自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

箱根やまなみ林道・箱根山林道(Apr-2019)

 つまらない、退屈な道。
 それが箱根やまなみ林道の情報を収集していておおむね得られた情報だった。情報源の多くは自転車か、バイクか、ジムニー乗り。木々に囲まれた見晴らしのない林道は誰の目にも魅力に欠けるようだった。上りきれば360度の遠景を望むような峠があるわけでもなく、道の途中で思わず立ち止まるような大展望が広がるわけでもない。オフロードバイクジムニーを駆るような人たちにとっては、全線舗装されているこの林道がさらに魅力を押し下げているようだった。ロードバイクで走る人は交通量が少なく走りやすいといった。でもその好評価とは走ることに徹した側面だった。練習にいいっていっているようだった。
 そして僕は、じっさいつまらないのだろうかと逆に興味を持った。

 

 小田急ロマンスカー輪行したのは初めてだった。自転車を置く場所などないといわれていたロマンスカーはいつの時代だったんだろう。車両最後列の背面も、各車両のデッキも、輪行にじゅうぶん使えた。あるいは今回乗った60000系MSEだけがそうなのか。いずれにしても小田原ゆきや箱根湯本ゆきの特急にまず僕が乗ることはないし、御殿場ゆきに使われるMSEで輪行ができるとわかっただけでも手持ちのカードが一枚増えたといっていい。僕は気分よく椅子に身体を沈め缶コーヒーを飲みながら車窓を眺めていた。むしろドトールのコーヒーが良かったと悔しがっていた。ふたつ前の座席の窓際にドトールカップが置かれているのを目にして悔やんだのだ。でもドトールなんてどこで買えたんだろう……。
 今日は退屈な林道、箱根やまなみ林道を走る。ルートはさらに箱根山林道へつなぎ、熱海峠へ抜ける。そのルートを地図で確認しているあいだに列車は駿河小山を出発し、次は終点の御殿場だといった。

 

(本日のルート)

 

 

 御殿場の駅前ロータリーで自転車を組みながら、正面の箱根の山々に目を向けるとすっかり雲に隠れていた。空も重めの雲で覆われていて、天気予報の「晴」を思わせるものはひとつもなかった。中腹辺りから薄い霧に覆われて、そこから上は厚い雲のなかに入っていた。山にかかる雲が空を覆っている雲と区別がつかなかったから、どこまでが山でどこからが空なのかまったくわからなかった。
 駅前はひと気も少なくて静かだった。新宿から箱根へと向かう高速バスが立ち寄って、御殿場で乗車する客を拾っていた。アウトレットへ向かう路線バスが若干名を乗せたあとすぐに扉を閉めて出ていった。ゴルフ場へ送るためのマイクロバスもロマンスカーからの乗客を乗せると出ていってしまった。
 もう誰もいない駅ロータリー、僕も準備を終えて出発した。
 僕は大通りを避けて市道や路地をつないだ。巨大観光地の箱根や富士山の玄関口である御殿場だけに、大通りは高速道路から降りてきた車で混雑しているはずだから。
 それよりそもそも、箱根やまなみ林道が走っているような場所が、大通りからは離れていた。県道番号もついていないから市道なのか、そんな道へ分け入っていった。最後は手もとのガーミンで地図を表示していなければ絶対に入らないような三差路だった。道は箱根の中腹へ向かうよう、少し急めの勾配で坂を上りはじめた。あっというまに御殿場の市街地が空撮の映像みたいになった。

 

 いよいよ箱根やまなみ林道の入口に立った。気づかないような分岐路にその名を記した標柱が立っていた。これから退屈な全長32キロ。平均時速8キロで計算すれば4時間。こんなに長時間に及ぶ退屈、、に僕は耐えられるんだろうか。

 

 道路周囲はおもに密集する杉木立に覆われていた。これらの杉林は植林された森で、林業として管理されているものだ。この道路は林業従事者のためにある。
 もちろん杉ばかりでなく、原生している木々もある。そしてこれは確かに眺望の利かない道だと直感的にわかった。これが4時間続くのだ。
 面白いかもしれない。
 僕は今のところ、うんざりしたりつまらないと感じたりすることもなかった。そして無心になってこの道を進んだ。

 

 

 この道を見つけたのは、松田から足柄峠を越えてこようと思ったときだった。以前静岡側から走ったことがある道だけど、今度は神奈川県側から入ってみようと思った。そのとき、静岡側に下り御殿場に出たのち、三島なり沼津なりへ抜ける道ってあるんだろうかと探していたのだ。まさか国道246号など走る気もないし、御殿場線に並行する道を切れずにつないで行くのも意外に難しかった。そのとき御殿場の市街地から離れるように、しかしながら道が途切れることなくつながっていて、果ては国道1号三島市内まで抜けられるルートを見つけた。ちょうど三島スカイウォークの少し上のあたりに出る。こんな道があったのかと驚いた。それからこの道について少しずつ探り、ひも解いていった。
 足柄峠はもういい、この道をメインに据えよう、そう考えて御殿場起点のルートをあらためて引いた。

