自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

中禅寺湖スカイライン、半月山(Sep-2019)

 日光、第二いろは坂を上っていた。
 あと二週間、待てば奥日光は真っ赤に燃えるような山々の風景を見せてくれるに違いなかった。あるいは暑さの残る今年の秋、時季は少しの前後があるかもしれない。でもそんなことはわかっている。わかっていて今ここを上っている。僕は紅葉の時季にここへ来る気持は正直ない。
 カーブの順に「い」「ろ」「は」「に」……と名前が付けられているいろは坂、紅葉の季節になるとすでに最初の「い」カーブから車が混み始め、ほどなくして渋滞を迎える。もちろん最盛期などはいろは坂どころじゃなくそれよりずっと前の清滝きよたきから連なっていることだって珍しくはない。10キロ以上に及ぶ中禅寺湖までのいろは坂を、この渋滞とともに過ごすことになると思えば、どうしたって前向きになれないのだ。そこでストレスを感じているのは僕だけじゃない。むしろ車を運転するドライバーだ。加えて同乗者も一緒くたに、うんざり沈んだ気分や苛立ちを抑えられず、車という塊の分厚い鉄板を通してさえ、そのオーラと不安定な情緒が伝わってくる。びりびりびりびり……本当に。おそろしいことだ。
 そんななかを走ってまで奥日光を目指したいかというなら僕はノォだ。
 日光が悪いわけじゃない。紅葉が素晴らしいのは間違いないし、日本でも屈指の景勝地だ。でもどこの道路も渋滞し、降りたら降りたで人にあふれたこの巨大観光地に、僕は楽しさを見出せない。
 だったら、静かなときに出かける方がいい。

 

 夏の行楽シーズンが終わって、人によっては長い休みとなる9月の連続連休も終えた今、たまたま谷間に当たったのかもしれない。第二いろは坂はじつに順調に車が流れている。交通量は少ないほうで、ひと固まりになった何台かの車が通り過ぎてしまうと、ぱったり静かになる。遠くまで見通す二車線道路に車が一台もない。そういう瞬間が何度も訪れ、喧騒の日光とはまったく別の顔を見せてくれた。
 いろは坂が、しん、、としている。

 

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◆ 

 

 中禅寺湖スカイライン半月山はんげつやまに行こうと思う。
 半月山は奥日光中禅寺湖の南側に位置する山で、中禅寺湖を取り囲む日光連山のなかでも道路で上って行ける数少ない山である。中禅寺湖を挟んで、日光連山のなかでもひときわ目立つ独立峰、男体山を真正面に望む、絶景の展望台を有する。
 かつてここを訪れたのはもう20年以上も前だ。そのときは車だった。その一度きり。自転車で来たことはない。それにそのとき以降、車でさえも来ていない。バスだって走っていて、電車から乗り継いで来ることもできるのに、一度も来ていない。
 そしてそのときの風景を僕は覚えていない。あるいは天気に恵まれず、男体山はおろか中禅寺湖さえ見えなかったかもしれない。
 僕は行きたい行きたいとずっと思っていた。いよいよ今年の初夏、半月山に行くんだと意思を持って計画した。しかしそれも天気に流されてしまった。季節は夏の行楽期に入り、いろは坂の渋滞を思うと出かける気分も遠のいた。
 明智平を過ぎ、ふたつのトンネルを抜けると、第二いろは坂は下りに転じる。つきあたりの二荒橋前交差点まで行かず、途中の細道を左に折れた。僕が泊まることなどなかろう建設中のリッツ・カールトンや、星野リゾート界の脇を抜け、大きな大きな中禅寺湖の湖畔に出た。

 

