自転車旅CAFE

自転車を中心とした、旅のエッセイ

利根川源流めぐり(May-2019)

 坤六こんろく峠という峠がある。群馬県北、県道63号水上片品線が町界で越える峠である。以前から訪れてみたいと思っていた場所で、でもなかなか行けずにいた。いろいろな踏ん切りが必要な場所だった。たとえば、その日のルート長がそれなりに長くなること。水上から坤六峠を越え、片品に抜けて沼田に戻ってきても90キロを越えてしまうし、さらに加えて金精峠を越え、日光に下りてこようと思えば120キロ級である。1600メートル超の標高まで上らなきゃならなくて──とはいうものの水上駅はすでに500メートルなので1100メートルで済むわけだけど──、高度と距離を走るポテンシャルとそれに臨む意欲が整わないことには出かけられない。あるいは交通費。群馬県最果ての水上までの運賃はそれなりで負担が大きい。水上まで、大宮からの片道ですでに18きっぷ1回分と同じくらいだ。そのくせ上りきった峠らしさもなければ行程中の胸をすくような眺望もない、ただただ森のなかをゆく道だから、損得勘定じゃないけれど、踏み切るためのきっかけが必要だった。
 そんなわけで18きっぷの季節に行くことができたらいちばんいいな、などと考えていた。そうはいうものの、冬と春の期間は通行止め(冬季閉鎖)だし、夏はなぜかこれまで意欲が湧かなかったから、放っておきっぱなしになっていた。
 ルートは作ってあった。──作ってあるというほどじゃない。県道63号一本引くだけなのだから。水上駅を出発して坤六峠を越え、片品に下ったのち、さらに国道120号金精峠を越えて日光へ抜けるルートと、同じ国道120号を西へ向かい、下りながら沼田駅あるいは岩本駅へと抜けるルートだった。もうずいぶん前に用意していた。
 それがなぜか急に、水上までの交通費を払ってもいいかって思うようになった。最近、とみに単調・退屈好きになった僕は、きわめてその傾向の強いこの峠道にコスト・メリットを見出したんだと思う。峠を上りきって「絶景~、快感!」っていえないところなはあと思っていたころよりも年を取ったってことだろう。加えて、金精峠を越えるのも、まあどうにかなるんじゃね? と根拠なく思ったからだ。だめなら沼田に下ればいいって副案も用意してあるし。そして金精峠を越えて日光に抜けることができれば、帰路は東武線での輪行になる。JRに比べてはるかに安い。片道だけ、水上までの交通費を払って、あとは東武で帰ればいいと思うと、交通費の精神的負担も減った。

 

 僕は古く計画したルートを引っ張り出した。

 

(計画ルート)

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 コンビニエンス・ストアや商店はおろか、人家もなければ電気も来ていない道である。つまり自販機も絶対にない。僕は峠越えの途中で昼どきを迎えることを計算し、ふだんはあまり用意しない、おにぎりやらちょっとしたお菓子やらぶどう糖タブレットなんかを仕込み、フロントバッグに入れた。てんくら(https://tenkura.n-kishou.co.jp/tk/)で近くの山を見ると、標高二千メートルでは気温が3、4度であることがわかった。1600メートルだからそこまではないかもしれないけど、平地なら真冬といっていいその気温に念のためインナーを一枚、小さく畳んでこれもフロントバッグに入れた。
 道路状況も群馬県のページで調べた。県道63号の冬季閉鎖情報『利根郡片品村戸倉地内(津奈木橋から戸倉スキー場入口まで)、平成30年11月5日(月)午後2時から平成31年4月19日(金)午前10時まで』を確認した。
 当日朝。最寄りの東武伊勢崎線の始発では間に合わないから、東武野田線岩槻駅まで8キロばかり走って輪行する。上越線信越線、吾妻線に向かうときはたいていこれである。終点大宮駅で乗り換えてJR高崎線の下り始発を待った。

 

 

