群馬県道56号・霧積温泉(Apr-2018)
その道の名は、北軽井沢松井田線という。
しかしながら北軽井沢周辺を地図でくまなく探しても、56の六角マークは現れない。県道56号は北軽井沢からしばらく、県道54号と重複しているからである。
そのルートははっきりわからない。二度上峠あたりになるのだろうか、県道54号からの分流箇所があるはずなのに、56号は現れない。松井田町に向けてさらに峠を越えて、下ってくるはずだろうに、想像できるルートもない。十六曲峠を越えるらしいけど、その峠がどこにあるのかも、よくわからない。そこには山しかない。
したがって県道56号をこの目でとらえられるのは、終点となる松井田町の横川、国道18号の旧道、碓氷峠へ向かう途中から。道は、山を目指して北上して行くけど、上り切らないうちに尽きる。行き止まりには霧積温泉という、小さな温泉があるだけ。
この道は、行き止まりへのピストンルートだ。どこにも抜けることは、できない。
◆
高崎の駅で輪行を解き、碓氷川サイクリングロードを走った。
はじめて走った。妙義山と、浅間山が気持ちいいほど望めた。
そして道はフェードアウトするように終わった。新後閑川橋ってところ。
信越本線からも国道18号からもずいぶん離れてしまった場所で、いったん戻る必要があった。そこが松井田の町。
国道18号を走らずに旧道を選んでみたら、いい町があった。考えてみたらここは、五街道の中山道だった。松井田宿、広重も描いていた。
だからといって、何があるわけじゃない。史跡史料は、ない。旧家や古き建造物が残るわけでもない。
でも道なりが、カーブや屈曲が、興味をかき立てた。続く道のその先が、往時の街道の雰囲気を、言葉少なに語ろうとしている。それで、わかる。
道の選択を失敗したな、と思った。
そういや僕は旧中山道をトレースしたことがないな。
短区間であっても、今回高崎から坂本まで、そのルートを選択すればよかった。松井田の町を抜けてはじめてそれに気づくとは……。失敗だ。
まあいいか──。
横川駅前にあるおきのやは、すでに店を開けていた。
どうせこの先は何も手に入らないだろう。電気だってあやしいとすれば自販機さえないかもしれない。
そんな思惑もあったけど、ただ食べたくて、というほうが強かった。僕は、横川駅らしく、おぎのやらしく、釜めしを食べた。
国道18号は碓氷バイパスを分け、僕は旧道に入った。道は上り坂になり、一直線の均一な勾配の途中、坂本宿がある。こちらは宿場町が良く残っている。古い建造物が並んでいる。本陣、脇本陣、旅籠──。
ここは碓氷峠に向かうのに何度となく通っているからだろうか。見慣れてしまったからだろうか。
──松井田のほうが良くないか?
建造物にせよ碑などにせよ、保存は大変な努力だろうと容易に想像できるし、説明板などを設けてこの地の歴史を伝えることも骨の折れる努力だ。そんなことはわかっているのだけど、ふとハリボテのように見えた。なぜかそう映った。何も残っていない松井田のほうが、伝えてこようとするなにかに耳を傾けたくなった。
きわめて感覚的なもの。そして僕の感性。あるいはこの日の琴線。今日だけの感受性かもしれない。
碓氷峠への道が始まった。カーブ1。
番号が振られたカーブは184ある。
カーブ2を過ぎ、カーブ3であらわれる青看板。国道18号を示す小諸・軽井沢に対し、右に霧積の文字。県道番号は56号。これまで碓氷峠に上るたび、この青看板を気にしてならなかった。帰って地図を手に取り確認した。ここへ行ってみたいという欲求が募った。行き止まりの道へのルートはピストンで引くほかない。それがいつも足かせになった。
あえて、ピストンのルートでいい。──そう思えたとき、気が楽になった。霧積へ行こう。それから、僕は県道56号への興味で満たされた。
◆
すぐにくぐったガードはかつての信越本線だった。観光客が歩くアプトの道ではなく、長野新幹線の開業まで使われていた信越本線。県道56号はしばらく信越本線に並走する。架線柱が残っているからわかる。かつての鉄路には、勢いある若木が幹を太らせている。森に埋もれはじめていた。
路肩の広い二車線道路ながら、車はまったく通ることがない。一台、工事関係者のライトバンに抜かれたきりだ。持て余してしまうほど立派な路盤の上を、道路のまん中を走ってみたりした。
