自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

大谷崩

 梅ヶ島温泉の周辺の観光情報を調べていたらたまたま目にした。名前もまったく知らなかった。その名前で検索してみても多くの情報は得られなかった。どこを見ても書いてあることは似たり寄ったりで、どれもこう「ハートに突き刺さる」ようなものは正直なかった。期待感を募らせているでもなく責務を負うでもなく、目的意識さえ微妙ななか、僕は車で梅ヶ島温泉を出発した。

 

 

 大谷崩おおやくずれ
 静岡県、安倍川の源流域にある大谷嶺おおやれいの山体崩壊で、それは江戸時代、宝永年間の大地震により起きたものとされている。日本三大崩れのひとつに数えられている。

 

 もともとは梅ヶ島温泉へ自転車で来ようと思っていた。しばらく前から考えていて、時間もあったので何の気なしに周辺を調べていたのだ。この地区の周辺観光を調べると、いちばんではないのだけど何番目かには登場していた。でも詳細が何もわからない。そこで地図を見た。いろいろな地図を見比べてみた。かろうじて細い道が一本、途中で途切れるように県道から分かれて向かっていた。消え入りそうな描き方だった。明日見たときに消えてなくなっていても不思議じゃなかった。同時に、グーグルマップをはじめとするいくつかのウェブ地図ではその道さえ描かれていなかった。
 作家の幸田文が晩年、梅ヶ島温泉を訪れた折、誘われるがまま大谷崩を見に出かける。このときはもちろん温泉観光の延長として。そしてここで見た光景に大きく心動かされ、湧き立つ好奇心のまま全国各地の山体崩壊を見て歩くようになる。年齢(72歳)からして最後の人生をかけた活動といってもいい。そして幸田はその活動のエッセイ集『崩れ』を上梓した。
 僕はこの作品を準備の合間に読んだ。残念ながらこの作品の存在を知らなかった。大谷崩のキーワードから調べていて連鎖的に出てきたものだった。ただこういった書物があることを知って、読んでおかないとと導かれる必然のように手に取った。
 幸田独特の文体や言葉選びや言い回しで淡々と綴られていくが、その抑揚と文章の行間から、湧きだすような興奮と、さらなる好奇心がはっきりと感じられた。間違いなく幸田は「取り憑かれて」いた。好奇心のまま砂防の学術本なども開くも、理解の限度を越え、あきらめそして自分が見たまま感じたままを作家としての言葉で語ろうとした。それもあってか同行する砂防関係者の言葉はそのまま書き記されていた。自身の言葉で叙情的に、関係者の言葉で専門的に、そして何より興奮と好奇心のままに書は進んでいった。
 正直、僕は幸田の興奮ほど盛り上がれずに、最終頁を閉じた。独特の文体はとっつきにくさこそあれ、わかりにくいこともないし、理論も簡単な学術も情景も感情も一緒くたにした内容が、すとんと入った。それでも湧きあがるものを得られなかった。そのあとさらに、幸田の孫にあたる作家でエッセイストの青木奈緒氏が「おばあちゃんの足跡をたずね」て書き記したエッセイ集、『動くとき、動くもの』も読みとおした。こちらの作品にだってもちろん、大谷崩は登場する。読後、僕自身に何ら変化はなかった。
「カメさん、これはもうじっさいに行ってみるほかないな」

 

 自転車で出かけようと思っていた僕は、そのためにルート作成までしていた。しかし大谷崩に向かっていく頼りなげな一本道はかすれるように消えてしまう。ルーティングアプリに任せるまま、引けるいちばん先まであてずっぽうで線を引いた。そこがどこであるのかすら検討もつかなかった。大谷崩が見渡せるのか、それともさらに歩いていく必要があるのか、何もはっきりしなかった。
 ルート作成時にウェブ・アプリケーションと併用するように見るツーリングマップルでも、線の細い薄く途切れそうな道が続き、その途切れた先に大谷崩の文字があるだけだった。ライダーによるコメントが多彩なある種『地図情報誌』といってもよさそうなこれでさえ、触れられていなかった。
 調べていくうちに、『おうぎかなめ』と呼ばれる場所があるとわかった。大谷嶺を中心に、広げた扇子のように崩落し、土砂岩石がすり鉢状の山肌を駆け下りて安倍川源流域の大谷川に集まる。扇子の各骨を留めておくピンの部分をかなめと呼ぶが、まさにこれに見立ててそう呼ばれるんだろう。しかしこの扇の要がどこにあるのかもはっきりせず、ルーティングで引くことのできた最も奥の場所がそれなのかもわからなかった。扇の要には駐車場があり、などと書かれた情報からは道のいちばん奥のそこがそうであるようにも取れるし、駐車場から1キロほど歩いた扇の要からは……、などといった記述もあってこれは歩く必要があるのか、そんなわずか片手ほどの情報にいちいち困惑した。歩くことも想定し、トレッキングシューズを用意し、自転車のペダルをビンディングからフラットに替えた。ただ今回の旅、自転車行は結局かなわず、最終的に車で行くことにした。

