自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

京王線と銀杏甲州街道

 京王線は都会派だと思う。
 首都圏郊外のベッドタウンに暮らし、そこで生涯を終えるであろう僕にとって、目に入る光景がまざまざとそう実感させた。
 新宿駅の地下ホームを出た京王線電車が、今地上に上がり、昼の光を受けた。じつにごちゃっとした景色が目に入る。電車は徐々に速度を落とし、ひとつ目の駅に止まる。笹塚。
 向かいのホームに、並ぶように電車がいる。行き先のあてはあるけれど時間の縛りはないから、僕は向かいの電車に乗り換えてみることにした。すぐに僕が乗ってきた準特急は出発した。乗り換えた電車は地下鉄新宿線から来た快速。ほとんど間をあけず、快速電車も扉を閉めて発車した。次は明大前、といった。
 とにかく混んでいる。新宿からひと駅だけ乗ってきた準特急も、乗り換えた快速も、僕は目を疑う。日曜日の日中なんだ、東武線の下りがこんなに混んでいることなんてない。
 僕はドアわきに立って外を眺めてみる。新宿から来た本線と地下鉄新宿線から来た新線の線路はすぐに交わり、複線になる。双方の路線から来た電車も、特急も急行も各駅停車も、一本の線路を走ってく。地下鉄と合流したあと長いこと複々線が続く東武のダイヤに慣れてしまった身だから、これでさばけることに心底感動する。
 窓の外はごちゃごちゃしている。
 これが僕の思う都会の印象だ。
 町も建物も新旧入り乱れる混沌、道は狭あいでまっすぐではないうえ、複雑に交差している。ゆえに車窓から目で追う道路はその果てを見せてくれない。北に向かっている道だと思ったらいつの間にか西を向いていて、ときにそれが東に向きを変えることもあるかもしれない。8の字に戻って交差したとしても僕はそれに気づけないだろう。そういう町だ。
 建物は際立って高いビルというものが少ない。マンションや商業ビルを目にはするけれど、多層階じゃない。狭い町なかで速度を上げていく京王電車からでも、目を凝らせば何階建てか数えられそうだ。そんなビルと同じくらいかそれ以上に戸建ての住宅が並ぶ。無秩序であり個性的だった。同じ顔をした家は一軒もない。僕の住む郊外にありがちな、鉛筆を立てて並べただけの色違いの家など皆無だ。明らかに家の概念が違うのだ。家はこじんまりとしたものから大きなものまで多様だった。大きな敷地の家もあるしお屋敷のような家屋もあった。それらすべてにアイデンティティがあった。家だけじゃなく、マンションにも雑居ビルにも、踏切わきの八百屋にも、駅前の細い路地のカラオケバンバンにも、アイデンティティがあった。
 これが僕の思う都会だ。
 都心とはちょっと違う。例えば新宿や虎ノ門四ツ谷や丸の内みたいなところは都心で、僕もビジネスで出向くような場所だ。変に尖ってて変に光ってて変に広くて変に高い。その見た目も広さも高さも計算されつくしたものだ。磨かれた石のタイルが敷き詰められた──しかしながら当然雨が降っても滑らないように施されている──駅前も町もビジネスで出かける場所だし、そういうスタンスで町の側も待っている。そこに生活はないし、ビジネスのステージに生活感はいっさい不要だ。
 対して都会はそこに生活がある。誰もが古くから暮らし、あるいは新たに都会の地を求めてきた人たちによって営まれている生活がある。それがありその上に町が成り立っている。僕は京王線の窓から望む都会の風景を、目で後ろに何度も追いかける。
 暮らせないだろうと思う。経済的な、という物理的な理由もあれど、僕のような郊外で生きてきた田舎者には生活するということそのものが困難だ。都心にビジネスで毎日出かけていくのとはわけが違う。仕事をしたり打合せをしたり、人と会ったりカネのことを考えたり、そんなものとは違うしそれじゃすまない。ネクタイを締めてコーヒーを飲み、通り一遍の会話を済ませて抽象的文言のほうが多い文書を作っていればいいというわけじゃないのだ。朝起きて歯を磨き、朝食を食べて出かけ、夜になると帰ってくる、それを繰り返しているだけならいいけど現実は異だ。週に何回かのゴミ出しのこととか行きつけの医院とか役所や税務署の対応窓口とか、年金やら健康保険やら、町内会の行事や火の用心の見回りやら、暗黙に守られている狭い道での一方通行やら、そんな何やかやを自然とこなせて生活なのだ。僕など放り込まれて三日で育ちの悪さが露呈するに違いない。そしてすぐに音を上げるのだろう。
 そんな都会のど真ん中を京王線は西へ向かっている。明大前からはひと駅ごとに止まっているみたいだ。
 別に絶望を感じることもない。逆に憧れを覚えるわけでもない。ああ都会の中にいるのだな、、、、、、、、、、、、、と思うだけだ。そう思って窓の外を眺めている。
 途中、特急だか準特急だか区間急行だかに抜かれた。見事な退避時間におそれいった。最小限だ。停車し、扉が開くあいだにポイントが変わり本線が開通するのだろう、そのすぐを縫って優等列車が抜かしていく。轟音が残響を残していき、のちに静かになるかと思いきや、そのすき間すらなく「発車します」といった。
 扉が閉まった。

