自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

やよい・春・西伊豆スカイライン - その2(Mar-2018)

 ──その1からつづく


 今回は、コースタイムを用意してきた。大まかなポイントと、おおよその通過時刻を概算で出した表を印刷し、ステムに貼り付けてきた。

 というのも、伊豆、特に西伊豆や南伊豆に出かけたとき、ルートの持つタフさに消耗し、考えていたコースを走り切れずに終わってしまうことがこれまで何度もあったから。西伊豆や南伊豆は、その距離から想像するよりはるかに消耗し、スタミナが切れたりハンガーノックになったり、ひざや腰を痛めたりして動きが取れなくなって、それゆえサイクリング全体としての満足度を半減させてしまった。

 なぜ僕は学習できないのか──。見たいところと行けると思える距離からルートを引いているつもりなのだけど。道のタフさから来る消耗を、いつも計算できない。

 そんなわけで今回はルートをふたつ用意した。

 ひとつは西伊豆スカイラインを走破したのち、西の海岸線へ下り戸田港、そこから海岸線を伝って井田、大瀬崎、西浦とシーサイド・サイクリングを楽しむルート。これをメイン考えたものの距離が80キロ近くにおよぶ。

 なのでもうひとつ、西伊豆スカイラインの終点、戸田峠から戸田港には下りず、まっすぐ北へ下り西浦へ出てしまうショートカットコースだ。

 このふたつのコースを、通過時刻からみて、選択しようと考えていた。

 最終の判断ポイントは、西伊豆スカイラインを走り切った、戸田峠。その時間で考えさせてほしいと朝、Mさんに紙を見せた。



 ステムに貼った紙を見る。戸田峠・1245とある。

 西伊豆スカイラインを下っている途中で、12時45分の表示を見た。

 そして西伊豆スカイラインを走破し、戸田峠。

 そこで12時49分だった。

「さて、どうしようか……」

「遅れ、4分ですよね。30分とか1時間じゃないし、当初のルートに行きませんか。体力もお腹もまだいけそうだし」

 とMさんがいう。

 西伊豆スカイラインは途中、店どころか自販機もないことを知っていたから、持ってきたいろいろな食べものを途中途中で食べ、ここまでつないできた。そのおかげか、今日は消耗も少ない。

「そうしましょうか」

 そう会話して、進路を西に取った。県道18号、戸田港へ下る。


 第二幕、西伊豆海岸線ルートの始まり。




 県道18号で、戸田峠から戸田港へ下ったことがない。

 今まで戸田峠へ来たことは何度かあるけど、その先走ったのは三つ。ひとつは今来た西伊豆スカイライン修善寺から温泉街を経てそのまま戸田峠へ来たときは、たいてい西伊豆スカイラインを南下している。またひとつは県道18号を西に向かい、途中で県道127号で真城(さなぎ)峠を越えて西浦に出るルート。もうひとつは戸田峠の北側、立派なトンネルから始まる林道。ここは通行止めのバリケードが置かれているが、自転車なら脇を通ってしまえるので、抜けて下った。これもまた西浦に出る。県道127号真城峠越えなら古宇(こう)へ、林道経由だと木負(きしょう)へ、出る。

 そんなわけで初ルート。駿河湾へダイブするように、快適に、といいたいけど、じっさいは慎重に下る。急な下り坂道は、ブレーキを引きっぱなし。道の途中には勾配の警戒標識があり、11%とか12%とか。カーブも多くて、快走とは少し違う、抑速ダウンヒル。下りながら、この道で戸田港から戸田峠へ上るのはきつそうだ、と思っていると、上ってくるロードバイクとすれ違った。タフだ。


 北山の棚田に寄ってみた。県道18号を下る途中、久しぶりに見た集落でもあった。そういえば人家など、国道136号を最後に見ていない。

 県道に、小さいながら案内も出ていた。観光向けの意図だろうけど、きわめて狭くて急勾配の集落道は、四輪駆動の軽トラかジムニーならまだしも、近年のサイズの大きくなった乗用車では難しいんじゃないんだろうか。

 そして、確かに、棚田だ。しかしちょっとした斜面に広がった広場ともいえる。房総の大山千米田や、小豆島の中山千米田を想像するとずいぶん違う。どちらかというと、懐かしいちいさな山村に来た気分。



 下って、戸田の町に入った。

 かつての戸田村、今は沼津市。入り江に張り付いた港町だ。

 走っていると県道沿いの道の駅に気づいた。真新しい。いつできたのだろう。立ち寄ってみた。伊豆は、道の駅が少ないように思う。いい休憩ポイントになるのだけど。特に今日のルートなんて、国道136号に入ってから、トイレもない。じっさい、修善寺駅を出て初めてのトイレ休憩だった。

