自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

伊豆大島三原山、あと海岸線とか(Dec-2018)

 そういえば天気予報を追跡してなかった。
 東京・竹芝に行った。船が取れた。そのまま乗った。
 朝になって、東京都大島町の予報がくもりマークになっていることを知る。それまでの週間予報じゃずっと晴れマークだったのに。
 今回は島を一周するつもりがないから、朝食からゆっくり過ごしてた。というより寒くて動きだすのをためらってた。でも寒がりが、いつものように行程をあとずらしあとずらしするわけにはいかない。ここには帰りの船の時間があるから。大型客船の出帆は14時30分。それきり。本土の鉄道なら、地方のローカル線だって1、2時間待てばどうにかなるけど、ここは離島なのだ。一日一本のそれを逃すことはできない。
 ここ伊豆大島の場合、港は岡田おかた港と元町もとまち港のふたつがあり、その日の船がどちらの港から出帆するか決まるのがおおよそ午前8時。夜行の大型客船でこの島に着くのが朝の6時で、その時点では帰りの船がどこから出るかまだわからないから、最後どちらの港にでも行けるゆとりある行程にするか、8時まで出発を待って確認してから発つかする必要がある。
 午前8時過ぎ、僕は元町港に立ち寄ってみた。すると今日は元町港から出ると発表されていた。
 ──元町か。
 岡田港に期待しているフシがあった。ここ元町から島の東側に抜けたらそのまま港へ行けばいいやと思っていたけれど、結果ここまで戻って来なきゃならなくなった。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 今回の伊豆大島は、まず三原山。それから、海のふるさと村へ下る道に出かけようと思っていた。伊豆大島は、泉津せんづの集落より南、東岸で海岸線に下りられる場所として海のふるさと村が唯一で、島の東岸の風景が見てみたいし、一本道でただひとつつながっていて、他の集落とさえ行き来のできないここは果たしてどんな場所なのかも気になっていた。
 それから泉津でラーメンを食べよう、そう来る前から考えていた。

 

 元町の集落の南、丘を越えればもう隣の野増のましというあたりから、御神火ごじんかスカイラインに入った。
 三原山に上る道は三本ある。ひとつは同じ元町の、大島空港に近いところからから上る都道207号、三原山登山道路。かつては三原山ドライブウェイという有料道路だったけど、この時代を知らないので、自転車が通れたのかわからない。
 東側から上ってくるのは、大島公園の上から入るあじさいレインボーラインという町道
 そしてもうひとつがこの御神火スカイラインという町道である。
 大島一周道路から分け入るとすぐに坂道。ここは日の光が当たっているのだけど、気温が低いようで暖かくなんてない。そしてこれから上る三原山の上には鉛色した重たい雲がかかっていた。
 元町にいたときから風が強かった。予報では8メートル。道端に出ているのぼりや旗がはち切れそうなほど強くはためいている。バサバサバタバタと音を立てていた。予報で見た風向きは北東からの風だったけど、この島の場合三原山で巻くのか、風向が予報通りじゃない。少し進めば風向きが変わってしまう。これじゃ年じゅう向かい風になっちゃうんじゃない? って思った。
 でもいいやと思ってた。どうせ上りなんて5キロくらいしか出ないのだから、風だって抵抗にならないだろうって。
 最初は直線的な上りとはいえ、まちなかだった。交差点をいくつか交えながら、建物、家々のあいだを抜けて上った。しばらくするとまちの端をぬけ、一帯なにもない場所になった。と同時に、とんでもない風にあおられた。
 スピードが遅ければ風も抵抗にならないなんて、嘘だった。御神火スカイラインは高い木々のない、果てしない眺望に恵まれたまさに『スカイライン』だった。山肌をどのように上っていくか、この先の道筋が目に見えてわかるほどの道だった。そんな道を強風が吹きさらしていた。僕の時速5キロでさえ抵抗になった。ただでさえ坂なのに、上れるはずもない。僕はあきらめてすぐさま止まり、上ってきた道を振り返った。元町のまち風景が小ぢんまりそこにあった。元町港の岸壁が海に向かって真っすぐ突き出していた。カメラを出して写真を撮る。風にあおられるのでブレた写真ばかりになった。また自転車に乗る。坂と風にやられてまた止まる。これを繰り返した。道からの眺めが開けたから今度は自転車を入れて写真を撮る。カメラを構えると風にあおられた自転車が鈍くて大きな音を立てて倒れた。やれやれと思う。また自転車に乗って先へ進む。
 御神火スカイラインは、上ったら上ったぶんだけ眺望が変わる道だった。考えてみれば当たり前かもしれないけど、カーブを曲がるたびに眼下の風景が見えるからそう思えた。多くの山道はたいていは木々のなかをゆく。開けた瞬間だけ見える眺望は、前に見たときとがらっと変わっていることが多い。この道は上ったぶんを段階的にみられる、全編絶景道路だった。
 御神火茶屋とその駐車場が道の果てだった。どこで雲に覆われたのかわからないけど、僕は鉛色の雲の下にいた。まさに元町で彼方に見た雲だった。
 車は、バスも含めて数えるほどしか止まっていない。だいたい僕が上がってくるあいだ、すれ違った下りの車が1台だけだったのだ。追い越していく上りの車は1台もいなかった。巨大な駐車場が寒々しく映った。
 そんなことよりも寒くて、すぐにウィンドブレーカーを着た。上っているさいちゅうは息が切れ身体が熱を帯びていたけど、止まった瞬間すぐに強い風がそれを奪った。かいた汗が瞬く間に冷えていくのを感じた。御神火茶屋に寄ることもなく、自転車を止めて周辺散策するわけでもなく、ここは寒くて耐えられないからとすぐに下りにかかった。

