自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

旅の行き先

 旅行好きの知人がいる。

 夫婦連れだって、ときには親戚や友人も一緒に、日本全国各地ヘと出かけている。10年くらい前までは海外のいろいろなところにも行っていたようだ。最近は年齢を重ねてきたこともあって──いわゆる団塊世代か、あるいはその少し上だ──、海外という言葉はあまり聞かなくなった。

 

「輪島? 行ったわよお。いつだったかしら、朝市もひととおり行ったわよ」

 僕が今度輪島に行こうかと思ってと話題に出したときのことだ。夫よりも妻のほうが饒舌になる。

「そうでしたか。朝市はよかったですか?」

「そうねえ、ふつうよ。ふつうの朝市」

「車で行こうと思っているので、千里浜ドライブウェイも走ってみたいなって思ってます」

「そこも行ったわ。車で砂浜が走れるのよね。観光バスも走るの」

 会話になればまあたいていこんなトーンで進むのだけど、話題に上るのは「行った」か「行っていない」か。僕が若いころに行った出雲大社に今の感性でまた行ってみたいと言うと、「あら、出雲大社はまだ行ったことがないの」と言った。僕が興味を持った場所を挙げ、一緒に行きますかと社交辞令を織り交ぜて聞けば答えは二択だ。「行ったからいいわ」か「行ってないから行きたいわ」だ。

 旅は自由だ。何を目的にしようが、何を感じようがそれは個人の自由だし、それこそ音楽や映画や本の好みのように、百人いれば百通りの考え方があるはず。

 

 

 僕が旅に出かけた先を思い出してみたときにわれながら面白いと思ったのは、立て続けに同じ方面へ出かけていることだ。一度二度あったというレベルじゃなく、けっこうな頻度で。

 たとえば先週の週末に伊豆に行き、今週もまた伊豆とか、房総に行く予定を月に二度も組んでいるとか。

 単純にまた行きたいと思ってすぐさま計画することもあれば、偶然人との計画がかぶったりすることもある。どこかサイクリングに連れてってと言われそういえば先週ひとりで行ったあの場所よかったなあとその記憶を話せば行きたいとなって、それじゃあということもある。理由はさまざまでありながらこうやって僕は同じ方面や同じ場所に行くことになるのである。

 

 再訪も好きだ。言い尽くされたことだけど日本の四季折々は変化が多彩で、そのときどきの表情が変わる。むしろ四季なんてくくりは大雑把すぎるほどで、鳴く鳥や虫の声、つぼみから咲く花、散る花、葉の色、掃除や整備によって変わる道や風景の印象、風が吹けば枝の覆いかぶさりも異なって見え、暗くなれば月明りで印象が変わる。週単位どころか、天気も含めると昨日ときょうだって印象は違ってくる。

 また行きたいと思ったところだから再訪するのがほとんどだけど、前回の記憶や印象がなかったり、あるいはあまりよくなかったりしても再訪することがある。結果、それが良かったりもするのだから面白い。

 たとえばこの秋に出かけた、栃木県栗山村(現・日光市)の土呂部地区がそうだ。初めて訪ねたのはもう何年も前の確か夏だった。あまり印象もなく、でも風景の記憶は断片的に残っていてこの先に湖が現れるとか、これから上るのだと思いながらサイクリングをしたのだけど、今回は現れる風景がことごとく新鮮で心に刺さってくるものだった。「こんなにいいところだったっけ?」という走り始めの疑問形はまたたく間に「ここはいいところだ」と断定することになった。

 面白いもんだ。

 そして、そこここのまだ見たことのない側面だって、きっとたくさんある。

 

 でも僕の場合訪れた場所が多くないから話題性に乏しいんだよね……。鉄道全線乗りつくしとか国道完全走破とか、札所めぐりや霊場めぐりや諸国一宮全拝とか、知人のように圧倒的に訪れた場所が多いとか、そういうほうがたくさん旅をしているって感じするよね。