自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

平沢芹沢林道(Sep-2019)

 下今市駅、午前8時。
 列車から輪行袋を持って降りたのは僕ら三人だけじゃなく、ほかにも何人かいた。なんで下今市なんだろうって思う。だって列車は東武日光行きだし、その日光まで行かずに途中で降りてしまうのだから。この辺、ごくふつうの自転車乗りだったら、日光を走らないとするとどこを走るんだろう。大笹牧場?
 もっとも僕らも同じように下今市で降りて、じゃあいったいどこへ行くのだという話なのだけど、今日は地図で見つけた平沢芹沢林道へ行ってみるつもり。以前から東武線沿線の林道に行きましょうと話していたAさんと、前にも林道や荒れ道に一緒に出かけているKさんに声をかけた。今まで林道なんてたいていひとりで出かけていたのに、先日の熊遭遇が生々しくて、それがマイナー林道や通行止め箇所なんかじゃなくメジャーな誰もが通る場所だったから余計、そんなわけでひとりで出かけられないトラウマと、万一のときは誰かが食べられているあいだに逃げる作戦に打って出た。

 

 平沢芹沢林道は栃木県北の湯西川温泉地内と野岩やがん鉄道の中三依なかみより近くを結ぶ林道で、きわめて情報が少ないのだけど、全線舗装らしい。途中に湯坂峠という名のある峠(マイナー林道の峠は名無し峠が多いから珍しい)を越える。峠は湯西川と男鹿おじか川との小さな分水嶺で、それぞれに流れ込む沢が平沢、芹沢という。周辺集落もその沢の名前をとって平沢、芹沢、そこを結ぶ林道としてこの路線名みたいだ。
 この林道を見つけたのは偶然だった。OSM(OpenStreetMap)を見ていたときだろうか。グーグルマップを見ても道はつながっていない。国土地理院の地図でもだ。ストリートビューも行った形跡はなく、しかしながらツーリングマップルを開いてみたら線でつながれていた。
 僕はこの道に惹かれた。なにしろ湯西川温泉という場所は、会津西街道・国道121号から分かれ、県道249号を入っていくしかないと思っていたから。
 ──余談。この国道県道分岐のところに野岩鉄道の駅『湯西川温泉』があるのだけど、この駅から湯西川温泉まではじっさいバスで数十分かかる。できた当初から駅名に難ありだよなと思ってる。せめて『湯西川温泉口』だろって。はやりに乗るなら『湯西川温泉ゲートウェイ』か……いや、だな。まあそのくらいのこと。余談、おしまい。
 湯西川温泉へ、そのもうひとつのアプローチ道路を見つけてしまったら、どんなところか知りたくて仕方がなくなった。なぜこの区間に道なのか、どういう人が使うのか、どんなところを通っているのか。
 こんな道だ。

 

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 自転車を組み立てていると後続の列車が追いついてきた。そこからさらに輪行客がふたり。本当にみんな、下今市で降りていったいどこへ行くのだろう。
 僕らも出発する。国道沿いの道の駅に立ち寄って飲み物食べ物を調達し、会津西街道へ向かう。まず日光の大河、大谷だいや川を渡った。天気が良ければここから日光の独立峰、男体山を望むのだけど、今日はまったくその姿を見ることができなかった。霧降高原も中腹まで見えてはいるが、それより上は、男体山から続いている雲にすっぽり覆われていた。

 

 まず会津西街道を北上する。

 

 

