自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

盛岡・雫石(Sep-2017)

 台風が来るというのだ。

 上陸するというのだ。

 進路は北西に向いていて、中国大陸へ向かうと言っていた予報が、木曜日になって「朝鮮半島で進路を東に変え、日本列島へ向かう模様」と告げた。

 

 もともと日光か那須あたりでオートキャンプをしつつ、自転車を持って行ってサイクリングも楽しもうかと考えていた三連休だった。しかし台風の進路を受けて予報は悪化。影響を受けるのがあとのほうになる関東でさえ、月曜日が雨、やがて日曜日も雨マークになり、最終的には土曜日も曇りのち雨という予報に変わって行った。

 キャンプはもとよりサイクリングだってままならない。ちょっとの悪天候なら宿泊先をホテルや旅館にしてしまう手もあったけど、これじゃだめだ。この連休は中止かな、そう思った。

 

 天気予報を見ていて思った。

(東北があるじゃないか。それも福島、宮城、山形といった南のほうではなく、岩手、秋田といった北のほうなら)

 まさにポンと手を叩くように──まあじっさいにはしないけど──ひらめいた。

 もちろん台風のリスクはゼロじゃない。移動時間も考えるとキャンプはない。宿泊で、自転車を持って、出かけて行くのはありかもしれない。

 

 三連休の宿を直前の木曜日に取ろうというのだから、宿探しは苦戦した。

 サイクリングのコースは、押さえられた宿の場所から考える。ふつう逆だ。が、それもありだ。サイコロで決めるみたいでいいじゃないか。行き先は、空いていた宿の場所による……。

 

 はじめ、一日目を三陸海岸周辺に、二日目を花巻周辺にしようかと考えた。コースもだいたいの距離感をつかんで宿を探し始めた。宿やコース沿道上の情報を収集していると、イベントにヒットしてしまった。

「ツール・ド・東北」

 そうか、この連休だったか──。

 僕でも名を知る自転車のライドイベントだ。有名な元プロ選手が来たり、テレビが入ったりする大きなイベントだ。これがかぶった。

 三陸は、消えた。

 もう時間がない。

 

 ──盛岡市内にひとつ、宿を見つけた。

 

 

(本日のルート)

GPSログ

 

 金曜日の夜にはもう車で出発するから、準備の時間がなかった。もとより盛岡の土地勘がなかった。どこまで行くと何キロになるのか、一日でどの範囲をまわれるのか。僕にはひとつも知識がなかった。八幡平アスピーテラインの名前が浮かんだけど、盛岡からさらに奥まった山で、アプローチだけでも現実的じゃないことはぱっと見てわかった。

 そこでサイクリングに適したコースとしてどこか上がっていないかをネット上で探した。そんな自分の力量にあっていて盛岡市内を起点終点として──車が輪行と違って不便なのは、走り始めた場所まで戻ってこなくちゃいけないことだ──僕が楽しめる要素が盛り込まれていて一日という時間に収まる距離、なんていう都合のいいサイクリングコースなんてあるわけないじゃないか、と思ったら、あった。あるものだ。盛岡の自転車店「GRINS(グリンズ)」さんが提供していたコースだった。鉄道と川に沿った道、高原、牧場、悪くないね──僕はルートをGPSマップに入れた。

 

 市内のはずれにあったコインパーキングに車を入れ、東へ向かって走り出した。

 ルートはそのまま市内のはずれを外周するように環状した。北上川の支流、中津川に沿った道だ。一戸建ての住宅街でそのなかを行く。中津川はさらに支流の米内川へとわかれ、川によって導かれるままやがて緑多い景色へと変わり、左手からJR山田線が寄り添ってきた。いよいよ僕の好きな、道・川・鉄道のそろい踏みだ。

 しかしふだんと同じようにGPSマップを見ながら走るサイクリングながら、自分自身で引いたルートでないことがこんなにも違うかと実感した。盛岡という地で土地勘がないのも加わって、全体像としてどこを走っているのかがよくわからない。ルート上のポイントを自分で追加してきたから一度はルートを全部トレースしているものの、どことなく走らされている感がなくもない。

