自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

湯田中自転車紀行(2)/二度上峠・鳥居峠・菅平編(Apr-2018)

湯田中自転車紀行(1)/計画・準備偏からつづく


 高崎駅前にある松屋でソーセージエッグの朝定食を食べながら、僕は今日のルートを確認していた。
 高崎から西へ向かい、現れる二度上峠を越えると北軽井沢。そこから嬬恋をへて、いよいよ長野との県境になる鳥居峠を越える。下って上りなおした高原が菅平。菅平から須坂は一直線の下りで、あとは長野のローカル私鉄長野電鉄に沿っていけば湯田中だ。
 計画段階で、このルートの獲得標高に不安を覚えた。全体距離に獲得標高を重ね合わせると走り切れないんじゃないかって思った。
 でも大丈夫だって思った。思いなおした。だから電車を高崎で降りてこのルートを選んだ。


 僕はたとえば、ブルベを走ることはないし、イベントに出ることもしない。なぜなら僕のペースではどこだって足切りになってしまうから。もっとも同じ目的で大人数で走ることを好まず、ひとりで走ることのほうが気が楽で性に合ってるっていうのもあるけど。
 でもブルベやイベントで足切りになってしまうようなペースであっても、ひとりで走るぶんにはそれはない。獲得標高で不安になっても、上り切れるなら走り切れる。坂がつらくて止まったり、延々休んだり、押したりするけど、そういえばあきらめちゃったことってなかった。あきらめないなら、走り切れる。時間はかかるけど、走り切れる。今日だって。
 なんで朝から自己分析を始めたのかよくわからなかったけど、そんなことを思っていたら気が楽になった。


 ただ、温泉旅館での大まかな集合時間ってあるから、どれだけ時間を使ってもいいってわけじゃないけど。

 

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 ──そういえばなんで二度上峠を選んだんだっけ?
 倉渕まで走る国道406号で榛名山西麓をぐるっとめぐり長野原へ、そこから鳥居峠へ向かうルートも最初考えていたのに、なんで二度上峠にしたんだっけ。
 二度上峠なら、そんなに大変じゃないって思ったからかな?
 今になってはもうよく思い出せない。僕は手をつけずに残していたソーセージエッグ定食の目玉焼きをそのままご飯の丼の上に載せ、醤油をたっぷりかけた。

(本日のルート)

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GPSログ

 


 僕が二度上峠に上ったのは、もう5年も前のことだった。
 そのときも高崎を起点にした。同じルートで峠に上り、北軽井沢へ下りた。5年前はそこから軽井沢に出て、横川に下って帰った。
 でも、記憶なんて、不確かだ。


 榛名山ヒルクライムレースが近いからだろうか。ゆるめに始まった坂道の途中、自転車に何台も出会う。ふつうすれ違って「今日は自転車が多いなあ」と思うのだけど、今日は抜かれてそう感じる。何台もの自転車が、僕を倍くらいの速度で追い越していく。サイレンサー──音もなく、気配もなく、無言で。僕は抜かれて、右前に出られて初めて気づく。そのたびにちょっとドキッとする。みな10秒もするとはるか彼方だ。
 レースのコースになる県道211号が分岐すると、抜かれる回数は格段に減った。
 そして旧倉渕村の権田交差点で国道406号を右に分け、県道54号になるといよいよ二度上峠以外の選択肢はなくなる。ここで他の自転車の姿はまったくなくなった。


 5年前の不確かな記憶をひも解いていく。ひとつのポイントがはまゆう山荘。ここまでは整備された高規格舗装で、勾配もゆるめ。そこからは古くからの道として残っているのだろう、荒れめの路面になり、つづら折で上っていく。勾配も多少きつくなる。
 しかし、きつい。はまゆう山荘へ向かうまでの高規格区間でさえ、きつい。
 ──どんだけ不確かなんだ。記憶があてにならない。
 これやばいな、はまゆう山荘を過ぎたら、相当だな。そう感じる。


 5年前にここを走ったときは、山藤が点在して山肌を染めていた。淡い藤色が、緑のなかにパッチワークのように彩られていた。それはずしりと重さを感じさせるボリュームで、点在という割には圧倒的だった。
 今日はまだ藤はない。新緑の、ほぼ白に近い緑が山全般を埋め尽くし、そこに濃いめのピンク色の山桜が色を添えている。なるほどこれが4月と5月との1ヶ月の差か。全般的に色合いが薄い。5月の、おのおのの葉や花が強く主張するコントラストの高さからすると、今は全体が薄ぼんやりと見える。色の淡い新緑や山桜はソフト・フォーカス。


