自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

成田鉄道多古線を走る(Jul-2017)

 成田鉄道の存在を知ったのはつい先月だった。図書館で手にした資料にその名があり、鉄道には成田から多古を経て八日市場に向かう路線と、途中の三里塚から八街へ向かう路線のふたつがあった。機関車が引く客車列車とガソリン動車が走り、国鉄同様の狭軌1067ミリに改軌したのちは国鉄から直通した臨時列車も走ったとか。鉄道は、太平洋戦争のさなか廃線となった。


 僕がこの日JR成田駅に降り立ったのはふたつの理由があって、この成田鉄道の沿線を走ってみたいと思っていたのはひとつなのだけど、それはこの日じゃなくてよかった。もともと群馬方面へ出かけようと、週末に向けて長々とルートを引いたり周辺のスポットや食事を探したりしていた。それが木曜日ごろになって週末の天気があやしくなり始め、金曜日にはいよいよ関東全域にくもりや雨のマークが現れた。残ったのは茨城県東部と千葉県の北総の東部だけになった。とはいえ山あいを訪ねようと思っていた動機にたいして、平野部ばかりの茨城や千葉のの代案はなかなか決断できない。山梨、栃木、福島や長野まで範囲を広げつつ、山あいでも天気を楽しめる場所を探したけれど、どれひとつとしてかなわなかった。そして晴れマークが唯一残る千葉県東部の地図を眺めていたときに、成田鉄道を思い出した。

 代替案としてはピンとこないけど、その走っていたあたりの風景や生活感でも楽しみに行くか──そういう動機だった。

 成田駅輪行で来ている人はいなかった。駅前で自転車を組み上げ、飲みものを買う自販機を探し求めつつ、せっかくだし京成成田駅前もぶらり眺めてみた。僕はこの駅の改札から覗ける構内のようすにほんの少しの好みを覚える。何でだろう。こっちの駅前では、小径車でこれからサイクリングを楽しもうという自転車のグループが、袋から取り出した愛車を組み上げていた。

 この日のサイクリングは、成田鉄道多古線として、出発する。


(本日のルート)

GPSログ



 ふたたびJR成田駅へ戻る。多古線の起点だ。


 子供のころ──と言っても中学くらいだろうけど──自転車でほうぼう出かけていた。鉄道で出かけることももちろん好きだったから、できるならそうしたかったけど、それは毎度毎度お金のかかることだった。だから日常は自転車で出かけていた。

 埼玉県の越谷に住んでいた僕は春日部や岩槻、野田に出かけていた(ママチャリだったからそう遠くへ行くのは大変だった)。やがて大宮にも行くようになった。書店や楽器店へ行くのが好きだった。

 春日部は東武伊勢崎線が並行しているが、岩槻や野田は越谷からだと直線的に自転車でルートを取るほうが、鉄道路線よりも近道だと気づく。なるほどそこにはバス路線があった。大宮もまた、岩槻よりさらに近道の直線路が取れることに気づく。ここにはバス路線がない。

 このルートに鉄道があればいいのに、そう思いながら自転車に乗るうち、まるでそこにある鉄道路線で出かけるように自転車で乗るようになった。あたかも自転車で「電車ごっこ」だ。キーポイントには駅をイメージした。バス路線があるところはバス停から名前を付けた。バスがないところは地名から拾うことを考えた。大きい交差点には信号機に名前が付いていることを知る。駅が置かれ、そこを走る僕の電車ごっこは自転車で出かけるさいちゅうの楽しみになった。だいたいの所要時間がわかると、出発時点から加算して途中駅の時刻表を組み上げた。自転車電車ごっこは、中学生にもなったいい年の子供の、妄想と現実を組み合わせた幼稚な遊びだった。


 僕はそれを思い出す。


 成田駅を出てしばらくはJR成田線と並行していたから、そのそばは走らず、参道を行く。この日の電車ごっこは、廃線跡や遺構を探そうってものじゃなく、もしここに多古線が残っていたら、どんな場所を走っているのだろうってことを感じたい。きっちり線路跡をトレースする必要はない。

