自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

新雛鶴、初狩駅、饅頭あきらめ洋食あきらめラーメン(Aug-2018)

 新雛鶴ひなづるトンネルで雛鶴峠を越えていく山梨県道35号は、上野原と都留を結ぶ道である。
 なかなか脚光を浴びない道だ。
 国道20号甲州街道の山ひとつ南を、並行して東西につないでいる。
 僕がこの道へやってきたのは、十数年ぶりである。
 そのときは都留側から入った。新雛鶴トンネルを越えて秋山村(現:上野原市)、さらに神奈川県に入って牧野まぎのから神奈川県道517号、76号と乗り継ぎ、藤野へ出た。
 今回は逆ルート、中央本線藤野駅からたどった。

 

 走り始めてから、コース設定に後悔を覚えた。上野原から出発すればよかったのだ。山梨県道35号は上野原から一度神奈川県の相模原市に入り、また山梨県に戻る道だ。だから上野原を出発して旧秋山村に向かい、雛鶴を越えて都留まで行けば、県道35号を全線走破できるのだ。失敗した。安易にルートを引きすぎた。もともと今日のサイクリングにテーマを見いだせなかったプランニングだったから、なにかテーマは欲しかったのに、少しの情報収集不足でみすみす指のすき間から滑り落としてしまった気がした。

 

 

 相模原市の牧野、かつての藤野町に属した集落は、「まぎの」と読む。ここまで上がってくる途中、青看にも何度も「Magino」と書かれているのを見た。かつての相模国では、本来漢字の通常読みにはない、濁りをもって読む習慣があるのだろうか、方言や言い回しで。今でこそまったく違和感はなくなったけれど、秦野を「はだの」と読むのも、はじめて知ったときには驚いた。戸惑い、気持ち悪くてしばらく「はだの」と人前で読めなかった。本来、牧は「まき」としか読まないし、秦は「はた」としか読まない。

 

 県境を越えて上野原市(旧秋山村)に入った。
 県道35号は狭あい区間も多かった。すれ違いも難しそうな場所があるなあと思いながら進んでいったが、それほど交通量が多い道じゃなかった。だから混乱することもなかった。
 しかしこの道が、ロードレーサーの練習のメッカだとは知らなかった。十数年前の記憶に、この道でロードと出合ったことなど刻まれていなかった。しかし今は違う。猛烈な速度の集団が僕を追い越していく。あるいは単独の個人が音もなく抜いていく。すでに雛鶴まで上り終えた集団が折り返してきたのだろう、高速コーナリングですれ違う。挨拶をされることもない。僕のほうから挨拶をしようにもおこがましく、むしろ挨拶などしてくれるなというオーラが強くにじみ出ていた。
 脚光を浴びない、とは自動車交通にとってのみかもしれない。
 十数組あるいはそれ以上抜かれたそのうちのひと組が道端に自転車を止めていた。そこが僕も寄ろうと思ってた「王の入まんじゅう」だった。ロードレーサーの組がそこにいるのなら通り過ぎようかと思ったけど、それでも息をすうっと吐いて、気持ちを軽くして、自転車を止めた。店はまだ開いていなかった。調べてみると10時からとある。今、9時58分。それなら待っていよう、サッと買ってサッと出よう──。僕は恥ずかしいのですごすごと彼らから離れた場所に自転車を止め、ちょうどそこにあった橋の上から川を眺めていた。川の水は澄んで、かなり深い底まで見通せて、ヤマメだかイワナだかが群をなして泳いでいるのさえ見えた。
「ヒロシのぼっちキャンプ」というTVプログラムを見ていたとき、ヒロシ氏はひとりキャンプをこよなく愛しながらも、周囲から聞こえる「あの人、ひとりでキャンプしてるよ」「友達いないのかな」という会話が心底嫌なのだといった。だからひとりキャンプをするというこだわりだけじゃなく、キャンプ場も人の来ないところ、人が来てしまうキャンプ場でも自身が設営する場所は人から見えない場所で、そんなこだわりも話した。
 僕はなるほどとひとり首肯し、強く共感した。
 まんじゅう屋はいつまでたっても開かず、ロードレーサーのその組もあきらめて出発しようかというムードが漂い始めていた。
 もう10時15分をまわっている。あきらめよう、開くかどうかさえわからない。
 僕は彼らの踏ん切りがつく前に、自転車にまたがって先へ向かった。

