自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

2018夏・東北/Day1#1檜原湖-米沢(Aug-2018)

Day0からつづく

 

 むしろ朝が遅いほうだったのかもしれない。
 早稲沢浜キャンプ場は檜原湖で盛んな釣りの出艇場のひとつでもあった。そして僕がテントからのそのそとはい出した5時30分には、みな湖上に出ていて、残っている船などなかった。

 

 天気の良かった新月の昨夜は、湖畔に出ればマキシマムサイズのプラネタリウムの下にいるようで、天の川はいうまでもなく、見たこともないちいさな星たちが鮮やかに光を放っていた。天文に詳しくない僕は星座の形もあやふやなうえ、そんな星たちが関東でも見える星たちと一緒になって光るので、素人目にもわかるはずの星座の形がどこかに埋もれてわからなくなってしまっていた。僕にとってのキャンプとは特にすることがあるわけでもないので、星をひととおりながめたら、たき火の火を落とし、テントに入った。
 眠りの質があまりよくない僕ゆえ、早い時間にテントに入ってからぐっすり寝るでなく、明け方のボートが続々出艇していく音を浅い眠りのなかで聞いていた。早めの準備をしようとテントから出てみると、湖面には深いもやが立ち込めて、何ともいえない幻想的な光景を作り出していた。いくつかの釣り船が白く煙ったそのなかに、薄く影だけを見せていた。

 

 まず僕はこれから始まる自転車旅の準備をした。サドルバッグやトップチューブバッグ、ライト、ボトル、ツール缶、そんな一切合切を付けて車の荷室をあけ、片づけられる準備をした。それから昨晩炊いたご飯の残りを、温めたたまごスープの素のなかに落として雑炊にし(ヒネリがないけどいつもこれだ)、ほかにバナナを食べて朝食にした。
 朝食を終えたら順番に撤収する。まず妻の自転車をいちばん奥にしまい、キャンプ道具を順次収めていく。荷物はできる限り少なくしたいとつねづね思っているけれど、それでも撤収を終えたのは午前8時前だった。

 

 車とキャンプ道具一式を託した妻と、檜原湖の北端、早稲沢で別れた。これから250キロ以上の車の運転と、あと片づけをお願いするのは忍びなかったけど、せっかく長く休みが取れたのだから、旅をしてこいと勧めてくれる好意に甘んじた。そして僕は早稲沢の三叉路で、「米沢・スカイバレー」と書かれた道を選択し、いよいよ夏の旅が始まった。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 

 西吾妻スカイバレーは屈指の絶景ロードだ。
「磐梯吾妻観光道路3ライン」と「プラス1」的なくくりでよく扱われるけど、僕はそれら道路(磐梯吾妻スカイライン、磐梯吾妻レークライン、磐梯山ゴールドライン)と比しても引けを取らない、あるいはそのなかでもトップといっていいとさえ思っている。磐梯吾妻スカイラインの浄土平周辺、火山帯を貫く道が荒涼かつ茫漠、全国トップクラスの絶景であることをわかったうえで。
 初めは森林の中。高い木立の木々の陰を走れば木漏れ日がまぶしく、涼しかった。そのまままっすぐな道が続き、緩やかな勾配で登坂した。
 しかしその直線も終わり、手もとのガーミンにつづら折が表示されると、森を抜け、そして急激に斜度が増した。
 まだ暑くはなかった。気温はそうでもないんだろうか。そういえば昨晩のテントは寒さで何度も起きてしまったほど。今日は涼しいといいんだけど。
 勾配がきつくてどんどんギアを軽くし、ペースも歩くほどに落とした。カーブひとつひとつで標高を稼いでいく。そしてある程度の標高まで上がっていくと、磐梯山と檜原湖が見えてきた。絶景の始まりだ。
 やっぱり涼しくはなかった。汗が噴き出していた。自転車が二台、軽快に僕を抜かしていった。彼らもかなりの汗を流していた。暑くない、なんてことはないみたいだ。
 オートバイの数台のグループが追い越していった。その後ろの二台がサムズアップをして見せた。僕もサムズアップを返そうとした。坂の途中、それがうまくいかずなんだかぎこちない恰好になった。彼らのミラーには映っただろうか。
 つづら折を重ねれば重ねるほど、磐梯山と檜原湖の絶景はすご味を増していった。明治時代の磐梯山の大噴火によって生まれた光景は百年以上の絵のような絶景。少し右には裏磐梯猫魔スキー場。スキー場のゲレンデマップを見ているように、手に取るようにコースレイアウトがわかる。方角を転じて遠くに望むのは、西会津の御神楽岳だろうか。山に明るくないのでよくわからないけど、それにしても遠くに雲がたなびく以外はまったくの快晴で、周囲もよく見渡せるぶん日も直接照りつけ、暑さも例日と変わらなくなってきた。
 下ってくるロードバイクの集団とすれ違った。そろいのオレンジ色のジャージを着て軽快に飛ばしていった。それから後ろから追い抜いて行ったジムニーばかりのグループ。10台前後いただろうか。さまざまな趣味の人がこの西吾妻スカイバレーに集まってくる。それぞれがそれぞれにこの道を楽しんでいる。

