると案内してくれた。

 工事は、オオサクラヘの歩道を整備しているらしかった。といっても土のうえのシートを敷き直し、縁石を取り替えているだけだ。オオサクラに向かってアスファルトの舗装を施すわけじゃない。──そんなことはしないだろう。してほしくもない。

 

 吉高の丘陵部から細い里みちの急坂を駆け下りるとふたたび印旛捷水路沿いに出た。

 ここから印旛の水田地帯を抜け、JR成田線我孫子~成田)の下総松崎駅を通ってJR成田線(成田~銚子)の久住駅へとつないでいく。この区間、里みちルートを上手くつなぐことができず、県道で引いた。水路や川があるとうまくつながらなかったりするのでルートが制限される。

 入り組んだ平野部と丘陵部を横断するルートは、水田地帯から丘に駆け上がり、また駆け降りると水田のなかを走る。水田地帯では水路や川を横切る。そしてそこでは茨城県筑波山がまるで、まぢかにあるように大きくくっきりと目に映った。ほかの山々も遠くからその存在感をアピールする。

 久住の駅前を通るとそこは急に放り込まれたような新興住宅地の風景だった。何の前触れもなく変化する風景。こういった変化もおもしろくてたまらない。真新しい家々をながめながらまた丘を上った。

 その古民家レストランは成田市の大室地区にあり、風楽(ふら)と言った。

 選びながら走ってきた里みちと同じような、あるいはさらに細い、狭く折れ曲がった道の途中にあって、とてもこんな場所にレストランがあるとは気づかない。時間は11時で、店も始まったばかり。自転車を止める前に中へ声をかけた。「食事できますか?」と聞くと、「できますよ、どうぞ」と快い返事が返った。僕らは自転車を止め、なかに入った。

 そこは土間がまずあり、靴を脱いで上がる。上がると床がきしんだ。勢いをつけて歩くと揺れるようでもある。僕らは縁側越しに庭を望む席に腰を落ち着け、ランチを注文をした。そして膳に載ったマクロビの食事があらわれた。

 マクロビに興味を示すMさんは感心しきりで口に運ぶ。そしてひとつひとつUさんと僕に解説してくれる。これはきっとお出汁がなんだとか、この甘みはこれから得てるとか、そしてそれらにとても手がかかっていることを教えてくれた。

 縁側で飼い猫がまどろんでいた。日当たりのいい場所を好むように、ごろごろと姿勢を変える。障子のガラス戸越しの僕らの目線を気にしたのか、一度ゆっくり目の前まで歩いてきて、一瞥するように僕らを眺めたあとまたもとの陽だまりに戻っていった。しばらくして気づくともうそこにはいなくて、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。

 食事を残さず食べ、食後に供されたコーヒー──戸棚に入った好きなカップを選んで自分で注いでくださいというセルフサービスだったので、僕は見つけた萩焼のカップを選んだ──とデザートをいただき、すっかり落ち着いてしまった腰を上げるのに苦労しつつ、店を出た。外に出ると、縁側から姿を消していた猫がまるくなっていた。

 

 里みち旅は続く。

 走っていておもしろいのは、小さな集落が点在することだ。そして里みちを走っているとその集落を知らず知らず通過するのだ。

 今日の前半であれば鉄道も通るし──JR成田線我孫子方面と千葉・銚子間の二本、京成線に北総線となかなかの充実だ──、入り組んだ丘陵部よりも平野部のほうが広いからいろいろな街や集落を通過するのはごく自然なことだと思った。

 しかし古民家レストランでの食事ののちの後半は、丘陵も深くなり小道が入り組む。標高が高いわけではないのだけど、地形の入り組みは彫り深く、まっすぐつながらないうえ、土地々々のあいだの勾配がきつくて往来を容易にしない。道路は国道が51号、あとは県道が数本、いずれも対面の二車線道路で大幹線道路とは印象も遠い。高速の東関東道も頭上を通過するけれど、大栄インターのムードそのままローカルな雰囲気が強い。大きな交通網とは一種隔離された、丘陵のはざまに突如、集落が現れる。

豪農の集落でしょうか」

 そのうちのひとつでUさんが言った。

 走っていた里みちが迷い込んだ集落は、多くの家が長屋門をかまえ、一軒々々がとても広い敷地を持っていた。きれいに刈りこまれた庭木と、紅や白に盛りを迎えた梅、オレンジ色が鮮やかな柑橘の木々がどこの家にもあった。そして集落のなかを路地水路が流れている。

「どこで農業をやっているんでしょうね」

 丘陵部の窪地に固まった集落は丘の上の田畑を耕しているのだろうか。

 長くはないけれどきつめの勾配の上り下りを幾度も繰り返すのち、ぱっと目の前の視界が開けた。

「佐原です、着きましたね」

 

 物流の基盤を舟運が担っていた江戸のころ、ここ佐原は商業と物流の要衝だった。利根川の大きな流れをいだき、銚子で太平洋の大海原と繋がっている。内陸に向かえば江戸川から東京湾へ至る。沿岸の生産物、農作物、海産物や加工品を集め、江戸に送り届ける。江戸からもさまざまな物資を積み込みここへ集め、沿岸の街々へ届けた。