 

 新雛鶴トンネルへ着いた。

 

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 新雛鶴トンネルは県道35号雛鶴峠にある高規格の峠貫通トンネルである。新とつくだけあって、これに対して旧道もある。雛鶴トンネル。旧道からのトンネル越えはここよりもさらに標高百メートルほど高いらしい。そしてトンネルは残念なことに封鎖されているらしい。つまり旧道では上野原と都留を行き来できない。
 それは知っていた。だから強く興味があるのだけど、雛鶴トンネルへは向かわず、旧道も選ばなかった。

 

 涼しいトンネルを抜けると、すぐに下りになった。全周囲がフードに覆われた、リニアの実験線がそこにはあった。すぐ脇をつづら折で下りながら、都留の市街地へ下りていった。
 下り切って県道35号は国道139号と交差する。ここで、お終いである。
 上野原からくればよかった。
 また、そう思った。

 

 次の道へ行く前に、国道139号沿いにある洋食屋に向かうことにした。
 十数年前、新雛鶴へ行ったときに立ち寄った店にほかならなかった。まったくの逆トレースをしようとしている。
 あれから十数年だ。店があるだろうか。店の建物が残っていてもやっているだろうか。
 国道139号を1キロ行くか行かないか。店は、そこにあった。
 閉まっていた。静かで、動きがなかった。入り口から店内を覗くと、店の前に出すものと思われるブラックボードがしまってあった。店内も片付いていた。ふと、まるで空き巣みたいじゃないかと気づいた。変に周囲をきょろきょろと確認し、ただの自転車乗りですよ悪いことをしているわけじゃありませんよなどと誰も聞いちゃいないいいわけを心のなかで唱えた。
 店の情報を調べてみた。すると検索で出てきた。やった、やっているに違いない。営業時間は11時からとある。現在10時57分。よしよし、待とう。この先は食事できる場所すら探していないのだから。

 

 あきらめが、またやってくる。
 10分をまわった。店内を、入り口のガラスに顔を押し付けて覗いてみる。静かだ。動きがない。

 

 

 山梨県道705号へ入った。
 二度の空振り。次でもう三振。ストライク、バッター・アウト。
 しかし県道705号は行き止まりの道だ。途中、もう鉄道も国道もなければ大きな町もない。食事などできるのか?
 ──三振、濃厚。
 僕は三振をどうしても避けたくって、立ち止まり、情報を集めた。

 

 今日、この県道705号を選んだのは、中央本線初狩駅から輪行したいがためだった。
 いや、長くなるけど、元を正そう。
 県道705号はこの先西へ進んで、そのまま行き止まりになる。御坂山地に到達することはない道だ。延伸して、旧御坂峠につながったりなんかしたら諸手挙げで喜ぶところだけど、それはない。
 ただ、地図をよく見ると、この行き止まり手前から枝分かれして、黒野田林道という林道を見つけることができる。これが行き止まり林道ではなく、北進し、旧笹子峠の入り口につながるのだ。魅力的なルートじゃないか。県道705号の行き止まりを垣間見、黒野田林道を走る──、ずっと温めていたルートだった。
 でも残念なことに、黒野田林道は長いこと通行止めになっている。「山梨県 県営林道通行規制情報」を定期的に見に行っては、規制が解除されておらずがっかりするのを繰り返す。
 そこで、県道705号のプロローグに触れ、途中接する県道712号で中央本線初狩駅に抜けるのもいいじゃないかと考えた。この一帯の中央本線の駅の多くで、僕は輪行をしたことがある。大月、ひとつ戻って猿橋、先を見ると笹子、甲斐大和勝沼ぶどう郷、塩山、……。そうやってみると初狩だけが歯抜けのように空いている。
 じゃあ、ここから輪行しよう。
 それが今日のテーマのひとつだ。

 

 かくして、一軒だけ食堂を見つけることができた。
 しかもラーメンが美味いとある。町の中華定食屋のようだけど、オムライスや洋食もあるみたいだ。これは楽しそうだ。こういうところ、好きだ。
 いや待て、盛り上がるのはやめよう。これで空振りを喫したら落胆は計り知れないんだ。期待は持たない。この先の県道705号旧道、宝という集落にある、中華食堂だという事実だけを受け入れよう。いつなんどき、フォークやチェンジアップやカットボールが来るか、知れないのだ。

