自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

ネガティブ・ウィークエンド

 雨はやみそうにない。霧雨と小雨と弱雨のどれかを繰り返していた。僕は5分か10分おきくらいに窓に立って何度もそれを確認している。もうやむことはないであろう天気を実感しながら、もう自転車に乗ることはほぼ絶望的と思いながら。
「これは無理だよ~乗れないよ~」と一緒にいるスモーキー氏がいった。自分でもそうだろうなと思っているにもかかわらず、窓の外を見るでもなくただ畳の部屋でごろごろ寝転がっていうそのいい方に気分を害した。前日までの天気予報ではおよそ8時を境に雨が上がるといっていた。「これから上がる予報なんで、ようすを見ましょうよ。コース短縮もできるから、出発を遅らせることで走れるのならそれに越したことがないでしょう」僕は内心予報が外れることを確信しつつも、スモーキー氏の気のないいい方にただ苛立っていった。「無理だよ~あきらめようよ~こういう日だってあるんだよ~」スモーキー氏は繰り返した。
 僕は越後湯沢にいた。妻が仲間と自転車のライドイベントに出るといい出したのが夏の暑いころ。年に両手くらいしか自転車に乗らない妻に、そうなんだそれは気を付けて頑張って行ってらっしゃいといった。が、しばらくしてから一緒に行かないかと持ちかけられた。もちろん一緒に出ようということではない。妻も僕がイベントの類を好まない(いや正直にいうなら嫌い、、である)のを知っているから。それでも僕に声をかけるのは、車の屋根に自転車を載せることが誰ひとりできない、、、、、、、、からだった。そのために一緒に来てくれないだろうか、という話だった。「イベント中は自由にしていてくれていい」──朝、彼女らの自転車を車に積んで出発させてしまえば、あとはどこへ行ったっていい。下ろすのはなんとかなると。
 越後湯沢に仲間のひとりが勤める会社の保養所があるから、そこで格安に泊まるという。食事はないけど温泉大浴場もあるって聞いたから──それはきっと福利厚生の提携旅館やホテルなんだろう。僕は外に食べに出るほうが好きだから、素泊まりでもかまわないと答えた。
 スモーキー氏が一緒に行くと又聞きした。スモーキー夫妻のところでも運転手が欲しかったのか、僕ひとりがいわば"かばん持ち"としてついていくことに申し訳なさを感じたのか、わからない。が、結果そういうことになった。イベントには出ず、僕と行動を共にするという。僕はひとりでもかまわなかったけど、部屋の関係とか車の台数とかあるのかもしれない。僕は自分の興味が満たされれば、、、、、、、、、それでよかったから、どちらでもかまわなかった。
 そして僕はその話に乗じ、越後湯沢にやってきた。
 朝、僕は窓の外の雨を見ていた。

 

「越後湯沢」、「自由」──それらキーワードで僕の計画はもう決まっていた。僕の興味は、先日地図で見つけた林道一之沢滝ノ又いちのさわたきのまた線に出かけることだった。飯士山いいじさんから続く稜線部を越えて南魚沼市へ抜けられる道を通って、先日立ち寄った食事処に寄ってみようと思った。あるいはもう新米が出ているかもしれない。そこでランチをし、イベント会場に向かえばいい。ゴールで妻たちを迎え、ここでまた屋根に自転車を積むのだ。
 僕は楽しみを込めたルートに「ライドイベント・裏ライド」とタイトルを付け、スモーキー氏に送った。
「よさげなルートをありがとう。──ただ坂が」
 とスモーキー氏はいった。上れないような坂はつらい、自分に上れるだろうかと。上れるでしょうと僕はいったが、今度は距離を走り切れるか大丈夫かと続く。何事であろうとマイナス評価をつける人なので気にせず会話を流した。

 

▼林道一之沢滝ノ又線

 

