自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

青い夏の伊豆(Jul-2017)

 思い出してみれば僕が伊豆を訪れるのはいつも決まって冬か春だった。そのひとつの理由は僕が寒がりであること。寒い冬や春は暖かいところに行きたいと思って行き先を選ぶことが多いから。もうひとつは18きっぷが使えるから。伊豆は在来線普通列車で出かけても行って帰ってこられる範囲だし、それならば18きっぷの使える時期に行こうってもくろむから。だから暑さもピークのこの7月の終わりに、伊東駅に降り立っていることは今までにないことだった。


 道は、全コースを同じようにというわけじゃないけど、いろいろなサイクリングのときに走ったことがあった。みな二度目以上の道で、それらをつなぎ合わせたルートだった。でも夏の伊豆半島でこんなにも稲作がおこなわれていることを知らなかったし、わさび田がこんなにも青くなることを知らなかった。森が、山がこんなにも深い緑であることを知らなかった。水が、こんなに豊かに流れていることを知らなかった。それはみな今日、この季節に走って初めて知らされたことばかりだった。



 きっぷは、やはり18きっぷ。夏の18きっぷだ。越谷から東武線の始発列車に乗り、それから乗り継いで9時前に伊東に着ける。新幹線を使えばもっと早く着くことができるけど、1回あたり2,370円で来られ、この時間に着けるのであれば新幹線じゃなくていい。同じ列車で着いたのだろう、駅舎の片隅の日陰で同じように自転車を組み上げる人たちが何人かいる。

 9時前、すでに今日が暑い一日になることを予感させた。


(本日のルート)

GPSログ


 結果的に峠と名のつくところを4つも通るルートだった。そのうち土肥峠(船原峠)は西天城高原道路を下ったところにあるから、上りきりの峠という意味では3つ。冷川峠、国士峠、風早峠──。いずれも何年振りだろう。風早峠は去年の年の瀬に通過したけれど、西天城高原道路から向かって行ってのこと。県道59号から上ったのは記憶のページをかなりめくりなおさないとならない。

 だから冷川峠に向かう上りの初めがいきなりの急坂だったことは片隅に残っていたとおりだったけれど、気味悪ささえ覚えた伊東市民病院の建物はすっかりきれいな最新鋭の病院に建て替わっていたし、冷川峠のピークをそもそも間違えて、でもそれに気づかずに「確かここに冷川峠と書かれた看板があったはずだ、抜かれたのか?」と頓珍漢な勘違いをして、さんざんの休憩ののち、さらなる上りをこなさなきゃならなかったりした。


 今日の旅は、前半が伊豆の県道59号を行く旅だ。

 僕はこの県道59号が大好きで、あとになって県道59号全線走破っていう旅も悪くないなって思った。

 冷川峠を越えて伊豆スカイラインの冷川インターチェンジまでは県道12号の旧道に振られた線籍だ。かつては伊東と修善寺を結ぶ幹線道路だったが、旧道の今は伊東市民病院を越えるあたりから交通量もまばらになる。それも極端なほどで、じっさい僕が通ったこの日、冷川インターまでに行きかった車は2台しか記憶にない。幹線道路の名残を感じさせるのは、バス路線が残っていることくらいだ。

 だから裏返せばこんなサイクリングに適した道はない。坂は初めきつく、特に伊東まで輪行できた僕にとってはアップもなしに急坂上りをすることになるけれど、それでもからだが坂に馴染んできたころには急勾配も一段落し、車の往来がほぼなくなる。

 茂った森も朝の日差しをさえぎって、涼しくさえあった。ただそのせいで眺望はない。海からどれだけ上がっただろうって気になっても、伊東の海を望むことができなかった。

 峠と勘違いした場所からさらに一段上がって冷川峠。山稜を切り通しで越えるピークはむかしながらの峠。若干味気ない冷川峠の白看板のもと、休憩しながら写真を撮った。

 冷川インターチェンジで県道12号と合流した。ここから中伊豆温泉まで、修善寺に向かう県道12号で下っていく。伊東から修善寺への幹線道路、そこへ伊豆スカイラインから流入する車も加わって、伊豆の重要路線相応の交通量のなかを下った。

 だから中伊豆温泉での県道59号の分岐など忘れ去られたような存在だ。GPSマップを見ていなけりゃ危うく修善寺まで飛ばして下ってしまいそう。左に折れた道には、「この先国士峠、大型車通行禁止」と標識がある。そういう道なのだ、県道59号は。


