自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

小豆島を走る/寒霞渓編(Jan-2018)

 寒霞渓──またの名を神懸山 (かみかけやま) という、小豆島の中央部に広がる渓谷。火山性の岩石が長い年月をかけ浸食されてできた東西8キロ、南北4キロにおよぶ奇岩怪石群。日本大百科全書には「応神(おうじん)天皇が岩に鉤(かぎ)をかけて渓谷を登られたという故事に由来するといわれ、鉤掛(かぎかけ)や神懸(かんかけ)とよばれた。明治の初め、儒学者藤沢南岳(なんがく)によって寒霞渓と命名」と記される。その景観は天下の絶景として知られ、日本三大渓谷美のひとつに数えられる──。

 

 最後の、「日本三大渓谷美」が気にかかる。

 なるほど寒霞渓がどういうところか、ざっとはわかったが、僕はこの日本三大なんとかのたぐいが苦手である。それが古くからいわれのあるものだろうがダジャレや都市伝説のようなものだろうが、そんなものが僕のなかで一緒くたになって、恥ずかしくないのだろうかとこちらが恥ずかしくなる。日本三景が旅取(りょとり:旅行業務取扱管理者)の試験に出ようが、それに対して新日本三景なんてものがあればそらぞらしく思えるし(もう何だって作りゃいいじゃないか)、どこかから冗談めかして湧いて今じゃ誰だってキーワードにする日本三大がっかりと同じようにしか聞こえない。

 それにこの日本三大渓谷美というもの、調べても出てこない。辞書事典のたぐいで寒霞渓を引いてみても日本三大渓谷美という言葉は記載されていない。今回小豆島に出かけるにあたって情報収集した「小豆島旅ナビ」にもその言葉は出てこなかったのだけど、香川県観光協会やら香川県では寒霞渓の紹介として使われ、ウィキペディアにも登場する。あとは個人サイト──。辞書や小豆島自身が使っていないのに、外野だけが使っているこの「三大」にうさん臭さを覚えるし、だいたい他の二箇所ってどこだよって疑問がすぐについて出る。そしてそれなどなおのこと出てこない。いくつか挙がった名を見たが、根拠に乏しくて個人の思い込みのレベルを越えているとは思えないものばかり。

 

 そんなわけで、地形や景観、長い歴史から興味を覚える場所でありながら、「日本三大渓谷美のひとつ」という言葉ひとつで、僕のなかでの印象がめっぽう悪くなっていた。

 

 

「寒霞渓に上るなら──」

 前日、新岡山港から土庄港へのカーフェリーで出会った自転車乗りが言った。「北から上って南に下りるのがいい。西からのルートはもの好きが行くところだ」

 北からがいちばん楽に上れる坂だと言った。そういえば、宿泊したオーキドホテルがサイクルステーションのページで紹介している寒霞渓のモデルコースも北ルートで上っていた。

 でも僕は西からのもの好きが上る道とやらを選んだ。小豆島スカイラインと呼ばれる、県道27号である。

 ひとつは、土庄のまちからいちばん近いルートだったこと。

 もうひとつは、おそらくこの道が最も楽しい道なんじゃないかって思えたこと。

 僕はもの好きではない。坂も好きじゃない。ただ、道が好きなだけだ。道のある景観やそこから見る景色が好きなのだ。寒霞渓自体はいささかうさん臭い(観光臭が強い)と思えていたし、であればそこまでの走る道をめいっぱい楽しもうって選んだのがこの道だった。道が良ければ坂は押すことになろうがかまわない。

 もっとも寒霞渓に上れる東西南北4本の道を走って比較してみなけりゃ、どれがいちばんよかったとは言えないだろうけど。

 

 宿泊したオーキドホテルをチェックアウトし、土庄港から永代橋で世界で一番狭い海峡を渡る。迷路のまちを横目で見てから、尾形崎へ向かう県道26号へ入った。

 土庄のまちを外れると道は上り始めた。だんだんと、ではなかった。いきなりけっこうな坂を上り始めた。僕を追い越していく軽自動車はみなキックダウンを余儀なくされた。反対車線を大型車が排気ブレーキを鳴らしながら下って行く。