 

 僕が今日、この京王線に乗っているのは、有効期限のあるきっぷが手もとにあったからだ。
 もともとは輪行にでも使おうと考えていたもの。しかしながらその機会を逸していた。10月の台風で道志みちやヤビツの北側などいまだに通行止めだし、ほかにも通れない箇所がある。それゆえ趣を感じるルートを組めずにいた。というよりは本当いうと、きっぷの存在を忘れていた。期限は11月の30日だった。
 きっぷが出てきたのが数日前。出てきたというよりは買っていたような記憶が引っ掛かり、探してみたら案の定というありさまだった。この週末しか使うときがない。
 こういう時に限って、天気予報は雨なんだ。
 自転車はあきらめた。土曜も日曜も雨。日曜日にかろうじて、昼過ぎから雨が上がる予報になっている。救われるポイントはそのくらいだ。
 京王線に乗ってみようか。
 思い返してみたらまじまじと京王線に乗ったことってない。鉄道を堪能してみるのも悪くないなと思った。
 本線の八王子までと、高尾線高尾山口まで。相模原線の橋本は今回はパスかな。今度あらためて。
 ──なら、高尾山口から京王八王子まで歩いてみようか。悪くない。昼には雨も上がるっていうし。

 

 てっきりもう各駅停車になったのだと思っていた快速は、思い出したように何駅かを飛ばして調布に着いた。駅が地下にもぐっている。確か10年前は地上だったはず。
 乗っていた快速は相模原線の橋本ゆきだったので、ここで降りた。ほとんど間を置かず、ホームの反対側に特急が入ってきた。相模原線と本線とがタイムロスもなく互いに連絡する。見事だ。
 僕は特急には乗らず、ホームの先端から発車する列車を眺めていた。同時刻発車である。ホームをはさんで左右の列車が一緒に出発していく。地下のホームゆえ先まで見通せるわけじゃないから、徐々に離れていく両列車を見届けることはできないけど、それぞれに進路を取って離れていくさまは地下でも想像ができた。
 それぞれの列車を見送ったあと、静かになったホームに入ってきた各停に乗った。
 府中、分倍河原聖蹟桜ヶ丘高幡不動。窓外の風景が急に郊外になった。きっとどこかでスイッチが切り替わったに違いない。その景色を見ていたら、学生の頃に何度か出かけたことのあるカオリって女の子のことを急に思い出した。横浜の元町に行って港の見える丘公園まで散歩したり、葛西臨海公園ハンバーガーとフレンチフライを食べながらビールを飲んだり、銀座の映画館でロードショーからひとまわり遅れの映画を見たりした。僕と同じ年生まれだったけど早生まれで学年はひとつ上だった。僕は学生で彼女はすでに働いていた。確かどこかの会社のグループスキーに声をかけてもらったのでひとりで参加したらそこに彼女がいたのだと思う。彼女が勤めていたのがその会社だったかどうかは定かじゃない。中心となる会社のグループが、個人個人好き勝手に周りに声をかけて寄せ集まったメンバーだったから、彼女が主体のメンバーだったのか呼ばれてきたメンバーだったのかさえよくわからなかった。そんなんだから互いの趣味も興味も関心事も知らなかったし、共通の話題もなかなか見つけられなかった。