 

 僕は宝へ向けて走った。
 また宝とは豪勢な集落の名だ。現在は都留市だけど、かつては宝村という、いち自治体だった。簡単に探ってみたけれどその程度じゃ由来はたどれなかった。都留市図書館に行って風土記を漁る必要があるかもしれない。このあたりだと武田に遡る可能性もある。

 

 バイパスが旧道と分岐した。ここにセブンイレブンがあった。最悪、お昼はここだなと思う。僕は旧道を選択した。
 さすが昭和二十年代まで一村だっただけあって、しっかりとした集落だった。沿道と、そこから枝葉のように伸びる道に家々があり、暮らしがあった。
 こういうしっかり根付いた暮らしの集落のなかを走るのが好きだ。見知らぬ名も知らぬ土地に、意外な規模感で、意外な安定感で、驚かされる。でも当地にしてみればむかしから変わらず暮らしているだけ。そりゃそうだ、当たり前だ。そういった地を見つけ、入ることが、楽しい。
 そして、中華食堂はあった。
 宝来。
 もしかしたらかつての村の名とは関係なく、付けられた屋号なのかもしれないけれど、なんてしっかりとした根付き・・・を感じさせるんだろう。そして、「ファミリー食堂」とある。これはいい。そして、暖簾のれんが、かかっている。
 逆転サヨナラじゃね?

 

 ラーメンを、スープまで飲みながら、店のなかを眺めていた。
 有名人の色紙がある。数枚どころじゃない、十枚以上ある。目を凝らしてみるのだけど、僕の視力ではよく見えない。室井滋が来ているみたいだ。
 あるいは僕がここ宝地区を遠く離れた僻地のように、勝手に思いこみ、想像を築き上げていただけかもしれない。ここはふつうに、広く有名な地なのだ。人の往来もふつうにあり、テレビだってタレントだってやってくる地なのだ。
「どっから来たの?」
 いつものように、店のおばちゃんから話しかけられる。どこに行ってもだ。
「埼玉からです」
「暑いでしょう。お水、好きなだけ飲んできなさい」
「ありがとうございます」

 

 店を出て、さらに進む。旧道はやがて県道705号宝バイパスに吸収される。
 その先分岐した県道712号も立派な道だった。素朴な土地でありながら道の舗装は良好だった。705号から続けて上ってきた坂を上り詰め、下れば初狩で国道20号に出られるのだ。もしかしたらこの地区での主要幹線道路なのかもしれない。道路インフラとして充実しているのかもしれないと、この道を上っていて思った。確かに、僕が都留から例えば甲府に向かうとしたらどうするだろう。国道139号から大月市内を経由して国道20号に入るだろうか。もしかしたら山道であっても、今や整備の進んだこのルートを取って初狩まで抜けてしまうかもしれないなと思った。
 道路はピークにたどり着いた。峠の名があるのだろうか、それはわからなかった。背後に、富士の頂が小さく見えた。と同時に、そこに動物注意の警戒標識があった。たいてい、この標識は鹿や猿やイノシシのシルエットが描かれている。他に土地々々の特徴的な動物があれば、それが描かれていることを見る。ここはクマだった。クマかよ、と僕は苦笑いした。すぐに僕の意識は、いつか行きたい黒野田林道へおよんだ。

 

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 初狩駅へ、何度か迷いながら、たどり着いた。駅は無人駅になっていて、出札窓口はシャッターで閉ざされていた。
 この駅は、かつての中央本線の笹子越えの名残、スイッチバックが残されている。かつての勝沼駅まで、スイッチバック構造の駅が連続していたが、初狩以外はみななくなってしまった。もちろんこの駅も、ホーム自体は本線上に移されて、停車列車がスイッチバック線に入ることはない。本線につながれた線路も、ここへ入るのは一部工事車両くらいなんじゃないかと思う。
 それでもこの何線もあるスイッチバック構造を中央本線の車窓から眺めていたときに、ここへ来たいと思っていた。そして今日、ここへ来た。あるいは黒野田林道の長引く通行止めのおかげかもしれなかった。

 

 僕は輪行袋を肩に、スイッチバック引き込み線の上の踏切を歩き、本線ホームへ向かった。

 

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(本日のルート)

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