 対向するオートバイが、Vサインを作って僕に送ってきた。ソロ・ツーリスト。僕も形だけでもぎこちなくVサインを作って返す。ソロ・ツーリスト。


 はまゆう山荘の看板が見えてきた。駐車場にたくさんの車が止められている。
 それを過ぎると道が変わった。細く、暗く、路面の荒い道に。ここの記憶は少なくとも確かだった。
 碓氷峠旧道18号で見るのと同じカーブ標識が現れた。ただし向こうが下から上って行くと1から走って184までなのに対し、こちらは62から始まっていく。それが徐々に減っていく。1になれば峠だ。これは道路の起点と終点の関係なんだろう。
 この坂が、今の僕にとってきついかきつくないかという議論はもう不要だ。ただ、5年前の記憶なんて何の当てにもならないことがわかっただけだ。


 はまゆう山荘の手前、高規格舗装の区間で見上げた山々の、新緑のなかを今走っている。新緑って近くに来るとその色もよくわからないし、葉が葉に感じられない。それが遠くから見るとああやって白く見えるんだから不思議だ。
 だいぶ上ってきた。時間も相当かかった。あと2キロ。ときどき視界が開ける。方角からすると東側だから、おそらく今上ってきた倉渕方面だろう。しかしながら山々の連なり以外何も目に入らない。ただここまでのつづら折の道がそこかしこに見え隠れしている。僕はこの道路造形が見えるだけでうれしい。しばらく立ち止まって眺めている。いい道だなって思う。でも、なにか目につく山とか、平野部の眺望とか、ふもとの集落とか、そういったものって何ひとつ見えないから、健全な眺望好きの人にとっては物足りないに違いない。


 それからしばらくして、カーブ1の看板が現れた。二度上峠。カーブ1が峠、0じゃない。


 浅間山だ。
 当たり前の顔をして、僕の目に飛び込んできた。
 前回、こんなにはっきりと目にした記憶はない。絶景だ。

 

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 北軽井沢にはコンビニが二軒並んでいる。
 そのうちセーブオンに入り、飲みものを二本買った。コカ・コーラの小さいやつと、爽健美茶
 本当は昼食を取るならここ北軽井沢だった。この先の経路は、下手をすると菅平まで食事できるところはない。嬬恋の田代の集落にも一軒くらいあるかもしれないけど、期待はできない。
 でも空腹じゃなかった。まったく。
 コーラをひと息に飲んだあと、ひと口でも食べたほうがいいと思って、手持ちのおにぎりのうちひとつを開けた。食欲がないわけじゃないのだけど、どうも胃が受け付けてくれない。ここまでの行程で疲れ過ぎているのかもしれない。暑さは、それほど感じてない。汗もあまりかいていない。ちょうどいいし、気持ちがいい。ただ、胃が疲れてるっぽい。
 おにぎりふたつを食べてもいいくらいだけど、そこまで胃が頑張ってくれないからひとつだけ。ボトルの底に少しだけ残っていた、家で入れたハーブティでおにぎりを流し込んで、ボトルを爽健美茶に入れ替える。ハーブティのクセからするとジャスミン茶が良かったけど、なかった。そもそも午前中でボトルが一本なくなるって、僕にしては珍しいような気がする。


 北軽井沢から嬬恋にかけての単調な道路は飽きが来る。眺望もないけど、だからといって木々にしっかり囲まれた林のなかというわけでもない。
 嬬恋に入ると下り坂になった。国道144号に突き当たる大笹交差点まで、退屈しのぎにペダルを回しもせず飛ばして下る。少しずつ強くなり始めた風が、左斜め後ろから押してくれているようでもあった。