 朝のまぶしい日差しのなか、水上ゆきの普通列車は渋川を過ぎてようやく川を渡った。日本で二番目の延長を誇る坂東太郎こと利根川である。すでに上流部である利根川を眺めつつ、両側からせまりくる山に足もとを絞られるように坂を上り、沼田。いい車窓だ。そこから後閑ごかん上牧かみもくとさらに坂を上って終点水上にたどり着いた。
 この列車は一日に数本しかない新潟方面への接続列車で、降車客の半分以上がその長岡ゆきへ乗り換えていった。残りの乗客は改札を出ていった。輪行袋を抱えてあとからゆっくり改札を出た僕が、決して広くない駅前広場に出たときには、もう誰もいなかった。僕が自転車を組み上げていると、乗客をすべて送り出した駅係員が、じょうろを手に駅舎前にあるプランターの花に水をやってまわっていた。

 

 水上駅を出発してまず国道291号に入る。この道で大穴、湯檜曽ゆびそ方面に向かう。国道291号とは何とも魅惑的な道である。群馬県の最果てを北上する国道は湯檜曽から土合どあいと進み、谷川連峰一ノ倉沢で終端を迎える。といっても道が途切れているだけで、国道は終りじゃない。新潟県、六日町から南に向かって同じ国道番号を背負った道が南へ伸びている。川に沿って南下し、その川も沢に流れを細くしようかというころ、同じように道が途切れる。
 つまり、分断国道なのである。線籍上、群馬県前橋市から新潟県柏崎市を結ぶ国道で、この分断区間は本来清水峠で越える。国土地理院の地図で見れば、清水峠までの道が記してあり、新潟県側も点線国道として記されている。しかし明治時代に清水峠越え国道として開通したこの分断区間が再び手を結ぶことはないだろう。相当な難所であったうえ、三国峠越えの国道17号が開通してからは実質廃道化し、現在では登山者でさえ通行困難とされる。
 鉄道トンネルがみなこの名を取っている(清水トンネル、新清水トンネル、大清水トンネル)ほどの名峠を目前に、群馬新潟双方から同一の国道が今も手を伸ばし続けているなんて、ロマンじゃないか。仮にこの先結ばれることがないとわかっていても、かつては一度峠越えのルートとして使われていた時代に思いをはせ、ついわくわくする。
 現在、この国道291号の青看標識には「湯檜曽」「谷川岳」などと書かれている。「六日町」などとは出ない。当たり前だけど。
 そしてこの国道291号大穴交差点から分岐する県道63号が、まさに坤六峠を目指す道である。この交差点が県道の起点でもある。
 僕は国道291号を離れ、進路を右手に取った。

 

『坤六峠 冬期通行止 平成30年11月5日午後2時から平成31年5月24日午前10時まで』
 その立て看板を見たのは、国道291号から県道63号に分岐して500メートルも行かないうちだった。僕は目を疑ったし、思わず立ち止って群馬県の道路規制情報のページにアクセスしてみた。僕には事前に確認した情報が目に留まるだけだった。
「本当なのかな──」
 僕はそのまま坤六峠に向けて進むほかアイデアもなかった。水上駅から数キロ来ただけで、水上駅に戻って帰るといったいなにしにやって来たのかわからないし、水上に戻って別なところを走ろうにもパッと思い浮かぶ場所もなかった。じゃあどこに行くのかという問いに答えは出なかった。沼田まで戻って望郷ラインを走ることも浮かんだけど、交通量の決して少なくない地方の市街地をゆく国道291号や国道17号、あるいはそれら旧道の県道61号を走ることに気持が動かなかった。仏岩を越えて猿ヶ京や匠の里に抜ける県道270号のルートにも、このとき興味はわかなかった。猿ヶ京や匠の里に抜けたところで、その先どうしたらいいか、およびもしなかった。
 立て看板の撤去忘れもあるんじゃないかと少しだけ期待した部分もあった。僕は県道63号を、そのまま山へと向かった。

 