 

 三原山登山道路はススキ野原のなか、いくつものカーブを連ねていた。黄金色の大地を抜けていくが、鉛色の空は反射することもなく、輝いてはいなかった。重たい褐色だった。それでもぞくぞくするような道の造形だった。ススキのすき間から三原山の外輪山もときどき姿を見せた。生きた火山が溶岩流で埋め尽くした大地は砂漠で、カルデラ壁へつながっていた。それを横目に見てまたススキ野原に埋まった道路を進んだ。
 途中からあじさいレインボーラインが合流してきた。島の東側へ抜けたい僕は、この道へスイッチする。
 道は都道に比べて、荒れていた。カーブによっては小砂利が浮いていた。舗装がひび割れたりもしていた。周囲は木々に覆われた。椿の森なのかなと思う。植物に詳しくない僕にはわからずじまいだった。
 それにしても全面眺望からススキ野原、椿の森と展開するこの三原山横断ルート、なんて変化に富んでいるのだろう。

 

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 海のふるさと村はずいぶんきれいに整備されていた。しかしテニスコートは誰もプレーしていなかった。キャンプ場のなかを抜けていくと海岸線まで抜けられることがわかった。管理棟も立派で大きい、というか無骨な鉄筋コンクリート造りが町の行政施設のようだった。ファイアーサークルが見えたが、キャンプサイトがどこにあるのかわからなかった。キャンプをしている人がいるのか、それもわからなかった。これだけ手が入り整備された施設で、ひとりの人にも出会わないのは少しばかり不気味だった。
 キャンプ場を抜けたらすぐに海だった。
 防潮堤からスロープで海へ下りる。岩がごろごろして、砂が真っ黒だった。これも溶岩なんだなと思う。すぐ先は崖状の岩壁で、ここだけが扇状地の地形のように海に面していた。風がびゅうびゅうと音を立てていて、やっぱり舞っているのかどこから吹いてどこへ抜けていくのかまったくわからない。自転車の写真を撮ろうとして立てて置いたらまた倒した。今日一日ですっかり傷だらけになった。気を取り直して写真を撮る。特にこの一帯は開けた場所でもなく、生活もないようだった。集落どころか民家ひとつなかった。しばらく見るでもなく、もういいやと腰を上げた。
 ここに来ることイコール来た道を上り返さなくちゃならなかった。
 道はコンクリート舗装だった。といっても大規模道路が轍掘れを防ぐために使用する舗装とは違い、集落路地にあるような小砂利を混ぜた簡易な舗装だった。路面がひび割れてでこぼこしていた。アスファルトを使っていないのはコストのせいなのか潮風の影響があるから考慮しているのか、僕にはわからなかった。そういえば沖縄でも同じような舗装を見た。沖縄の場合小砂利に貝殻やサンゴを混ぜているから車のタイヤが滑る、と誰かがいっていたのを聞いたけど、真偽は僕にはわからない。
 なにしろ全般的に急で、カーブもずいぶん小回りで、車で走るのは大変そうだなと思った。路肩は巨大な駒止めが守っているところが多かった。ガードレールがあるところもあった。ガードレールはもはや白くなかった。錆だらけで赤茶色だった。いずれだって誤って乗り越えてしまったら奈落の岩礁に真っ逆さまに違いなかった。
 それでも人の来ないこの道は気分が良かった。伊豆大島にサイクリングで来る人は大勢いるけれど、この道に入ってくる人なんて数えるほどしかいないだろう。あるいはひとりもいないかもしれない。下りて行ったところでひと気のないキャンプ場とテニスコートがあるだけの公園、海に下りても大して面白くもない。ただ、あえていうならこの道から見える伊豆大島東岸の光景は格別だ。そしてここからしか見ることができない海だ。

