自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

熱海峠・駿河湾(Nov-2018)

 熱海峠に行こう。

 

 行先に伊豆方面を選択した自分の行動を客観視すると、寒くなってきた、冬が近づいてきたんだなと思う。寒さに弱い僕は、寒くなると暖かい(と感じている)土地を目指すようになる。もとを正せば今日は、手持ちの小田急株主優待乗車証を使い切るための輪行だった。以前チケット屋で安く出ているものを見つけて、手に入れておいたこれの有効期限が11月末で、まずいぞとあわてたからだ。ふだん予定などすっからかんの僕には珍しく、今月は週末の多くが埋まっていて、まじまじとカレンダーを見つつ、なぜ東武は12月末なのに小田急は11月末なんだと有効期限に八つ当たりしつつ、ひねり出した一日だった。
 小田急となれば、株主優待のメリット(近いと乗車券で乗るよりも高くついてしまう)と沿線の魅力から考えると新松田あたりが好適で、西丹沢や足柄へ向かう道なんかがいい。それをわざわざ小田原まで乗り通したのは、「その方面は山の陰になって寒い」という印象を抱いてしまったから。じっさいの気温を比較したことはないし、じっさいそんなことはないようにも思う。僕の内面にあるただの刷り込み。西丹沢や足柄はあらぬ濡れ衣を着せられたのだ。
 だいたい小田原まで来るのなら東海道線で一直線に来ればいい。わざわざ代々木上原に出て小田急に乗って小田原まで来るとぐるっとまわる大まわりルートになってしまう。株主優待の使い切りがひとつの目的とはいえ、ともかく小田急での好適地を選ばずあえて遠まわりまでして小田原まで来た理由を求めていると、東海道線が川崎駅での線路切り替え工事をするため、今日一日東京横浜間で運休することを知る。おお今日の俺の目的は小田急でないと達成できなかったんじゃないか! 素晴らしいぞ俺!! そうあと付けで見つけた情報に大満足した。こうなると求めたのは理由というよりもはや救いだ。なんと小さな人間であろう。

 

 僕は熱海駅前からひと駅、伊東線来宮きのみや駅近くにあるめがねトンネルの前で止まった。今までならここを直進、来宮駅前からの熱海街道で熱海峠へ向かった。今日はこのトンネル(といっても東海道線のガードだけど)を抜けて、裏街道的県道20号で行ってみようと思う。

 

(本日のルート)

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GPSログ

 

 

 熱海街道県道11号は熱海から山越えで多方面とつながる主要道で、けっこうな交通量がある。多方面とはいっても、大多数はかつて熱函ねっかん道路と呼ばれた──僕を含め、いまだにそう呼んでいる人は多い──県道11号新線経由で函南かんなみと行き来する車がほとんどのようだけど、熱海峠で伊豆スカイラインや、さらに箱根峠から箱根各所や三島と行き来もできる。
 かつて初めて熱海街道で函南に向かったとき、そのびっくりするほどの厳しさに何度も立ち止まり、押し、果ては着けないんじゃないかと思うほど、ダメージを受けた坂だった。10%前後の均一アングルで笹尻交差点まで向かう道は、途中にホッと休める平坦もなければ、傾斜が緩やかになることさえない。カーブを過ぎても過ぎても現れる斜度の変わらない平面的急勾配は、基本的な坂の上り方さえ忘れさせてしまうほどの重圧で視覚的にものしかかってきた。初めての僕にとって魔境であった。
 それからこの坂を越えようと何度も熱海街道に出かけ、やがて上り切るようになった。欲を出さないこと、無心になることは大事だ、それを知った道でもあった。
 ただどうしても避けられないのが交通量である。
 高規格な道ではあるけれど、それほど広い道ではない。しかしながら交通量をさばくため、あるいはなかなか上り切れない車を避けるため──動力があったってこの坂はきついのだ──、上り側には登坂車線が設けてある。必ずしも広くない道路を三車線で運用しているため、路肩にはほとんどスペースがない。その道を、ときに両車線を上る車が並走してカーブに入ってきたりする。2台の車と自転車とがカーブで並ぶとかなりの恐怖だ。そのうえ場所柄、大型の観光バスも走るし路線バスも走る。そしてダンプカーが多い。
 救いの少ない道だ。
 急勾配となれば、特にイン側の左カーブとなるときなど、ふくらんで勾配を緩くして上りたい意識が働くけれど、コーナーの頭を取りに来る車と並んでしまうとふくらむことさえできない。路肩に張りつけられたまま、立ち漕ぎも交えて上るくらいしか手立てがない。熱海街道を笹尻に向けて上るとなれば、そうするほかないし、そうしてきた。