 藤原ダムで堰き止められた藤原湖までの上りを終えると、坂は一段落し、平坦路とほんの小さな集落と、枝分かれする小道があらわれるようになった。そこかしこで桜だかハナモモだか、花に疎い僕には見てもわからないけどピンク色の花を付けた木々が百花繚乱だった。春のやわらかな日差しのもとで、まるで山あいの小さな桃源郷のようにさえ映った。
 そんななかを気分よく走っていて、フロントタイヤまわりからシュルシュルと音がしていることに気づいた。音を思い返してみるとずいぶん前から鳴っている気もした。音の原因はすぐに探り当てられた。フロントバッグが垂れ下がって前輪に摺っているのだ。これまでも使うときは本当にぎりぎりのクリアランスだったゆえ、今日のようにおにぎりふたつと菓子類と服を入れて重くなったフロントバッグはクリアランスを使い果たし、思い切りタイヤにこすれていたのだった。過去にもこの目にあっていて、ハンドルバーにできるだけ近づけて留め、そのベルトが緩まないように工夫はしていた。でもそもそも僕の自転車にはこのモンベルの円筒形フロントバッグが大き過ぎるのだ。
 藤原郵便局の前までやってきて、小休止を兼ねてフロントバッグのベルトを締めなおした。留めているのがこのベルトだけだから、緩んだ分を締めるしかできることがなかった。
 こういう過疎地の郵便局の風情はいい。どこまでものどかでありながら、同時によりどころたる安心感を覚える。ここにも桜だかハナモモだか立派な花が咲いていた。こうして眺めていると、土地々々の郵便局で旅行貯金をしたくなるのもわかる。かつて僕もやっていたことがあった。旅先の郵便局に寄っては少額の預け入れをする。預け入れの用紙に記入し通帳と一緒に窓口に出すと、入出金の印字とともに、局印を押してくれた。あとになって通帳を見返すと、全国いろいろな地名が局印で残っていた。見ていると、その地の風景だけじゃなく、そのときの旅のようすまでよみがえってきた。局印の「字」の魔力さえ信じた。でも今はもうやっていないしやることもない。預け入れや引き出しはATMでやるべきで、そんないちいちを窓口に頼むべきじゃない。業務をきわめて個人的な趣味につき合わせるべきじゃないとわきまえている。
 風でピンクの花びらが舞うなか、もう一度ベルトの締まり具合を確認して、郵便局を出発した。

 

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 宝川温泉を分け、藤原スキー場の入口を見て、さらに進んでいった。ときどき、グンと上って、あとはゆる上りか、ときに平坦や下りを混ぜた。交通量はもちろん多くないけど、まったくいないというほどでもない。ほどほど車が走り、ほどほどオートバイが走っていた。矢木沢ダムへの道を分けるとまたグンと坂を上り、ほどなくして目の前に巨大なロックフィルがあらわれた。奈良俣ダムだった。
 何台かの車とオートバイが一台、止まって写真を撮っている。僕も真似して撮ってみるけれど、大きすぎてダム全景を収めるばかりで何のひねりもない写真が撮れるだけだった。
 まあいい。
 いちいちダムの写真など撮っている場合じゃない。
 僕はまだ、坤六峠を越えるつもりでいた。だから少しばかり時間を気にしていた。距離が果てしなく長いのだ。
 先へ進む。いよいよ坤六峠へ向かうべく、県道63号は均一な上り坂になった。

 

 奈良俣ダムへの分岐の交差点までやってくると、坤六峠へ向かう県道の直進方向にはここまで何度も見た坤六峠冬季閉鎖の立て看板と、車線を半分だけふさいだ単管組みのバリケードがあった。半分だけだから、トラックでさえ抜けられそうな猶予を残していた。ならば少し進んでみようと思った。いよいよ、紅葉の時期であれば素晴らしいと聞く、照葉峡に向かっていく。
 一瞬迷ってから、止まって鈴を取り出し、ハンドルに提げた。
 そこから1キロあまり進んだところで、ゲートの閉鎖があった。冬季閉鎖道路で見る常設の、大型の開閉式ゲートだった。当然ながら道路全面をふさぎ、合わせて立て看板を立てていた。坤六峠はやはり、冬季閉鎖中だった。
 ゲートは、車の通行は完全に押さえ込んでいるけれど、下部にはじゅうぶんな空きがあった。いわば自転車ならくぐらせて通すことができる。かなり空いているので、それこそ苦もなく、だ。一瞬、15秒か20秒かばかり突破を考えたけど、やめた。なにしろこの先照葉峡から坤六峠は熊の生息域なのだと聞く。少なくとも道路が開通し、日常的に車の往来があるならば彼らの生活圏は道路をいかばかりか避けているだろう。つまり道に出てくる可能性はずいぶん減るだろう。でも今はこのゲートから先、車が入ることはないのだ。半年にわたって車の行き来のない道路に、熊の生活圏として境界などなくなっているに違いなかった。道路も森も、今の彼らにとって差などないのだ。そうなるともう、生身の自転車がひとり、鈴やラジオをかけたところで対処できるレベルじゃない。
 僕は、坤六峠をあきらめた。