 

 全長は前述のとおり32キロだそうだ。その全線が舗装されている。実際走ってみて、広い幅員と荒れの少ない舗装にびっくりした。都市部の都道府県道を除けば、これより荒れた、舗装が割れ穴があき、幅員も狭くて離合困難な、そんな県道がたくさんある。それから比較すればじつに整備の行き届いた林道だ。そして交通量はほとんどない。3キロばかり走ってきたあたりで僕を追い越して行った軽トラ1台、出合ったきりだ。
 僕は自転車を降りた。自転車を脇に置き、道路の真ん中、アスファルトの上に座った。
 悪くない。ありだな全然。
 そのまま大の字になって寝転がった。なにも気にする必要がなかった。誰も通らないし誰もいなかった。
 道路からのエネルギーを全身に浴びている気分だった。──もちろん、そんなものはないけれど。
 背の高い杉が空へ向かって伸び、そこから覗くだけの狭い空を見ていた。空に向けた魚眼レンズを覗いているような気分だった。鳥があちらこちらで鳴いていた。なぜこんなに大声で鳴いているのかと思った。ここには鳥の声しかしなかった。風が吹いているのかどうかもわからなかった。それはあっても高い杉の森に吸収されてしまってるようだった。

 

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 再び走り始めて気づいた。さっき寝転がって耳にした鳥のさえずりが絶え間なく続いていることに。走りながら耳の感覚を研ぎ澄ませてみれば、じつにさっき立ち止まったときとなんら変わらない空気だった。きっと最初からそうだったのだろう。
 いろいろな鳥が自由な声で自由な鳴き方で、春でも謳歌するように鳴いていた。ここはまるで鳥の声だけがひたすら流れるヒーリングCDの世界のようだった。あるいは有線放送のネイチャー系チャンネルを流しているようだった。そしてCDでも有線放送でもなく、僕はまさにそのライブ会場、、、、、にいるのだった。

 

 鳥のさえずりだけのライブ会場をひたすら上って下ってまた上り下った。情報収集していたときに見たとおり、この道は上りと下りしかなかった。平坦がない。自転車を止めればそこはどちらかに向いた坂道だった。
 10キロを過ぎても道の雰囲気は一切変化を見せなかった。眺望が広がることはなく、森に棲む鳥たちが自由に歌った。そして北駿線という線がどうやら林道に並行しているらしい。道路脇に「北駿線 64号へ至る」などと書かれた小さな標柱が埋められ、矢印が示す方向にはシングルトラックにも満たないけもの道のような未開拓路が続いていた。北駿線とはおそらく送電線なんだろうと理解できた。そして64号は鉄塔番号なんだろうと思った。これらはすべて送電線管理者のためにあるんだろう。
 偶然にも木々のあいだから望む富士山を見つけ、驚いて立ち止まった。驚くにはふたつ理由があった。ひとつは一切眺望がないと聞いていた箱根やまなみ林道からでは富士山は見えないとあきらめていたから。もうひとつは今日、空にかかった雲が朝から富士山をすべて包み隠していたから。
 そうはいっても見せてくれた姿は頂近くのごく一部だった。中腹からすそ野にかけては雲が切れず結局見えずじまいだった。そしてそれが見つけられたのは、木々のあいだからかがむと望めるような、ごくごくわずかな眺望、、だった。
 むしろ頂近くのほんの一部を、ピンポイントでしか見えないであろう木々のすき間から見つけられたことは奇跡的かもしれない。本来絶景の富士を拝めるはずだった小田急ロマンスカーの車窓で、すでにあきらめていたから。
 この意外性をしばらく楽しんでから、さらに進んだ。相変わらず上りと下りしかない、平坦路のない道は同時に、直線がない道であることにも気づいた。延々と続くつづら折はカーブに次ぐカーブだった。森のなかを行くがゆえどれもがみなブラインドカーブで、それを抜けると直線などなくすぐに次のカーブが現れた。地図が、箱根やまなみ林道を細かな電球のフィラメントのように示しているとおり、あるいはそれ以上にカーブばかりでルートを形成していた。その上を、こうすりゃいいのさと笑うように一直線で貫く北駿線が、鉄塔とともに姿を見せた。

 