 大笹交差点を左折すれば、いよいよ鳥居峠を越えて長野県へ向かう国道144号である。
 そして今日二度目の、記憶力など何の当てにもならないという現実を見ることになった。
 この国道144号、田代までの区間を昨年、地蔵峠に向かったときに走っている。少なくとも田代湖入口までの坂などゆるやかで、取るに足らないものだなどと思った。しかしそんな記憶もここまで不確かであれば、もう自分自身、何を信じていいのかよくわからなくなった。脚が進まない。
 だから湖の入口を過ぎ、勾配斜度が上がって田代交差点までなど、やりきれなかった。さっきの下りであと押ししてくれていた風も、真正面から強く吹いてくる敵に変貌していた。何もかもが僕に向かってきていた。
 ふと、浅間山が見えた。
 二度上峠の下りからもう見えることのなかった名峰が、今また遠くに見えた。
 止まろう。
 自転車を置いて、僕は歩道の縁石に腰を下ろした。

 

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 嬬恋の高原大地が広がっている。
 広く、遠く、見通せる風景。
 今日は選ばなかったけど、嬬恋パノラマラインを走るとこの風景のなかをずっと走ってこられた。ただし、起伏がのこぎりの刃のように続く。上っては下り、上っては下り。以前走ったときに疲れた記憶があって、今日はルートから外したのだけど、大笹まで一気に下って、また田代までの上りをこなさなくちゃならないことを考えたら、あるいは細かい起伏を下り上り繰り返していたほうが良かっただかもしれない。
 僕はどこかの駄菓子コーナーで見つけた、梅ジャムを舐める。バッグに入れて来たのだ。すっぱいけど、効くのかな。アミノ酸? クエン酸? ──いや、駄菓子だからなあ。ただすっぱいだけのような気もする。
 ときどき車が通過していく。こんなところで何やってんだ? って見てるかな。
 そろそろ行こうか。
 風が変わらず吹いている。鳥居峠から、吹き下ろしてくる。これがきつい。


 こうやって比べてみると、鳥居峠は観光色が薄いなって思う。
 二度上峠は乗用車、レジャー色の強いミニバン、そんな家族連れやグループと思わせる車が多かった。そしてオートバイ。何人かはすれ違いざま、追い抜きざまに挨拶を交わした。
 しかし鳥居峠は業務用の車が多い。商用のバンや大型トラックが追い越していく。オートバイがそこそこいるのは変わらないけど。
 だから頑張って上って、峠に到達したときはまあこんなもんかと思った。眺望は全方位まったくない。なのにここには立派な峠の碑がある。こういうのって生活や仕事のため、悲願の道路がやっと開通したっていう場合が多かったりするんだろうなあ。
 鳥居峠は大分水嶺にあたる。峠に立って東に水を流せば、利根川をへて銚子に流れていくし、西に水を流せば、信濃川をへて新潟に流れていく。
 ただ殺風景なだけでそんな感覚はみじんもなかった。

 

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 鳥居峠から菅平へ向かうルートは二本ある。スタンダードなのはこのまま国道144号で下り菅平口交差点へ、そこで国道406号に乗り換える方法。もうひとつはあずまや高原を通る、県道182号菅平高原線。
 僕は後者を選んだ。
 鳥居峠からわずか数キロ、まるで林道のような中央線のない道が分岐していた。青看板には菅平の文字があった。冬期は閉鎖されるようで、通れるようになったのはこの4月1日からだったらしい。僕は国道144号を右折し、県道182号に入った。


 また上る。鳥居峠から下ってきたぶん、あるいはそれにプラスアルファ上る。さっきまでよりなんとなくだるさが薄れた気がする。それは梅ジャムのせいなのか? アミノ酸が欠乏しているんだろうか。あんな駄菓子にアミノ酸が含まれるんだろうか。あんな駄菓子で回復するんだろうか。それとも気休め?
 少しだけ戻った元気で坂を上っていると、この県道182号に徐々にとり付かれてきた。道に、景色に、吸い込まれる。──いいじゃないか、この道。
 もちろん何があるわけじゃない。ときどき、遠くの山なみへの眺望、そこを縫うように走っているこの県道182号や国道144号の様子がうかがえる。ただそれだけの美しさにほれぼれし、ときどき止っては写真を撮り、眺めるために腰を下ろした。
 車だってほとんど来ない。
 勾配を上り切り、平坦を走るようになると菅平だ。若干のアップダウンを繰り返しつつ、やがて道幅が広くなり、中央線も現れる。周囲は整備された森に囲まれて、このあたりは別荘地のように見えた。
 気持ちのいい道だ。
 僕は思わず、自転車を車道のまんなかに投げだして、写真を撮ったりした。