 

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 計算しながら走っていたわけじゃないけど、泉津の集落に入って11時をまわったところだった。ラーメン屋はとてもわかりにくいと聞いていた。でも自転車でうろうろ探し回っていればほどなくしてたどり着いた。車だからわかりにくいというのかもしれない。
 11時10分。
 しかし、店は開いていない。
 そして休業の札が下がっていた。札には明日と印刷された上に本日と手書きで加えられていた。待っていれば開くだろうか。そこへ若い兄ちゃんが歩いてきた。何かを探すような素振りをしている。
「もしかして、あれ、ですか?」
 と僕は指差した。
「あ、ああ、そうです」
「やってないみたいですよ」
 と僕がいうと、
「マジで?」
 といって扉の前まで行き、
「マジかよ」
 といった。
「これ、今日が休みってことですかね。まだ開いてないだけってことないですか?」
「いや俺も初めて来たんスけど、これはやってないんじゃないですか? 11時からの店だし」
「開店が遅れてるとか」
「ふだんならもう、並んでるらしいから」
「そうなのか、やっぱり」
 と僕はうなだれた。
「どっから来たんスか?」
 と彼はいう。
「元町から走ってきました」
 と僕は答える。
「この辺、ホント食うとこないっすよ。元町に戻ればいろいろあるけど」
 そう前置きしつつ彼は二件、食べられそうな店を教えてくれた。

 

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 路地のなか教えられた店を探していくのだけど、見つけられない。道は方角を変えたり行き止まりになったり、とうとう道に迷ってしまった。
 仕方なしに大島一周道路に戻って先に向かった。

 

 半ば昼食はあきらめていた。岡田港近くで探してみた店も結局見つけることができなかった。わざわざゼロメートルの港まで下って行ったのに。もうサイアクは船内でカップ麺を食べればいいやと思った。
 そうなるとかえって時間も余し気味になり、岡田から元町までのあいだ、できるだけ海岸線をたどって行くことにした。木でつくられた簡単な標識が立てられているのに気づいた。元町港、三原山などとあり、ひとつに「大島灯台」と書かれている。海沿いに進んで見つけたら立ち寄ってみようかと考えた。僕は大島一周道路を離れ、大島灯台の標識が示す島の外側をまわる道を選んだ。
 路地だ。
 しかもずっと続く。
 伊豆大島の集落は、どこも海岸線まで崖がせまっているせいか、家々が密集してまとまっている。集落と集落のあいだには崖に沿ってつけられた道路しかなく、それこそ「ここから十何キロ自販機すらない」って情報が出てきたりとか、筆島やバウムクウヘンの写真に見るような、道路と自然しかない場所だったりとか、そういうところなのだ。でもここはどうだろう。塀や垣が並び、家々がある。僕がこれまで見た伊豆大島の風景とは一線を画した。まるで奄美や沖縄の島々の風景写真を見せられているようだ。南西の島風景を空想させた。
 岡田から一度百メートル近いところまで上ったので、道はずっとゆるゆると下って行った。狭く微妙に曲がっていて、見通しが決して良くない。ここには生活があるからときに車も走ってきた。舗装はされているものの砂や小砂利が浮いているから気をつけて進んだ。塀や垣のあいだから子供が飛び出してくるかもしれない。下りに任せて飛ばせる道ではない、生活道路だ。ところでここの生活ってどんな生活なんだろう。家々の造り、路地からにじむ生活感が、他の港を中心とした集落──それは岡田であり泉津であり、波浮はぶであり元町であり、またそれ以外の細かな集落も含め、まったく違う地のように思えて仕方がない。同じ島の一角とは思えない場所だった。

 

