自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

栃木県南の眺望と駅前ラーメン(Jan-2019)

 好きな駅で降りるっていうのは気分がいい。
 もちろん輪行サイクリングは汽車旅や駅を目的にしているわけじゃないから、毎回毎回好きな駅を選んで降りるってできるわけじゃない。駅などサイクリングのルートによって決まるのだから。
 今日は、好きな駅で降りた。


 駅員は、僕を含めた数人の乗降客を確認すると──しかもその大半はICカードで自動改札機を通過した──、ほうきとちりとりを持って駅舎の周りの掃き掃除を始めた。次の列車まで30分ある。
 駅前には路地のような道が一本、そこに商店や住宅が並んでいる。商店はみなシャッターを閉ざしていて、それが時間が早いせいなのか、それともいつだってそうなのかはわからない。小さな小さなタクシーガレージがあって、昭和からそのままなのだと直感的にわかる。ノスタルジーを演出しているわけじゃなく、ただ変わらない、、、、、だけだ。
 鉄道模型ジオラマなんかで郷愁あるノスタルジックを再現していたりすると、それが模型によるデフォルメとわかっていても、見ているだけで吸い込まれそうな魅力があったりする。懐かしいまちと駅前、かつてこうだったと思い出させる駅やホーム、そこへ昔乗ったことがあるような列車が入ってくる。そういった作品を見ていると、ドラえもんのスモールトンネルをくぐってその場に立ってみたいと思う。
 その世界が、ここにリアル。東武日光線静和駅
 僕はここに立っている。そして素晴らしいのは、演出ではなくありのままであること。作られたものじゃなく、この地がこの場で生き、営みを持っていること。僕はこの駅で降りるのが好きだ。

 

 今日は特に目的のあるルートじゃなかった。夕方には帰る必要があって、日中自転車に乗る。昼過ぎまで走ろう、そしたらどこへ行こう──、それを見いだせず、何となく山をからめられるルートを考えてみた。それだけだった。栃木県南の、それほど高くない山。県北や高い山を狙うと雪や凍結の心配があるから、それがない山を見つくろった。なら、せっかくだし駅くらい好きなところで降りようって、選択した。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234114j:plain

f:id:nonsugarcafe:20170119084226j:plain

 

 自転車を組み上げた。静和駅前から出発。

 

(本日のマップ)

 

 

 駅を出てすぐ、西からやってくる県道67号と南北に走る県道11号との和泉交差点は、かつての日光例幣使街道が東から北へ方角を転じた場所だった。現県道の交差点にしたがって左折するルートで栃木へ向かった。僕はそれを過ぎ、少し先で右に曲がった。僕は栃木ではなく岩舟に向かう。
 田んぼのなかや家々の路地をいくつも折れながら進んでいくと、JR両毛線の線路を小さな踏切で横切った。前から切り立った岩がごつごつとむき出しになっている岩船山が近づいてくる。いつ見ても奇妙な岩山だと思う。
 それを横目に見つつ、広域農道を横切って西山田林道に入った。道は緩やかな勾配で、徐々に標高を稼いでいく。眼下の景色が広がると、真下には大平のぶどう園地、それから冬の田畑が広がっていた。さらに正面にはまったくもって起伏のない関東平野。これだけの大きさの、一枚皿のような平地を見渡すのは、関東平野以外にはないように思う。この永遠に続きそうな平べったさには驚く。そして正面には筑波山が見えた。
 道はやがて、清水寺せいすいじの山門前へ出た。駐車場は多くの車で埋まっていた。ここは寺への参拝客のほか、馬不入山うまいらずさん晃石てるいし山へのハイク拠点にもなっている。午前9時過ぎだというのに車でいっぱいだ。日が徐々に昇ってきたとはいえ、僕などまだ寒さに震えているのに、みんな朝が早い。車はあるけど寺の周りに人はいないから、もう山へ入っているんだろう。
 清水寺から先は下り。同じ道をハイカーもランをする人もいて、狭い道だから気を使う。なぜかみな、大平側から来る。岩舟側から入ってくる人ってほぼ見かけない。でも景色は、岩舟側から入った清水寺までのほうがいいと、僕自身は思う。孤独感もまた。
 下り切ると西山田林道の終点で、でもそこに最近取ってつけたような「あじさい林道」と書かれた木柱が建てられていた。愛称としてそう呼ぼうとしているのだろうか。
 最後は広域農道に突き当たる道ながら、広域農道には出ず、狭い路地を伝って大中寺の山門に出た。9時半、ようやく日が高くなってきた。