▼ 車通りのまったくなかった県道59号冷川峠



 稲だ。水田である。葉が青々と天を突き、一面は緑のじゅうたんになっていた。そのなかを細くあやうげな県道59号が、小刻みに道を曲げながら緩やかに上っている。乱れのない直線道路じゃない。それは道路があって水田があるのか、水田があって道路があるのか、まるで互いの力関係を表しているようだった。その道を僕は上っていった。少しばかり驚きつつ。

 というのも勝手なことに僕は伊豆じゃ稲は作っていないと思っていたのだ。もちろんまったく作っていないとはさすがに思っていないし、河津から下田に抜けたときに田植えに出合ったこともある。三島や沼津から長岡にかけてだって水田があるのも知っている(もっとも僕の感覚では伊豆という印象はきわめて薄い地域だけど)。でもこんなに周囲一面の水田が伊豆半島にあるとは想像していなかった。

 そして驚きは心地よさに変わっていく。

 どこであれ、青く伸びた稲のなかを走る心地よさは格別だ。ニッポンのサイクリングのだいご味だ。この暑い季節、走るなら水田のあいだがいい。


 県道59号の緩やかな上りを楽しんでいると、水田を一部残しつつ徐々にわさびに変わり始めた。

 途中、わさびを売る店を見つけた。見ると店の向かいの駐車場には車がたくさん止っていて、この店に立ち寄っているんだと想像がついた。僕は自転車を片隅に止め、民家ともむかしの庄屋ともとれるような建物の玄関をくぐった。

 店の主人が熱弁をふるっている。少し横で聞いていたが、話し好きなのだとすぐにわかった。いささかへきえきとしている客だっている。僕の恰好を見て自転車乗りだと気づくや、ターゲットを僕に変えてそのトークは続いた。どうやら写真が趣味で、全国の美しい風景を撮ってまわっているらしい。それが入口から見える部屋、廊下、その壁のいたるところにところ狭しと飾られている。

 確かに見事な写真ばかりだ。

 奥入瀬であったり、安曇野であったり、八ヶ岳であったり、その写真とその土地と、深い思い入れを込めて語る。ほかの客はターゲットが移ってほっとする顔をする者もいれば、商品だけは買いたいのにとじれたふうにする者もいた。自転車乗りは旅をし、いい風景を見てまわってると思っているのだろうか。今度はどこぞの花火大会の写真と話になった。

 うまい切れ目を見出して、わさび漬の味噌をくださいと切り出した。味噌漬けとは珍しいし、この店のウリでもあるようだ。僕はこれを受け取り、さらにもう二枚ばかり、写真の説明を受けてから店を辞した。

「この先の左にわかれる橋があるから、そこから一面のわさび田が望めるよ。この写真と同じのね」

 これからどっちに向かうんだいとのあるじの問いに、国士峠に上りますと答えるとまた別の写真を指差しつつ、そんな答えが返ってきた。

 なるほど、その橋はすぐに見つかった。

 一面のわさび田と、流れ落ちる水を、写真に収めていった。


 ちょうどわさび田の橋を過ぎたころから勾配はきつくなり、国士峠に着いた。林のなかのピークはそこが上りと下りの切り替わりなだけで何があるわけでもなかった。眺望も効かない。国士峠とかかれた立て札のような打ち込まれた角材が峠を語っているだけだった。僕は下りにかかった。


 食事が難しいルートだと引いたときに思っていた。

 国士峠を下った湯ヶ島から風早峠への上りに入ると、そこから先は何も手に入らなくなる。確かそうだ。食べものだけじゃない。自販機もなくなって飲みものも手に入れられない。それは風早峠から西天城高原道路に入って土肥峠、そこから国道136号でしばらく下ったあたりまで、無商店、無自販機区間が続くはずだった。だから食べるなら湯ヶ島か、あるいは土肥峠から下る途中の修善寺目前か、どういうことになる。

 僕は湯ヶ島でイノシシを出す店を探しておいた。しかし時間が早すぎるかもしれない、そうなったらコース終盤まで走り切ってしまうしかない。あまり早すぎてもおなかは空かないだろうし、じっさい走ってみるしかないなと思っていた。