 会津西街道こと国道121号は、大谷川を渡ってから東武鬼怒川線大桑駅の先、板穴川の橋までバイパスができていて、旧道は旧街道のままの道と杉並木が残っている。高い杉木立のなか、日の差し込まない道は肌寒さを覚えるほどの涼しさだった。今週、9月のここに来て急に涼しくなった。先週は魚沼スカイラインを猛暑のなか走ったのに、すっかり対照的だった。長袖を着るべきだったんじゃないかと思うほどの朝だった。
 この杉並木の旧道はいい道だ。車もあまり来ないうえ、並木の石積みや道路の屈曲に旧街道の独特の風情が残っていた。路線バスが走る僕らを抜かしていった。バスは今でもバイパスじゃなく人びとの生活が密接した旧街道を走っている。
 今日のルートはこの会津西街道をまずひたすら北上する。鬼怒川、龍王峡、川治、五十里いかり湖。林道は、起点の湯西川から狙うんじゃなく、終点側になる中三依から入ることにしていた。第二の湯西川温泉へのアプローチ・ルートとして湯坂峠越えに臨むほうが魅力的だし、湯西川温泉駅をゴールとすることで、駅にある温泉に入り、そのまま列車に乗ってしまえることもあって。それでタオルと着替えを持って行きましょうって声をかけた。林道もレク、温泉もレク──。盛りだくさんに詰め込んだ。
「ツール・ド・NIKKOがあるんですね」と後ろからAさんがいった。
 気を付けて見ていくと国道121号の随所にツール・ド・NIKKOの立て看板があらわれる。日付は9月15日、翌日である。よかった、と僕は胸をなでおろした。今日のこのサイクリングを決めたのがきのう金曜日のお昼休み、思いついたように急に声を掛け合って即座に決めたものだから、そんな周辺情報まで収集している時間もなかった。しかしながら一日違い、危ない本当に良かった。

 

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 鬼怒川温泉の温泉街を抜けていく。特に鬼怒川の渓谷沿いに並ぶ旅館群は、いまや廃墟となっているものもある。そんな場所を走りながらこれかぁとKさんが喜んで写真を撮っている。
 鬼怒川温泉を抜けると新藤原。東武鉄道の最北端駅である。レールは野岩鉄道につながっていて、この国道121号に並行してそのまま会津鉄道を経て会津若松に至る。鉄道版会津西街道なのだけど、鉄道会社としてはここで区切り。駅名は「しんふじわら」だけど、かつてここの町だった藤原町(現:栃木県日光市)は「ふじはらまち」だった。しっかり「ha」と読むふじはらだったから、旭川とか米原とか尾久みたいなものだ。
 20キロ近く走って龍王峡で休憩した。9時半にしてお土産屋や食堂が開いている。氷ののぼりも立っている。確かここは有名氷室の天然氷を使ったかき氷だった記憶がある。でも今日の涼しさってかき氷の気分じゃない。店の人もそれをわかってか、今日はきのこ汁やちたけそばで押してくる雰囲気。それを見たAさんが「きのこって何の補給にもならないでしょう、カロリーゼロでしょ」という。シイタケ嫌いのAさん、いよいよきのこ全否定か(笑)。「おいしいのに~」とKさんがいうが、もちろんかみ合わない。対するKさんは餅嫌い。のどに詰まらせると死んでしまうので絶対に食べないらしい。ちなみに僕はどちらも食べます。
「コロッケ食べます?」
 三ツ岩のピークを過ぎ、川治温泉への坂を下りながら僕は声をかける。
「食べましょう食べましょう」
「コロッケはカロリーありますから」
 温泉街の狭いぐねぐねの道を下りつつ、TVですっかり有名になった店に立ち寄った。
 しかしながら店の前は薄暗い。
 表に出される準備状態のブラックボードに10:30~って書いてある。まだ10時前だ……。しくじった。
 店の横で車を止めているおじさんがいる。
「まだやってないですよね」
 と聞いてみた。
「まぁだやってねんじゃねぇか? どんだろ」
 とその言葉で気付く。店の横は隣の家で、お店のおじさんではなかった。さらにしくじった。
「でも、中にいんだろ? (戸を)開けて声かけてみれば」
 隣のおじさんがそういうので、僕は店の戸を開けてみる。ごめんくださ~い、すいませんまだ早いですよねぇと声をかける。
「お~いいよ。今よぉ油あっためてるところなんよ。いいよ食べてきな」
「まだ何も揚がってないですよね」
「おお、食べたいもんいってな、揚げっから」
 そんなわけで僕らは店の一番客になった。

 

