自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

久慈川と多賀山地(Apr-2017)

 週末どこかへ行く予定があるかとMさんから連絡があったので、茨城県北方面に行こうかと思っているところですと答えた。それならば一緒に行きたいと言うので、であればぜひと答え、取手駅で待ち合わせをした。

 なぜ茨城県北で、なぜ取手駅なのかというと、JRのお得なきっぷ、「ときわ路パス」が発売中だからだ。わりと頻繁に発売されるきっぷなので今を逃してもまた機会はあるのだけど、現在発売中のときわ路パスは連休いっぱいの5月7日まで。なので北に向かう季節としてもよくなってきたし、このきっぷを使ってみようと思ったのだ。そしてこのきっぷは茨城県外では手に入れることができない。僕にとっての茨城県に入る最初の駅が取手駅なので、一時途中下車ということだ。


 ルートを引くにあたって、僕は水郡線沿いを意識していた。なんとなく以前から興味を持っていたところへ先月、友人のUさんが水郡線久慈川に沿って延々と水戸まで下ってくるサイクリングをしてきたものだから(Uさんのブログ:だらだら下り旅久慈川CR)、興味は動機に変わった。そこへMさんが「ひよっこの舞台ですね」と言う。ひよっことは、今やっているNHKの朝の連ドラだそうだ。僕は見ていないから残念ながらそれには答えられないけど、聞けば常陸大子と高萩がロケ地だそう。水郡線久慈川沿いが捨てられなかった僕は、常陸大子をスタートし、しばらく水郡線沿いを楽しめるルートを引いたものの、距離が伸びてしまったので、常陸大子をあきらめた。僕の好みを譲ってもらったようなものだ。でも常陸大子まで行くと輪行での到着が10時半過ぎ。さすがにこれもどうかと思って、やむをえないですよね、などと言ってうやむやにした。

 取手から再び常磐線に乗り、水戸で水郡線に乗り換え。水戸の時点で9時だからやっぱり遠い。そして本数の少ない水郡線に乗り継いだ。もう少し早めに乗れればと思っても、水郡線は9時台の前が7時台だ。これじやそもそも水戸まで来ることができない。

 下車駅は下小川。久慈川沿いの無人駅は幕開けからいい雰囲気だった。早く出発したいのについつい駅の雰囲気に浸ってしまう。自転車を組み上げ、さあ行こうと腰を上げるのに努力を要した。

 茨城県北の旅に出発である。

(本日のマップ)

 お天気はきわめてよかった。しかも4月5月の過ごしやすい気温、過ごしやすい湿度はサイクリングにも最も適していて、それだけで気分は高揚した。寒いのが苦手な僕にとって、やっと来たかこの季節が、と待ち焦がれていたことでもあった。

 久慈川は春の水をたたえ、水郡線とつかず離れず流れていく。僕はこの鉄道、川、そして自らが行く道がそろった光景、そのなかのサイクリングに強い魅力を感じるのだ。つまり、最高のシーンだ。これで5キロばかり南下する。

 ふつうの人にとってみれば何でもない、取るに足らない光景だろうが、やっぱりここは常陸大子起点にして、この3セットの南下ルートをもう少し長く取ればよかったと、口にはしないものの心の隅で思った。

 風が、川の流れに沿って吹く。少しだけ肌寒くも思える。でも、心地いい。春の音が、耳に届く。

 駅でいうと山方宿近く、ここで水郡線久慈川から離れ、内陸へ入る。多賀山地……阿武隈高地の南端に位置する山なみへと入って行く。


 ゆるゆると坂を上り、また下る。県道29号から県道36号へ入る。いずれの道も、初めのうちは高規格の二車線、快適な舗装路で進むのだけど、やがて山地に入っていくと県道とは思えない、センターラインのないすれ違いも苦労しそうな、林道のような道が続くのだ。

 ときおり木々が途切れ、周囲が見渡せると、山が白い。白いのは、新芽だ。まだ葉になりきれない芽はほんの小さな白だ。でもその数がそろうとそれは、山全体を白く見せるほどになる。

 新芽の白と常緑の緑、そして山桜の薄桃色が山を彩り、絶妙なコントラストを見せていた。

 そのたびに僕は自転車を止め、景色を眺め、写真に収めた。青空は山の彩りの演出家だ。山が最も美しく映えるよう、光線を調整する。僕はその演出にまんまと心をつかまれて、立ち止まる。通過する車は多くないけれど、それが現れると、どうということのない場所で僕が景色を見、熱心に写真を撮っている姿を、いぶかしげに見て通り過ぎていった。

 県道36号で坂を上りつめ、そして下ると、かつての水府の村で県道23号に突き当たった。ここから進路を左に変え、北へと向かう。

「初めてです、このコンビニは」

 その交差点にはセイコーマートがあって、ここで短い休憩を取った。これは北海道が拠点のコンビニなんですと僕が言うと、Mさんがそう言った。僕の住む埼玉ではまれに見かける──おまけに家の近くで一軒、あるのだ──けれど、確かに都内にはないのかもしれない。

 前方に薄暗い雲が見えた。


 ツーリングマップルには「奥久慈らしい家並がつづく」と記されていた。そしてその街並みが沿道に現れた。しかし僕は写真を撮ることすらできない。さっき休憩したセイコーマートからわずか数キロしか進んでいない。そこで僕らは雨に濡れ、結果カメラを出すことができなかった。雨のなか自転車を走らせることで精いっぱいで、どんな家並みだったのか、記憶にあまり残っていなかった。わかっていたのに、場所もここだと気づいていたのに。