僕があまり話すほうではないから──それでも会えば頑張って話していたほうだと思う──余計だった。当時のスキーなんて趣味というよりはせいぜい大人のたしなみ、、、、、、、くらのもので、共通の話題といえるほどのものじゃなかった。だからいったい何を話していたのか今となっては思い出すこともできない。ただだまって手をつないで公園の並木を歩いていたんだろうか。そうかもしれない。そのカオリって女の子が確かこのあたりに住んでいた。一度車で送って来たとき──おそらくスキーの帰りだろう、出かけるときはもっぱら電車だったから──、えらく道に混乱させられその挙句迷った記憶だけがある。そういう場所だ。
 だから都会から郊外には出て来たものの、やっぱり道はまっすぐではなく複雑だった。電車の窓から青看標識が見えても、そのまっすぐ行った先が果たしてまっすぐなのかさえわからなかったし、結局曲げられてしまうんじゃないかってそういう目で見ていた。東京は都会であれ郊外であれ、道が難しい……。
 乗っている電車は高尾山口行きで、もともと高尾山口から八王子に向けて歩こうかと思っていたのだけど、気が変わってきた。帰りを京王八王子にしていたのは、ただ単に高尾山口で大勢のハイカーに取り囲まれるのが嫌だったからだ。でも気が変わり始めたのには三つ、理由があった。ひとつはもうお昼になっていたこと。やっぱりお昼は食べたほうがいいよねと思ったものの、高尾山口駅近くに昼を食べられる店の記憶がなかったから。八王子なら中心街だから食べる場所に事欠かないだろう。ふたつ目は今日午前中は雨の天気だったってこと。高尾山近辺にハイキングに来るとして、果たして雨模様の日を選ぶだろうか。中央アルプスだの谷川岳だの、そんな前々から計画して早朝から出かけるような場所とは違うはずだ。朝、窓越しに空を眺めて今日は無理に行かなくてもいいよねって、中止している人が多いんじゃないかって思ったからだ。あとひとつ、八王子から高尾山口へ歩くことによって、ちょうど京王ライナーの時間に合いそうだったからだ。ふだんは新宿と京王八王子、あるいは橋本との間を行き来している京王ライナーが、今日は臨時で高尾山口から走る。15時台から16時台にかけて三本走ると駅のポスターで見た。八王子で食事をし、13時過ぎから歩き始めて8キロ強2時間、ちょうどいいんじゃないかって思った。
 各停高尾山口ゆきは北野についた。すぐに特急京王八王子ゆきが反対側に入ってくる。僕は乗り換えようと席を立った。何人もの人が特急から降りて高尾山口ゆきに乗り換えた。僕はその逆。実によくできている。各停高尾山口ゆきに特急京王八王子ゆきが接続する。逆に準特急高尾山口ゆきが来るときは各停京王八王子ゆきが合うようになっているんだろう。ロスのまったくない美しく都会的なダイヤだ。やはり京王線は都会派なのだ。
 またしても同時発車。僕は反対側の車窓からここまで乗ってきた高尾山口ゆきの電車を見送った。走り出してぶつかりそうなほど一度接近して、それから少しずつ角度をつけ離れていった。見えなくなると今度はステンレスボディに緑二色の帯を巻いた横浜線の電車と並走になった。並走ラッシュ、楽しい。

 

 

