自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

炭焼平山林道(May-2018)

 

 ふだんの暮らしが関東平野のまんなか、市内に標高差もなければ坂道などひとつもない、平皿のうえのようなまっ平らの越谷という土地にあるものだから、山のなか、斜面の途中で農業がふつうに営まれていたりすると驚愕するんだ。農業機械は山の急斜面でバランスを崩したり倒れてそのまま転がってしまったりしないんだろうか、それを運ぶトラックはこんなにも急な山坂道を上ってこられるんだろうか。なぜこんな急斜面の山で耕作地を拓(ひら)くんだろう。
 ──あまりに発想が馬鹿げている。ものさしの基準が狭い。
 平地面積のきわめて少ないこの国で、ニッポン人は山とともに暮らしてきたんだ。そして今も変わらない。自分のいる場所が平地だと、農業は平地で行うものと決め付けているフシがある。いやそんなことはないと首を振っても、こうして山のなかで田畑に出合うと、いつだって驚くんだ。

 

 青々と、そして庭師の入ったばかりの生け垣のようにきれいに枝葉のそろった茶が、急な傾斜地に、平衡感覚を見失いそうなほどの斜面に、規則正しく列をなしていた。

 

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 静岡県静岡市清水区西里。水量の豊かな黒川のそばにある黒川キャンプ場に来ていた。キャンプ場に、この炭焼平川林道の案内が立っていて、それによればここが起点のよう。これは行ってみたいぞって思った。
 僕は起点から、この林道をスタートした。

 

 黒川は、水量豊かで、速い流れだ。水は澄み、岩のあいだを白く編みながら下っていく。そういえば川幅の広くなる1キロほど下流では、場所取りさえひしめきそうな釣り人たちが、長い竿で糸を垂れていた。魚は、何が釣れるんだろう。
 僕はこの川をさかのぼるように、炭焼平川林道の坂を上っていく。
 林道になってからはさすがに釣り人もいない、そう思ったけど、置き去りにされた車を見かける。この車って釣り人だろうか。僕は足を止めて水を覗きこんでみた。魚がいるかどうかさえ、僕にはわからなかった。

 

 林道は、深い林間ルートだった。典型的な林業の林だろうか。
 植林された針葉樹が空高く育ち、あいだで育った幹は伐採されていた。長い年月をへて繰り返される木の営み。そのなかを僕は自転車で上っていく。
 水が豊かであることの裏返しだろうか、地盤は強固なわけじゃなく、そこかしこで落石や崩落がある。そんな道路だから路面損壊箇所も多い。落石や崩落のダメージで損壊したように見えるところもあれば、水が流れ時間をかけてえぐられたような場所も見つけられる。全線舗装の林道ながら、荒れたところや落石箇所は避けないと、タイヤを取られる。

 

 水量の多い川、針葉樹林のなかを縫う影のなかの道、やわで崩れやすい地盤、炭焼平川林道はそんなところみたいだ。

 いい道だなあ。

 

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 穂積神社という神社があるらしい。林道に入ってすぐのところに標識があった。山の途中か、あるいは山のピークか。しかし一向に現れる気配がない。
 そもそも、僕はこの林道がこんなにも山に分け入って上っていくとは想像もしていなかった。西里という、興津から道を分けて分けて入ってきた山の集落から、少ししたら下り一辺倒で静岡市内に向かって行けるんじゃないかって勝手に想像していた。
 想像するのは勝手だけど、現実は全然違っている。
 さっきからもう何十分も上っている。
 僕は手もとのガーミンに地図とルートを表示しているけれど、それがどこかにたどり着くようすを見せない。ただただつづら折を繰り返し、さまよっているようにしか見えない。
 そう、まるでさまよってるような道だ。
 つづら折で上っていく道は、斜度でみるならそう極端にきつくないという経験則を頭のなかで発動しているのに、全然進まない。ギアももうローまであと一枚まで来ている。時速5キロ台。これじゃまるで10%超の勾配みたいだ。でも道はつづら折を繰り返すし、目に入ってくる坂道はそんな斜度を感じさせない。ふつうの坂。
 となると僕のポテンシャルが低いのか。──まあそうなんだろうなあ。笑いたくなるけど笑えない。

 

 空が明るくなってきた。山の中腹の、林のなかを縫う道が、山の尾根に近づいてきたんだ。でも気を抜けない。稜線上に出てもさらに上り続けるルートだって今まで何度もあったのだから。
 しかしよく上るなあ。
 もう黒川のキャンプ場を出発して1時間になろうとしていた。
 富士山が、藪のすき間から見えた。今日は雲が広くかかっていて、山頂近くしか見えない。

 

 すぐわきの斜面の藪のなかで、ガサガサと音がする。鹿だった。ここまで何度か音はしていたけど、それはほんの少しのこと。虫か、ヘビか、飛び立つ鳥だった。今回はガサガサと音が大きく移動していった。鹿が、斜面を走っていくのが見える。
 黒川のキャンプ場を出てここまで出会ったのは、車1台、オフロードバイク1台、釣竿を片手に沢に入り込んでいくおじさんひとりのうしろ姿、そしてこの鹿1頭だけだ。1時間以上この道を走っていて、たったこれだけ。素晴らしく誰もいない。たまたま今がこうなのか、それともいつだって人がいないのか、ともかくとってもぜい沢な時間を過ごさせてもらっている。また富士山がかすかに見えた。ピークを過ぎて静岡側に入ればもう見ることもないだろう。僕は立ち止まって自転車を置いた。

 