 

 慣れた、といわれれば慣れたから、ここを走ることも今は気にしないけど、避けられるなら避けて通りたいとも思っていた。
 そこで県道20号である。

 

 県道20号は同じ熱海市内から笹尻交差点まで、熱海街道に並行するように上る道である。めがねトンネルで東海道線の下をくぐり、来宮神社の目の前を通過して上りにかかる。笹尻交差点で目にする、行先なしの(20)と書かれた青看標識は気になっていたし、帰って地図を見れば笹尻から市内まで県道20号がつながっている。興味はあったものの、ずっと放置していた道で、いよいよ今日はこれで笹尻を目指してみようと思ったのだ。

 

 

 めがねトンネルをくぐると、人と車が入り乱れていた。来宮神社──。全国「きのみや神社」の総社であるここは、神社みずからパワースポットという言葉を用いて、また来宮神社ハッシュタグをつけてインスタにアップしてくださいなどと、まったくもって女子受けしそうである。朱塗りの鳥居、そこから続く参道を老若男女多くの人が歩いていた。信号のない複雑な形の交差点をタクシーやら自家用車やらが取りとめもなく行き交っていた。
 来宮神社の前を左に折れた県道20号は、上り坂にかかった。果たしてどこへ道は続くのかと思うほど崖が道路に迫っていた。線路の下をくぐったはずの道はあっという間に来宮駅を上から見下ろし、突き進んだ。そして崖にぶち当たるようになると、くるりときびすを返し、180度のヘアピンカーブで強烈な高低差を上った。
 少しだけ斜度が緩んだ。ホッとして景色を見下ろすと、熱海のまちが一望できる高みにまで来ていた。相模湾が光っていた。初島が、まるで船みたいに浮かんでいた。

 

 事前に調べてきた情報では、笹尻まで熱海街道経由で3.7キロ、県道20号経由で4.5キロ、同じ標高差340メートルを上るのにずいぶんと県道20号は楽なはずである。じっさい、急な斜度があっても中だるみのように斜度が落ち着く箇所が繰り返し現れて、圧倒的に上りやすかった。それになにより交通量が少ない。道が狭く、センターラインこそあるものの、車のすれ違いには少し気を使いそうな場所もあった。カーブも小半径が多くで、総じて走りにくいこの道は、車には不便だと思った。一帯は別荘地なのだろうか。静かさを保つため、この県道20号は積極的に案内せず、熱海街道県道11号へ誘導しているのかもしれない。笹尻交差点にある青看標識の県道20号に行先が書かれていないのは、そういうわけなんだろう。そんないろいろをひっくるめて、熱海街道よりも格段に交通量が少ない。
 森の別荘地を抜けると山肌を縫うように進んだ。木々がはけて眺望のある場所も、方角が悪いのか海まで見えず、連なる山々が見えるだけだった。あるいはときおり雨粒の落ちる、外れた天気予報のせいかもしれなかった。

 