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「明日も走るのかい?」
「いや走らないです。というか、知らずに来たんです、ツール・ド・NIKKOがあること。明日はここ(坂文精肉店)も混むんでしょう?」
「混むねえ」
 笑うおじさんに店を早く開けてくれた礼をいい、出発した。まだ10時過ぎなのに、何組もの客でもう店はあふれていた。
 川治も鬼怒川同様、廃墟旅館を見た。そのうちのひとつには布団や洗濯物が干されていた。走りながらなんだろうねえと推理する。夜逃げ説、いや一部の離れの部屋には人が暮らしているんじゃないか説、どれもとうてい答えにはたどり着けない気がした。

 

 坂を上って五十里ダムに着いた。かなり以前からあるダムだと思う。少なくとも僕がここにダムのない状態を知らないから相当古いのではないか。休憩がてら写真を撮りダムカードをもらった。
 そこからはしばらく五十里湖岸に沿っておおむね平坦に進む。僕らは湖を海尻橋で右岸から左岸へと渡る国道121号の旧道へそれた。かつてこっちが本線だった頃、この先の道は湯西川へ向かうだけのひどい田舎道、県道249号だった。今は国道121号の五十里バイパスが完成し、湯西川ダムの完成によって県道249号も温泉街までの全線で付け替えになったことから、地域じゃいちばんの高規格道路に生まれ変わった。国道121号のバイパスは、湯西川温泉駅(何度も繰り返しになってしまうが、なにしろ駅と温泉街とが10キロ以上離れているので、あえてしっかり分けて書く)まで右岸を行き、野岩鉄道と並ぶように鉄橋を渡りトンネルをくぐり、五十里海渡り大橋で左岸にやってきて旧道と合流する。
 海尻とか海渡り大橋とか、地元ではこの湖のことを「海」と呼んでいるのだろうか。五十里湖は今では五十里ダムによって堰き止められたダム湖だが、江戸の昔、大地震による山体崩壊で男鹿川が堰き止められ、それによってできた五十里湖が存在していたという内容を栃木県のページで読んだことがある。あるいはその頃から村人はここを海と呼んでいたのだろうか──。
 旧道は、新たな道路が開通すれば、県道や市道に格下げされることが多いのだけど、ここはまだ国道指定されたままだった。国道122号旧道細尾峠のように国道標識が取り残されたってだけの場合もあるかもしれないけど、複数の場所に国道標識が残されていること、国道352号との重複国道でもあり、お団子状態で標識が存在していることから見てもまだ国道なのだろう。地図を見ても国道の表記だし。しかしなぜここが国道で残っているんだろう。冬季の除雪の関係だろうか。おそらく市道になってしまえば冬季除雪の費用は捻出できず、冬季閉鎖道路になってしまうだろう。湖畔亭ほそいをはじめとする沿道の交通保証のためだろうか。ちなみに湖畔亭ほそいはおそばや川魚、そして何より水が美味い店だ。
 国道121号の五十里バイパスが開通してまだ20年も経っていない。かつてこの旧道を通ってスキーに行っていた記憶がある。同時に、運転のしんどい区間だったなという記憶。そこをこうやって自転車で走ってみて、これを車で走っていたのは大変だわ、って思った。中央線のない狭い道、続く屈曲、ミラーが少なく視界不良。しかもこの道に雪が積もっていたりしたわけだ、有効な道幅はさらに狭くなっていただろう。
 今はすっかり自転車で走って楽しい道になった。ほとんどの交通は五十里バイパスを行くし、バス路線もない。沿道集落もないから、車もまず通らないのだ。湖岸の荒く削られた崖に沿う屈曲は、自転車であれば楽しい。広い湖を眺めつつ、静かな湖畔を走った。

 