 八王子でまず食事をするところを探した。もともと徒歩経路を逆にした第一の理由がそれなのだから、そうしないことには始まらない。
 とはいえ八王子で飲食店を探すことは難しくなかった。いくらでもあったし、何でもあった。こうまであると逆に選り好みが始まってかえって選べなくなる。そこで僕は洋食屋に絞って探すことにした。すぐに人通りの多い道のわきで一軒見つけた。
 こぎれいな白基調の店だった。すべての面と線を定規を使って書き上げたみたいに、直線と直角で構成されていた。店の中に入るとそこもまた、テーブルというテーブル、椅子という椅子、カウンターからレジから厨房へのスイングドアに至るまで直線的で直角だった。やはり同じように白基調で明るい店内には、アベック(夫婦だろうか)ひと組と中年のご婦人三人組がいた。どちらでもお好きなお席にどうぞと案内され、僕は奥の席に収まった。
 僕はランチのポークソテーを頼むと、この白い店の中を眺めた。人の好さそうなオーナーシェフが厨房をひとりで切り盛りしている。髪に白いものが目立ち始めていて僕と同じくらいの年のころに見える。フロアの女の子はアルバイトだろうか、それとも娘だろうか。眺めていると同時に美味しそうなにおいは漂ってくるもののすぐに出来上がるものでもなく、そうしていることにも飽きるとご婦人三人の会話ばかりが自然と耳に入ってくるようになった。直線と直角で構成された白い店には声のトーンがいささか大きすぎるのだ。どうしたって聞こえてしまう。いちばんよく話すひとりは背が高くキリンみたいだった。キリンは契約でツアー・コンダクターの仕事をしているらしい。先週はベルリンに行き、来週ヘルシンキに行くそうだ。残りのふたりは中年女性としては平均的なんだろうけど、キリンが大きいせいでひどく小柄に見えた。レッサーパンダとアライグマくらいだ。レッサーパンダが「スペインには行ってみたいと思ってるのよ」というと、スペインの見どころや文化、ツアーの裏話など30倍くらいにして返していた。まだ5回くらいしか行ってないからそれほど知ってるわけじゃないんだけど、と付け加えた。それからアライグマが「でも素敵だし恰好いいよね、まさに世界を股にかけてて」といった。世界を股にかけて──望んでいた言葉が引き出せたキリンは令和でいちばんのしたり顔を見せた。うれしさをじっくり噛み締めるようにして、でもそれを悟られまいとしつつ、スープにパンを浸すようにじっくり味わっていた。少しの間を開けて、「でも世界じゃないわ、ヨーロッパばっかりよ。会社が、私はヨーロッパってイメージ付けしちゃってるようなところがあるの」と恨み節ふうにいい、組んでいた脚を右から左に組み替えた。
 フロアの女の子が「ポークソテーのランチです」とメインの皿とライスを運んできた。その手にぎこちなさが幾分残るようだったので、あるいはこの店はまだオープンして間がないのかもしれないなと思った。それに気づくと店内の白さがやけに真新しく見えた。厨房の壁にも油染みひとつないようだった。シェフと目が合うと、低姿勢で丁寧な微笑みを見せた。僕はテーブルの上に置かれたポークソテーを見、またシェフを見てうなずいて見せた。

 

 おなかを満たして気分もすっかり満足した僕は店を出た。同時に南仏とイタリアの似たような景色ながら決定的な文化の違いと、現地で病気に倒れ入院するとどれだけ大変かということに僕はとても詳しくなった。これから2時間ばかりの街道歩き。人の会話からも離れたくなっていたからちょうどよかった。
 いきなり甲州街道には出ず、千人町の界隈を歩いてみた。千人町はかつて江戸幕府が置いた八王子千人同心の町で、武田の遺臣を中心とした下級侍が甲斐との国境の警護にあたっていた。百人で編成された組が十組ばかり、本当に千人いたらしい。しかし歩く町はただの住宅街で、これといったものを見つけることもなかった。何の下調べもなく来てしまったから、せいぜい一軒一軒の表札を読み上げながら歩くくらいだった。
 千人町を過ぎると道も自然と甲州街道に吸収された。
 そこは見事なまでの黄色の世界だった。大幹線国道のイメージにそぐわないほど見事な、いちょう並木が続いていた。
 へぇ……。
 僕は思わず声が出た。それほど見事だった。

 

