美濃たび鉄道沿線2Days - Day2 名鉄美濃町線・長良川鉄道編その1 (Mar-2020)
ホテルで朝いちばんにモーニングを食べ、一度部屋に戻って荷物を持ってチェックアウトした。昨日樽見駅で輪行パックしたあと、そのままホテルにチェックインして部屋に持ち込んだので、自転車は輪行袋に入ったまま。これを担いでホテルを出て、また岐阜駅のロータリーで自転車を組む。また、っていうのは、昨日の昼過ぎ、岐阜駅に着いた時もここで自転車を組んだから。
名鉄路面電車モ513。岐阜駅北口ロータリーに置かれた保存車両。昨日もこれを見て走り出した。
まだ日の昇りきらない
◆
(本日のルート)
美濃町線も、昨日走った揖斐線・谷汲線と同じ、岐阜市内線からつながる路線で、美濃市の美濃駅まで結んでいた。長良川鉄道の関-美濃市と営業区間が被ることもあって、新関-美濃が廃止、そのときに長良川鉄道と接続できるよう新関-関を開業させたが、長く続くことなく廃止された。
2005年、つまり15年を経ている。徹明町から北一色までは今僕が走る県道92号(旧・国道156号)の上を走る併用軌道だったそう。当たり前だろうけど、面影なんてひとつもない。何も見当たらない。
それとこの県道92号、週末の早朝だからいいようなものの、交通量の多い時だったら恐ろしい道路かもしれない。鉄道沿線旅でなければ避けたいタイプの道路だ。
北一色を過ぎてしばらくしたところで、県道から左へそれていく緩やかなカーブを見つけた。雑草に覆われたそれは、知らなければ空地にしか見えない。そしてその延々と続く雑草が、住宅街の中へ消えていった。
道路を走る路面電車が道路を離れる、併用軌道から専用軌道への切り替わり地点。
僕も県道を離れて住宅街のなかを行く道に移ってみた。そしてすぐさまだった。二線分に広がった路盤と、それを挟むように対向式ホーム。まぎれもない美濃町線の主要駅のひとつ、野一色駅だった。
──住宅街の路地で、こんなにもしっかり残っているなんて。
昨日、揖斐線を探しながら得た感想が、まったく同じようにここでも出てくる。そして、なかなか先に進まない。それもまた同じ。
住宅街を離れ再び県道92号に戻ると、美濃町線もやがて現れて僕の左手を並走するようになった。
昨日も思ったけど、この廃線跡は転換されることはないんだろうか。特にこの区間など交通量の多い県道92号(旧・国道156号)が片側一車線の対面通行道路に完全並走で、この幹線道路に転換して車線を増やそうなんて、すぐに湧いて出てきそうな発想だと思う(もっとも北側にバイパスが供用されている今、僕は安易にそんなことは望まないけど)。なにゆえぺんぺん草の伸びるがままに放置しているのか、強い力が存在しているのか、不思議ではあった。
道はそのまま国道156号となり、変わらず美濃町線も並走している。そして緩やかではあるけれど長い坂道に入った。道路も線路もぐんぐん坂を上っていく。岩田坂というらしい。レールも架線柱もないし、もう電車も走らないけど、国道1号逢坂山の京阪京津線との並走区間が重なった。
下芥見駅に寄ってみる。ホームが残っている。道路からホームへのアプローチには枕木が使われていた。往時からこうだったのだろうか。
線路跡を完全にトレースできないのだけど、芥見の路地をくねくねとまた行くのも楽しかった。塀や家の軒をかすめるように進む。線路もすぐ向こう側を走っていたんだろうけど、きっと同じように塀や家の軒をかすめていたに違いない。
そして高台の宅地から突如、広大な田園地帯に放り出された。そのあまりの急な開け方に驚いた。
線路跡を目で探した。空撮を見ているみたいで楽しくなった。
市の中心部に向かうにつれ、ロードサイドに活気が出てきた。道路の舗装も高規格になり、幅員も広がった。周囲には大型の商業施設も現れた。歩道側に用意された自転車レーンが現れたので、そちらに移る。
と同時に、美濃町線の線路跡はわからなくなってしまった。この高規格で広い歩行者自転車レーンを持つ県道79号の下に埋もれてしまったのかもしれない。
県道79号を離れ、まっすぐ関駅へ向かう。町の中心に入ってきたようだ。ここに来るとむしろ質素だ。狭い道の周囲は、高い建物も派手さもない。そういうものはやっぱり幹線道路沿いに広がっているんだ。現代の交通は鉄道よりも車。人の動線に従って繁華街も移っていく。町の中心は昭和だった。
駅に着いた。関には長良川鉄道の駅があり車庫がある。ホームに1両の気動車が、車庫では入れ替え中の何両かの気動車が、アイドリングしながら止まっていた。
美濃町線がかつて美濃まで走っていたころは、関には寄らず、新関から県道281号に沿って、長良川鉄道の西側を並行していった。新関-美濃の区間が廃止されたのが1999年。そのとき新関から関の駅に向かって路線を新たに敷設する。長良川鉄道との接続の便宜を図ったんだろう。新関から関はいわば新たに“開通”した線路だった。しかしながら2005年の美濃町線全線廃止により、わずか6年ばかりの新線だった。
関の駅前には、長良川鉄道の線路に沿い並ぶように、住宅のあいだから現れた90度カーブが目に入った。レールが、脱線防止ガードとともに残り、急カーブの面影をかもし出していた。
住宅の裏手にひっそりと、かつての松森駅があった。緩いカーブに合うよう円弧を描いたプラットホーム、そして今までほとんど見ることのなかった枕木が、等間隔に並んでいる。これが実際に鉄道線だった頃のそのものなのかは僕にはわからなかった。枕木が埋まっている路盤はバラストではなく砂と小石だし、枕木にはレールを留めていたであろう犬釘のあとが見つけられなかったから。それでも、ここにカーブをしながら赤い電車が入ってきて止まるようすは、古い映画のフィルムのように思い描くことができた。
中途半端なサイクリングロードにされている区間なんかも走りながら、美濃の町が近づいてきた。
そして名鉄美濃町線の旧車たちが正面に並んで現れる。
廃止された美濃駅だ。
4種の電車が、残されたホーム、レールとともにある。終点美濃駅は、駅施設と車両をこうして残している。
終着駅が往時の車両とともに保存してある。
谷汲駅と同じように。
ただ谷汲駅で感じた生き生きとした躍動感はここにはない。谷汲駅が、まるで入ってきた電車が発車を待って停泊しているだけのような、動的な時間軸の一部にいるように思えたのに対し、ここ美濃駅は止まった時間があった。
美濃町線の終りの時間を永久氷結させたような、あの時がここにある。ここは博物館的にも映る。
もちろん、どちらが良くてどちらが悪いという話じゃない。どっちもいいんだ。今をまだ生き続けている谷汲駅と、その時を切り取って残す美濃駅。両方のやり方があっていい。
「よかったら見て行ってください。今開けましたから」
金網越しに、駅舎の改札口越しに眺めていた僕に、管理の方だろうか、掃除を終えた女性が声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
僕はタイムトラベルの入り口、美濃駅の改札口をくぐった。
(つづく)