自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

流されるまま日本海へ(Aug-2019)

 前夜、ビジネスホテルの狭い部屋でずうっとだらけていた。夕飯に米沢の名物駅弁『牛肉どまん中』を買ってきて、味噌汁代わりにカップラーメンを添えた。ダラダラとローカル局のTVを垂れ流しながらそれらを食べ、終えてひと休みしてから買い出しに出たときに一緒に手に入れたワン・ドリップのコーヒーを淹れた。飲み食いしたものはみなゴミ箱に放り込んでしまえばいいし、あとはベッドの上でごろごろ過ごせばいい。こんなぐうたら、そうはない。極上の至福。コーヒーは三杯目。

 

 明日の行動をどうするか決める必要があった。家族には状況によってはもう一泊してくると伝えていた。しかしそれは難しくなっていた。明日、台風10号がやってくる。
 そんなこともあって宿泊地をここ米沢にした。もうどうにもならなければ朝、ここから列車に乗って福島に出て、そのまま家に帰ろうと思っていた。そうするのなら山形や上山にいるよりも、米沢にいるほうが断然都合がよかったから。
 TVニュースは、西日本の交通機関の大混乱を繰り返し報じていた。その大混乱は台風直撃で足止めを食らったものではなかった。「上陸する台風10号に合わせ、あすの計画運休を発表した」ことによる混乱だった。明日は列車も走らないし飛行機も飛ばない。誰もが今日のうちに、平常通り動いている交通機関に何としても乗ろうとしていた。
 つまり、台風はあす、西日本を通過する。
 それは同時に、明日じゅうに東日本へ来ることはまだないということでもあった。

 

 僕はふたつの自転車プランを考えた。ひとつは奥羽本線に沿うように栗子峠を越え、福島へ出るプラン。もうひとつは米坂線沿いに走り、日本海側の坂町(新潟県村上市)に出るプラン。
 天気予報は台風情報ばかりで各地の予報はずいぶんコンパクトにまとめられてしまった。その瞬間を逃さずに見ていたら、少なくとも午前中は晴れることがわかった。ただし、台風の影響による警報レベルの気温上昇に注意と付け加えた。半日行ける、と踏んだ。
 どちらのプランでも昼に輪行すれば家まで帰着できることがわかった。ならばどっちを取るかだけだ。
 見比べるうちに栗子越えの福島ルートにはネガティブな要素ばかりが浮かび、逆に坂町への日本海ルートはポジティブな要素が浮かんだ。福島ルートで最もネガティブだったのは二本の狭くて長いトンネルだった。大幹線道路国道13号が峠を貫く西栗子トンネルと東栗子トンネルは対面通行で路肩もほぼなく、そんななかでも高速で車が行き交う道だった。正直気持のいいものとは思えなかった。奥羽本線の峠越え(こちらは板谷峠)と遠く離れてしまうのも残念だった。旧板谷峠を多少の担ぎも意識しつつ自転車で越えることもできるらしかった。ただそれはあまりにもマニアックだった。手もとの小さなスマートフォンだけでは情報収集能力としては不足で、ルートを特定するまで至らなかった。
 いっぽうの坂町へ向かうルートは、ここ米沢と坂町とを結ぶJR米坂線と並行したルートだ。この米坂線もなかなかの風光明媚と聞く。ならこの米坂線に沿った道を行けば楽しいルートになるんじゃないか。道は国道113号一本。これを外さなければ迷うこともない。
 そうと決めたらもうスマートフォンを放り出し、リモコンに持ち替えてTVのチャンネルを無意味に変えながらダラダラと、その至福の時間に戻った。

 

 

(本日のルート)

 

 蔵王自転車旅、#day3。

 