 

 大中寺の山門をくぐった脇から中腹づたいに下皆川林道に出た。そういう道がある。ここから下皆川林道で太平山に上っていく。
 急に、自転車乗りのメッカに放り込まれた気分になる。倍以上のスピードのクライマーに抜かれ、隊列を組んで下ってくるチームとすれ違う。僕は淡々と上る。
 下皆川林道の上りはそれほどきつくない。途中下りもある。それで3キロほど。それが終り、太平山内の道路に入ると強烈な急坂が現れる。ふもとにある高校の名から通称国栃こくとち坂。太平山謙信平に行ってみようと知らずにくるとびっくりする。僕は今や知っているからここまでを温存して上がってくるけれど、これを知らずに林道だけで力を使い果たすとつらい目にあう。知ってて上る僕でさえ、つらい目にあう。
 謙信平で広がる関東平野に臨むと、富士山が視界に入った。こんなところから富士山が見られるとは知らなかった。今まで何度も来ていて、見えたことがなかった。冬の空気の澄んだ日だけなんだろう。
 今日は朝食もゆっくりだったので空腹感もなく、いつもの団子は食べずそのまま進んだ。太平山神社の山門はハイカーの横断路でもある。冬などオフシーズンと思うけど、参拝客とハイカーを合わせればきりなく人通りがあった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234205j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234216j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234230j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234239j:plain

 

 二番目の山に、山や峠の名前はない。
 県道210号、柏倉葛生かしわぐらくずう線。峠は山稜の鞍部を選んでいるため、山には遠く特定できないし、峠としても名前が付けられていないものだから、話をするときにみんな困る。峠から散策路を歩いて1キロばかりに行ったところに琴平神社があることから「琴平峠」と呼んだり、栃木市側にあるカート・サーキットの名前からフェスティカと呼んだり、そんな感じだ。
 そんな琴平──琴平神社と呼ぶにはあまりにも距離があるから、琴平口とでもいおうか──への坂は、栃木市側から順にカーブ番号が振ってある。全部で40まであり、ピークの琴平口は19。アスリート指向、レース志向の自転車乗りが「高速ヒルクライム」と呼ぶように、緩やかな斜度をつづら折りで上っていく。
 ここにもまた自転車乗りが集まってくる。僕が坂に合わせてゆっくり上っていると、僕が平地で走るよりも速そうな速度で追い越していく。僕は坂を上ることが目的ではないから、そのさわやかな背を見送る。彼ら彼女らはすぐに次のカーブの先へ消えて見えなくなる。
 栃木市側は眺望がない。しかしカーブ19琴平口を越えて佐野市側へ下ると、木々の切れ間から今度はまた違った方角の関東平野を望むことができる。
 僕はそれを楽しみに──なにしろ今日は太平山から富士山を目にすることができたのだ──琴平口を目指す。勾配が緩めなので淡々と上れるけれど、速くは走れない。するとさっき僕を追い越して行ったアスリートがすれ違い挨拶を交わす。そうなのか上までいって下りて来ているのかと察した。
 いよいよカーブ19の標識に立った。人はいない。しばらく僕が休憩していると、佐野市側から上ってきた自転車が、挨拶だけして止まることなく栃木市側へ下って行った。車はまったく通らない。栃木と葛生とを結ぶ交通網と考えると、道幅が狭くカーブの多いこの道は時間がかかるからだろう。ほかにいい県道もあるから、車があえて選択する道じゃない。いつも車に遭遇することはまれで、せいぜい数台だ。今日はゼロ、これも珍しいことじゃない。それを踏まえるとここは自転車天国なんだろうな。琴平神社へ向かうハイカーもここを通ることはない。ふもとから別のハイクルートがあるのだ。なにもこんなアスファルトの坂道を上ってくる必要がない。
 また一台、栃木市側から自転車が上ってきた。よく見ると僕が上っているさいちゅうに一度抜かれ、さらに先、折り返してすれ違った人だ。一往復半、俗にいう「おかわり」をしてきたってことか。挨拶も三度目になり、互いに含み笑いがちになった。そのまま、今度は佐野市側へ下って行った。
 僕も佐野市側へ下った。予想通り、木々の切れ間から見えた眺望は素晴らしかった。いや、想像以上だった。これまで記憶に残っていた風景が冬のものじゃなかったから、冬の風景が素晴らしかった。木々の葉が一様に散り、景色の広がりが半端ないのだ。僕にわかる目につく山やまちはない。場所の特定はできないけど、眺めているだけでいい。温かくなった日差しもまた、気分を盛り上げた。
 眺めていると自転車が上ってきた。互いに「あっ」といった。彼は今度、佐野市側のおかわりをしているようだった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234305j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234322j:plain