  

 

 道は、梅ヶ島温泉から数キロばかり下ったところで分岐していた。見失いそうな路地だった。でも疑心を抱いたり不安に思ったりすることはなかった。林道であれ番号の大きな国道や県道であれ、こういう見落としてしまいそうな、あるいはとてもそうは思えないようなところから道が始まるなんていうのは良くあること。少し行き過ぎ気味になった僕は、右ウィンカーとともにかなり大回りなカーブラインを描き、その道へと車を進めた。
 やがて左から大谷川が近付いてきて、川に沿った道にそれとなく合流した。川を挟んだ正面の山肌にも大規模な崩落が見て取れた。大谷嶺だけじゃなく、このあたりの山々はどれもみな、今もろい状態にあるのだ。雨が降るたびにあちこちで崩落し、川には土砂岩石が流れ込むのだろう。川の流れなど良く見えず、岩がごろごろしている光景だけが目に留まる。これは安倍川にしたって同様だった。温泉の朝、朝風呂や朝食の前に安倍の大滝を見に行ってみた。急峻な安倍川に沿って進む登山道──ところによっては難易度高めと思わせる──はもとより、安倍川自身も大小の岩がごろごろしていた。大きいものはこんな岩が果たして動くものかと思うほどだった。僕のような小さな人間はおろか、熊さえも隠し飲み込むほどの大きな岩もあった。幸田の本、あるいは青木氏の本を読んだにわかな知識からでも、水の力というのはすさまじく、このくらいの岩を転がすのはたやすいことと理解していたし、山がもろいところは少しの水で崩れだし、大量の岩が流され落ちてくることもわかっていた。これらの土砂を静岡市街地へ──せいぜい40キロ程度である──流してしまうことなどとうていできないし、梅ヶ島をはじめ上流部にも集落やまちは点在している。これら土砂岩石を下流へ流してしまうことがないよう、したがって幾重にも連なる砂防ダムが築かれていた。しかしそれもすっかり岩で埋まってしまって、大小の岩がダム壁よりも上まで顔を出していた。おそらく重みで踏みとどまっているに違いなかったけど、ひとたび大量の水が出れば、埋まってしまった砂防ダムなど簡単に越えて、下流下流へと大きな岩石が流れていってしまうんじゃないかって想像させた。これらの砂防ダムは今や機能しているのかどうか、疑ってしまうばかりだった。
 車で大谷崩への狭い道をゆく。どの道を走るにしたって細くて路面は荒れ、石の大小がそこらに散らばり、陥没で穴が開いていた。そして坂道は驚くほどの急勾配になった。道幅は広いところもあれば狭いところもあった。狭いところは当然すれ違いなどできないから、いずれかが止まって待つなり下がってよけるなりする必要がある。対向車が来ないことを祈るばかりだった。この急勾配の停止再発進は手間取るに違いないと思ったからだ。
 幸い対向車が来ることはなかったけれど、果たしてこれを自転車で上っていたらどうなっていたんだと思った。静岡県から山梨県へと向かう明神・三国峠を思い出す。ゆるみのないひたすら急なままの坂道が延々6キロにわたって続く。しかしどうだ、これは明神・三国峠への県道の急勾配よりさらにきついんじゃないか? 体感的にそう思わせた。ならば急であるだけならとんでもないという認識の、静岡県さった峠の由比側かと思う。確かにそうだ、斜度だけならむしろそのほうがしっくり来る。しかしながらあそこを自転車で上れるのは、急勾配の距離がわずか数百メートルだからだ。なんとか勢いで上ってしまえる。しかしここはさった峠級の勾配が、休むことなくしばらく続いている。ルートを引いたときの記憶では県道からこの道に分け入って6キロ──明神・三国峠がまさに同様6キロだった──、この道に入って2キロばかり走ったところからこのくらいの勾配になっている。じゃあ4キロあるのか? 自転車で、この斜度をそんな距離上れるんだろうか、そう思った。車は時速20キロそこそこで走らせていたが、エンジンはつねに3000回転でまわっていた。

 

