自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

パッチワーク紅葉、すすき野原 - 御坂峠、河口湖山中湖、三国峠、明神峠(Oct-2017)/その2

その1からつづく

 

 御坂隧道を、走る。

 

 天下茶屋、河口湖、富士山。

 この場所から、ここに揃うものすべてを目に収めたくて、期待が高まる。

 

 

 山梨県峡東を貫くサイクリングは、中央本線甲斐大和駅を出発地とし、御坂峠を越えて、河口湖へ下り、忍野から山中湖へ抜けたのちふたたび峠越え、三国峠・明神峠の連なる峠を貫き御殿場線駿河小山へ下りるルートとした。

 前半の目玉はもちろん御坂峠であ り、何度も訪れている僕の大好きな道。そして後半は初めて訪れる三国・明神という少しマイナーな峠に何があるのか、どんな道なのか楽しんでみたい。以前から行ってみたかった道だけに、気分も徐々に高まりつつあった。

 

(本日のルート)

GPSログ

 

「あ、ああ、あああ……」

 僕は何とも不完全燃焼な声を発した。視界に、確かにすべてを手に入れた。この地で富士山を見ることができたのは今回を含めわずか二度だ。何度も来ているにもかかわらず、そしてこれだけ近い場所でありながら、フジヤマを目に収められる機会はたったそれだけ、なのだ。だからフジヤマの山容が見え、河口湖や峠の天下茶屋を対比するように眺められる機会を得たことを、もろ手を挙げて喜ぶべきなのかもしれない。

 富士山の左肩の一部にだけ雲がかかっていた。

 頂に、雪もなかった。10月の中旬、それまで暑かった気候から秋をすっ飛ばして冬の寒さに一変した折、頂に雪を冠したと聞いた。しかしその後の二度の台風と長雨で、雪は流れてしまったのだそうだ。富士はまるで夏の山だった。

 三人で、この風景を写真に収める。自由に、いろいろなアングルに立ち、何枚もの写真を撮る。そして僕らだけではない。ここを訪れているたくさんの観光客が同じように、河口湖と富士山を入れた風景を切り取っていた。

 MOさんなど喜んでいる。僕が不完全燃焼でいると、「これだけ姿を見せてくれたのだからじゅうぶんでしょう」と納得しない僕を諭す。確かにそうなのだ。何度も来てわずか二度しか見ることができない風景などばくちのようなものなのだから。

 

 天下茶屋に立ち寄った。

 コーヒーを飲もうと思った。しかしながら空腹を覚えていることに気づいた。

「おなか空いてません? ほうとう、食べちゃいます?」

 僕はそうふたりに聞いた。自分の腹事情だけでいささか勝手ではあるけど。

「いいですよ、じつはお腹が空いているんです」

「食べましょう」

 同意を得た。午前11時過ぎ。

 店はまだそれほど混んでいなかった。店の人に声をかけ、座敷の卓に案内された。腰を下ろし、薄暗い建屋のなかからガラス戸越しの景色を見ていると、外の日差しが強烈にまぶしく感じた。

 なぜこんなにいい道なのに自転車が少ないのか、それが疑問だとMOさんが何度も言う。ヤビツや都民の森くらい人がいていいくらい見事な道じゃないかと。

 まあ坂を上る人には目的がそれぞれあるし、ヤビツや都民の森って言ったらほぼトレーニング目的だろうし、自然のなかに放り出されたような旧御坂峠県道708号は旅にはいいかもしれないけれどトレーニングには役立つのかわからない。それに何より場所が遠い。トレーニングの自転車乗りは輪行なんかしない。だからと言ってここへ自走で来るにはなかなか厳しい。輪行なんてするのは自転車乗りのごく一部でしかないのだから。

 

 ほうとうを温かいと感じ、そしてすべて食べたのちにつゆまで飲みほしてしまったのは実は寒さを覚えてたからに違いない。今日は甲斐大和の駅に着いたときから青空で、日差しを浴びればぽかぽかと感じていたけれど、気温がそれほど高いわけじゃなかったんだろう。標高だって千メートルをゆうに超えているし、ときおり吹く北風のせいもあって身体は冷えていたみたいだ。

 お腹を満たし身体も温めて店を出ると、外の椅子に多くの人が座っていた。もう茶屋は順番待ちが始まっている。12時過ぎ、ちょうどお昼どきだ。

 

 

 旧御坂峠越えの県道708号は、個人的好みで言ってしまうと圧倒的に御坂側がいい。車の往来もほとんどない道だからというのもあるけど、山あいの静かさを、むかしの峠道を、実感するには格別だと思う。