 並木はてっきりお飾り程度のちょっとしたものだと思っていたのに、高尾まで延々と続いた。色づきにちょうどいい時季で、カメラを構える人を何人も見た。僕が知らなかっただけでけっこうな有名スポットだったのかもしれない。距離でいうなら秩父ミューズパークのいちょう並木をはるかにしのぐ。歩道を埋めたいちょうの葉も僕の心を和ませた。踏む足もとがふわふわと心地よくて、わざとその上を選んで歩いたりした。真新しい雪の上にわざと足跡をつけていく子供みたいに。ときどき隠れているぎんなんの実を踏んだ。それをしまったと思ってももう遅い。黄色のじゅうたんの上で埋もれたそれを見極めるのは難しい。
 高尾の駅を過ぎて中央本線のガードをくぐると、今度は紅葉の木々が現れた。今年はあまり色づきがよくないとほうぼうで聞くけど、確かにそうかもしれない。濃い赤というか茶に近い葉が今年の紅葉みたいだ。そしてその色になった葉はそう長くないうちに落ちてしまう。わっさと真っ赤に染まった木一本を見る機会って意外に少ないみたいだ。ガードを大きな音を立てて列車が通過していったようなので振り返ると、真っ白な特急あずさだった。
 西浅川という追分状の交差点で、旧甲州街道と現甲州街道が分かれる。江戸の甲州街道はこの交差点を右に行き、小仏峠を越える。明治に入り国道が整備され始めると、小仏越えでは車の通行は困難と判断され、南に迂回した現在の大垂水峠越えのルートに付け替えられた。僕はまっすぐのほう、高尾山口駅のある現甲州街道(国道20号)を進んだ。そしてこの道を渡る京王高尾線のトラス橋が見えた。いよいよ高尾山口だ。

 

 

 ハイカーは雨なんてまったく気にしないのか? それとも高尾山周辺には朝さえ雨は降っていなかったのか?
 僕の判断を覆すほど、高尾山口駅前に集う人の数は多かった。
 あるいは雨が上がると読み、昼前から出てきたのだろうか。いずれにしてもたくさんの人であふれていた。
 僕は少しばかり慌てて券売機に向かった。もうひとつの目的の京王ライナーの座席が確保できなかったら意味がないからだ。高尾山口から八王子に向けて歩こうと思っていた計画をわざわざ逆ルートに変えたのだ。座席が取れなかったら目的達成感が半減してしまう。もちろん帰路の列車確保という点では準特急が20分ごとに走っているから、京王ライナーが取れなくてもまったく問題ない。でもこれだけの人が京王ライナーに乗るとなったらそれこそ席も心配になった。京王のウェブ会員であればネット予約ができるが、会員でなければこうして券売機で買う必要がある。券売機では座席の指定ができない(ウェブではできる)から、どのくらい席が埋まっているのかもわからなかった。ともかく席は確保できた。10Dと書いてある。ABCDの並びで考えるならきっと窓側だろう。窓側が取れるということはまだそれほど埋まっていないんじゃないかと考えた。少なくとも混雑していることはないだろうとひとまず安心した。
 でも心配は、いらぬものだった。
 ホームに上がると一面のホームに二線の線路があった。案内表示によると、まず1番線から準特急の新宿ゆきが出て、そのあと2番線から京王ライナーが発車するようだ。ホームは広いけどけっこうな人が埋めていた。そこへ放送が入り、京王ライナーが入線するといった。あと発ながら先に入ってくるらしい。ホームで待っていると真っ白で鋭い光を放つ新5000系車両がゆっくり入ってきた。しかしホームにいる誰もがそっぽを向いていた。電車に向かって歩み寄る気配がない。みなこのあと準特急が入る1番線を向いていた。回送でやってきた京王ライナーは定位置に停車し、扉を開けた。開いたのは各車両4番目のドアだけだった。
 誰も乗らない。僕は指定された車両に乗り、指定された席を探してみた。進行方向左手の窓側だった。座ってしばらく待ってみたが誰ひとり乗る気配がなかった。指定券を持っているからってギリギリにくるのか?
 続いてホーム反対側に折り返しの準特急が入ってきた。高尾山口までの乗客が降りて車内が開くと、ホームにいたすべての客がこの列車に乗り込んだ。ロングシートの座席をおおむね埋めるだけの客数だった。そしてほとんど時間を取らずに──乗務員の交代を終えたのか心配になるほどだった──発車しますと放送が流れ、扉を閉めた。ザックを抱えた乗客をたくさん乗せ、準特急は出て行った。
 京王ライナーだけが残されると、高尾山口の駅のホームはひどくしんとした。京王ライナーの案内放送だけが繰り返された。座席指定でゆっくり帰れる京王ライナーをぜひご利用くださいと何度も促していた。しかし準特急の7分後、扉が閉まるまでに同じ号車内に乗ってきたのはわずか3組だった。