 

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 すっかりやることもなくなった僕は、せっかくなので奈良俣ダムまで上ってみることにした。県道63号から分かれると、まずは急な上り。それからトンネルをへてさらにもうひとつトンネル。このふたつめが上りのトンネルで真っ暗ななか漕いでも漕いでも進まない。そしてようやく抜けるとダムの上、ダム湖の高いレベルに到達した。展望台、管理事務所、オートキャンプ場などと書いてある。こんなところにオートキャンプ場があるのか、僕は興味を持って見に行ってみることにした。
 オートキャンプ場へは湖岸の道路で回りこんでいく必要があった。その道は湖面レベルまで大きく下った。とすると、帰りはここを上らなきゃならないのかって急につらくなった。湖面レベルに下りてそのまま進んでいくと、砂浜からカヤックを浮かべて湖に漕ぎだしていくようすが見えた。そしてその先にキャンプ場が広がっていた。
 僕の想像を上回る数のテントが張られていた。こんな利根川源流の奥地に、これだけの人が訪れていることに驚いた。キャンプをしに来ているようすにびっくりした。静かそうな場所だな、でも人の数はこの時期でもけっこういるな、などと思った。ハイシーズンはともすると混雑するかもしれない。広々としていて、今の季節は駐車と設営がずいぶん自由な感じに見えた。
 下ってきた坂をもう一度上って、今度は管理事務所の前に来てみた。11時を過ぎていたので、持ってきたおにぎりを食べることにした。誰もいなくてとても静かなので、ここで湖を眺めながら。
 おにぎりをふたつとも食べ終えたころ、一台車が入ってきた。夫婦だろうか、年配の男女が車から降り、管理事務所へ向かった。入るとすぐに出てきた。そして車に戻り、そそくさと車を発進させた。
「なるほどダムカードかな」
 と僕は気づく。せっかく来たし、もらっていってみようかと考えた。ふだん、ダムに行っても必ずしももらいに行くわけじゃない(もらわないことも多い)のに、なにかあらためて目的が欲しかったんだと思う。峠越えに変えて。

 

「自転車で来たの?」
 管理事務所のおじさんは僕に聞いた。
「ええ、そうなんです」
「へえ、どこから?」
「埼玉からです。水上の駅まで電車で来たので、走ってきたのは水上からですが」
「にしても大変だあ」
「本当はこの先の峠越えて向こうに行こうと思ってたんですよ。まだ冬季閉鎖中なんですね」
「そう。24日までね。24日の10時に開くよ」
「あ、ちなみにこの辺って、やっぱり熊がいるのですか?」
「いるねえ。この前も道であった人がひとりいたよ。とにかく鈴つけてな」
「そうなんですか。そうかあ……」
「お互いが無警戒のところで鉢合わせになると大変よ。そうなる前に気づいてもらうために、峠越えするなら鈴をつけてね」
「ありがとうございます」
「しかしいい天気でよかったねえ」
「本当です」
「矢木沢には行ったの?」
「いえ、まだ」
「じゃあ行っておいでよ。これだけ天気がいいんだからさ」
「そうですね」
「向こうのダムカードは向こうでもらえるから」
 そうか、ダムカードを収集しているように見えたのかな。
「わかりました。ありがとうございます」
 奈良俣ダムの管理事務所のおじさんとの会話で、このあとの予定が決まった。

