自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

211系で最後の18きっぷ

 今季の18きっぷ最後の旅は、吾妻線に出向いた。自転車を輪行し、終点の長野原草津口まで乗った列車は、銀色の211系だった。

 吾妻線に乗ったのも久しぶりだったけど、高崎にやってきたのも久しぶりだった。輪行で下り始発の高崎線に乗ると、すぐさま信越線と両毛線に接続する。それから上越線に接続し、最後に吾妻線に接続する。吾妻線の列車に乗り継ぐのに30分以上の時間がある。

 吾妻線だけ何でこんなにも接続が悪いかなあと思うのだけどむかしから変っていない。むしろこの列車、数年前まで万座・鹿沢口行きだったのに、今は長野原草津口行きになっている。接続時間の悪さが改善されないどころか、運用も短くなってしまった。

 待ち時間は幸か不幸か、僕は高崎駅を発着する列車を眺めていた。

 すると信越線も上越線両毛線も、いまや211系ばかり。国鉄のころからのかぼちゃ色の115系は、両毛線の二本目にやってきた桐生行きだけだった。

 吾妻線に乗ってからもすれ違う列車を見ていたのだけど、115系とすれ違ったのは一度きり。それだけだ。


 211系は国鉄末期にそれまで東海道線東北線高崎線で使われていたかぼちゃ色の113系や115系の置き換えに登場した。やがてあらたなE231系、E233系が登場すると東海道、東北、高崎から役目を終えて去っていく。

 当初、211系たちは千葉、房総のローカル線を走ることになった。そのころ、この高崎ローカルが211系で置き換わろうとする気配はなかった。

 しかし房総各線の113系置き換えでの211系化も一時的なもので、すぐに置き換え役で入ってきたの京浜東北線を走っていた209系だった。それほど多くなかった211系は総武本線成田線に集められ、もとより外房線内房線を走った211系はごく限られた存在だった。外房、内房の両線が113系から209系に置き換わり、総武本線成田線も209系での置き換えが進んだ。やがて千葉県から113系と一緒に211系も消えた。

 いよいよ高崎ローカルと宇都宮ローカル(日光線東北線の宇都宮以北)に転属か、115系も終わりかと思いきや、千葉を離れた211系は中央本線篠ノ井線系統に入って行った。そして宇都宮ローカルは驚いたことに京葉線から離れた205系がやってきた。高崎ローカルはまだ115系が残った。

 中央篠ノ井系統の115系置き換えは早かった。あっという間に211系になった。帯は長野色の水色と淡いグリーンをまとい、いまやこの路線のほぼすべてをまかなっている。こっちに来たのかと思うと同時に、じゃあ高崎ローカルはまさか新車か? などと思った。


 いやいや、なにせ東海道、東北、高崎の大動脈路線を担ってた形式だ、中間車やグリーン車を廃車にしたとはいえ、多数の車両数を誇る系統だ。中央篠ノ井系統に入れたって余りある。



 冒頭に書いたように、僕が高崎ローカルにやってきたのはじつに久しぶり。211系が両毛線を走る姿は見ていたから、115系を置き換えていってるんだなって気づいてはいたけど、こうも銀色一色に変わっているとは思わなかった。東北高崎線時代は5両で編成を組成していたけど、今は中間をひとつ抜いて4両で。もともと幹線離脱後に短編成化できるようにと3両も可能な電車として製造されたし、じっさい中央線では3両でも走っているから、高崎ローカルはまだいいほうか。3両編成も見かけたけど。

 ここの211系はもとがかぼちゃ色の115系だったから、帯もオリジナルのまま。



 でもそんなことを考えると115系を2編成見かけたのは逆に奇跡的なことだったのかな。

 115系の電動機音が大好き。来たらいつもモハに乗ってた。

 輪行するには、あの半自動の手で開ける扉は重たくて難儀だったけどね。


▼ 211系長野原草津口駅にて

▼ この車両が山岳に行くのはまだ正直馴染めていない

▼ 夜の211系は物憂げさをかもし出せるようになってきた