道は基本的に杉林のなかである。霧積川に沿った谷底のルートだから眺望はまったくない。
なにより、何もない。行き止まりになる一本道であっても、たいていはいくつかの集落を過ぎ、住宅があって農地があったりするものだけど、ここはない。本当に何もない。
まるでどこか奥地の山村から分けた林道に入り込んだみたいだ。
県道56号北軽井沢松井田線は、行き止まりのピストンロードながら、名が語るとおり、計画は浅間山を望む北軽井沢へ向かう幹線県道だ。しかもふた桁が与えられている、主要地方道である。
しかし実態は、沿道には人の営みなどまったくない一本道。あるのは中盤にある霧積ダムと、県道の行き止まりから1キロほど山に分け入った霧積温泉、そのふたつだけ。この秘境感は半端ない。
僕はハンドルに鈴を下げた。
右の木々のすき間から、重量式のコンクリートダムが視界に入ってきた。
県道からそれて、ダムに立ち寄ってみる。
築堤の上を自転車で走れるダム。ダムとダム湖独特の、広々とした景観が、左右に広がった。
まったくひと気がない。
下の放水口から勢いよく水を放出している。たまたま放水のタイミングだったのか、それともいつでも絶え間なくそうしているのか、わからなかった。でもいつだって放水しっぱなしなのでは、と思わせるほど、ひと気がない。もっとも管理棟には人がいるのだろうけど。
ダムを過ぎると途端に、道路の規格が落ちた。センターラインさえしばらく続かなかった。軽い、薄っぺらな舗装になった。道幅も狭くなり、1.5車線どころか、すぐに1車線になった。車同士のすれ違いができない。離合用待避所が、ところどころ現れるようになった。
まさに林道である。少なくとも、とても主要地方道には感じられない。
少しだけ肌寒いけど、気持ちいいサイクリングだ。
誰もいない。こんな場所は、そうない。最高だ。
上り坂をゆっくり、ゆっくり上る僕の横に、下から上ってきたスズキ・ジムニーが並走し、そして止まった。助手席の窓が開く。
「どこ行くの?」
60代なかばから70くらいだろうか。きわめて健康そうなおっちゃんが話しかけてくる。少なくとも観光客ではないってことはひと目でわかる。
「この道の終点までです。温泉もありますよね、行けるなら温泉にも行ってみようと思ってます」
「おぅ、温泉いいよ。温泉入ってきな」
「わかりました」
「気ぃつけてな」
「ありがとうございます」
スズキ・ジムニーは窓を閉めると、狭い坂道を上って行った。
県道の果ては、あっけなく訪れた。
車の通れる道が右に分岐していく。しかし道はゲートで閉ざされていた。一軒宿の温泉旅館、金湯館の私道だろうか。ゲートに立てられていた看板からそう読みとれた。分岐から数百メートル進んで、県道は終わる。
かつてもう一軒、この霧積温泉で旅館を営んでいたきりづみ館の駐車場が、イコール県道の終端であった。先にはゲートがあり、金湯館に行く人はここから歩いて行けとある。道の名は、ホイホイ坂。本当だろうか、そんな名前……。
まず今日の第一目標は達成した。この県道56号の終端を目にした。それは北軽井沢松井田線が、その名を達成する希望を抱かせるというよりは、路線名称がいずれ霧積松井田線に変更されてしまうんじゃないかと感じさせる、深い最果て感だった。それを感じられたことはとてもうれしかった。ここまで来たことと、終端には延伸の期待はない、それが知れたことが何よりの達成感だった。
さて、どうしたものか──。
じっさい腕組みほどしないものの、その心づもりで先を眺める。
つまり、この先の金湯館まで行くかどうかだ。
結論として、僕は、車両通行止めのゲートのあいだを進んだ。ホイホイ坂を、行く。
車は通れないにせよ、道だ。未舗装にせよ、あわよくば自転車なら乗っていくことさえできる道であるに違いない。そう思った。
◆
押して、担いで、もう1キロにもなる。
僕は、
「今日のここを上ったら、青崩峠、行ってもいいな」
そう思って口に出して言った。誰もいない、登山道で。
そう、ホイホイ坂は、完全な登山道だった。
平坦な──それでも急坂な──箇所は押していくことができた。しかしながら階段状に組まれた木や岩の道は、担ぐほかなかった。