 

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 菅平に着くとすぐさまコンビニに入り、飲みものを買った。パスモで払いたいというと、店員のおばちゃんは珍しそうに僕のパスモを眺めていた。外に出て、飲みものを片手に、残っていたひとつのおにぎりを食べた。
 駐車場の縁石に腰をおろして、おにぎりを食べていると、さっきのおばちゃんが出てきて、ゴミの回収や簡単な掃除を始めた。
「今日は暑いですよ。大変でしょう」
「暑いですね。でもわりと暑いの平気なんで、寒いよりは助かります」
 確かに標高1350メートルでこれじゃ、暑いんだろうなあ。僕にはむしろちょうどいいけど、考えてみたらまだ4月だ。夏になったらどうなっちゃうんだ?
「これでもね、おとといは雪が舞ったんですよ。いったい何なんでしょうね、この天気は」
「雪とはまた、極端ですね」
 僕がそういうとおばちゃんは笑った。
「これからどちらまで行くんですか?」
湯田中です」
「えええっ!? 湯田中ってあの湯田中でしょう?」
「ええっと志賀高原のふもとの温泉ですね」
「大変。車でも一時間半はかかるのに」
 そのあと、僕が出発するまでのあいだ、何度もお気をつけて、頑張ってとねぎらわれた。出発しようとすると、手まで振ってくれた。

 


 須坂へ下った。
 標高1350メートルから350メートルへ、およそ千メートルを一気に下る。一気に、というのがふさわしい、豪快なダウンヒルだった。逆ルートとして、この勾配で標高差千メートルを上り続けるとなると、うんざりするに違いない。そんな斜度だった。下りでよかった。
 路面は荒れていた。抜重しても自転車が跳ねて暴れる。走りにくい路面だった。雪国の道は冬、除雪作業でどうしても路面が痛む。仕方がない。交通量も多い道だった。
 強烈なつづら折、それはそれでなかなかの絶景だった。

 

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 また、だるくなってきた。一瞬回復した元気は、消えた。
 さっき菅平のコンビニに入ったとき、「この疲労にはアミノ酸がいる」って思ったからヴァームを探した。でも残念なことに、そのコンビニにはなかった。ふだんはスポーツドリンクやアミノ酸系飲料は味が苦手で目にも留めないくせに、こういうときにないと騒ぐ。われながら、自分のご都合主義にやれやれ、と思う。
 幸いだったのは菅平から須坂まで下りだったこと。自転車の下山はありがたい。疲れていても何もせず下ることができる。ブレーキを握る力さえあれば、下りてこられる。そこが山登りに比べて助かるところ。山登りは下りに備えてそれなりの体力を残しておかなくちゃいけない。下りで使う体力も上り相応だと思う。
 コンビニでまた空振りをするのもなんなんで、これだけの町だからとドラッグストアを探すことにした。


 信号で止まるたび、町を見まわす。
 いい感じの町だな。


 歴史ある町なみ、建物が残っている。僕がたまたま選んだ道は、そのなかを貫くように通っている。
 ただ事前情報収集をしていなかったこと、ドラッグストアばかり探していたことで、見るべきところもわからず、立ち止ってみることもしなかった。
 ドラッグストアを見つけた。
 ヴァームとアミノバイタルを買った。ゼリーのアミノバイタルをひと息に放り込み、ヴァームをボトルに入れた。
 須坂まで来ると、もう着いたような気分になるけど、じっさいそうはいかない。ゴールの湯田中温泉まで、またさらに標高差300メートルほど上る必要があるのだ。鉄道沿線でその上昇は、にわかに理解できないのだけど、コースプロフィール上、どうもそうなっている。


 中野市に入り、イートイン・スペースのあるコンビニを見つけた。コーヒーが飲みたくて、店に入った。16時をまわって、少しずつ日も傾きつつある。
 須坂、小布施、中野と幹線道路だ。交通量も多い。人も多い。
 コーヒーを飲みながらツイッターを追いかけてみると、今日のメンバーがそれぞれ走り、打合せもないのに出かけた先で出会ったり、一緒に走ったりしている。その誰もの写真が桜と菜の花でいっぱいだ。そうか長野はそういう季節だったのか。僕が選んだ道には、そんな色はなかった。たまたま。


