神倉神社(Jul-2019)
熊野三山をめぐってきた。おおよその場所は知っていて、いいところであろうということもわかっていた。でも詳しくは何も知らなかった。なぜなら僕にとってまだ行く段ではなかったから。知識も情報も得ようとしていなかった。ゆえにテレビで見、書籍で読んでも、それらは映像をあたかも断片的に写真を見るように触れるだけだったし、紀行文は文章としての楽しさを味わうばかりだった。詳細な地理や位置関係、おのおのが持つ歴史、なぜ観光地たるのか、そんな背景をひとつも知らずに触れているのだから、『実』とはつながらずきわめて『空』なものだった。だから妻の両親から熊野へ行きたいから連れて行くよう指示されたとき、僕は何ひとつ即答することができなかった。関東から出かけるのにどういうルートで行ってどれだけの時間がかかるところなのかもわからなかった。見どころがどこなのかも知らなかった。熊野古道というよく耳にするキーワードがどこにあるのかもわからなかった。そもそも熊野大社が三つあるのだということさえわかっていなかった。
調べれば調べるほど紀伊半島のスケールを知った。そして紀伊山地の深さを知った。まず現地までのアクセスに時間を要するし、山のなかに入っていくにもさらに時間が必要だった。容易ならざる行程に、僕は旅行ツアーを真似ることにした。南紀白浜空港から路線バスをつなぐ。あるいはレンタカーを借りてもいい。念のため並行して新幹線と特急を乗り継いでアクセスするルートも調べ始めた。しかしながらそれはすぐさま徒労に終わった。車で行くことで考えている、といわれた。何時間かかろうとも。飛行機で行くのならツアーで行けばいいのだからあんたたちには頼まない、ということだった。埼玉から熊野三山へ車で向かう、──果たして何時間、車を運転しなくちゃならないのか。調べてもなかなか実績の出てこない時間を計画に組み入れなくちゃならなくなった。
三山を知り、熊野古道も調べた。なるほどいにしえからの参詣道が残っており、これを歩くというものだ。そういえば僕がかつて仕事を一緒にしたことのある女性が、休暇から明けたとき「五日かけて歩いてきました」といってきたのを思い出した。その日、食事に行きましょうよと誘われ、熊野古道を歩いた旅をホットなままに話してくれた。今、僕の得た知識にそのときの記憶を照らし合わせると、紀伊田辺から
古道も歩きたいのだと妻の両親はいった。行ってみたいところとして、明らかに知っているキーワードを並べているにすぎないのはわかった。「私の知人が熊野古道を歩き、五日かけたと聞いています」と僕はいった。大変ですよの意を込めて。古道はそういうところです、ここは三山のお参りにしておきましょうといった。もちろん答えはノーだった。ちょっと歩ければいいのよ、さわりだけ。雰囲気がわかればそれでいいんだから。──僕にはその
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南紀勝浦温泉の旅館に泊まった昨日の夕食の折、「古道を歩くのはやめましょう」と僕はいった。熊野那智大社に行ったこの日、
朝から速玉大社に詣でた。僕はすぐ近くにある
僕は妻の両親に「どうぞ車で待っていてください」といった。前日の状況から考えて、古道だけじゃなくここを上らせるわけにもいかないというのが僕の判断だった。即答しないので五百数十段の階段を説明するのだけど、ピンとこないようだった。速玉大社の鳥居の前でみかんを売る露店のおばちゃんに、神倉神社への道を聞き、さらに階段の事を聞いた。
「538段。どうか頑張って」
と僕にいう。かなり大変ですよねというと、大変ですよ、まあ健脚の方なら大丈夫でしょうという。会話での口調から大変さを汲みとったのか、妻の両親は車に残るといった。妻は上るといった。
階段は不規則な自然石を並べただけの石段だった。かなりの急登坂で、石段は不安定だった。石は積年足もとを支えた結果か、すっかりなめらかに磨かれたようでつるつるとした丸みが出ていた。おまけにこれらの石は1ステップの長さが足、というか靴の長さにまったく満たないものもあった。垂直に足を踏み入れれば、土踏まずより後ろ、かかとは丸々乗らないほどだった。足を斜めや横向きに入れるしかなかった。それゆえずいぶん妙な恰好で上ることになった。その姿勢が余計な疲労を生む。そして前日までの雨で石は湿っていて、丸くつるつるになった石はさらに滑りやすくなっていた。うかつに気を抜くと簡単にステップを踏み外した。とにかく慎重に、足もとに意識を集中する必要があった。
そんな石段だから、ほんの少し上るだけで汗だくになった。なるほど健脚ならというのは健脚でないとだめだという裏返しでもあるように思えた。下る人が何組も、慎重に下ってくる。意外にも若い人が多い。若い人でも下で貸し出している杖を使っている。二本持ってストックのように使っている人もいる。僕と妻は杖を取らずに上り始めた。あったほうがよかったかと思ったが、妻がこれ下りで杖があってもかえって危なくない? といった。そうかもしれないと僕はいった。
あまりに不規則で、小さな石と中くらいの石ばかりで、果たして何段くらいまで来たのかわからなかった。数えていなかったから半分来たのかさえわからなかった。そこへ上からおばあさんが下りてきた。杖をストック代わりに使っている若い男性を追い越して降りてきた。狭い場所だったから僕らは端によけて進路を譲った。