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 箱根やまなみ林道には交差する道路がいくつもあって、多くは入口にチェーンがかけられて規制された林道支線なのだけど、それ以外にも冨士岡から箱根長尾峠へ上る市道であったり、裾野から仙石原へ向かう県道337号であったり、意外にも箱根西麓に登坂ルートがあることを知った。芦ノ湖西側は箱根スカイライン芦ノ湖スカイラインといった自転車では通れない道でつながっていて、縁がないものだから詳しく地図を見たことがなかった。西側には御殿場から乙女峠へ向かう国道138号と、三島から箱根峠へ駆け上がる国道1号東海道とがあって、そのあいだは道路空白地帯だと思っていた。帰ったら地図を開いてみよう。まだまだ知らない道がたくさんある。

 

 御殿場口からおよそ20キロ経て、いよいよ半分を過ぎた。風景に変化はない。富士山だって偶然見えたきりだし、方角が悪いのかそれともまた雲に隠れてしまったのか、あれ以来見られることがない。御殿場のまちか裾野のまちか、そんな眼下がごく一瞬目に止まることがあるけれど、木々のすき間のごく狭い範囲から見られるそれがどこなのか、判別することもできない。箱根外輪山の向こう側にある芦ノ湖なんて当然見ることもできないし、見えるのは森の木々、植林された背の高い杉たち、ときどき開けた場所から望むこの先の山肌くらいだ。──飽きた? 僕は自分自身に問う。
「いや、飽きてない」
 本当に飽きは来ない。と同時に気分が高まっているということもなかった。むしろ平穏で変化なく、それでいてこの単純で退屈な風景とそれを過ごす時間を楽しんでいた。びっくりするくらい、飽きずに楽しんでいた。
 一台、自転車とすれ違った。
 軽い会釈ののちあっという間に過ぎ去った。上り坂をもっさりと重いペダリングで進む僕に対し軽やかに下り坂をコーナリングしていった。会釈が届いたかどうか怪しいものだった。ひとりを、楽しんでいるんだろうか。退屈に、触れに来ているのだろうか。いや、違うな、走りやすい道を求めて、ストイックに走りを追求できる練習場所に来ているんだろう、きっと。
 これまでにすれ違ったハイエース、オフロードバイク……、最初の軽トラを含めて4人目の人だった。

 

 箱根やまなみ林道はどこまで行っても平板だった。ドラマチックな展開も盛り上がりもないストーリィだった。上りと下りばかりを繰り返し、これをSのアルファベットがいくらあっても足りないほどのカーブでつなぎ、杉植林のなかをただ走る。センターラインはないが舗装された道は、荒れることもなく、きれいすぎることもない。広くなることもなければ狭くなることもない。そして、何の景色も見せてくれない。
 しかし僕はこの道にいつのまにか心とらえられていた。ぐっと入りこんでくるタイプではない。じわじわと気づかぬうちに意識を侵食されているよう。展開のない、しかしながらページをめくる手を止めることができぬ純文学を読んでいるようだ。
 ──何時間になるだろう。
 退屈かもしれない。退屈なんだろうきっと。
 飽きてあと数キロなのに最後まで走る気力が続かないといって離脱したバイク乗りのブログを思い出した。
 僕はむしろ、残り距離をカウントダウンしていた。ああ、もうすぐ終ってしまう、そう思いながら距離計を見ていた。

 

 国道1号。
 箱根やまなみ林道は終った。終ってしまった。良かった。いい道だった。
 でもたぶん、ふつうの人にとってはきわめて退屈だろうと思う。

 

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 国道1号に出たのちは、そのまま下って三島から帰ればいいかと思っていた。箱根やまなみ林道だけだと物足りなさもあるけれど、もともとこれが主題なのだから、例えば箱根越えするとか、中伊豆を修善寺のほうまで下ってみるとか、そんなのは余計なことだと思っていた。
 だから素直にまっすぐルートを引こうと思っていたのだけど、そのときに国道1号・山中城跡から薄い一本の線が引かれているのを見つけた。地図を拡大していくと、熱海峠に出る県道11号旧道につながっているように見える。
 僕は思わずそちらの道をポイントしてみた。
 つながった──。
 線は自動的に引かれ、いくつかの屈曲を繰り返しながら県道11号までつながった。
 僕はこのルートを保存した。

 