 中山千枚田へ向かう県道252号を右手に分け、道はさらに上る。土庄から海沿いの尾形崎へ向かうとしたら、地図を見ればこの県道26号が最短の直線ルートだとわかるけど、昨日走った海沿いの県道253号のほうが距離はあれど楽なのだろうかなどと考える。距離と標高で相殺されてどっこいどっこいか。

 坂を上り切った場所に、右手県道27号を分ける青看板が出た。結局この坂を全部上らされたのだ。そこには「馬越」のバス停。前方に瀬戸内海の海原が見えた。よく見えないけど向こう側に本州が横たわっているはず。左手のさらなる高みのうえから、白亜の大観音像がこちらを向いていた。小豆島大観音というらしい。

 

▼ 県道26号馬越からの眺め

 

 県道27号、小豆島スカイラインに入ってすぐ、夕陽ヶ丘展望台というところで足を休めた。沈む夕日を眺めるのに絶好の場所だそうだ。瀬戸内海が一望できるので、確かにここから沈む夕日を眺めるのは上等だ。いくつかあるベンチは恋人たち向けなのか。いいだろうなあ。今は午前中だからおだやかな海原を遠く眺めているだけだし、今ここには誰もいないけど。

 夕陽ヶ丘からすぐ、大きなリゾートホテルを過ぎると本格的な坂道になった。

 

 手もとのガーミンを見ると先にヘアピンカーブふたつの大がかりなつづら折が見えた。ひとつ目のヘアピンカーブを曲がると距離にして数百メートルは真逆へ戻ろうかというほど。ひとつ目のカーブを越えて反転すると、直線が長すぎて印象はもうつづら折じゃなかった。ぐんぐん上る坂道の次のヘアピンカーブが見えた。そこはまるで崖から飛び出しているように見える。そして到達するとさえぎるものが何もない、広大な眼下の眺望が広がった。

 ペダルを止め、そこに立った。

 

▼ つづら折に向かうスカイラインは徐々に高度を稼ぐ

▼ ふたつ目のヘアピンカーブで見た、土庄方面の眺望

▼ 小豆島スカイライン

 

 ドローンで撮ってみたいって思う。

 今、この手中にある風景をさらなる高みから、というのもあるけど、今ここで立っている僕が、この寒霞渓に向かう山のなか、崖から張り出したヘアピンカーブの端で立っていることがどれだけちっぽけなのだろうって、俯瞰してみたくなる。魅せられ、思わず立ち止ったこの場所が、僕を含めてどんな場所なのか、気になる。

 

 海岸線が複雑な湾曲を描いている。出発してきた土庄の町なのだろう。手前は中山の千枚田だろうか、棚田が広がっている。

 静かだ。

 こう立ち止っていても車がまったく通らない。思えば土庄のまちから県道26号にかけて交通量はそこそこあったと思うのだけど、みんなどこへ行ってしまったのだろう。寒霞渓へ観光に行く人はいないのだろうか。

 

 

 昨日のフェリーでの自転車乗りが言っていた、「もの好き」と言われるゆえんが現れた。18%とかかれた黄看板。そんな勾配、本当だろうか。

 

▼ ここから急激に勾配がきつくなる

▼ 小豆島スカイライン

 

 18%といったら、駿河小山・山中湖間の明神・三国峠に登場する勾配じゃないか。くだんの場所はそうそうから10%超の勾配が続く道で、いよいよと言わんばかりに現れる。舗装はアスファルトからコンクリートに変わり、丸いリングが施してある。みながドーナツ坂と称している箇所だ。

 小豆島スカイラインよ、それと同じというのか?

 ギアをローに入れる。──が、一瞬チェーンが乗るものの、すぐに2枚目に落ちてしまう。

 ローが使えない?

 おかしいな、出発の前日に確認したのに。昨日はローに入れていないからわからなかったんだ。ワイヤーの張りか、それともディレーラーの可動範囲か。

 チェーンは一度はローギアに乗ろうとする。可動範囲をいじくるのは厄介なのでワイヤーの張りで逃げることにした。リアディレーラーのアジャスターを反時計方向に回す。後輪を持ち上げてクランクを回し、2枚目に落ちないことを確認する。急坂でこんなことをするだけでしんどい……。どうやらローにチェーンが乗ったままになった。おそらくトップに近い側の変速はぐちゃぐちゃだろう。でもこんな場所で使いっこない。トップ側を捨て、ローを生かす。