何度か止まっては休憩し、どんどん開けてくる広い空を眺めた。
SPDのクリートをつけた、マウンテンシューズでよかった。SPD-SLを付けるロードシューズでは、はじめの十数メートルさえ、進めないに違いなかった。
登山が終わると、連なる金湯館の屋根が見えた。
温泉に、入ろう。
その前に、この道の果てに行ってみたくなった。
道自体はもう、金湯館の業務用の駐車場に使われていた。でもさらに、奥には道が続いている。どこまで行けるのか、気になる。
県道自体はここまでの登山道、ホイホイ坂の入り口で終わっている。この先は地図で見ても点線、つまりここから先も同じく登山道の扱いだ。
足もとの道はセメントで舗装されている。
先へ、進んでみた。
しかしながら、道は数百メートルで終わった。
やわらかそうなセメントの簡易舗装は、もうしばらく続いていそうではあった。でもそのうえを分厚く土が覆い、そこには藪ができ上ろうとしていた。もうしばらく誰も足を踏み入れていない証拠だ。
僕が立ち止った百メートルばかり先に、重々しく砂防ダムがある。これを造るために、重機やダンプを入れるために、この簡易舗装がなされたのかもしれない。砂防ダムができれば道に用はない。道は、覆いかぶさる土に埋もれ、藪化して自然に帰ろうとする。その土の波が徐々に押し寄せてきている。そんな最果てだった。県道56号から分け入った山道も、ここまでだ。
◆
僕は満たされた至福で、温泉宿・金湯館への階段を下った。自転車は、上の道の一本の木にくくりつけた。宿の前まで車で来られる道はない。自転車も無理だ。歩いて下る。
「ごめんください」
扉を開け、声をかけるが、しんとしている。が、しばらく間が空いて、女性があらわれた。
「日帰り入浴ってできますか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
僕は代金700円を支払う。
「お風呂はこの廊下を行った突き当たり。あとでお茶をここに用意しておきますから、あがってってください」
「わかりました。ありがとうございます」
するとそこへ、さっきスズキ・ジムニーで抜いていった健康的なおっちゃんが、玄関の戸を開けた。
「おー、来たか」
ここの宿のおっちゃんだったんだ。
「最後の登山道、きつかったです。担いで登ってきたんですけど、けっこうありますね」
「あそこ、自転車担いで上ってきたんか。それは大変だ。帰りはその道が林道になってるから、そこを下りてきな」
そうおっちゃんはいった。それから、
「自転車担いでここまで来たんだと。帰りは林道下りてったらいいよなあ」
と、受付してくれた女性に声をかける。どうも、娘らしい。
「そうだ、そのほうがいい」
と娘さんもいう。「砂利だったり荒れてたりするところがあるんで、気をつけて下ってってもらえば」
「助かります。ありがとうございます」
と僕はふたりに礼をいった。
「ぬるいからな、ゆっくり入ってきな」
受付の前のテーブルは、ロビーの代わりだろうか。そこにポットと急須と湯飲みが用意してあった。お茶うけにお菓子まであった。僕は誰もいないそこで、いただきます、と小声に出して、お茶を入れ、お菓子を食べた。剥製の鳥が、僕を睨んでいた。
◆
下り道は、帰りに使うといいといってもらったその林道を行った。とても長い距離だった。大きくう回し、つづら折りでなんども向きを変えながら、下った。ホイホイ坂という登山道がどれだけまっすぐに、一気に上ってきたのかが良くわかった。重々しい遮断棒のゲートを脇から抜け、県道に復帰すると、ピストンルートの下りだ。谷底の道はもう日陰ばかりだ。僕は荒れた路面に気をつけながら、ゆっくりと下って行った。
「なんか、いたかい」
僕が狭くなった空と、杉林のすき間から覗く太陽と、その木漏れ日を見、写真に収めていたら、横にスズキ・ジムニーが止まり、窓が開いてそう声をかけられた。
「いえ、木洩れ日がいいなと思って見てました」
「あったまれたかい?」
「はい、おかげさまで。とてもいいお湯でした。ずっと入っていられる。──あれ、炭酸ですか?」
「そうだよ」
おっちゃんは笑った。「気をつけてなあ」
「ありがとうございました」
僕は下っていくスズキ・ジムニーのミラーに向かって、手を振った。
(本日のマップ)
(GPSログ)