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 五十里海渡り大橋を渡ってきたバイパスに合流し、さらに国道121号を北上した。並行する男鹿川の清流が澄んでいる。驚くほど透明で、底まで濁りひとつなかった。この男鹿川にいくつもの沢が合流してくる。名のある沢が流れ込めば、そこの地名は沢の名前そのものが付けられている。白倉沢しらくらざわ、アテラ沢。しかし難読地名でもあり小さな集落のある独鈷沢とっこざわには、同名の沢を見つけられない。でもこれだけの地名だから、きっと何かの由来があるはず。
 独鈷沢をすぎるとすぐ中三依に入る。この町のはずれにある芹沢橋から平沢芹沢林道が始まるが、僕らは一度ここを通過し、町なかへ向かった。40キロ近く走ってみんな飲み物が減ってきていた。林道で飲み物など手に入らないだろう。そう考えて町なかに自販機を求めた。
「駅に行けばあるかもしれませんね」
 そう僕はいい、中三依温泉駅へ向かった。
 しかしそこには何もなかった。コンビニなど期待していないけど、駅前商店もなかった。やっていなくとも、長いこと閉ざされたシャッターの前に自販機くらいあるだろうと考えたけど、一軒の建物さえなかった。頼みの自販機もなかった。無人駅の入口と、駅前ロータリーがあるだけだった。ロータリーの中央にはやぐらが建っていた。

 

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「盆踊りのやぐら?」
 とAさんがいう。すぐ目の前にはお寺の境内があり、まるでそこはお寺の境内の延長だった。その場所に盆踊りのやぐらを建てているように見えた。やぐらを中心に盆踊りの輪ができる。そのための円形道路に見える。そう思うとまるで盆踊り会場を使っただけの、まるで流用した駅前ロータリーに見えてきた。主従逆転。
 やぐらはやはり盆踊りのためのもので、自治会長による説明がついていた。
「QRとはまた何とも今ふうな……」
 僕はその説明の末尾に二次元コードが印刷されているのを見ていった。「かずみさん、これなぁに?」
 Kさんはスマホで読みとった。ユーチューブにリンクされていた。それは自治会長の挨拶であった。苦笑をこらえ、
「それよりも自販機を探さないと」
 と、本来の目的に戻る。国道に一度出て沿道を探しつつ、栄えていそうな路地へ入る。
 軽トラが一台すれ違うようにやってきて僕らの横で止まった。
 窓越しにおじさんが顔を出し、
「その先の三依小学校でよ、運動会やってるんよ。子ども七人しかおらんの。今ちょうど昼休みでさ……」
 そういった。そしておじさんの軽トラが行ってしまうと、僕は
「見に行ってやってくれってことですかね」
 といった。
「今行って、お弁当を一緒に食べるとか?」
 笑ってまた国道に戻る。行きつ戻りつしながらラーメン屋の駐車場に自販機があるのをようやく見つけた。

 

 ボトルのドリンクを入れ替え、熊鈴を下げる。みんなでそうするのだけど、Kさんの鈴が丸カンになっていなくて、苦労するも結局どこにも下げることができなかった。背中のポケットに突っこんでいるスマートフォンのストラップに通したものの、背中はポジション上最も安定するのか、まったく鳴ることがなかった。
「もうかずみさんはクマパンチ担当ってことで」
 とふたりでいい、いよいよ芹沢橋を渡った。

 