 車が全く来ないことを幸いに、ローギアに乗せたまま、道路を真横に横切るように乗り始める。そして18%とやらを行く。

 明神・三国峠への道と違い、舗装は変わらないアスファルトのまま。もちろん全区間が18%とは思えない。何とか上れそうだ。ときどき立ち止まり、休みつつ進んでいく。

 

 じっさいの勾配は感覚じゃわからない。明神・三国峠のようにどうしようもない過酷さじゃなかった。もちろん何度も休憩したっていうのもあるから単純比較はできないけれど、にしても大半を占めた斜度がどのくらいだったのか、イメージがわかなかった。10%は越えていたかもしれないけれど、四六時中18%ってことはなかった。12%とか14%ってこともないんじゃないだろうか。ただ下り坂方向にはブレーキがフェードしてしまった車向けの、砂利の上り坂道、エスケープゾーンが3箇所あった。

 

 頂点が見えた。

 そこは寒霞渓じゃない。四方指展望台のある美しの原高原への入口だった。

 つまり寒霞渓へ向かう小豆島スカイラインは、寒霞渓よりも一度高い標高まで、それこそ18%の勾配も交えて上り、その後は寒霞渓に向かって下るのだ。余計な上りをこなさなきゃいけないから、もの好きのルートってことなんだろうか。

 相変わらず車通りはない。僕はこんなぜいたく、と言わんばかり、センターライン上に自転車を投げ出し、写真を撮った。

 

▼ 坂の終わり、急勾配の終わり

▼ 小豆島スカイラインの最高地点

 

 下り坂を走り出す。すぐに右手に眺望が開けた。

「寒霞渓か」

 知らなくても、想像だけでアタリがついた。さらにそこへ向かって幾重ものつづら折で上ってくる道路も見える。あれがおそらく南からの道、草壁港から上がってくる県道29号だ。何という美しさだ。海は、草壁港のある内海(うちのみ)湾に違いない。

 写真をさんざん撮ると、あらためていよいよ寒霞渓へと走り出した。

 下りだ。かなりの下りだ。ときおり、さっきのような大きな眺望が右手に広がる。今度は止らずにそのまま進む。立ち止って写真を撮る楽しみもひとつだけど、この目で見ながら、その風景のなかを走ることだってもうひとつの楽しみだ。記録は残らないけど記憶に残る。

 トップから3枚くらいの変速がおかしい。ガチャガチャいいながら、ギアの歯のあいだを行ったり来たりする。そりゃそうだ、ローに乗り切れない変速を無理やり乗るようテンションを変えたのだから。いい。回さなくたって走る。止ってそんなものを回すよりこの道を楽しみたい。道は、まっすぐ続いた。

 

▼ 大きく開けた南方の風景

▼ 小豆島スカイライン

 

 

 観光のピークは紅葉の時分だそうだ。

 なるほどこの眺望で、山が赤く染まったら、それは感嘆するに違いない。今は冬枯れの山。でも奇岩怪石の渓谷や山容をウリにしているのであれば、むしろ冬こそ最高の景観なのかもしれない。

 人は、ほとんどいない。

 駐車場に車が何台も止められているけれど、みやげ物屋やロープウェイ乗り場、内海湾を望む展望台にまわってみてもほとんど人がいない。車は従業員のものかもしれないな、と思う。

 そして、寒い。

 展望台から望む崖の先に、錆び着いた金属の輪っかが立っている。展望台の柵のたもとでおじさんがひとり、素焼きの円盤みたいなものを二百円で売っていた。これを投げてあの輪のなかを通せるかどうか、それが運試しらしい。誰も買わない。僕のあとに上ってきた、BMWの大型バイクのおじさんも買う素振りもない。ひととおり眺め終えて展望台から戻ってくると若い恋人同士が上がってきた。彼らは運試しをしただろうか。

 

 展望台から開けた風景は確かに見ごたえがあるが、僕にとっては、小豆島スカイラインから見た数々の風景が、記憶に残った。

 紅葉の時期に来たらよかっただろうか。いや、今日でよかったんだ。きっと。

 寒霞渓自体は、早々に退屈になった。

 ただ風が冷たくて、寒かった。

 

▼ 寒霞渓

 

 

 小豆島の自転車旅は、終わった。

 車に戻って、午後の船で島を出る。

 

(本日のマップ)

GPSログ

 

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