 じゃあ河口湖側はどうなのかというと、道というよりは景観である。木々のすき間から覗く河口湖と富士山が、この道の演出をしてくれる。ぐんぐん近づく河口湖に向かってダイブするような感覚は、下り坂自転車の特権だ。

 だから僕はこの道を御坂側から上って河口湖側へ下るのが好きだ。静かな、勾配も緩めの、そのかわり何べんものつづら折りで上っていくむかしながらの峠道を、勢いある自然のエネルギーを全身で受け止めながら上り、行きついたトンネルを抜けるとそこに舞台の幕が開くように現れる超豪華セット、それを見ながら下る道は道路自体に魅力が薄くても文句なし、日本を代表する風景セットのなかへと飛び込んでいく。──そうやって自分のなかでストーリー立てされ、完成を見たひとつの物語のようなものだ。

 

 河口湖から忍野を抜けて山中湖北岸へ向かう。忍野をまわったのは、国道138号の混雑を避けたかったから。でも少しましだったかという程度だった。富士吉田から忍野に抜ける坂道がゆとりを持って走れたくらいで、河口湖も忍野八海周辺も山中湖もやっぱり巨大観光地だった。人と車とであふれ、道路をちょっと横断しようかと行動するだけでも大変なことだった。

「雲が、取れてる!」

 河口湖の湖畔近く、土産店や旅館が並ぶ一角から覗いた富士山を見て、MIさんが右手で指して言った。なるほど、これで全容を現すのだろうか。僕はその瞬間、山中湖北岸のサイクリングロードから望む湖越しの富士山を想像した。自然と、ペダルにも力が入った。

 でもそんなに都合よく運は味方をしてくれなかった。

 山中湖畔に到達した僕らを迎えたのは、雲にすっかり隠れてしまった富士山だった。もう、そこに岳があること自体わからないほど、すっぽりと隠してしまう雲だった。

 

 

「たぶんですけど、あの山に上っていきます」

 山中湖北岸のサイクリングロードをゆっくり流しながら、僕は感覚的な方角と、確か原っぱの山だという記憶をもとに、三国峠・明神峠への道を指差した。

「あの禿山みたいなやつですか?」

 とMOさんが言う。黄褐色の荒涼とした山肌を一緒に見ていた。

「そうです、そのはずです」

 サイクリングロードで平野まで行き、そこから湖岸道路に戻った。山中湖の平野といえば僕らの世代じゃテニス合宿のメッカで名の知れた場所だ──もっとも僕はテニスをしないので聞きおよんだ話でしかないが──。道志みちと呼ばれる国道413号を分けたわずか30メートル先で、道は分岐する。

 峠越えの一本道は山梨県からわずかながら神奈川県をかすめ、静岡県に至る。山梨と神奈川との県境が三国峠、神奈川と静岡との県境が明神峠、両者に上り返しがあるわけじゃなく、県境に付された連続した峠のようだ。県道番号は山梨と神奈川が730号、静岡に入ると147号になる。まずは県道730号、山中湖岸を離れこの道に入ると早速上り坂が始まった。

 

 その山は、禿山なんかじゃなかった。

 いくつものテニスコートの横を抜け、いくつかの別荘地と、知っている人しか知りえなそうな会員制のようなリゾートホテルをいくつか横目に見つつ、気づいたときには森の木々が途切れていた。まるで森林限界を越えたみたいに(もちろん森林限界なんかじゃないけど)、突然視界が開けた。山中湖畔から僕らが遠く眺めた黄褐色の山肌は、一面風に揺れるススキだった。広大で、豊かで、そしてすっかり傾いた西日に金色の輝きを放っていた。上っても上ってもすすき野原が続き、ふと立ち止まって振り返ると黄金色の原っぱの先に大きく水をたたえた山中湖が横たわっていた。

 

 強く鮮烈に焼きついた第二幕を終えると、カーテンコールを楽しむ余裕など与えてくれない道になった。自転車乗りには有名な、有数の「ゲキサカ」は、そこを下る身にも襲いかかる。気を抜けない10%超ばかりの坂は緊張の終演、「アンコールなんかねぇよファイナルの曲を最高に演じて終わるんだ」なんてとんがったことを言うへヴィメタルバンドの幕引きのように、あっけなく千百メートルもの標高差を駆け下りて、そこが駿河小山の駅だった。

 僕らの今日の旅は、終わった。