 平沢芹沢林道の終点、芹沢側から入っていく。緩やかな坂を上りながら何台もの車とすれ違った。
「けっこう車がいるんですね」
 そう僕がいうと、
「いやライトバンとかハイエースとか、これ工事関係者じゃないですか。ちょうど昼休みだし、食事に行くんじゃないかな」
 とAさんがいった。なるほど確かにそうだ。
 10台も満たないほどだけど、立て続けに車とすれ違うと、そのあとはぴったり車も来なくなった。
 見ると沿道は工事用の駐車場や資材置き場が何箇所もあった。そして林道に並行する芹沢へ流れ込むさらに小さな沢に(おそらく無名の沢なんだろう)、砂防ダムを造っているのを認めた。ひとつやふたつじゃなかった。いくつもの砂防ダムを造っている。これはまた一度にかなりの予算取りだなと思うと同時に、そうすると今までこの地は砂防が行われていなかったのか? と疑問を持った。並行する芹沢を眺めると、確かにそう大きな岩石がごろごろと転がっているわけでもないし、砂で沢が埋まってしまっているようでもない。とすると大規模な崩落もなく、川を埋めるような土砂流出もなく、そこそこ安定した状態でこれまでやってきたのだろうか、などと想像する。澄んだ美しい流れの芹沢を見てそんなことを考えた。
 芹沢は、さっき見た驚くほどの透明度の男鹿川の支流だけあって、これもまた純度の高い透明だった。屈曲を繰り返し岩や石を乗り越えるたびに、水の流れが不思議な模様を作る。編み込まれた糸のように。たいていは、この編み込まれるように流れる水は波のごとく白く色を帯びるのだけど、しかしここの流れはそれが透明なままだった。純度の高い透明が、編み込まれるように流れをなしていた。とにかく透明が美しい。
 道は舗装されているのだけど、小石や砂が浮くようになってきた。大きなカーブなどないだけいいけれど、道が細いのでラインだけは慎重に選ぶ。乗ったら滑りそうだ。
 そしてしばらく進んで、道に変化があらわれる。
「洗い越しです……」
 僕は後ろのふたりにいった。

 

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 洗い越しは臨時的に道路を横断しているようすではなかった。もう長年、崖から沢のように水が流れ出して、道路を当たり前に横切っているみたいだった。流れはアスファルトを削り、下の路盤の砂利をむき出しにしていた。さらにそれも削ったうえ、流れの周囲には流れ出した土砂を堆積している。
 みんなで自転車を押しながら洗い越しを越えた。しばらく行くとまた洗い越し。今度は水がビシャーっと平面的に道路を横切るタイプ。これは乗ったまま越えた。
 なるほどこの芹沢一帯の水の流れはもともとこんなふうに自然のまま放置されていたのかもしれない。道路越しの崖から水が流れ出れば、当然それは林道を洗い越しで越えるし、ここではそれで事足りていたのかもしれない。これまでの僕の経験からすると、洗い越しの多い道は、舗装未舗装にかかわらず「水切り」といわれる、水の流路を作るための手立てが施されていた。本格的であればU字溝が道路を横断している。あるいは舗装に溝切りを入れたり、簡単で安価なものであればゴム板を道路に対し斜めに横断させるなどだ。しかしこの道には水切りもない。とすると洗い越しも自然発生的に生まれ、やがて消える程度の存在だったのか。
 思い出すのはさっきの砂防工事だ。画一的に、いくつも並行して取り組み始めたとなると、この山からの水の流れが近年になって変わってきたとか。今まで自然に任せておいてよかった水の流れが、それじゃ手に負えないほどの規模になってきたのかもしれない。たとえば近年の環境や気象変化にともなうゲリラ豪雨などで、この地での水の流れや量そのものが自然に任せておけるものではなくなってきた、とか。
 すべて僕の推測にすぎないけど。

 