 ここは自転車推し、みたいだ。修善寺駅で見た、バイシクル・ピットののぼりが立つ。おびただしい数のバイクラックが並び、自販機には飲み物と一緒にチューブが売られている。チューブの自販機、初めて見た。しまなみ海道にあると聞いたことがある。が、こんなところで見られると思ってなかった。話の種になるな、と写真に収めた。それと無料の足湯があった。時間に余裕があれば入ってもいいなと思う。



 西伊豆の港町はいい。どこも甲乙つけがたい、というより、そんなことをする必要などない。戸田、土肥、宇久須、安良里、田子、堂ヶ島、松崎、雲見、妻良……海岸線だけたどって、走って行くのも、どんなに楽しいサイクリングだろう。想像が、やまない。

 戸田の町も、自転車で走り抜けると一瞬で過ぎてしまう。すぐに上り坂道になり、木々のあいだに入ってしまう。きつめの坂を上り続けて、木々の切れ間から外が覗けると、またたく間に小さくなった戸田港と戸田の町が見えた。駿河湾は、どこまでも広く、青い。

「桜?」

 Mさんが坂の途中で足を止める。

「桜、でしょうか」

 満開というか、もう葉桜になりかけているように見える。重々しい花弁が、枝全体をピンク色に染めていた。「河津桜ですかね」

 海と、空と、絶妙のコントラスト。春、弥生。もうこの季節が、ここに来ている。



 標高にしてみれば150メートル前後、しかしながら急な勾配で上り、ときに下ってまた上り返し、それを繰り返していると徐々に消耗してくる。むしろ僕は午前中の西伊豆スカイラインのようなひたすら上りっぱなしよりも、こういった下りをはさむ上り返しのほうが疲労する。どこに行っても坂しかない伊豆半島は、結果的に上り返しになってしまうから、それゆえに、距離から想像するよりもずっと、疲労してしまうのだろう。

 井田の集落へは下りない。一度、行ってみたいといつも思っているのに、いつも素通りしてしまう。この前後の区間の上り返しがからだに負担をかけている。井田の集落に来るころにはたいていくたびれてしまっていて、下りると標高をゼロメートルに戻してしまうルートを選択できずにいる。県道を走り続けている限り、下って100メートルを切るくらい。ここで下ってすぐにまた100メートル以上を上り返さなきゃならないって思うと、どうしても踏み込めない。稼いだ標高を維持してくれる県道を離れられずにいる。


 眼下に見た井田を過ぎ、また上る。この上りを越えた先に、今日は期待していた。西伊豆スカイラインで見たあの富士山が、眼前に現れるに違いない。県道17号での、これが最大のショーだ。


 そして、予想を裏切ることなく、富士山が現れた。




 いくら撮っても、きりがない。どこかで見切りをつける必要がある。

 戸田峠で4分遅れだったコースタイムとの差異が、大きく広がっている。もう海岸線をまわるこっちのルートを選択した時点で、コースタイムとの比較はあまり意味がないのだけど、じつはまだ昼を食べていない。14時をまわっているし、ランチタイムがランチタイムじゃなくなってしまう。もっとも、最初から西浦の長井崎へ向かう途中でお昼にしようと思っていて、そこでのコースタイムが15時10分だから、ランチタイムを意識するも何もない計画なのだけど。

 だからそれからすれば、昼食の時間が後ろにずれ込むばかりで、いくら最高の富士山と対面しているからって、写真ばかり撮っているわけにもいかないのだ。見切りをつける。そうするように、心がける。


 大瀬崎から西浦へ向かう。海岸線レベルまで標高を下げた。海、富士山、そして河津桜が沿道でたくさん咲いている。ちょうど見ごろに違いない。しかしこれほど各所に河津桜があるとは思わなかった。サイクリングに彩りを添えている。


 江梨、古宇、立保、平沢、木負──西浦の海岸線の集落を県道17号で駆け抜けた。みかんの西浦だけに、あちらこちらで無人販売されている。でも、それほど安くないかな。

 長井崎に向かうため、県道17号を離れた。徐々に増えてきた交通量であわただしくなった道から、急に静かになる。

 海沿いの、ハマカフェという店に行ってみようと思った。


 時間もコースタイムの5分遅れまで戻した。15時15分。

「静か、ですね」

 Mさんが店を覗く。

 二階のベランダから柴犬が顔を出した。バウ、バウ。猛然と吠える。でも尻尾を振っている。番犬がわれわれを追い払おうとしているのではなく、ウェルカムのあいさつなのかもしれない。