「ありがとう」
とおばあさんがいうので、
「もう半分まで来ましたか?」
と挨拶代わりに聞いた。
「そのあたりでもう半分よ」そうおばあさんは上方の見える場所を指差した。「そこを過ぎれば坂も緩くなるから、ここだけ頑張れば」
「本当すごい坂ですね」
「こりゃ大変だよ。わたしゃ毎日上ってるから慣れてるけどなあ」
「毎日? ですか?」
僕は驚いて聞く。
「そう、毎日な。二往復しとるんよ」
「二往復? また上るってことですか」
「そうや」
おばあさんは笑った。「今日は滑るからなあ、気ぃ付けてな」
「ありがとうございます」
「スニーカーだから大丈夫やろ」
まあ厳密にいうとスニーカーじゃないから大丈夫かどうかわからないけど。
「お母さんもどうぞお気を付けて」
そういうと、おばあさんのニューバランスがリズムよくこの急な滑る石段を下っていった。
石段はおばあさんのいうように少しだけ、緩くなった。あくまで少しだけ。上りにくくてくたびれることには変わりがなかった。下りてくる人とすれ違うと「こんにちは」と声をかけた。相手からも声をかけられる。
「もう少しです頑張ってください」
挨拶がてら、すれ違った女性からそう声をかけられた。
「どうでしたか?」
と僕は足を止めて聞いた。
「もう、絶景です。ぜひ頑張って行ってください」
「それほど絶景ですか」
「それはもう。すごいですよ」
「海まで見えますか?」
梅雨の明けきらない天気のもと、やってきた昨日からずっと、ここ南紀はうすい靄に覆われた、うすぼんやりとして遠くまで望むことのできない空気だったから、少し不思議だった。
「見えます見えます。見事で絶句しますよ」
「この天気でも? そうですか、それは頑張れる」
「大きな岩があるんです、ご神体になっている。ぜひそこまで上ってください。行けるようになってますから。そこまで上ればさらにすごいです」
「行けばわかりますか?」
「わかります」
僕は絶景という言葉にときめいた。
眼下は新宮のまちだった。ちょうど目の前を一直線の道路が貫いている。そしてすぐに海、黒潮の太平洋。靄はかかっているけれど、確かに大絶景だった。
小さな小さな拝殿で簡単にお参りを済ませると、そこにさっきのおばあさんが上ってきた。僕は驚く。だって僕らがここに着いて数分とたっていないのだ。
「もう上がって来たんですか!」
驚きの声をかけたが、おばあさんはさして息が切れているふうでもなかった。とてもお元気でというと、いやいやという。
「お母さん、おいくつになられましたか」
そう僕が聞くと、少し笑って「71歳」といった。
「もうな、年取ってきて体力がどんどん落ちるようになってきたからな、ここを上るようにしたんよ。毎日」
僕も妻ももう驚いて絶句するほかなかった。
「立派です。その体力は見事ですよ」
「いやいや、そんなことはない」
とおばあさんは笑ってばかりいる。
「あの上の岩のところまで行けるって聞いたんですが」
「ああ行けるよ。私も上るよ」
「へえ、どこから上るんですか?」
「私はこの辺の岩をたぐって上っていくけどな」
とそのライン取りを指で示す。
「ついていってもいいですか?」
「ええよ。今日は滑るから、手ェつきながら行きな」
僕はおばあさんのあとを追うように上った。妻も続いた。おばあさんはポイントポイントで腰を落として手を上手く使いながら上っていく。腰を柔軟に使いこなせるというのは体力的若さだ。すごいとしかいいようがない。上りながら、ここ上ったはいいけど下りられるかな、と妻がいった。僕も同感だった。
上り切ると下から望んでいた大きな岩の前に立った。ひどく狭いそこは、梅雨の空気でじめっとしていた。岩のあいだに榊だろうか、お供えがしてある。
「このな、岩が三つあるやろ。これに触ると力もらえるんよ」
「パワースポットですか」
と僕は笑った。
「そんなとこやな」とおばあさんも笑った。「そのまんなかの岩があるやろ、これな、両側ふたつの岩に支えられてるだけだから。乗っかってるだけ。浮いてるのが見えるやろ」
「へえ。確かに浮いてる。──動いたりしないんですか?」
「びくともせん。大きな地震が来てもまったく動かん、不思議なもんや。今は下のすき間に砂や石が埋まってしまってるけど、昔はすかすかの突き抜けやった」
僕はいわれた通り三つの岩に触ってまわった。
それからおばあさんはこの小さな神社の話をしてくれた。そこの大社より前からここに神様がおってな、そんな話だ。信仰深さのまったくない語り口なのだけど、歴史や神の力やありがたさを話してくれる。柔らかな語り口はまるでおばあちゃんの伝え話でも聞いているようだった。
「楽しんでってな」
話すだけ話すと、痩せてしっかりと締まった無駄のない身体が、滑る大きな岩の上を小気味よく下っていった。狭い道から鳥居に出ると僕らに向かって手を振った。手を振り返すと、すいすいっと下って、あっという間に見えなくなった。
僕らは岩の前に立ち、またまちと海の絶景を眺めてみる。わずか十メートルに満たないほど上っただけで、違った風景を見ているような気がした。
石段ですれ違った女性がいった、絶対に見たほうがいい絶景だった。