 疲労はあるけど、からだが動かない、脚が進まないというさっきまでの状態からは脱したようで、ずいぶん楽になった。もうあと少し、なにかあっても長野電鉄に乗っちゃえばいいやって割り切りもできるもんだから、精神的にも楽になった。
 道はその長野電鉄に沿って走る。
 踏切の鉦の音が聞こえると、そのたびに線路に駆け寄ってみた。
 かつての成田エクスプレス253系が来た。元東急の8500系が来た。でも僕がひそかに期待している、元営団地下鉄3000系──日比谷線電車はやってこない。
 なかなか運がないぞこれ、と苦笑した。


 信州中野駅を過ぎると、道路は徐々に上りはじめた。
 町なかの道でありながら、けっこうな上り坂だった。ヴァームとアミノバイタルがあってよかった、とここに来て思う。道の勾配は平らになることがない。まるでいやな斜度で休むことなく上り続ける山道のようでさえある。3%から5%くらい、そんな坂道がどこまでも続く。


 こう上りながら、この坂道をかつては都市の地底をモグラのように走っていた車両が、日々上っては下っていると思うと驚くほどだ。懐古とか感慨とかより、こんなきつい坂を上り続けられるんだ、と感嘆する。僕が子供の頃、東武線に入ってきた日比谷線の車両は銀色のステンレスで、ピカピカしてまぶしい電車だった。塗装車両ばかりの東武は、優等列車がベージュとマルーンの塗り分け、普通列車がベージュとオレンジだった。普通列車はやがて明るいクリーム一色になったけど、どの車両も全体的に地味であることには変わりはなかった。同じ線路を走る営団3000系日比谷線車両は、まさに都会から来た電車だった。関東の電車で、現在においても最高の起動加速度を誇る電車である(その性能は抜かれていない)。かつての北千住駅の、発車と同時に立体交差を越えるための短くて急な坂に臨む、豪傑なまでの発進加速は圧倒的で、同じ線路を走る東武2000系にはない胸のすく出発シーンだった。それが今、こうしてリンゴ畑のあいだの急で長い坂道を毎日上っているのだ。かつてのスプリンターは、ここに来てヒルクライマーに転身して、現役で走っている。
 夜間瀬(よませ)橋を渡った。
 川面がきらきら光る。もうすぐ17時。北志賀の広いすそ野斜面が、オレンジ色に染まりつつある。
 鉦が鳴った。踏切だ。最後のチャンスかな。
 走る県道のすぐわきに、ちいさなちいさな駅があった。僕はここにやってきて、ちいさなプラットホームに止まる日比谷線の絵を想像した。今度こそ間違いない。元東急8500系は信州中野より先には入れないから。カメラの電源を入れる。自転車を投げ置く。
 しかしカーブの先から姿を現したのは、元小田急10000系HiSEだった。長野電鉄の特急となった今、この小駅に止まるはずもなく、連接台車独特の踏轍音を残して駆け抜けていった。そうかあ、と僕はつぶやいた。まさかの特急だった。

 

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 17時。湯田中駅
 運がなければ一日そういうもの。終着駅にも停車中の電車はいなかった。
 あとは温泉街の路地を進み、投宿するだけだ。
 でも少しだけ、このまま一日を終えてしまうのがもったいない気がして、温泉街には行かず、角間川に出てみた。ずっと昔、志賀高原へスキーに行くにはここを通る必要があった。川沿いを上って行き、上流の橋を右折する。狭いし、交差点を曲がる必要があるし、何より温泉街のどまんなか、有名な渋滞箇所でもあった。そこまで上ってみる。こんな急傾斜にある川なのに、広い川幅を持ち、直線的に、水がいくつもの棚の段を流れ落ちてくる。対岸に何本も橋がかかり、僕にはもうどの橋だったのかさえ思い出せない。
 青看板の右矢印に「志賀高原」と書かれた交差点が現れた。ここかな──。まあいい、ここっていうことにしよう。
 もちろん今は車通りも多くない。志賀高原へ向かう車は、中野市内から高原へそのまま駆け上がるバイパス、オリンピック道路を使うから。湯田中温泉街はむしろあるべき落ち着きを取り戻したのかもしれない。
 さあ、旅館へ行こう。


湯田中自転車紀行(3)へつづく)