「だめ、ですね」

 Mさんがいう。「そもそも14時までって書いてあります。誰もいないようだし、道に出してるポップボードも中にしまわれてる」

 そうでしたか、僕の調査不足ですねと詫びた。そういえば営業時間を確認していなかった。コースタイムを作ったならおおよそながら到着時間はわかるわけで、調べておくべきだった。

 僕らがここに寄らないとわかると、ワンコも犬小屋に戻ってしまった。

 何もない場所だ。入り江に、ペリカンみたいな黒い鳥が群れる、ちいさな島があるだけ。


「チェレステまで、行きましょう」

 僕はいった。確かそんな名前だった。この先、三津と口野のあいだくらいにあった。自転車ウェルカムのカフェと聞く。TVプログラムのチャリダーが、寄った店だと記憶している。

 ここに昼食をあわせてきてしまったから、もう食べものの持ち合わせはない。チェレステカフェまでお腹が持ってくれるよう、祈る。



「ブルベされてるんですか?」

 と、マスターがいう。

「いえいえ、ただのサイクリングです」

 と僕は答えた。ブルベなどとんでもないと。

 店の外のバイクラックに止めた、僕の自転車のステムに、コースタイムの紙が貼り付けてある。それを見ていったのだろうか。

 店は、自転車好きのご夫婦でやっていた。どうやら自転車業界に顔が広いらしく、あるいは有名な方なのかもしれない。僕はそういう方面にうといから、わからない。

 若鶏のローストプレートを頼む。


 壁には、たくさんの人のサインがある。誰もかれも落書きのように名前を書いていくわけじゃないだろうから、みんな自転車で有名な人なのだろう。ほとんどわからない。せいぜい「チャリダー 猪野学」くらいのものだ。

「今日は富士山が良く見えました」

 というと、

「そうでしょう、今日はなかなかない、すごくいい日ですよ。ラッキーでしたね」

南アルプスが見えたのが、感動的でした。美しいですねえ」

 Mさんは今日、南アルプスを一日、口にしている。

南アルプスまでなかなか見えないんで、じゃあとてもいい状況ですね。でも南アルプスを堪能したいなら、ぜひ朝霧高原へ行ってください」

朝霧高原?」

「富士の樹海に向かう道から、最高に見える場所があるんで。僕はそこがいちばんのお気に入りコースです」

「そうですか」

「どう行っても坂になっちゃうんですけど、JRの芝川っていう駅があって、そこから入って行く道がいちばん楽です。勾配が緩くて。しょっちゅう走りに行ってます。最高の眺めですよ」

「地元の方のお勧めじゃ、これは行かないと」

「地元っていっても、僕は伊豆をあまり走ってなくて、そっちのほうばっかなんですけど」

 マスターはそういって、笑った。



「今週は人も車も多いですね。桜ですね」

 とマスターはいう。

「桜って、河津ですか?」

「そうです」

「あ、それで朝、熱海の駅で伊豆急に向かう人が多かったのか。ときどき輪行で来ますけど、あんなにたくさん伊豆急に乗り換えることないんで」

「ああ、それ間違いないですね」

「朝の修善寺駅前から、国道も裏の県道も混んでたんですけど、それも?」

「ですね、車は今、河津に行くのに中伊豆経由の天城越えなんで」

「そうなんですか。河津が東伊豆だからてっきり東伊豆回りで行くのかと思ってました」

「今、伊豆縦貫道ができて、東名からつながってるでしょう、そのほうが近いし早いんですよ」

 話が込んできたところに、知り合いらしき方が入ってきて、カウンターについた。会話はそちらへ移り、僕らは食事を進めた。河津桜、何も河津町へ行かなくてもこんなに楽しめましたね、とMさんにいった。じゅうぶん、とMさんは笑った。



 日が、落ち始め、ゆっくりと暗みを増していく。ライトをつける車がポツリポツリと出て、テールランプが飛び飛びに並び始めた。交通量が増える。道路は、道幅が増す。車線が増える。信号機が多くなり、渋滞をともなって、待たされる回数も増えてきた。海沿いを走ったり、橋を渡ったり、角を曲がったりするうち、ビルも多くなる。街になり、都会になる。地図がなくても、ゴールの沼津駅が近いことを感じさせた。

「終わっちゃいますねえ、とても残念」

 とMさんがいう。

 狩野川を渡った橋の上から見えた富士山は、まるではかったかのように、すっぽりと雲に隠れてしまった。

西伊豆劇場、閉幕、ですね」

「体力はもう残っていないけど、走り終えるのがもったいない」

「指は、大丈夫ですか?」

 今さらながら、骨折していたという指を気にしてみた。今まで思い出しもしなかった。僕は、気が利かない。

「そういえば気になりもせず、一日走ってしまった。どうなんだろう」

 Mさんは笑った。



(今回の地図)

GPSログ