 じっくりじっくり時間をかけて上る、というより時間をかけざるを得なかった。さっきから腕や脚にしびれるような感覚があって、力が入らなくなっていた。これが思いのほかつらくって、なんで熱海街道よりも斜度も交通量も楽な道を選んでこんなことになっているんだって哀しくなった。だんだんひどくなるのだけど、笹尻まではなんとか行こうと思った。気を紛らわすために、なんでこんなことになっているのかを考えることにした。ひとつは脱水症状。気温の低い日だから、ここまで今日、まだ一度も水を口にしていない。まだボトルの口栓を強く締めたままだった。肌寒いと感じていたから水を摂る気も起きず、でも実は汗をかいていることにも気づいていた。僕は走りながらがぶがぶとボトルの水を飲んだ。一度にまとめて飲むのはよくないとわかっていたけど、がぶがぶと水を飲んだ。あるいは肩こり。熱海峠の寒さがわからなくて、重ね着できるようTシャツを丸めてリュックに入れていた。リュックなど背負うのはいつ以来だろう。なんだかんだうまいこと荷まとめして手ぶらにしてしまうので、久しぶりのリュックで肩がこっているのは間違いなかった。首も痛かった。それゆえ腕がしびれているのかもしれない。もうひとつは低血糖。この身体の力の入らなさ加減は、そうじゃないかと思った。といっても輪行した小田急電車のなかでパンをみっつも食べてきて、むしろ胃もたれ気味で何も食べたくない状況なのだ。低血糖にも思えるけれど、本当にそうか? と確信はなかった。
 かくしてようやく笹尻交差点に到着した。自転車を置き、路肩にしゃがんだ。背中のリュックを下ろすと肩がいくぶん楽になった。そのなかからハチミツを取り出した。いつもハチミツをボトルのまま持ち歩いている。ステージの前に腰に手を当ててハチミツをボトルから直接口に流し込むという、バイオリニストの千住真理子氏のエピソードを聞き、なるほどそれだと思って僕も真似し、ハチミツをボトルのまま持ち歩いている。千住真理子氏のように僕もハチミツをボトルから直接飲んだ。もっともスポットライトの当たるステージの袖ではなく、ちりやごみや小石や砂が掃きだめられた県道の路肩であったけど。
 それからこれもリュックに入れていたバウムクーヘンを食べた。ハチミツを飲んだら胃が元気になったのか、口に入れたくなった。バウムクーヘンをちぎりながら口へ放り込んだ。そうやって笹尻交差点を眺めながら休憩し、補給を取った。交差点を行き交う車を見ていると、熱海街道を上ってきた車はほとんどが熱函道路へ向かい、熱函道路から来た車はほとんどが熱海街道を下って行った。

 

 さあ熱海峠を目指そう。
 笹尻から熱海峠は3キロ弱、200メートル余り上る。
 休憩ののち、身体が楽になった気がした。しびれはなくなり、力が入るように感じた。リュックは変わらず背負っているから、とすると脱水症状か低血糖か。やれやれ、こんな自己管理の甘さでくたびれたくないな。残念な結果だ。
 熱海峠までの道も県道11号で、こちらは熱函道路に対しての旧線である。伊豆スカイラインや、箱根への連絡路の役割を果たしているから、道はそれなりの規格だ。熱海街道ほどの交通量はないけれど、坂の途中に清掃工場があるものだから、何台ものゴミ収集車が追い越していく。同様に熱海街道から上ってきたのだろう、ダンプカーにも抜かれた。ダンプはどこへ行くのだろう、想像もつかなかった。
 斜度もそこそこあるので、ヘアピンカーブのイン側にはとんでもない傾斜があったりした。あわてて立ち漕ぎを発動する。瞬間最大勾配なら20%どころじゃないだろうと思えるヘアピンイン側の傾斜はとても座ったまま上っていける坂じゃないかった。
 そうしてようやく熱海峠にたどり着いた。

 

 自転車を置く。
 そこに座る。
 寒い、と思った。目的の地に上ってきたな、などと思うより前に。

 

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 さてどうしようかなって思う。
 このままさらに箱根峠まで行って、箱根湯本や小田原に下る手もある。なにしろ小田急株主優待を使おうとしているのだから、実に有効な選択だ。
 でも駿河湾が見たくなった。何となくだ。
 海が見たいというわけじゃない。それなら相模湾だっていい。どうやら僕は駿河湾が見たいらしい。
 じゃあこの県道11号旧線を下ろう。

 

 