 ホテルの朝食が始まる午前6時半、その前にエントランスで自転車を組み上げた。ここに置いたままでもロビー兼食堂になっている朝食会場からガラス越しに目に入るから心配ない。
 時間より前にちらほらと食べ始める人があらわれたので、僕もそれに混じった。そんなに食べる必要はない。ここぞとばかりがむしゃらにプレートからこぼれるほど盛り付ける人もいるけど、僕はそんなに食べても仕方ない。もともと少食だし。必要なぶんだけをさっさと食べ切る。
 食事を終えたらそのままチェックアウトした。
 エントランスの自動扉を出ると、むせるような熱気がまとわりついた。

 

 ルートはきわめてシンプルである。米坂線に沿う、イコール国道113号、これだけだ。
 米沢を出発した米坂線はすぐに西へは向かわず、狭い米沢盆地を北上する。20キロばかり行った川西町でアンカーロープのような一本の川を見つけ出し、これに沿って西へ向かう。宇津峠を越えたあともまた新たな川を見つけ、ひたすらこれに寄り添っていく。朝日連峰飯豊山地にはさまれた谷を西へ向かっていく路線だ。
 僕は今日、このまま自転車に乗らず輪行袋に詰め、米坂線を楽しむのもありだと考えていた。米坂線には乗ったことがないし、全区間を網羅する列車が5本しかない路線は今後廃止や分割だってあるかもしれない。乗っておくなら米沢にいる今がタイムリーだ。じっさいずっと判断に困った。
 でも早く起きたぶん、僕は自転車で出発した。

 

 川西町から入った国道113号は、お盆週間ということもあったのか交通量も少なかった。ただなにぶん路面状況が悪かった。割れや掘れが多くがたがたなのは雪国の道路の特徴かもしれない。にしても自転車の跳ね方が尋常じゃない。気を抜いたら舵取りだって危うい。
 すぐにあらわれた道の駅いいでに立ち寄った。
 すでに暑い。まだ朝の8時なのに……。
 道の駅いいでからは長い上り坂だった。勾配、標高とも山道のような坂ではないのだけど、長い距離の上り基調が続いた。宇津峠を越えるための坂で、もちろん現代の国道はトンネルで直線的に貫いている。その宇津峠までの距離も長かったし、峠を貫く新宇津トンネルが、トンネル内全線上りだった。トンネルの上りって嫌だ。
 トンネルを出たところで下りに転じ、ようやくこれで坂も終りだろうとほっとした。
 下りになると路面状況の悪さをさらに大きく受ける。そして地図の頼りにしているガーミンの電源が落ちてしまった。電源を入れなおし、電池の充電切れを疑って残量を見るけれどそんなことはなかった。朝、入れ替えたばかりなのだ。入れなおした電源がまた立て続けに三度、四度と電源が落ちた。
 僕はこの路面状況による振動を疑った。見て触るぶんには電池が振動で動いてしまうようなことは考えられないんだけど、これによる接触不良くらいしか、ほかに思いつかなかった。困った。電源断と入れなおしを繰り返してたら大変だし、見えないあいだの地図が進んでしまうのもありがたくない。ログだってすでにけっこう飛んでしまってるんじゃないか。僕は立ち止まって、サドルバッグを開けた。補給食をサドルバッグに入れていた。とにかく何でもかんでも詰め込んでぎゅうぎゅうと押し込んでるんで、つぶれたり割れたり欠けたりしたら嫌だなと思い、エアキャップ(ぷちぷち)にくるんでいる。これを取り出してその一片を引きちぎった。単三2本の電池ボックスに収まりのいいサイズ、これをガーミンの裏ぶたを開け、その内側に忍ばせた。
 振動による電源断はおそらく正解で、これで対応できたみたい。このあとガーミンの電源が落ちることはなくなった。
 しかしそれほどまで路面の状況はよくなかった。それが延々と続いた。

 