 湯ヶ島に下りたとき、11時半を少しまわったくらいだった。そこで少し早いとか、いやいやいい時間だとか、そんな判断をする以前に、僕はもう空腹で、ここで食べる選択をしていた。冷川、国士と越えてきてすっかり食事スイッチがオンになっていた。駐車場の奥まで入ってみるとバイクラックがあった。僕は自分の自転車を掛けた。

 むかしながらの町の食堂といった風情で、僕はイノシシ丼を頼んだ。店ではこれをやまあらし丼と呼んでいた。やわらかく、まったく野生くささのない肉は塩で味付けられていた。まだお昼前にもかかわらず、ずいぶんおなかの空いている自分に気づいた。でも丼一杯のご飯に肉がこれだけ載っていればおなかもいっぱいになる。満足して支払いをすると、

「自転車で来ている方はねえ、値引きしてるんです」

 と言われた。


▼ わさび販売店、カネイチわさび園

▼ 一面のわさび田

▼ 国士峠

湯ヶ島・鈴木屋食堂

▼ やまあらし丼……イノシシの肉丼である



 食堂を出ると、まるで違う場所かあるいは違う季節に出てしまったかと思うほど、強烈な暑さが包んだ。まとわりついたというほうが適する。痛いほどの日差しと重たい湿気を含んだ熱気が、今年の夏の猛暑を思い出させた。今日も、また暑い。


 僕が間違えて持っていた印象──不確かな記憶による勝手な解釈とも言える──では、湯ヶ島の町を出てしまうと、つまり県道59号で国道414号を離れてしまうともう、何も食べるものはないし、商店人家すらなくなると思っていた。しかしそれは完全な思い込みで、しばらくのあいだ町が続いたし、それからも人家はあった。商店や食堂らしきものもあった。もちろん自販機だって。コンビニはさすがになかったけれど、途中までは食べものを手に入れたり食事をすることは困難ではなかった。集落も途切れてはまた現れ、途切れては現れを繰り返す。それだけ人の営みはあった。

 県道59号は持越川に沿って上っていき、やがて続いてきた集落もいよいよ途切れると、今日これまでになかった急な勾配になった。あるいはみっつ目の坂で感覚をきつめにとらえるようになったか、朝いちばんの伊東からの上りよりもさらにきつく感じる。暑さもあったかもしれない。水の音に吸い寄せられるように自転車を止め、休憩がてらガードレール外の藪に歩を入れた。藪の向こう、これ以上もう進めないなという場所から滝が覗き見えた。涼しくなるわけじゃないんだろうけど、そうなれる気がして、その音だけしばらく聞いていた。


 天城高原牧場への道を分けると、森林が消えた。視界が開けると同時に当たり周辺にはいっさいの逃げ込む影がなくなった。僕の形をしたまっ黒な影だけがまぶしくて目を覆うアスファルトに色濃く落ちていた。

 しかしそこまで来るともう1キロか少し。遠くに西天城高原道路も見えてきた。長く感じたけれど坂には必ず終わりが現れる。県道59号は西天城高原道路と交差し、風早峠に到達した。


▼ 風早峠。彼方は駿河湾

▼ 西天城高原道路の山稜を貫く美しい道




 風早峠と西天城高原道路はいつ見てもダイナミックだ。西には遠く海を望み、白霞の空に消えている。境界はおぼろげで、浮かんだ船がずいぶん高いところに見えるから空じゃなくて海なのだと気づく。道路は西伊豆の稜線を縫うように続き、森林がなくクマザサに覆われた山肌を巻くように進む姿が何キロ先までも目で追いかけられる。これから走っていく道だ。僕の後ろ──つまり県道59号で南下するルート──はさらに1キロばかり

上り、仁科峠へ向かう。これから西天城高原道路を走るから、今日は仁科峠へは行かない。こちらもまた道が続いているのが見て取れる。

 一度下って、風早峠から見えた長々と続く上り坂を上った。遠目に道が消え入るように一点に集まっていた山の中腹部にあるそのピークは西天城高原道路で最も高い。右手には今度、さっき上ってきた県道59号が見える。そのまま仁科峠へと向かっていく県道59号と、分岐路だけ見た天城高原牧場の大きな建物を向かいの山に見た。やがて目の前の道のピークが近づく。


 僕は下ハンドルに握り替えると、そこから修善寺駅まで続く長い長い下り基調を、全身に重い湿気の熱風を受けながらひと息に走り抜けた。