f:id:nonsugarcafe:20170119112140j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234344j:plain

 

 下って葛生のまちに入った。石灰岩を中心とした鉱山のまちで、かつては東武佐野線からさらに貨物専用の支線が何本も走っていた。今はダンプカーによる輸送に代わり、貨物路線はすべて廃止された。路盤と、架線の外された架線柱が、山に向かって残されている。東武佐野線の終着、葛生駅しん、、と静まってそこにあり、館林からやってきたワンマンの二両ないし三両の電車がぽつんと止まっているだけである。
 葛生駅の駅舎は建て直しをしたんだろう、新しく小ぎれいな駅舎になっていた。
 僕はその線路際、細いスペースに店を出している「あづま本店」というラーメン屋にかねてから行きたかった。すっと立ち寄ってみたいと思っていたのに、タイミングが合わず──たとえばその多くは空腹ではなかった──、延び延びになっていた。僕は自転車を線路の柵にくくりつけ、いよいよ念願かなってのれんをくぐった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234404j:plain

f:id:nonsugarcafe:20170119113346j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234432j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234443j:plain

 

 ラーメンにすっかり魅了され、満足した僕は、三番目の山として唐沢山に取りかかった。唐沢山は今日三つの峠道のなかで圧倒的にきつい。瞬間的な傾斜なら太平山内の謙信平への道だろうけど、こちらは均一アングルで2キロ上っていく。琴平同様カーブに番号が振られていて、田沼側から1。ピークの唐沢山は11。このカーブ1を曲がった途端、急坂が始まる。今日ここまでの太平山の下皆川林道や琴平への県道210号が緩やかな坂だったものだから、余計にきつく感じる。食べたラーメンが重たくのしかかって感じた。でもあがいても仕方ないからゆっくりじっくり上っていく。
 この道は観光だろうか乗用車が多く行き来する。ヘアピンカーブばかりが続き、その内側はとんでもない落差になっている。車だってそんなの避けたくて、大外をまわっていった。僕ももちろん、勾配を少しでも緩くするために大きく外まわりをした。
 そしてこの道の中腹からの眺望は、日光連山であった。男体山をはじめとする周辺の山々──詳しくないのでわからないのだけど、大真名子や小真名子、太郎や女峰山といった山々だろう──がくっきりと、青く見える。手前には鉱山のまちと、切りだされた鉱山の山々が連なっていた。自転車を置き、写真を撮っている僕を追い越していくバイク、そのとき目に飛び込んできた日光連山の山々を二度見しているのがわかった。

 

 さああと半分。このきつい坂をなんとかしてしまおう。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234507j:plain

 

 

 ルートは館林駅まで引いてきた。でも途中、唐沢山を下った堀米駅で、20分後に東武佐野線の列車があるとわかったので、ここで切り上げることにした。館林のような大きな駅よりも、こういう小さな駅で乗るほうが気分いいね。僕は自転車をばらして輪行袋に詰めた。駅は無人駅、ホームへは地下の通路を通っていく。改札はない。ホームに上がったところにあるタッチ機にパスモをタッチした。もう数人の乗客が列車を待っていた。あと7分。すぐだ。
 乾いた音の自動放送が列車の接近を告げると、僕の住む越谷ではもう見ることもなくなって10年近くになるだろう8000系電車が2両で入ってきた。背景に、日光男体山をたずさえて。

 

f:id:nonsugarcafe:20190121234531j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190121234543j:plain