 参道の坂を左に外れ、新勝寺の裏手にまわる道路を選んだ。狭いわりに交通量が多く、右に曲がるべき場所を逃したりする。GPSマップを見てルートを外れていることを知り、何度も行ったり来たりすることになった。

 最初の駅の西成田、そこから東成田へ向かう道は住宅路地だった。塀と塀のあいだの車の対向も難しそうな場所さえあった。それはかつての鉄道路線などおかまいなく、土地を埋め、あらたな開発を行ったに違いなかった。路線はさら地にして宅地になり、家々の区画ができ、そこへ導く路地ができたにすぎない。路線跡を道路にでもしない限り、それを引き継ぐ必要など何もない。新勝寺の三重塔を裏手から望んだ。かつての列車の窓からこうして眺めていたのだろうか。

 一度僕の自転車は大国道、408号に吸収された。多古線はそうは走らなかったろうけど、今は道がない。国道を少しだけ走り、またすぐ脇道へ入る。東成田駅のあたり。現在の京成東成田駅とはまったく違う場所だ。ちいさな市道のごみごみした箇所にそれはあった。市道は新勝寺方向へゆるく右にカーブしていくがこれは鉄道のカーブではない。成田鉄道は直進するルートを取っていた。道路も、かつての鉄道とは関係なしに、今の生活に必要な形が形成されている。

 多古線はおよそ寺台交差点付近で国道51号を横切った。僕は寺台交差点で51号を横切り、その県道44号──芝山はにわ道と呼ばれる県道だ──には入らず、一本西の筋を走った。県道と並行して高速道路の下をくぐり、さらに脇道に入って京成本線をまたいだ。やがてその道も突き当たる。ちょうど、法華塚駅のあった場所だ。僕はあきらめて並行してきた県道44号に戻る。法華塚駅の場所を右手に見るとそこはライバルの両総バスの本社だった。成田鉄道は鉄道業を廃し、会社は今、バス事業の千葉交通になっている。

 次は三里塚駅。電車ごっこは続く。多古線は県道44号の裏手を走っていたようだけど、今は道がない。僕は交通量の多い県道44号を走った。大型車も多い道は路肩も狭く、車はなかなか僕を抜けずにいたりする。僕だって居心地が悪いけどやむを得ない。しばらく走って三里塚駅に近づいたあたりで、多古線に沿った道があった。それはやはり住宅の路地だった。直線のその路地をまっすぐ進む。住宅の塀と塀のあいだ、僕は三里塚駅に停車した。かつては八街線の分岐駅でもあった三里塚駅だが、要衝駅を思わせる広さもなにも、もうここにはない。

 三里塚駅を発車した僕はすぐさままた道に迷う。どうしても住宅地の路地はわかりにくい。そしてこれという道を選びなおし、すぐに多古線電車ごっこは大きな道路に突き当たった。そこにはおおきな壁が立ちはだかっている。

 成田空港だ。


▼ 駅舎工事中の成田駅前で自転車を組む

▼ こちらは京成成田駅、小径車での輪行サイクリストに出会った

新勝寺参道はまだ早い時間だけあって、ひと気もなく静かな通りだ

▼ 西成田駅付近。住宅の路地で道に迷う

東成田駅付近。市道のカーブが鉄道っぽいが、多古線はここを直進した

京成本線をまたぐと、ちょうど高速で電車が駆け抜けていった

▼ 法華塚駅付近。一帯は両総バス本社になっている

三里塚駅へ向かう路地。こんなちいさな勾配も蒸気機関車やガソリン動車には負担だったかもしれない

三里塚駅付近。ここは八街線分岐のターミナル駅だった

▼ 多古線は直進する。僕は巨大国際空港に阻まれた



 国際空港は広い。僕はそれをぐるりと迂回する。多古線が走っていたころに滑走路などなかった。物々しく威圧的な外壁に沿うように周回していくけれど、距離が相当ある。頭上を飛行機が離陸して行った。