 

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 一度洞元湖どうげんこの下まで下る。かなりの標高を下った気がした。
 そこで県道63号から分岐する、矢木沢ダムへのに入った。道の途中、まず須田貝という東京電力の発電用のダムがある。洞元湖を造っている巨大なコンクリートダムだ。道はさらに須田貝ダムへ向けて下った。これがけっこう急な下りだった。あとで上らなきゃならないことを思うと、嫌だなあと思う。
「須田貝は写真だけ撮っときな」
 そう、奈良俣管理事務所のおじさんにいわれていた。僕は下りきったところでダムをカメラに収めた。
 小さな橋を渡ると、ここから矢木沢ダム管理道路とあった。一本道なのでこれを進んだ。矢木沢ダムまで10キロ、と書いてある。──10キロ? そんなに遠いのか……。
 道は須田貝ダムへ下ってくるのと同じくらいの勾配で上りはじめた。やれやれ、きつい。またフロントバッグのベルトが緩んだのか、前輪に摺りはじめた。うっとうしい。でも止まるのも面倒だったので、バッグを手で引っ張った。さすがに走りながらベルトを締めなおすことはできないけど、引っ張るだけでも若干角度が変わったのか、こすれは収まった。しばらくするとまた摺りはじめたけど、引っ張りなおすことを繰り返して、矢木沢ダムに向かった。
 だいぶ標高が上がってきた。遠くの山を望むようになってきた。前方の真っ白な山はどこだろう。方角から考えると尾瀬のように思える。平ヶ岳? 僕は山に詳しいわけじゃないから、山の姿でわかりはしない。位置関係にしてもしかり。でもきっと尾瀬か、新潟の奥のほうなのだろうなと思う。遠くの山は真っ白だ。
 道路がカーブで方角を変えると、右の視界が開けた先にスキー場のゲレンデが小さく見えた。白く鮮やかな何本かの筋は雪渓ではない。明らかにゲレンデだとわかる。
「丸沼か──」
 僕はかつてスキーを趣味にしていた時期があって、そのころゲレンデレイアウトを覚えると同時に、じっさい山の斜面にスキー場のゲレンデが見えるとどこのスキー場かがだいたいわかるくらいになった。もちろん単にゲレンデレイアウトだけで判断がつくわけじゃなくて、この地区であのレイアウトならっていう複合の推測によるのだけど、今僕の目に見えるゲレンデは丸沼高原スキー場に違いなかった。こんなところでそんな過去の記憶が生きるとは。──いやそれは生きるといっていいのかどうか微妙だけど。
 丸沼高原は片品村、つまり今日越えていくつもりにしていた坤六峠の向こう側の村だ。それを思うと急に残念な気がしてきた。

 

 矢木沢ダムはやっぱり遠かった。距離計を見ている限り10キロはなかったようだけど、でも上り基調の道はきつく長かった。ダムの駐車場には10数台の車が止まっていて、みなここを観光しているようだった。
 奈良俣、須田貝、矢木沢──僕の今日のサイクリングは、すっかり利根川の源流めぐりになっていた。朝の上越線の車窓に眺めた川の、その源流をめぐる旅になろうとは、思ってもいなかった。

 

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 しかし利根川源流めぐりとはいったって、その川の流れを見ることはない。確かに利根川はおおむね県道63号に沿うように流れているのだけど、道路から見えない。見たけりゃきっと道から河岸に下りていく必要がある。だから『源流の流れ』を目にすることもなければ、どこを流れているのかもわからないのだ。
 利根川源流を実感できるのは、ここまでめぐってきたダムである。関東一円の水がめを担う利根川の、巨大なダムとダム湖たち、これが利根川の源流を認識できるものだ。源流に、沢のような道端の清流の風景を期待しちゃだめだ。ダム湖の湖面を眺めることが、イコール利根川の源流に触れることだ。

 