 街なかを流れる小野川は、今で言えば巨大ロジ・ステーションのランプウェイであり、重要機能を果たしていたのだ。今はその川沿いを多くの観光客が歩き、いにしえからの建物の街なみを楽しんでいる。舟運で栄えた小野川は物流船に代わって観光船がのんびりと行き交っている。

 すっかり観光地化されてしまったけれど、悪くない。いにしえの街なみを楽しめる場所は多くが城下町か街道の宿場町。そんななかでこういった商いと物流の街が残るのはまた雰囲気も異なっていて楽しい。わくわくする。勝手を言えば、人が少なく静かに楽しめればこんないいことはないけれど、街を維持していくのに観光地化は当然だと思う。道路や建物だって修繕をくり返していかなきゃならないし、古いぶんその手間と費用もかかる。街が残っていくのに人がたくさん集まるのはいいことなのだろう。

 

「たい焼きを食べませんか?」

 と僕はふたりに持ちかけた。

「いいですね」

「なんでも古本屋さんが店先でやってるらしいです」

 立ち寄ってみると、「30分ほどかかるのー、すいませんねえ」とおばちゃんが言う。

「頼んでおいてひとまわりしてまた立ち寄ればいいですよね」と僕はふたりに言い、「それじゃみっつ、お願いします」とおばちゃんにお願いした。

 それから小野川沿いを散策。

「人のほとんど来ない、とっておきの場所があるんです。行きましょう」

 とUさんが言った。

 そこには入り組んだ道に沿って土蔵が道いっぱいに建っていた。小野川沿いから何百メートルもない。でもここまで人は確かに来なかった。

 

 小野川沿いはさすがの人出だった。三人で自転車を押して歩く。観光バスだってたくさんやって来るのだ。街に大きなスペースのないここは、その駐車も大変だ。どうやっていれたの? ──そう思うような角地の狭いスペースに大型バスが並んでいたりする。

「舟にはこたつが載っているんですね」

「ホントだ」

 止まっている舟を見てUさんが言った。その脇を観光客を乗せて上ってくる舟がある。

 ただの散策がこんなに簡単に時間を費やすとは思わなかった。あっというまにたい焼きの時間だ。僕はふたりに行かなきゃと声をかける。

 たい焼きはぱりぱりに焼かれていて美味しい。店先の丸椅子で食べていいと言うのでそこでいただいた。お茶もどうぞ、と言う。

 車通りも人通りも多い、路肩もほとんどない車道に面した店先で僕らはたい焼きを食べた。車が行きかい、観光客が行きかう。これからたい焼きを買おうとする人、もうすぐできあがるたい焼きを待っている人が店の前に立ち並び、座って食べている僕らを眺めている。ちょっと不思議な光景。なにしろここは古書店なのだから。

 さらに街を散策しつつ、おみやげに立ち寄ろうと思っていた店に寄った。虎屋で芋ようかんを買い、東屋で佃煮を買う。いずれも小野川沿いではなく街なかにある。GPSマップで確認しながら入り組んだ道をゆく。

「これ、街がふつうにいいですね」

 そうUさんが言った。

 街は、小野川沿いの江戸風情を残した(あるいは復元した)風景とは異なり、明治、大正、昭和から平成がそれぞれ混在していた。それはこの街が江戸から途切れることなく、それぞれの時代に連綿たる生活を築き続けてきたからにほかならない。明治を生きた建物があり、大正を生きた建物があり、昭和を生きた建物がある。もちろん平成になってできた建物も存在する。それが時間の流れのうえでの生活、そして必然としてそこにある。

「本当、とてもいいです」

 僕は首肯した。

「この建物はね、百年以上になりますね」

 入った佃煮屋さんの奥さんは、さらりとそう言った。

 

 佐原に自転車はいい。

 街がちょうどいい。せっかく観光に来たのだから、街全体を楽しめればいいと思った。おそらくほとんどの人が車で来て、帰るのだろう。人は小野川沿いと県道沿いにしかいなかった。でも佐原の街は江戸から続く、それを復元した小野川沿いだけじゃない。駅から街全体、さらに小野川が利根川へそそぐ河口まで行ってみるといい。それには自転車がきっとちょうどいい。

 駅までの街はすいていた。

「次、新宿ゆきの臨時快速があります」

 列車を調べに行った僕はそれを告げた。

 臨時快速はしかもここ佐原始発。もとより新宿まで乗るUさんとMさんが否定するはずもなかった。車両は房総ビューエクスプレスのE257系、特急車両。全車指定席だったので窓口に行き、どの号車でもいいのでいちばん後ろ、壁の前の座席とその前をみっつ欲しいとお願いした。自転車を置きたいので、と言うと窓口氏は全車両をくまなく調べる。

「4号車がありますね」

「ありがとうございます」と僕は窓口氏に礼を言い、「向かい合わせで後ろの壁際、取れました」とふたりに告げた。

 

 さあそれでは乗り換えなしでのんびり帰ろう。

 

 
 ※UさんMさん、写真ありがとうございました。例によって使わせていただいております。