 

 ずいぶん上ってきた気がした。さっきまで遠くにもくもくと浮かんで見えた雲が、いつの間にか磐梯山の山頂を覆っていた。
 そして早稲沢を出て1時間20分余り、「ようこそ山形県へ」と書かれた大きな看板が見えてきた。ようやく、白布峠にたどり着いた。
 峠には白布峠園地として駐車スペースがある。この道を楽しんできた車やオートバイが休息をとっていた。トイレもある。しかしここからの眺望はよくない。東鉢山から白布峠に続く山稜が目の前に構え、遠望を遮っている。その向こう山形県側の山々が連なる峰を見せているくらいだ。方角からすると天元台周辺の山々だろうか。緑に覆われたまぢかの山が、紅葉の時期になれば燃えるように色づくかもしれない。

 

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 車で帰らせた妻から連絡が入っていた。
「米沢でラーメン食べていくんでしょう? どこに寄るの? せっかくだから一緒に食べて行ってもいいな」
 米沢まで行ってしまったら、帰り道だけで三百キロになってしまうんじゃないかと答えたが、かまわないというので、米沢駅への経路中にあった店で下調べをしたわけでもないことを伝え、店の名前と位置情報を送った。行けたら行ってみると返ってきたのを確認し、僕は県境を越えて下り坂に入った。

 

 県境を越えたからだという先入観のせいか、風景がそれまでとは全く違って見えた。山形県側も同様のつづら折、ガーミンの高度計はみるみる減っていく。道は山の稜線から沢沿いに出て、やがて少しずつ平地が広がっていくという典型的な山岳路の構造で、平地が現れれば山あいの農村集落の風景が現れた。
 アニメ・おもひでぽろぽろが脳裏をよぎった。おそらくこれらすべて先入観のせいだと思う。農村のほとんどは稲作で、ベニバナなどひとつも見られないし、おもひでぽろぽろの舞台は高瀬という山形と天童のあいだ、この県最南部とは百キロ以上かけ離れた場所だ。
 つながりなど何ひとつないのに、この風景をなんと山形らしい風景なのだと決めつけながら走った。

 

 下ることはあっという間だ。それに今日はズル・・をしていて、スタートにした檜原湖が標高800メートル余り、そこから白布峠を越えたので、上りが少なく、延々と下るというコース設定だ。ずっと楽をし続けて標高差千メートル以上を駆け下りる。途中のカーブから米沢市内を眺望した。もうすぐそこだ。
 その標高差も下りきってしまうと、さっき見た市街地のなかに入っていた。交差点が増え家々や商店が並び、交通量が多くなっていた。道路の先で踏切が鳴り出した。黄色と黒の遮断棒が僕の進みを止めた。しばらく待たされ、ステンレスの気動車が通過していった。米坂線、ここ米沢から日本海側の坂町を結ぶJR線だった。高い太陽がステンレスのボディに反射してギラリと光った。
 米沢駅へ向かう道から折れ、山形大学の前を走ると、ちょうど妻が運転する車が見えた。追うように西吾妻スカイバレーを経由してきたのか、喜多方に出て大峠を越えてきたのかはわからないが、同じタイミングだった。店の駐車場に入ると、開店15分前にもかかわらず数組の待ち客がいた。そんなに人気なのか。
「何時に乗るの?」
「12時27分」
「間に合う?」
「大丈夫でしょ、あと4キロくらいだから」
 待ち行列を見て少しばかり先を心配する会話になった。駐車場の車を見れば宇都宮、野田、千葉……。わが家の春日部ナンバーも含めて、山形の車より関東の車ばかりだった。

 

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 ラーメン屋を11時半過ぎに出て、米沢駅に12時前に着いた。申し分ない時間。僕は自転車を輪行袋にパックした。お土産を見ていくといって車で駅に向かった妻が、お土産を選んで売店から出てきた。「間に合ったね」「おかげさまで」
 輪行パックを終えると、じゃあ行くからという妻を送った。僕はここから乗り継ぎで秋田へ向かう。12時27分発で山形へ。そこから乗り継ぎ新庄へ、さらに乗り継いで秋田へ。6時間近くかけ18時過ぎに秋田へ着く。列車の長旅、これもまたたまらなくいい。妻は駐車場に向かい、僕は駅舎に入った。電光板には新庄ゆき新幹線つばさの下に、「普通 12:27 山形」と表示されている。

 

 ほっとしたというのは、かなりある。檜原湖からの距離は短いけれど、この列車に乗ることが絶対目標だったから。だから列車表示のその下にスクロールで、「不通」「運休」という文字が流れているのは、非現実というか無関係のこととしてしか目に入ってこなかった。

 

(Day1#2へつづく)