 ちょうど滑走路分を横切った反対側が千代田の駅だ。いつの間にかねじ込まれた歩道から、広い道路を横切ってそこへ行くにはどうしたらいいのだろうって悩みつつ走っていると空港の検問ゲートに出てしまった。警備の係員に、後ろの大きな歩道橋を渡ってくれと、赤い警告灯を振って指示される。そう言葉で言われたわけじゃないけど、意図していることが手ぶりとアイコンタクトでわかった。僕はうなずいて自転車を引き返した。高い歩道橋に自転車を押し上げたのに、国際空港の全貌はなにひとつわからなかった。あらゆる構造物が歩道橋の高さなんかよりはるかに高く、大きく、広く存在しているから、歩道橋に上がったくらいじゃ望むことができないんだとわかった。検問ゲートの緑や赤のランプでさえ、僕の高さよりも高い位置にあるように見えた。

 多古線の千代田駅とは別に、今は京成からひと駅だけ延びている芝山鉄道芝山千代田駅が近いから立ち寄ってみることにした。

 芝山鉄道は高架線でこちらに向かいつつ、ポツンとちょん切られた先端があった。都営三田線の西高島平と同じように、でも単線であることや駅前ロータリーの寂しさが、かつてのにぎわいも住人も去って取り残された孤島のように見えた。見覚えのある京成の電車が高い片面ホームに止っている。ロータリーのほうにまわり込んでみると、地方私鉄で標準規格でもあるのかと思うような、汎用のジオラマキットを並べたような駅前だった。駅はコンクリートで温かみがないし、ロータリーに止っているバスは客待ちをしているのか回送なのかよくわからなかった。人が、ひとりもいなかった。ひと駅だけの鉄道会社は今後、延伸するのだろうか。

 多古線に戻ろう。

 千代田駅はJAのあたり。ここからは鉄道路線をトレースした道を行く。

 この道が良かった。市道だろうか。千代田駅を出ると道は一度北東へ向かい、深い並木に覆われた。暑い日差しは遮られ、涼しい風が流れていた。車通りのほとんどない道が心地よくて、このまま八日市場までいければいいのにと思った。

 並木が外れると今度は水田のなかを走った。緩やかなカーブが鉄道の印象を浮かび上がらせる。下って上る起伏のある台地を嫌って、路線は築堤で平坦を保ちつつ水田のなかをゆく。見下ろすような一面の稲は青のじゅうたん、千葉県は早いものでもう稲穂がこうべを垂れている田もあった。

 五辻駅。そこはJRバスのバス停があった。こんなところでの駅ならば、ホームのベンチで列車を待ってみたいと思わせた。きっとホームは線路からひとまたぎで上がれるほどの低さに違いない。おそらく屋根のないホームにあるいはベンチなどあっただろうか。あっても日差しを浴び雨風を受けぼろぼろに朽ちていただろうか。現代の車のエンジンとは違う、ガソリン動車の不安定なアイドリングが聞こえてくるようだ。

 飯笹駅、その次の染井駅とそのままの道でサイクリング──自転車電車ごっこ──を楽しんでいた。緩いカーブを何度も繰り返しながら、路線は徐々に南に進路を変えていた。それぞれの駅のその場所に、同じ名のバス停が立っていた。待合小屋もあった。

 バスはつばめのマークのJRバス。カラーリングやマークが古き時代から変わっていないから僕から見ると国鉄バスと言い切ってしまいたい。その路線がここを担っていた。ひとつのバス停に路線図があった。よくよく見るとバス路線は多古線を踏襲したものだった。成田駅を出て法華塚、三里塚を通り、僕と同じように国際空港を迂回し千代田へ、そこから多古を経て八日市場を目指す。多古線は途中で路線をちぎられることなく、ここにこうして残っていることを知った。僕は、同じ交通基盤が残っていることにうれしくなった。


 染井駅の南、道路は大きな染井交差点にかかった。ここは右手から船橋を起点に北総の中央部を貫いてくる国道296号がぶつかってきて、そのまま右に折れる。つまり僕が走る、多古線の上に国道が乗ってきた。