 身体は温まっていたけど、ウィンドブレーカーを羽織った。暑いかなと思ったけれど、走り始めて1分もしないうちに寒くていられなくなった。着て正解だった。
 県道11号旧線の函南側下りは道が狭く路面も荒れた、木々に囲まれた道だ。じめじめとして薄暗く、路面は湿ったりして落ち葉が浮いていた。センターラインなどないこの道は、離合の難しそうな道だった。下ってきて僕を抜いていった車が、その先で上ってきた車と鉢合わせになり、バックを何度か繰り返してすれ違い場所を探っていた。上ってきた車はマイクロバスだった。
 じめじめした気の重くなりそうな森を抜けると集落があった。山の斜面のあちらこちらに家が建っている。生け垣や塀が道路に面して、集落の中心を抜ける形になったが、そこにはひと気がまったくなかった。誰も歩いていないし、生活の音も耳に届かなかった。土曜午後のバラエティプログラムのTVの音が聞こえてもよさそうだったが、そんなことなどなかった。ひっそりというよりしん、、としていた。赤い、郵便のカブが下から上ってきてどこかの家の門の前に止め、荷台から取り出した郵便物を郵便受けに放り込んだ。カブはそれからすぐに走りだし、別の門の前でまた止まった。そうやってこの集落の家を一軒ずつまわっていた。まるでなにかの儀式のように。そうみると受け取り手のない郵便物を放り込んでいるようにさえ思えた。ひとつひとつがただの無機質な作業で、郵便物のありなしにかかわらず繰り返されているだけに見えた。どこかの生け垣の向こうへ曲がり、ラジコンのようなエンジン音だけ残してカブは見えなくなった。そんな小さな集落はすぐに過ぎた。するとまた森に入った。

 

 この道を進んでいって、駿河湾に出るというのがふと不思議に思えた。

 

 長い下りだった。熱海側が急傾斜で一気に峠へ上りつめるのに比べ、函南側は長い距離をかけて上ってくる。箱根山地の緩やかなすそ野が、駿河湾へ向けて長く長く続いているのだ。
 森を抜けると田畑が見えてきた。緩やかな斜面に続く田畑が、徐々に広がりを見せた。家も、少しずつ現れた。そのうちに県道11号新線・熱函道路が左から現れ、旧線を吸収した。建物が増え、急にまちになった。函南町の町役場を通過し、道も大きくなって、まちは都市化した。

 

 口野の交差点で僕は駿河湾に出た。駿河湾沼津市内の湾奥、江浦湾とも呼ばれる場所。
 そこから湾に沿って西へ進んだ。巡航速度を落とし、海を眺めながら進んだ。富士山が見えるはずだけど、まったく見えなかった。気配さえないし、その手前の愛鷹山も見えなかった。空は重くどんより曇っていて、遠くの何もかもが見通せなかった。そこには沼津のまちにぐるっと囲まれた湾があるだけだった。
 海まで来たのがまだ不思議に思えていた。県道11号旧線、熱海峠からの下りのじめじめした森から海に出たことが上手くつながらなかった。そういうものなのだろう、頭を切り替えて順応しよう。無理につなげる必要などないのだから。

 

 三津みとから山を越えて長岡に抜けることにした。県道130号伊豆長岡三津線は想像していたよりもずっと古い道路だった。何度かこの三津周辺は走っているものの、この道は初めて走る。今ふう直線的ショートカットルートだから、てっきり最近の計画道路かと思っていた。とくに古さを感じさせたのが、山越えの三津坂トンネルだった。石を混ぜたセメント舗装、内壁はたくさんの補強が見られた。なにより狭くて、大型車は交互通行をしなくてはならないようだった。「三津坂隧道」と書かれた扁額へんがくは掲げられていたが、銘板のたぐいは見つけられなかった。扁額には昭和35年と書かれているように見えたが、きちんと読み取れたわけじゃなかった。じっくり眺めてみたいトンネルだった。が、交通量も少なくなく、そんなゆとりはなかった。そこそこ距離があり、内径の小さいトンネルは僕が入れば車が抜かすことはできなくなってしまう。気持速めに、じっくり見ることもなく僕はトンネルを抜けた。

 

 ──足湯に入ろうかな。
 下り坂をぐんぐん下った。そういえば僕は、伊豆長岡温泉って初めてだ。