 そして同時に、利根川源流めぐりはダムカード集めにもなっていた。最終的に集まったカードは奈良俣ダム矢木沢ダム須田貝ダム藤原ダム、小森ダム。小森ダムなんて、奈良俣ダムの管理事務所のおじさんが教えてくれなければわからなかった。パッと見とてもダムには見えないし、おじさんも「下ってる途中じゃないとわからないよ。上ってくるときは気づかないんだ」っていっていた。そのとおりだった。
 僕は須田貝ダムと小森ダムのダムカードを手に入れるため、水上のまちなかにある道の駅までわざわざ出向いた。このふたつのダムカードは写真を撮って、道の駅でそれを見せることで交換に一枚ずつくれる手はずになっていた。道の駅でおばちゃんにスマートフォンの写真を見せると、手なれた感じで二枚のダムカードをくれた。もともと収集趣味があったわけじゃないので、満足感よりも今日一日何してたんだろって思う部分のほうが強かった。

 

 それから生どら焼きの元祖(だと僕は思っている)の小荒井製菓に立ち寄ってお土産を買い、水上の駅へ戻ってきた。駅の線路沿いにはものすごい数の人が並んで、高級カメラからスマートフォンまで、あらゆるレンズの砲列が構えられていた。向けられた先、駅の2番ホームにはこげ茶色の旧型客車が止まっていた。
 SLの運転日だったのか。
 そして折しも発車が近いのかもしれなかった。どこかから「おぅ、来るぞ」と声が上がった。行列の人はみなファインダーをのぞき液晶を凝視した。駅の1番線を経由して、蒸気機関車がこちらに向かってやってきた。ちょうど入れ替え作業だったようだ。この機関車が1番線を経由して一度高崎方向の本線に入り、後退して2番ホームにいる旧型客車の先頭に連結するのだろう。通過に合わせてシャッター音が鳴り響く。一眼レフの物理的シャッター音もあれば、スマートフォンの電子シャッター音もあった。誰もがSLの写真をみずからのカメラに収めていた。

 

 僕はお昼を食べていなかったけど、それほどお腹もすいていなかったので、高崎駅の立ち食いそばでも食べればいいかなって思い、そのまま輪行することにした。
 駅前は乗用車でごった返していた。おびただしい駐車の列はおそらく、線路沿いに並んでSLの写真を撮っている人たちなのだろう。無秩序な車の列のあいだを抜け、駅舎の前に出た。そして自転車をばらす前に列車の時間だけ確認しておこうと駅のなかに入った。
 時刻表を見ると1時間半の空白時間だった。びっくりした。1時間に一本が確保されていると思っていた上越線で、14時20分の次が15時53分だった。今からまだ1時間もあった。まる1時間待ちとはやるせない。まるで外人がやるように、オーノォと両手のひらを上向きに返したい気分だった。
 あるいはもともとがSL列車の運転を加味したダイヤなのかもしれない。SL列車は到着ののち、蒸気機関車を切り離し、石炭と水を補充し、転車台で反転させ、機回し線で客車の先頭に回して連結する必要がある。しかしながら水上の駅には機回し線がない。ゆえに列車の入ってこない時間帯を作り、1番線の線路を使って蒸気機関車を先頭に回すのかもしれない。1番線で列車の発着があると、これができなくなる。
 僕はいったん自転車をばらすことをやめ、昼食にすることにした。
 駅前のおみやげ屋兼食堂なら手軽だったけど、なんとなく避けて国道沿いのラーメン屋に行った。それでも1キロに満たないくらい。おすすめと書かれた、谷川ラーメンという野菜からたけのこからきのこまで何でも入っているラーメンを頼んだ。待つあいだに僕はスマートフォンで、キャッシュに残っていた群馬県の通行規制情報のページをもう一度見た。
 すると、僕が見ていた県道63号とは別の場所に、もうひとつ記載を見つけた。

 

主要地方道 水上片品線 (63号)/利根郡みなかみ町藤原地内(湯ノ小屋橋)から利根郡片品村戸倉地内(津奈木橋)まで 平成30年11月5日(月)午後2時から平成31年5月24日(金)午前10時まで』
 片品村側の情報とは別の欄に、みなかみ町側の規制情報が書かれていた。

 

 あきらかに、僕の確認ミスであった。

 

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(本日のマップ)