 八日市場へ向かう幹線国道は交通量が多い。大型車の割合も高い。途端に走りにくくなった。信号も増え、たびたび止められる。沿道もやがてにぎわいが増し、ここが多古の中心地であることを感じさせた。

 その中心となる多古駅は、今は大きなドラッグストアの前だった。長い直線の国道296号に、多古線多古駅のイメージを浮かべる。もちろん一両のガソリン動車には長いホームはいらない。機関車の牽く客車列車だって貨客混合で、せいぜい客車は1両や2両だろう。この直線の上にぽつんとホームがあったのだろうなと思う。

 空が少しだけあやしい、と思った。

 それを思ってからさほどの時間を経ずに、雨粒が落ちてきた。あわてて僕は自転車を発車させる。どこまで行けるだろう、八日市場? それとも途中の駅? そう思い漕ぎ出したが、そんな考えは無駄になるほど、わずか1、2分で土砂降りの雨になった。そこに偶然にも道の駅があったから、僕は迷わず入った。


 僕は短い休憩を兼ねた、雨宿りのためにそこへ立ち寄ったつもりだったのに、雨は時間が経つごとにその強さを増していった。雨粒が大きくなり、それが目に見える。路面にはたたきつけるように落ち、はじけた雨粒がやがて白く煙るようになった。風がないのは幸いだったけど、このなかを出て行こうと思える天気ではなかった。自販機で缶コーヒーを買って、短い雨宿りを決め込んだが、僕はここで長い退屈を強いられることになった。


▼ 大げさな外壁に沿った道路で、国際空港を迂回する

芝山鉄道の終点、芝山千代田駅

▼ ありがちなコンクリートの機能重視の駅舎はがらんとしている

千代田駅付近。

▼ 道が、サイクリングにとても気持ちいい

▼ 五辻駅付近。

▼ 走っていると鉄道路線のイメージがわきあがる

▼ 飯笹駅付近。

▼ 染井駅付近。

▼ JRバスの路線図。成田から八日市場を結ぶ路線が多古線を引き継いでいる

▼ 国道が合流してきて交通量が激増した。

▼ 多古駅付近。

▼ 降り始めた雨は、道の駅へ入ると一気に勢いを増した



 1時間半もの足止めののち、それでも上がらない雨にしびれを切らし、僕は八日市場に向けて出発した。自転車電車ごっこは本来の鉄道に比べて雨に弱い。道の駅多古からはそのまま国道296号を行くだけだ。道路には水がたまり、車のタイヤがそれをはね上げていく。八日市場までおおよそ10キロ。まあいいかという気持ちにさえなってきた。

 でも雨は僕の考える何かを察してくれたのか、途中で弱まり、上がってくれた。上がってからしばらく走っていると、路面が全く濡れていないことに気づいた。ここはまだ雨が降っていないのだ。あれだけの土砂降りだった多古からは全く想像のつかない、全然降っていない曇り空だった。空を見上げてみると、雲の境界が見えた。

 このまま八日市場まで走ろう。

 僕はカメラもスマートフォンも、ジプロックに入れてさらにサコッシュに入れてフロントバッグに入れていた。それをあらためて出すのはおっくうだったし、何よりバッグも身体もずぶ濡れだった。ここで無理に出しても濡らしてしまう可能性があるし、出したところで入れておくウェアの背面ポケットもびしょびしょだ。いつまたあの空の境界線がせまってきて僕を襲っていくかわからない。ともかく、ここは八日市場へ向けて急ごう。

 多古駅を発車してから八日市場に向かうまで、下総吉田、豊栄、西八日市場の途中駅がある。それらを探し当てることもしなかった。

 八日市場の街に入った。総武本線に近づいて八日市場駅の構内に吸い込まれていく。成田鉄道多古線はここで終点だ。雨雲から逃げ切ってほっとできた僕の自転車電車ごっこは、濡れて乾ききらぬまま乗務終了となった。