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 穂積神社はまさに清水と静岡とを分けるピークにあった。
 やっと上りつめて呼吸も足も休めないとと思ったところだった。
 驚いたのは車が何台も止まっていたこと、人が何人もいたこと。ここまで1台しか車を見なかったのに、なぜこんなに。
 どうやら、やってくる車や人はみな、静岡側から上ってくるらしい。

 

 この神社はパワースポットだという。どんなご利益で、何がどう作用するのか、関心もなかったからよく読まずにいるのが悪いのだろうけど、そんなこともわからずに神社をひとまわりした。裏手に夫婦杉と書かれた大きな杉が天にそびえている。なるほど地はひとつ、途中からまるで別の幹であるように伸びている。ふたつの幹にしめ縄が巻かれている。でも大もとの幹と根がひとつで途中からふたつって、夫婦じゃないよなって思った。夫婦はしょせん他人だ、血さえつながっていない。
 また正面に戻ってくると地面に不思議なマークの埋め込みがあるのを見つけた。どうもこれがパワースポットらしい。読んでみたもののよくわからない。ここに立って両手を広げ7回まわれとか書いているように見える。何を言っているのかよくわからない。能動的にアクションを起こさなければ得られないパワーって? 自然から満ち出てくるものじゃないのかな。そしてそんな滑稽なことができるかって笑う。僕は鳥居を、左側を通って出た。
 純粋にこの神社にお参りしに来ている人はどうやら少ないみたいだ。ここがトレッキングルートの中間地点になっているようで、そういったいでたちの人が半分かそれ以上いる。神社に関心もなく、裏手からさらに先へ続く登山道へ消えていく人も多い。
 自転車も来た。
 ──自転車? こんなところに?
 しかも女性だ。僕がこんなにも困憊して上ってきた場所に、じつに涼しい顔で滑りこんできた。こんにちは、といってみた。とりあえず。しかし、何もいわない。黒いレンズのサングラスのなかは、あるいは僕をいぶかしんでいるかもしれない。僕は急に恥ずかしくなって、木々のすき間から見える静岡方面の風景や海をあわててカメラに収めた。写真を撮るような場所でもなかった。木々のあいだは狭すぎて、写真に写るような景色じゃなかった。まっ黒に木の幹がいくつも写り、風景は白飛びしていた。カメラを背にまわし、そそくさと自転車を押して林道に出た。そこで自転車にまたがると、また一台、自転車とすれ違った。

 

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 静岡側はやけに明るく感じる。日も当たっていて、じっさいそうなのかもしれないし、あるいは僕の感覚的なものかもしれない。でも車もよく通るしまた自転車ともすれ違った。明らかに華やいだ雰囲気に変わったように思う。
 汗が冷えてひどく寒い。下っているとふるえそうなほど。上がっている気温も照りつける日差しも役に立っていない。
 町と海の風景が、ときどき眼に入ってくる。止まりつつ写真を撮り、また進む。道は荒れているけれど、清水側ほどじゃない。
 ガードレールの切れ目から広大な風景が広がった。僕は急ブレーキで自転車を止め、少し戻った。すくむような足もとから広がる茶畑や森、それがしばらく続いて徐々に町になる。町は広く、その向こうには海があった。海は確かに大きい。しかしその向こうにまた大地がある。あれは伊豆半島に違いない。今日は驚くほど遠望が利く。
 足もとに広がった茶畑が静岡を象徴している。そのなかをS字にうねりながら抜けていく道がある。いい道だ。
 自転車が坂を下りてきた。それはさっきピークの穂積神社で会った女性だった。僕は恥ずかしくなって僕は目を伏せ、通り過ぎるのを待っていると、今度は女性から止まってこんにちは、といった。どこから来たんですかと聞く。僕は埼玉からですと答えた。へえ、なんでまたこの道に、と聞く。なるほど他に見どころにあふれる静岡で、なんでこんな道を走っているのかってことかもしれない。答えを考えたけど、林道って見つけたもので、としか答えられなかった。じっさい、林道が走りたかったから。
 あの道は、この道の続きですか? と聞いた。茶畑のなかをS字で抜けていく道を指差して。そうだという。この道が一気に下ってあの茶畑のなかに入っていくんだという。
 いい道ですね、というと、嬉しそうにいい道です、といってくれた。
 しかしあそこまで下るのだとすると、上りはとんでもない上りだったはずだ。穂積神社からずっとすれ違った自転車はみな、この静岡側を上ってきているのだ。だから清水側ではひと気すらなかったのだ。このとんでもない上りを駆け上がり、あれだけ涼しい顔をしていたのだ。それがわかってまた僕は恥ずかしくなる。清水側からよれよれで上っている自分を思い出し、最上級の恥ずかしさになった。
 しばらく話をしたのちに、女性が走りだすのを待った。先に送ろうと思っていたから。やがて彼女はこの先もお気をつけてといい、自転車にまたがった。僕はお互いにと返した。そして自転車は颯爽と、そしてあっという間に道の彼方へ消えてしまった。

 

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 茶畑に飛び込んだ道は、さっきの話によれば上から眺めた道だろうか。藪と植林しかなかった風景が急に雰囲気を変えた。でも道は変わっていない。急な下り坂は変わっていない。
 茶畑が、びっくりするような山斜面に植わっているっていうことだ。深い緑色が植木のように生えそろっていた。

 

 こんな風景は見たことがない。
 僕は自転車を止め、少し高いところに上ってしばらく道を眺めていた。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 帰ってから知ったが、このルート、静岡側は有名なヒルクライムルートだそうだ。

 竜爪山(りゅうそうざん)へ行く、穂積神社へ行く、といえば、ひと山上ってくるっていうキーワードみたい。

 そうだったのか、それでこんなに自転車とすれ違ったのか……。