 道は終った。駐車場と書かれているわけじゃないから、ここが駐車場なのかわからなかった。行きついた広場のようだった。そこに車が10台弱、端から並べて止めてあった。それを見る限り駐車場に思えた。僕はその列に順に並ぶよう、端に車を止めた。
 道はさらに先に続いていた。しかしながらバリケードでふさがれ、工事用関係者しかこの先には行ってはならない、とあった。もっともここまでの道でも工事用関係者以外通行禁止と書いた看板もあるにはあった。ただ同時に大谷崩まで何キロと書かれた看板もあり、僕はそれを見てここまで来た。
 そしてこの場所が大谷崩の駐車場なのか、かの扇の要なのか、それが同じ場所なのかまた別の場所なのか、何ひとつわかる手掛かりがなかった。先に続く道の端には「歩行者用通路」として1メートルばかりの幅が開けられていた。看板に書かれた内容が、車両は工事関係者のみだが徒歩なら行ってもいいようにも読めた。歩行者も細心の注意を払ってとか、熊や鹿や猪の情報が書かれたりしている。古くて大雑把な地図には、最高峰の大谷嶺までの登山道が記されていた。
 あるいはこの道をさらに進んでいった先に扇の要があるのかもしれなかった。バリケードの前でしばらく悩んだ。この先へ歩いていくか行かないかだ。さんざん考えて行くのをやめた。歩行者用通路が工事関係者の歩行者に限定しているとは思わなかったのだけど、まずここから眺める崩れを堪能しようと思ったのと、掲示された熊の目撃情報がひと月前のもので妙に生々しく、それに対する準備もなく、ほかに人がまったくいなかったからだ。二、三組でもここにグループがいればまったく違ったのだけど。
 駐車された車は誰も乗っていない。とはいえ周囲に人の気配は全くなかった。じゃあこれは誰の車で、乗ってきた人はどこへ行ったのだろう。工事関係者用のプレハブ小屋があったが、日曜日だからか人の気配はなかった。車を残して山を下りるというのも考えにくいし、そうなると余計にわからなくなった。

 

 護岸の壁(こういうものも護岸と呼ぶんだろうか)にひょいと上ると、その向こうは岩や石がごろごろした大谷川だった。僕は護岸の壁を岩の川へと飛び下りた。水の流れがどこにあるのかよくわからなかった。ひとつずつ岩に乗り移りながら、この広い河川を歩いた。足を乗せただけでごろんと動く岩から、微動だにしない岩までさまざまだったけど、総じて不安定なもののほうが多かった。そうやって河川のなかを歩いた。
 一直線の岩石土砂の川の先、山を見上げると、崩落した斜面が見えた。まさにこれが大谷崩だった。江戸時代宝永年間からの長い時間、幾たびの崩落を繰り返しているとはいえ、崩落した場所にまた緑も育ち始めてもいた。でも変わらないで残る崩落箇所は生々しく、今だに土砂流出が続いているであろうことを感じさせた。雨や地震があるたびに崩れ、土砂岩石をこうして押し流してくるのが目を通して伝わる。動かざること山の如しと武田信玄はいった。しかし山は動的だ。ここに立ち目で見ればわかる。自然は生き、つねに動いている。大地がつねに変化をしようとしている。そしてここではその熱量を感じられる。
 しばらく岩の上を移り歩いているうち、川の流れを見つけた。小さく、穏やかな流れだった。その流れはいくつかの浸っていない岩を飛んでいけば簡単に渡ることができた。その途中で僕は水に触れてみた。冷たくて、透き通っていた。ちょろちょろちょろとつつましげに音を立てていた。
 反対側の護岸の壁まで来るとその向こうは深い森だった。僕はこの壁に上ってみた。そして森のなかへ入ってみた。枝という枝に深い緑の葉が茂り薄暗かった。地面は苔むしていて、森はありとあらゆる緑に覆われていた。しかしこの中にそぐわないコンクリートの壁を見つけた。それは紛れもなく砂防ダムのダム壁だった。もちろんここは森であり、川などなかった。苔むしたダム壁はその役目を終えていることを語っているようだった。森を遠くまで見まわすと、上流にさらにダム壁を見ることができた。連続した多段の砂防ダムがここにあった。森に返っていることから考えれば、もう役目を終えて長い年月を経ているに違いない。砂防ダムが埋まってしまい、その役割を果たせなくなったから、一本脇へ人為的に新たな流れを築いたのか、それとも強烈な崩落と水と土砂の流れが山肌を崩し、それまでとは別の流れを作ってしまったのか。せいぜい僕のにわか知識からの推論ではそんな想像しか導けなかった。そうかもしれないし、見当違いかもしれない。全然違う理由かもしれない。いずれにせよ川が流れを変えるか人為的にでも流れを変えなくちゃならない必要があった。それほど山は生き、動いているのに違いなかった。
 森を出て、また岩の川へ戻った。ひとつひとつ岩の上を飛んで歩く。広い。そして穏やかだ。これら岩が山から崩れ、水によってどこまでも運ばれるなんてとても想像できなかった。でも事実がそうであるならばそうなのだ。自然とはこの見たまま事実のままなのだ。大谷川の細い流れを何度かのジャンプで越え、帰ってきた。
 なんだろう、不思議な気持だった。幸田のような圧倒され絶句と大興奮ということはなかったし、青木氏のような言葉をいくつも積み重ねるほどの印象もなかった。なるほどね、こういうところね──極端にいえば、見終えてそういう感想だった。でも気持の最も底の方で微熱を帯びているような気がした。今強烈な好奇心に襲われて次から次へと山体崩壊を見に行かないと気が済まないということはひとつもない。目的の場所を見終えた平穏な気分といったほうが近かった。でもこの微熱のような気持は何なんだろう。そういえば幸田本を読み終えたときに得た平穏さに似ている気もした。あるいはあのときも微熱のような気持を抱えたのかもしれない。ここが大谷崩。日本三大崩落のひとつである。

 

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