 日が近付くにつれ、ネガティブなカードが切られ始めた。
 まず週間天気予報で晴れマークがついていた日曜日が、曇マークに変わり降水確率は60%になった。
 そして出発時間の相談がなされ、土曜日13時に決まった。酒飲み軍団である仲間たちが夜のへぎそば屋にすでに予約を入れ、その時間に照準を合わせた結果だった。土曜日、早めに到着できるならあわよくば飯士山に続く県道散策に出かけようかともくろんでいた僕の算段は、崩れた。僕は妻にそれを話してみたが、ごめんね~みんな午前中に用事があって早くからは出られないらしいのよ、上手くいかないね、といった。ああそれなら輪行で先に行って走ってる? ──そういって妻は手を叩く。「いや、自転車を屋根に積む必要があって僕が行くわけでしょ」僕は笑った。あ~そっかそうだったごめーん、そう彼女はいった。
 僕はきわめて内向きな人間である、と思う。
 その一片のせいか、正直人の家が苦手、、、、、、である。よほど行き慣れた家でも、例えばティッシュの箱、リモコンの位置を動かすことができない。そのティッシュの一枚をもらうこともできない。トイレを借りることも恐縮してお腹が痛くなる。それは家がきれいとか汚いとかいう次元じゃない。片付いているか片付いていないかでもない。人の家かどうか、でしかない。
 だから、着いたそこが会社の保養施設じゃなく、仲間の人が勤める会社の社長が持っているリゾートマンションであると知った瞬間、僕は大きく混乱した。落ち着きを失った。おそらく初めからそういう話だったのだろう、僕に届く過程のどこかで伝言ゲームがはき違えを起こしただけのこと。よくある話だ。案内されたマンションの一室は、まさに人の家、、、であった。テレビ、冷蔵庫、エアコンから、ドライヤー、歯ブラシ、洗面所に掛けられたタオルまで、当たり前だがすべてが私物だった。マンション内に温泉大浴場があったのは救いだった。丁寧にすみずみまで掃除が行き届いていようが、昨日リフォームが完了したばかりの真新しさだろうが、お風呂やシャワーを人の家で借りるのは、僕には相当敷居が高い。僕はその家のなかを可能な限り、使わず汚さず動かさずを実践しなくちゃいけない。
 到着後荷物を下ろし終えて一段落すると、僕はみんなを乗せた車を運転し、へぎそば屋へ向かった。僕は飲まなくても平気だから、運転手を仰せ使う。

 

 明けた朝は予報通りの雨だった。ただ、やむはずの雨だった。朝のまだ早い時間、妻と仲間たちは準備を終えた。僕は自転車を車の屋根に積む。自転車の固定を確認すると、車の鍵を妻に渡した。現地は雨やんでるかもしれないよ、と僕は予報からいった。スモーキー氏はそんなことないよ~ひどい雨雲だよ~と雨雲レーダーを見ながら鼻で笑いつついった。まあイベントなのだから、天気がどうであれ走るだけだ。僕は出発する自分の車のテールランプを見送り、スモーキー氏と部屋に戻った。
 確かに、雲は厚かった。

 

 

 よく、ネガティブな出来事、事象、そんななにもかもをつねにプラスに置き換えて発想を転換する、ポジティブな思考は大事だという。特に僕のような性格に対してはみな口をそろえていってくる。でも僕はネガティブな事柄はネガティブなまま自分で受け止めるほうが好みだ。事実をありのままに受け入れるほうがいい。それで落ち込むなら落ち込むしかない。気が滅入るなら気を滅入らせればいい。逆に無理に、あるいはなんかしら理由づけしてポジティブにとらえるという発想は、長い目で見て僕にはかえってマイナスに作用するように思えてならない。
 だから、今日は、ネガティブ──。
 今日は自転車に乗れない。僕の自転車はスモーキー氏の車に載せたままだ。
「長岡ラーメン、食べに行きますか」
 僕は十数回目の窓の外を見ていった。ねえどうするか決めた? とスモーキー氏には何度か強めの口調でつつかれていたし、時計は9時をまわっていた。
「いいじゃない、行こう」朝からずっと自転車に乗る気などなく、和室でごろごろしていたスモーキー氏がすっくと立ち上がった。
 準備を終えて自転車を積んだままの車で出発する。雨はまだ降り続いていた。
「ほら、雨で流れたからさ、長岡ラーメンが食べられるんだよ。それはそれでよかったじゃない」
 スモーキー氏はうさんくささのあるポジティブ思考でいった。彼は何を行動するにも言い訳が必要なのだ。
 僕にはなにもない、ただ雨で自転車に乗れなかった、、、、、、、、、、、、日でしかなかった。