 なかなか計画も立てられないし実行にも移せない事情として、中禅寺湖スカイラインが完全なるピストンルートであることが挙げられる。
 ここまで日光駅から坂を上り馬返、さらにいろは坂を上ってやってくるだけでも時間と労力を要する。そのうえで中禅寺湖スカイラインまで走ると、これで一日を使ってしまうのだ。半月山に上ってどこかに抜けられるのならきっと早々に訪れていたに違いない。行って帰るだけの単純なピストンになかなか食指の動かない僕は、ここを訪れるということが本当に重い腰だったのだ。
 それでも行くんだと意思を持って、計画し、今日ここまで来た。
 湖畔道路を走りながら立木観音(中禅寺)の山門を正面に見た。沿道は食堂やお土産屋が並び、ちょっとした門前町を形成しているようにも見えた。立木観音を横に見ながら歌ヶ浜、ここを過ぎると中禅寺湖スカイラインである。湖畔には欧州各国の大使館の別荘が建ち並んでいるそうだ。道路からでは見えない。中禅寺湖の湖畔、正面に男体山が大迫力で座り、奥には日光白根山などのそうそうたる山々が連なっている。それをきっと大画面テレビのように一枚の窓に収められる光景なのだろう。
 いっぽう、道はすでに上り坂にかかっていた。

 

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 中禅寺湖スカイラインはかつて、有料道路であった。おそらく僕が車で走ったときもまだ有料道路だったはずだ。今はその名を愛称に残しつつ、県道250号となっている。坂は、ときどききつい傾斜があらわれ、少しそれを上ると緩やかになることを繰り返した。つづら折というよりは複雑な地形の山肌をなめていくようで、突拍子もない方角へ行ったり帰ったりした。木々に囲まれた林のなかを進みつつも、ときどき木々が け視界が広がると、中禅寺湖が眼下に見える。──もうこんなに上ってきたのか。

 

 栃木県道250号は、路線名でいうと中宮ちゅうぐうし足尾線、つまり中禅寺湖から旧足尾町(現在は同じ栃木県日光市)へ抜ける道になっている。じっさい地図を見てみると、中禅寺湖から南へ、半月山で道の途切れる県道250号とは別に、足尾町渡良瀬川沿い、わたらせ渓谷鉄道沿いに県道250号が記されているのを目にすることができる。足尾町内は国道122号の旧道を継承し、さらに鉄道の終点間藤まとう、そこから続くかつての貨物線、足尾本山に向けて並行する。渡良瀬川の源流に至る松木川から分かれた深沢に沿って遡上するが、その途中で道路地図は消滅する。
 どうしてこれが同じ県道なのだろう。
 どう見たってこの先つなげる気もないだろうに。中宮祠半月山線と足尾深沢線と、なぜ別の県道じゃないのだろうか。
 国土地理院の地図で見ると、黄色の線で両道路が接続しているように見える(じっさいは半月山駐車場の相当近くまで来ているものの、接続はしていないのと、足尾側で深沢を越える橋がなく、切れている)。でも拡大してみると見える線は破線で、凡例によるなら徒歩道、つまり登山道がせいぜいってとこ。どうなんだろう、こんなところを歩く人なんかいないんじゃないか。ヤマケイの登山マップでもルートは示されていないから、すでに藪化しているかもしれない。
 どうみても、見当違いの別の道である。

 

 休憩を何度かはさみながら上って、道は茶の木平というところに出た。同時にここで半月山へ続く山の稜線近くに出たんだと気付いた。
 なるほど、スカイラインだ。その名にふさわしい。
 道は一度稜線をまたぎ、山の反対側斜面へ出た。男体山中禅寺湖は見えなくなり、左手側にどこまでも続く深い山々が見えた。
 大絶景だ──。
 僕は足を止め、山々の深さに息を飲んだ。
 方角から想像するに、見えるのは前日光の山々だ。古峰ヶ原こぶがはら、横根山、地蔵岳──。一度深い谷に切れ込んだあとそれら前日光の山々に険しく連なっている。これら谷と山、目に見える範囲すべてが緑に覆われている。町も集落も見えない。ダムも建物も構造物もない。人の気配がまるでない。
 僕は中禅寺湖を俯瞰し、男体山と相対して立ちたいとこの中禅寺湖スカイラインに来た。しかしながらこの前日光の風景はどうなんだ、こんな光景が見られるなんて期待していなかった。むしろこの光景に圧倒され、そのまま道路に腰を下ろした。
 車は数えるほどしか通らない。時季的なものかもしれない。今日はいろは坂でさえ幾度と静寂の瞬間があった。交通量の少ない日で、ここへ上がってくる車はさらに少ないんだろう。どちらかというとバイクが多い。バイクにはこの道がよく知られているのかもしれない。間違いなく快走ルートだ。
 素晴らしい道である。
 僕は座った先に続くアスファルトを見た。美しいと思った。そうやって前日光の山さえさておき、しばらく道を眺めていた。
 車のエンジン音が聞こえてきたので僕は道路から立ち上がった。来たのは「半月山」と表示したバスだった。乗客はひとりもなかった。