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 飯豊町から小国町に入るあたりから次第に交通量が多くなってきた。幹線国道の風格になってきた。もちろん自転車で走るぶんにはあまりありがたい話じゃない。
 日本海に向けて下り基調だとはいえ、細かいアップダウンは繰り返していた。下り一辺倒だろうってタカをくくってたから、上りがあらわれるといちいちめげた。こういうの、気の持ちようなんだなって思う。今日は山だ、峠だとわかっていれば、標高差が何百メートルかあってもこなしてしまうけど、そう思っていない日はだめだ、こんなちょっとの上りでも気持を失いかける。
 だから小国の中心街を過ぎ、新潟県境へ差しかかろうというとき、ほんの小さな峠を越えるのに四苦八苦だった。休憩した道の駅おぐにを出て、横根トンネルをくぐり、荒川に設けられた発電所を過ぎるあたりまで、小さな小さな峠越えだった。心構えがないとそのくらいでも簡単に気が滅入った。
 新潟県に入ってまたさらに交通量が増えた。もはや地方都市の国道並みになった。年じゅう車の流れに飲まれ追い越されるようになると、この路面の荒れが恐怖でもあった。下り基調でスピードが乗りがちななか、万が一跳ねて滑ったり、ハンドルを取られたら、隣には車がいるのだからもうそこでおしまい。路肩の広い場所も繰り返し現れていたのだけど、その境には微妙な数センチの段差があった。これもまた川西から飯豊、小国と変わらずあらわれたトラップだった。車輪がまっすぐに入ってしまうとハンドルを取られる。運悪くバランスを崩してしまったら転んでしまう。一度その危険に陥ったから、一日路肩には入らないように心がけて走った。

 

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 関川村の中心部、下関しもせきで国道113号を離れた。そこには思いがけず古い町並みがあった。僕はこの町並みに思わずほっとし、木陰で自転車を止めた。どうやらこの町は米沢街道の宿場町だったらしい。それがこうして残っている。板張りの黒壁があったり茅葺きの屋根があったり。狭い路地には脇水路が流れ、水は豊富だった。今は観光用に残してあるのか、道端に水車も回っていた。ここ下関は街道宿場町の側面と同時に、並行している荒川での舟運が盛んで、それらを併せ持って栄えた町のようだ。その町並みを楽しみながらゆっくり進んでいると、中心に越後下関駅があった。もちろん、米坂線の駅だ。

 

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 下関を出て、再び国道113号に戻ると残り距離もわずかばかりになった。
 そして強烈な風が吹き始めた。
 田んぼの真ん中を行く道を選んだ僕は、幸い追い風になった風に助けられた。一面の稲田はつき始めた穂が風で一方向へ強く押し付けられていた。
 台風が近付いてきているのかもしれない。

 

 坂町駅に着いた。僕の夏の旅もこれで終りにする。そこには台風が起こすフェーン現象が運んできた、どうしようもないくらいの暑い湿った空気があった。

 

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 自転車を輪行パックし、羽越本線の列車を待った。坂町駅の待合室は冷房が効いていて、いるだけでべたつくような汗がみるみる乾いていく。濃いめのカルピスを飲みながらふと一日を振り返った。走るべきだったのか、米坂線に乗るべきだったんじゃないか? 米坂線の風景はおそらく、期待していたとおりの風景で応えてくれたに違いないと思う。それと同じ風景を味わいたいと自転車で走ったものの、国道113号の荒れた路面に気を使い、狭い路肩と徐々に増えてきた交通量に気を使った。結局は車の流れに流されるまま、こうして日本海までやってきただけだ。まわりを目で見て楽しむ余裕は、あるいはなかったんじゃないか。果たして米坂線と同じ風景が味わえたんだろうか。
 でも、米坂線に乗っていたら、きっと思ったに違いない。自転車で走りたいって。
 いつだって鉄道に乗ると、その沿線をゆく道を窓から眺めて、ここを自転車で走ってみたいって思うんだ。目で見ている風景を、自分の脚で進みながら、この地の空気を感じたいって思うんだ。閉ざされた窓、空調の効いた車内から外を眺めて。
 汗が引いた。待合室の冷房は僕には強すぎるみたい。もうじゅうぶん。外へ出よう。

 

 輪行袋を肩にかけ、改札口へ。18きっぷ2回目の欄は坂町駅の日付印が押された。