 その道は山中城跡の旧東海道から入る。旧街道の石畳を数百メートルだけ押して歩き、分岐するようにセメント舗装された道が現れる。旧街道は石畳で左へ離れていき、箱根峠へと向かっていった(ちなみにこの日は石畳改修中により先が通行止めだった)。
 貧弱なセメント舗装路をしばらく行くと、右から現れた道との三差路に出た。ここからアスファルト舗装になり、見慣れた山吹色菱形の林道標識が立っていた。
 林道中尾線、とある。
 てっきり箱根山林道と思っていたけれど、どうやら別の林道だ。ただルートは間違えていないし、地図上見てもいくつかの道を交えながら行くようだから、箱根山林道へ入る前にこの中尾林道という道でつなぐのだろうと思った。特に心配もせず、そのまま進んだ。
 ひどく静かだ。車も来ないし人もいない。それに加えて、人が来る気配を感じさせない、、、、、、、、、、、、、。周りの木々は低く枝を張り巡らせ、道に覆いかぶさっていた。桜が猛烈な勢いで咲いていた。──なんだここは?
 箱根やまなみ林道よりもはるかに閉塞感が強い。地図を調べてルート化した道でなければ間違いなく不安になる。怖さを感じる。怖さとは何だろう。動物だろうか。いや違う。確かに動物は何らかのものがいるに違いない。午前中の箱根やまなみ林道では道端に横たわって死んでいた鹿がいた。山域から考えれば当然ここも行動範囲だろう。あるいは猿、猪。わからないが熊にも気をつけなくちゃいけないかもしれない。蛇などはいうまでもないだろう。
 そんな自然度のきわめて高いレイヤーに踏み入っているのに、動物にも遭わないんじゃないかって気がするのだ。僕を全方位から取り囲む木々と、空気だけがここにある。この道には人どころか、動物さえ行動していないんじゃないかって思わせる奇妙な感覚があった。えぐり刻まれた深すぎる孤独感。
 僕は振り払えない不安と恐怖をどこかに抱えながら進んだ。道は上りもあるけれど全般的には下り基調だった。周囲は暗かった。それが曇っている天気のせいなのかよくわからなかった。木が高いところまで伸び、いっぽうでは低く横に枝葉を伸ばして道に覆いかぶさっている木もある。それらに覆われて日の光がきわめて届きにくい。
 しばらく行くと「函南原生林」と書かれた標柱が立てられていた。
 そしてその先に駐車された車。
 僕はホッとして、不安の鎖が解けていくのを感じた。
 原生林のなかは散策できるのか、コースが作ってあるようだった。駐車された車が何台かあるから、じっさいここでトレッキングを楽しんでいるのかもしれない。そういう場所なんだわかると、恐怖は薄らいだ。
 そして足を止め、一度自転車を置いて、原生林という樹海のなかを覗いていた。そこは僕が見たこともないような領域、、で、自然に対する知識のない僕が足を踏み入れていい場所ではないことが瞬時にわかった。見えない壁で区切られた別の世界がそこに存在していた。ある意味魅力的だった。強いオーラを放っていて、入るなら入れといっているようだった。拒みはしない、しかしながらあとは知らない。ここでの恐怖感はもう消えていたけれど、原生林とのあいだには間違いなく存在する一線が見えているようだった。

 

 僕は走りはじめる。裏を返せばとんでもなく素晴らしい場所だ。道路の上からだけ眺める自然界はまるでサファリパークを進んでいくようだけど、それでじゅうぶんだった。アスファルトの上でも有り余る自然を感じられる。僕はそれを実感しながら中尾林道を走った。
 また小さな三差路に出た。ここでまた林道標識が立っており、「林道 中尾線 起点」とあった。入ってくるときが終点で、ここが起点。逆から走ったのだけどこの中尾林道を走り終えたのだろう。とするとここから先が箱根山林道か。
 周囲は杉を中心とした植林に変わっていた。おそらくここでも林業が盛んに行われているのだ。しかしながら箱根やまなみ林道よりもはるかに狭く、はるかに閉塞感があった。道は薄暗い。道幅が狭く杉の林の背が高いのだ。そういう雰囲気全体は中尾林道から変わっていなかった。
 下り基調の道はやはりカーブばかりだった。長い直線などほとんどなく、見通しが利かない。もちろん、周囲の眺望なんてひとつもない。どうだ、この道は。
 ──いい。いやむしろ、箱根やまなみ林道よりもいいんじゃないか?

 

 中尾林道と箱根山林道をあわせておおよそ10キロ。全線舗装路だった。そして「林道 箱根山線 起点」の標識が立つそこで、道は終った。貧弱な県道11号旧道につき当たって、ここまでの道を終えた。僕は箱根やまなみ林道とはまったく異なる衝撃を覚えていた。怖いほどの自然と怖いほどの孤独を感じさせる、印象深い強烈にいい道だった。
 偶然にも地図で見つけたふたつの林道を今、走り終えた。ひとつはじわじわとしみ入ってくる楽しすぎる退屈、もうひとつは自分のちっぽけさと無力さを感じられる深い自然と孤独──。

 

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 僕は静かに感じた一日を胸にしまい、県道11号旧道の上り坂へ、そのまま止まることなく熱海峠へと向かった。