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 洗い越しをいくつか越したのち、僕らはついに足を止めることになった。大規模な土砂流出が路面を覆っていた。なおかつその土砂から乱暴に伸びた、背の高い雑草たちが行く手を阻んでいた。
「やれやれ」
 僕はいった。「聞いてないな」
「だめですねーこれ」
 とAさんがいい、
「おしいです、残念」
 とKさんがいった。
「あきらめますか、これは」
 僕は計画を断念する方向に舵を切った。
「ですねえ」
 僕は頭のなかでこのあとの経路をどうするか考えた。といってもまずは下って中三依に戻るほかない。あとはせいぜい、その先をどうアレンジするかくらいだ。
「いちおう、この先見てきますね」
 僕はそういって自転車に乗り、草ぼうぼうの土砂の山の上を走った。
 やはり流出土砂らしく、向こう側があった。向こうに出れば同じように舗装路が続いていた。ただそこはもう石や岩が散乱し、落石や水の流れによると思われる路面損壊もあった。落石は一面に平均的にあった。ダブルトラックの痕跡すらない、つまりまったく車通りがない、、、、、、、、、、ことを示していた。
 僕ひとりなら行くような道じゃないかと考えれば、そうかもしれなかった。このくらいなら今までであれば行った。あるいはかつて、Kさんと一緒にこの手の道に行ったこともあった。大半を押すか担ぐかして、なんでここでマウンテンバイクじゃないんだって笑いながら走った。
 でもそれらに比べると今は時代状況も違うし場所も違う。栃木福島県境地帯は古くからの熊の生息域でもある。車が走った痕跡がなければすでに野生化が始まっている可能性も高い。それにこの流出土砂、これだけの雑草が茂るように伸びているということはずいぶん経っているということだ、最近のものじゃない。ここから先は長いこと車通りがない、、、、、、、、、、に違いない。
 僕は流出土砂の上を走って戻った。ふたりが笑って、写真を撮りながら待っていた。
「だめでした、とても残念だけど」
 僕がそういうと、
「まずは作戦会議ですね、そば食べに行きましょう」
 とAさんがいった。
 来た道を戻り、来たとき同様、渡れる洗い越しは乗って渡り、掘れた洗い越しは降りて担いで渡った。土砂や落石をかわしながら下った。しばらく行くといくつもの動く影があった。サルの集団だった。10匹以上いるようだった。立ち止まり、しばらくようすを見ていると山の斜面へ逃げるように上って行った。みんな上っていったのを確認したら、その場を通過した。
「今は三人いるから笑って見られるんですけどね、これ、同じ状況でひとりだったらかなり怖いですよ。あれ全部に囲まれたらひとりでもやられると思いますし」
 とKさんにいうと、「ですよね、わかります」といった。

 

 運動会をやっている小学校へ向かう途中の、古代村というそば屋で作戦会議をすることにした。

 

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 作戦会議は、最も簡単な結論に至った。
 すぐ目の前の中三依の駅前に「男鹿の湯」という温泉施設がある。露天こそない小じんまりした温泉だけど、お湯がいい。そして中三依の駅から浅草に向かう直通特急がある。
「時間は?」
 とAさん。
「2時間後ですね、ちょうど」
「ならもう決まりでしょ。このそばを食べ終えて、それから1時間温泉入って駅に行けばちょうど特急でしょ?」
「特急って荷物置けるんですか?」
 と3台の自転車をKさんが心配する。
「リバティなんで、広いスペースがあります」
「おっ、初リバティ!」
「私も乗りたかったんですよ!」
 そうやって話を決めてしまうと、もうこのあと走ることもなくなったので急に気も抜ける。ゆっくりそばを食べ、くつろぐことにした。
「しかし残念でした、すみません。栃木県の営林に通行止めの情報は載ってなかったんだけどなあ」
「でもナガさんにいわれてこの林道調べてみたんですよ。確かに全線舗装で走ってる人いるんですけど、今思い返してみるとそれみんな数年前なんですよね」
 とAさんがいう。
「ここ最近走った人はいないってことですね」
「かずみさんのクマパンチも見たかったんだけど」
「私、何の役ですか」
 そばは十割、いわなは天ぷらも塩焼きも抜群だった。店のご主人に平沢芹沢林道の話を聞くと、そういえばしばらく前から通れなくなってるなぁといった。工事で道も付け替えるみたいだよという。そんなにひどい状況なのかと思った。
 僕が数日前に見つけた林道は、県のホームページにも載らない、あまりにも情報の少ない道だったようだ。

 

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(本日のルート)

  

 温泉で汗を流し、特急を待つ。ピカピカボディのリバティが入ってきた。
 僕もふだん特急に乗ることがほとんどないから目新しい。ゆっくり座って乗り換えもなく、しかも1時間以上早い。その時間がどれほどなのか、気付いたらもう春日部に着いていた。
 帰ると、その日のうちにKさんがアルバムを作って写真をアップしてくれた。「クマパンチライド」ってタイトルになっていた。

 

(お二方から頂戴した写真、大量に拝借しました。ありがとうございました。)