 

 確かにクロスシートで窓の外を眺めるのは気分がいい。
 列車はトンネルに入り、抜けるとすぐに高尾に止まった。それからめじろ台に止まった。
 めじろ台
 僕はてっきり新宿までノンストップなのだと思っていた。ポスターでそう見たつもりだった。高尾山口から新宿までノンストップ? そりゃすごいじゃないか楽しみじゃないか、そう思ってこの列車の座席指定を取った。僕はスマートフォンで京王ライナーMt.TAKAO号のページにアクセスしてみた。するとノンストップなのは下りだけで、上りは何のことはない、特急と変わらない停車駅であるとわかった。いわゆる八王子からの京王ライナーの停車駅と、高尾線の特急停車駅だった。
 それを確認すると少しだけ残念な気分になった。スマートフォンを閉じると北野に着いた。
 僕がいる号車を見ている範囲で、まったく乗ってくる人はいなかった。聖蹟桜ヶ丘でひとり乗ったきりだった。
 ダイヤを知り、よくわかった。この列車、速くはない、、、、、のだ。
 例えば高尾山口を7分前に出た準特急さえ抜かさないのだ。だったら数分後に来る特急に乗ればいいじゃないか、そう考えるのは至極妥当だ。おまけにすき間に並行ダイヤで押し込んだのか、前に各停や快速が詰まるたびに、駅でもないのに停車した。一度前に列車が詰まると、退避駅が来るまでそれを繰り返した。
 11月も下旬に入り、16時を過ぎて少しすれば真っ暗だった。外の景色はもう見えない。そんな中を京王ライナーは細かく停車しながら新宿を目指す。結局車内は高尾山口で乗ったふた組のカップルとひとり客と僕、聖蹟桜ヶ丘から乗ったひとり客の計7人だった。京王ライナーは府中を出た。次が新宿。まるで空気を運ぶようだった。空気を運びつつ、行く手を阻まれ何度も駅間で止められた。
 確かに府中から新宿28分はかかりすぎだ。調布に止まり明大前に止まり笹塚に止まる準特急でさえ27分だ。先行列車を抜かすこともない列車に410円払うかと聞かれれば正直疑問だ。僕も沿線住民なら乗らないと答えるだろう。京王線に来た物珍しさも手伝って乗ったようなものだ。410円は着席権だけだ。速達権はない。この時間の上り列車であれば一般の列車だってじゅうぶんに座れるだろう。だとしたら着席権のためだけにお金を払うのは決断できないだろう。長い路線ならまだしも、京王線は全線乗り通しても1時間かからない路線なのだ。着席できなかったとしてもそれはそれでかまわない、そう思う乗客の多い路線なのだから。
 僕は空気と一緒に運ばれつつ、夜の早い東京を、新宿に向かっていた。
 ねえ、今新宿にいるんだけど、よかったら夕飯一緒に食べない?
 ユキさんからそうLINEが入った。僕は驚いて周囲を見回してしまった。もちろん、いるわけもない。でもそりゃ驚くだろう。まるで僕が京王線に乗って新宿に向かっているのを知ってるみたいじゃないか。僕はこうやってわざわざ出てこない限り、新宿という場所には縁遠いのだ。ふつうに考えたらいるなんて思えないのに。たまたま? あてずっぽう? あるいは直感?
 偶然。実はちょうど新宿へ向かってるところなんだ。いいよ。
 僕はそう返信した。オッケー、すぐにそう返ってきた。
 京王ライナーは最後までとことんゆっくり走り、そのまま新宿駅の急カーブに入った。トンネルの中から明るいホームに出ると、ホームにこの列車を待つ人たちの列が見えた。折り返し京王ライナーの京王八王子ゆき、この列車は需要があるみたいだ。電車は頭端式のホームに着き、降車ホームの扉が開いた。
 ここで待っててもらっていい?
 ピンを刺した地図がユキさんから届く。東口のカフェだった。今京王だから、少しかかるよ、僕はそう返す。
 降車ホームの扉を閉めた京王ライナーは、座席の方向を転換していた。ひとつ置きずつ二回に分けて。僕はその光景を眺めながら、一日を締めくくる改札口へ向かった。

 

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