 僕自身、何年かぶりの、本降りの雨だった。

 早々に自転車を寄せ、電子機器の類をできる限り濡れないようにして、バッグの中にしまった。それからウィンドブレーカーを着こみ、空を恨むように見ながら先へ進んだ。僕の、10年以上着続けているウィンドブレーカーは、撥水もすっかり落ち、レインウェアとしてはまったく機能していなかった。風を通さないという本来の機能さえ、もう怪しかった。それは本降りのなかに突入した時点ですぐに、雨が浸透してきた。

 雨のなか竜神大吊橋の入り口を左手に見、国道461号との交差点に来るころになると、天気はよくなってさっきまでの雨が嘘だったかのように青空が広がった。

 不思議な天気だ。

 このあとはこの国道461号で一直線、途中花貫渓谷を楽しんだりして、常磐線高萩駅へ向かおうと計画していた。

 県道33号から国道461号に入って旧里美村の折橋までの区間、険しい──舗装こそされているけれど──林道のような道になった。そういえば県道33号沿いから、国道461号へ向かう大型車を規制する看板が貼り付けられていたっけ。

 しかしながらここもまた、同じようにいい風景を僕に見せてくれる。白と緑のあいだに薄桃色の色合いを見せてくれる山々は変わらないし、杉木立の林のなかも心地よかった。

 今は常陸太田市になってしまって地図上からも消えた、旧水府村と旧里美村の村界にあたる名もなき峠を越えて下りに入るころ、さっき水府村で僕らを濡らした雨雲が追いついてきた。折橋への下りは全体的に杉木立のなかだったせいも手伝って、薄暗くなってきた。

 折橋交差点は、東西に走る国道461号と南北に走る国道349号の交点だが、その手前で旧349号と交わる交差点があり、折橋宿という名だった。

 ノーマークだった。南北に、時代を感じさせる街並みが連なっていて、でもここがなんなのか、僕は知らない。国道349号が何街道なのかさえも。ある程度でも調べてくればと残念がるところへ、さらに追い討ちをかけるように雨が落ちてきた。

「食事にしましょう」

 もともと、だいたいの通過時刻から予想して、この折橋で昼食だろうと考えていた。店を探し、そこへたどり着くまでのわずか、雨はまるで朝から降っている梅雨どきのように、しっかりとした雨足で、路面を、僕らを一瞬で濡らした。

 お肉屋さんがやる食堂で定食を食べる。そのあいだ窓を眺めていると、雨足はもっと強くなっていた。雨粒が窓越しにはっきりと見え、それが地面に当たって弾けていた。自転車に乗り続けるのもつらい状況だ。

「このまま南下して、常陸太田に出ましょうか」

 と僕は提案した。

 この先、高萩へ向かう国道461号は多賀山地の山あいへ入っていく。今日ここまで大きなピークを二度越えてきたけれど、いずれも標高300メートル前後。それに対してこのあとは500メートルを超える。たっぷりあった食事をゆっくり食べ終えても、窓外の篠つく雨は変わらない。こんななかを山越えしていく気分になれなかった。むしろもうこの場で自転車を片してしまいたい気分だった。でも、ここには駅はない。

 常陸太田なら緩めの下り基調で進める。距離は高萩に抜けるのと変わらない、25キロ弱。1時間半くらいで行けるだろうか、それでも1時間半か……僕は頭をかかえた。

 常陸太田駅の時刻表もざっと見た。常磐線ではなく、運転本数の限られる水郡線だからだ。朝乗った水郡線の列車は2時間おきのあいだの一本だった。ただ常陸太田は同じ水郡線でも上菅谷から別れた支線で、郡山へ向かう本線とは違い1時間に一本の列車があるのを確認できた。これならまあいい。

 ゆっくり、何度もお茶を飲みながら、出立ちのタイミングをさぐる。が、空はそのタイミングを与えてくれない。このまま待っていても好転する気配がないのなら、もう出てしまおうと思った。雨雲レーダーは今、ここ旧里美村にだけかかっていて、常陸太田の中心部を覆ってはいない。しかし数時間後には常陸太田も雨雲に包まれる。なら、今ここを出て、旧里美村を走り抜けてしまったほうが、再び晴れ間にめぐり合えるかもしれない。



 道は、同じ国道とはいえ461号とは違い、幹線道路の様相だった。交通量は多く、大型車の割合も高い。だから誰もいない歩道を走った。歩道の路面は不安定だった。深い水たまりがあった。土の流れ込みがあって路面を埋めていた。ところによっては雑草の芽さえ出ていた。切れ目ではそのたびに段差があった。そういういちいちにしっかり減速しなきゃならなかった。大型車が巻き上げる水しぶきを頭からかぶらなきゃならなかった。反対側車線の歩道を、今日の雨を予想しなかった中学生たちが体操着で走っていた。同じ方向に走っていた。なんとなく彼らが心の支えのように思えたけど、彼らも家が現れるとひとりふたりと消えていった。やがてこの雨のなか自転車を走らせるのは僕らだけになった。


 その距離が長かったのかそうでなかったのか、そんな感覚も得られなかった。雨雲レーダーの予報は当たらず、ずっと雲に覆われ、ずっと降られたままだった。山あいの風景は次第に周囲が開けてきた。扇状地的地形なのだろうかと思った。そしてそこは常陸太田の街だった。ようやく着いた。

 駅にはキハE130系が止まっていた。が、自転車を降り、壁に立てかけた瞬間、その列車は出ていった。ちょうど、だったのだ。自転車も片さず僕は次の時刻表を見にいった。タイミングの悪いことに、次は1時間20分後であった。

 それからすぐ、自転車をばらしていると雨は上がり、徐々に空は明るくなった。


*****


今回利用したときわ路パス


水郡線下小川駅で出車。ここまで乗ってきた列車を見送る


ほかに下車客のなかった下小川駅


久慈川と狭い土地での田畑


線路沿いのいい具合の道


山の彩りのなか、連なった道を上った