 

▼ JR山田線が寄り添ってきて風景をつかさどる役者がそろった

▼ 県道36号、米内川、JR山田線

 

 ルートは旧玉山村へ入った。現在は盛岡市編入されていて、ベッドタウン区画整理地があったりする。でも大半は水田。そういえば盛岡で作られるお米は何なのだろう。

 玉山支所前食堂という食堂があった。かつては役場前食堂って名前だったりしたのかな、などと勝手に想像する。ホルモン鍋、とでかでかと書かれた店はモツやホルモンで有名な食事処らしい。もちろん10時前の現時点では、のれんは出ていない。

 

 最終的には起点に戻る環状ルートだから、ポイントポイントで道路を乗り換え、進路を変えていくことになる。北上していたルートが西に向きを変えたとき、乗り換えた道路がやけに交通量が多いなと思った。車が途切れることがなく、大型車も相当量走っている。この道路が国道4号だと気づいたのは、道ばたに国道番号標識が現れて4と書かれているのを見たときだった。それまで気づくこともなく走りにくいながら走っていた。

 でも考えてみたら、自分でルートを引いたならこういった大幹線国道は滅多に選ばないから、まさか4号なんてって意識もあって、気づくことなく走っていたのだろう。おまけに片側一車線の分離帯なし、オレンジ色の中央線の道は、ほかの県道クラスと区別がつきにくい。

 一度それ、つまり国道4号を走っているのだという事実に気づいてしまうと、その区間がいやに長く感じる。小さな丘をひとつ越え、下りに転じた先で曲がれる道をGPSマップ上に見つけた。これから行こうとする小岩井、雫石に向かう県道にもやがて合流できそうだ。僕は国道4号を離れたい一心で、右折してこの道へ入った。

 

 木製の電柱だ。

 こんなものがまだ残っているのか、しかもまだ現役で。僕の記憶じゃ千葉の名も忘れた林道で見かけたのが最後だ。それはもう電線が外されてたっけ。だから木製電柱が生きた状態で残っていることは驚きだ。腐食などでの折損や倒壊のリスクから残しておきたくないものだと聞く。そうなんだろう、見る側の郷愁など勝手なものだ。

 そしていよいよ岩手山がまぢかにせまってきた。広い、高原地帯だ。

 

▼ 玉山支所食堂、ちょっと興味があった

▼ 木製電柱と岩手山の道、高原の風景

 県道278号、鵜飼滝沢線に入ると上り坂になった。森のなかを抜けながら標高を稼いでいく。天気がすこぶるいい。列島に何十年振りかの強い勢力の台風が襲ってきていることを忘れてしまう。雲の流れがきわめて速く、それが台風のせいなのかなと思い出す程度だ。岩手山が雲に隠れたり現れたりした。でもその全容を現すだけ雲が晴れることはなかった。どこかしらに雲がかかっていて、せっかくの晴天と滅多に来ることのできない岩手山の組み合わせなのに、こればっかりは口惜しがるしかなかった。

 ずいぶん坂を上った。急に開けた視界と道のへんげがピークと思わせた。森から抜けた一帯は別荘地のようだった。でも箱根や軽井沢や那須から比べたら、敷地の広さと点々とあるようすは、機能性よりもおしゃれさを重視した戸建てが建っている農家程度にしか思えなかった。

 そのうちの一本の砂利の路地を入って行ったところに喫茶「ぜん」があった。店は喫茶ともカフェとも言わず、茶小屋と称していた。真新しいウッドデッキのある建物を見ながら自転車を止めていると、あらようこそと中から僕より若干年上であろう夫人が扉を開けた。こんにちはと僕は店内に入るとやはり僕より若干年上であろうあるじがいらっしゃいませと言った。