 意識をしていたつもりだったのに、大島灯台の標識を見落としていた。しばらくしたのちに後ろ矢印での大島灯台を見て気付いた。入るべきわき道を見つけられなかった。もう仕方ないと思った。下ってきたから戻れば上りになる。そう思うと戻るのも面倒だった。今伝っている道からそれる形で、「乳ヶ崎ちがさき」と書かれた標識が海を指していた。じゃあこれでも見に行ってみようかと道を分けた。
 道は入って10メートルもしないうちに藪こぎになった。もうどこに出るのかなんてわからなかった。そもそも乳ヶ崎ってなんだ? って思った。浜の突端なのか断崖の岬なのか、そんなことすらわからなかった。うっすら残っているダブルトラックはいつのものなのか見当もつかなかった。もはや人も入らない道になっていることが明らかだった。藪は僕の背丈よりずいぶん高くて、いちいち自転車に絡んできた。
 道が二手に分かれた。さっきまであった簡易な標識は出るはずもなかった。消えかけたダブルトラックがまっすぐと右とに続いている。僕は右を選んでみる。道が消えるがごとく藪が覆いかぶさってきた。わずか十メートルくらい進んだほどで、いよいよペダルにトルクがかけられなくなってバランスを崩して止まった。──と、そこはすとんと落ちる絶壁だった。たまたまペダルを止めた場所だった。
 けっこうな高みであることを知った。海に面していた。方角を考えるに、伊豆大島の最北のはずだから、相模湾を挟んで熱海、小田原、そっちを向いているに違いない。さらに先に断崖が続いていた。その先端が乳ヶ崎なんだろうか。僕は十数メートルを戻ってさっきの二股に出た。今度は直進側に進んでみる。このルートで先端に出られるかな、と思う。いちいち絡む藪に、バグったアドベンチャーゲームをやってるみたいだな、と僕は声に出した。道はグリップしない藪の上り坂だった。しかも悪いことに藪はどんどん長くなり、道にかぶさる量も半端じゃなくなった。ダブルトラックは見る影もなかった。藪をかわせず顔にも当たり、いよいよホイールに絡んで僕の進みを止めてしまった。
 足をついてしまった僕はその先を見た。ここだけ切り取ってみて、道か道じゃないかと問えば誰もが道じゃないと答えるだろう。そんな状況になっていた。僕はここであきらめることにした。そう決めると妙に悔しさが生まれてきた。さっきの脇の道から見たここの突端まではまだしばらく距離があったし、その距離をこの時点でつまずいた自転車でさらに進むのは無理があった。わかっていながらも悔しさを生んだ。乳ヶ崎には、行くことができなかった。

 

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 戻るのにも藪こぎだった。それはそうだ、入ってくるのに藪こぎだったのだから。
 もう、平和に徹することにした。
 野田浜の海水浴場に出て、海岸に下りて自転車の写真を撮った。そこからサンセットパームラインっていう、何度聞いても覚えられない道を走った。このまままっすぐ南下すれば元町港だ。海は、西の海だ。なるほどサンセットなんだと思う。道は高規格で、車も少ないから走りやすい。はじめてサイクリングをするって人を連れて走るには印象もいいと思えた。

 

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 もう食事のことはあきらめていたから、偶然見つけた店に驚いた。
 サンセットパームラインを離れ、少し内陸に入った。住宅街のなか、個人宅への入口のような砂利のアプローチを進んだところに樹木に囲まれたログハウスがあった。店に入ると客はひとりもいなかった。そして誰もいない。ごめんくださいと僕はいったが、声はまるで強烈な換気扇で排気してしまったみたいにどこかに消えてしまい、変に実体がなくて気持ちが悪かった。しばらくののち庭へつながる扉から店主が現れた。気難しそうに見えた。
「食事は、できますか?」
 と僕は聞いた。
「どうぞ。お好きなところへ」
 そう、店主はいった。
 店のなかはごちゃごちゃとして、どこの席に着くと広々できるのか、頭がまわらなかった。僕がきょろきょろしているとここがいいんじゃないかなと店主はいった。僕は促されるままその席に座った。
 ピザとスパゲティとグラタンとカレーしかなかった。洋食屋だと思って来てしまったからハンバーグが食べたいなと思っていたけど仕方がない。でもカレーでいい。
「カレーでお願いします。食後にホットコーヒーをください」
 やがて、やけに美味いカレーがやってきた。それを食べると苦味の利いたコーヒーがたっぷり入ったカップがやってきた。
 もう元町港までは1.7キロだ。

 

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