 

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 中禅寺湖スカイラインはしばらく稜線の東側を行くので、つねに前日光の山を遠くに見ながら走る。道路を覆う木々が少なく、この道が先に向かって山肌を縫っていくようすまでわかる。鋭く刻むように入り組んだ山肌は、カーブでまわりこむことをせず橋をかけてショートカットしていく。この道にはこういった橋がぜいたくにいくつもかかっている。
 うす曇りの空に向かう橋梁は、まるで雲海に飛び出した架け橋みたいだ。

 

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 そういえば僕は、今自分がいるここを、向こうから見ていたことがないか? 前日光から、、、、、。そう気付いた。──まぎれもない。昨年の秋、都沢林道から前日光へ抜けて走ったとき、僕は前日光の県道58号で足を止め、ここ半月山や男体山を遠く眺めている。
 僕は去年、あの山のどこかにいて、今僕がいるところを遠く見ていたんだ。

 

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(前日光から見た半月山、男体山の風景)

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 途中にある中禅寺湖展望台を一度通り越し、この道の終点を目指した。
 一度大きく下ってまた上りになり、右に回り込むと道路はそこで終端だった。半月山駐車場、中禅寺湖スカイラインはここでお終いだ。
 止まっている車の台数は多くない。バイクはけっこうな台数がいるけれど、場所を取るわけじゃないから、変にだだっ広く感じた。まんなかにバス停がぽつねんと置かれている。寥々りょうりょうとしていた。
 終点の駐車場から見られるのは足尾と上州の山々だった。

  

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 僕が奥日光で最も好むのは、あるいはこの道かもしれない。千手ヶ浜へ向かう市道1002号もいいけど、このスカイラインらしいスカイラインは絶対的好みであることは間違いない。
 ピストンの帰り道、行きに通り越した中禅寺湖展望台に寄って、楽しみにしていた中禅寺湖を俯瞰し、男体山を正面に望んだ。

 

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 中禅寺湖を俯瞰できる場所は、男体山に登山しない限りここだけだ。

 

 

 中宮祠に戻った。良くも悪くも奥日光の観光地らしい景色に戻ってきた。
 今日の旅の目的は達したが、僕は奥日光の最も奥、湯元まで行ってみることにした。中禅寺湖北岸に沿って菖蒲ヶ浜や竜頭の滝を過ぎ、またさらに坂を上る。上り切ると突然開けるだだっ広い戦場ヶ原のど真ん中を一直線で貫き、再び坂を上る。
 湯元にある湯ノ湖は釣り人でにぎわっていた。でもその湖面を見る限り、にぎわっているという表現をしていいのか定かじゃなかった。静かに釣り糸を垂れる彼らに声も音もなかった。張り詰めたような静寂があった。通りすがりの僕が声を出すこともはばかられるほどの静寂だった。でもそれは見ていたら美しささえ覚える静寂だった。見慣れてくると心落ち着いてくるのだった。
 僕は湖岸のレストハウスに入り昼食を取った。席は湖に面して、釣りをする人々のようすを広く見渡すことができた。釣り糸を投げ入れては上げる。無言で無音の湖上ではこれが繰り返し行われるだけだった。今度はここで、次は向こうで、誰もがそれをし、あちこちでランダムにそれが繰り返された。静寂とその動きで、不思議にすうっと落ち着き、くつろげた。中禅寺湖スカイラインと半月山で、必要以上に熱を帯びてしまった興奮を落ち着かせるのにぴったりだった。旅の締めくくりにふさわしい。食事を終えたあともしばらく、その風景を見ていたくて、僕はコーヒーを追加で頼んだ。

 

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(本日のルート)