 コーヒーだけ飲もうかと思ったけれど、メニューにあったナポリタンが美味しそうだったのでついそれを頼んでしまう。夫人はメモを取りうなずいてくれるが、よくよくメニューを見るとランチは11時半からと書いてある。「すみません、それじゃあ……」と再びメニューを見始めると、「いえいえ大丈夫です、作りますよ」とあるじが笑って言ってくれた。11時になったばかりだった。

 店の窓は大きな岩手山の額縁だった。窓に向かって付けられたカウンターに椅子が並び、テーブル席もならんで外を向くように椅子が置かれていた。

 磨き上げられた額縁のなかに見事におさまった偉山は流れる雲の速さから刻々と姿を変えた。それを眺めているだけでも飽きない。ここに来る人はこれを楽しみに来るのだろう。店は僕が入るときにいた女性ふたり組が去り、あとから女性のふたり組と老夫婦ひと組が入ってきた。

「自転車ですよね、どちらからいらしたんですか?」

 とあるじが聞く。

「埼玉からです。盛岡市内に車を置きまして、ひとまわりしてここまで来ました」

 と僕は答えた。

「ずいぶん上りましたね。ここがいちばん高いから、この先は下りですね」

「そうですか。よかった。これから小岩井や雫石のほうへ行こうと思っています」

「網張には行かないですか? であればもう下るだけですね。お天気も良くて何よりですね」

「ええ、実は台風を避けて、ここまでやってきたんです。関東はもう今日から雨です」

 そう言うとあるじは静かに笑ってうなずいた。

 

▼ 県道278号へ

▼ 喫茶ぜんから望む岩手山の風景

▼ 少し時間は早いけどランチ

 あるじと夫人に見送られて再び走り始めた県道278号は、あるじの言うとおり下りに転じた。標高600メートル余り、きれいな舗装の走りやすい道を緩やかなカーブで抜けながら標高にして100メートルばかり下った。

 それから緩やかな上りと下りを繰り返す道路になった。

 なんて気持ちのいい高原道路だろう。

 雫石町に入りそこは小岩井農場のなか。観光向け施設や公園を抜け、しばらく走ってもまだ広い牧草地は続いた。白と黒のぶちの牛たちが思い思いにくつろぐ牧草地もあった。2、3頭の牛が道を走る僕を眼で追っていた。

 高原道路の様相は、同じようなたとえば嬬恋や、八ヶ岳のふもとの野辺山や小海なんかとは違うものだった。同じ東北だって裏磐梯の道路なんかとも違う。岩手山のふもとをゆく高原道路はきっとここだけのものだ。

 正面に雫石スキー場が見えてきた。1993年の冬、スキーアルペンの世界選手権が行われたスキー場で、その頃スキーが大好きだった僕は滑走コースのイメージを記憶に刻んでいた。その形が正面に、どんどんと近づいてきた。

 

松ぼっくり」という、ジェラートを出す店があるというので、少しだけ網張に向かう道を進んだ。それほど車通りのない県道脇に、車があふれて止まっている駐車場があった。まさにそこだった。有名なお店のようだ。

 何種類ものジェラートがある。野菜をベースにしているものもあった。僕はせっかく来たのだからと、そういった珍しいものを選んでみた。トマトとかぼちゃを選んだ。なるほど、まあわかる。わかるけど、スタンダードなミルクにしておけばよかったな、と思った。

 

▼ 雫石のまっすぐな高原道路

▼ 小岩井の一本桜も広い農場の一角

▼ 雫石スキー場。ヨーロッパのそうそうたる選手を集めて世界選手権をやっただけのスキー場はヨーロッパ規模だ

ジェラート松ぼっくり。ここだけの混雑にびっくりした

 ウィンドブレーカーを着こんだ。

 ジェラートで冷えたわけじゃない。この高原の空気が涼しいんだ。

 下ろう。

 そして戻って盛岡市内を散策しよう。

 

▼ 盛岡三大麺とやらのひとつ、じゃじゃ麺は老舗白龍(パイロン)本店で

▼ そうしたら冷麺も食べないとね