自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

篠ノ井線に沿って(Aug-2017)

 篠ノ井線に沿って自転車で走ろうって思って、ルートを松本から引いた時点でもうこの路線のことを知らないということが明らかだった。よくよく考えればわかるのだけど、中央本線は松本の手前、塩尻で進路を南西に変えて名古屋へ向かうわけだから、松本がすでに中央本線じゃないんだ。今まで東京の高尾で松本行きの列車を見るたびに、中央本線が松本までつながっている印象を自分で勝手にすりこんでいただけ。

 基本に立ち返って塩尻から篠ノ井までが篠ノ井線であることを確認し、これに沿ったルートを引きなおした。そして僕はこの路線に沿って自転車を走らせた。天気に恵まれない日ばかりの2017年の夏の週末、運よく天気に恵まれた長野県を走った一日だった。


(本日のマップ)

GPSログ


 駅にはひとつひとつ寄って行ってみることにした。


 松本までは僕が中央本線と勘違いしていただけあって市街地、そこから少しずつ風景が変わって行った。せっかく来たのだからと欲張りごころを出して松本城に立ち寄ったら、にぎわいも越して歩くことが大変なくらいだったから早々に城外退去した。

 国道19号で明科へ、そこからは国道403号になる。

 国道19号は名古屋と長野を結ぶ幹線国道で、国道403号は途中センターラインも消えるようなローカル国道。国道403号も松本市内から通っているんだけど、篠ノ井線に沿って走ろうとすると国道19号から明科で国道403号に乗り換える恰好になる。


 どうやら今日、僕はツキがないようだ。駅によって写真を撮り、カメラをしまって走り始めるとそこに列車がやってくる。そうやって一本の普通列車と何本かの特急しなのを撮り逃した。

 ──もっとも列車の写真を撮ることを重要視していたわけじゃないからかまわないけど。

 道は、国道403号に入ってから俄然楽しくなった。徐々に山あいに入っていくも、沿道に集落を形成している。よく見ていると歴史がありそうな造り。あとで調べてみると国道403号がかつての北国西街道だったことを知った。篠ノ井線もこれに沿った経路選択された路線だ。



 篠ノ井線の各駅舎はどこも新しくなっていた。建て直したものもあれば、リノベーションで対応したものもあるだろう。しかしどれも判で押したような造りだった。こげ茶色の格子をアクセントに和風の家屋のような駅舎。ビルのような大掛かりな建物もはもちろんないが、洋風なものもなければ最近の無人駅に多い、とりあえず建屋だけあります的マッチ箱のようなプレハブ駅舎もない。完全な無人駅の造りじゃなく、駅務のできる事務所を備えている。いちいち駅のなかを確認してまわったわけじゃないので、無人運用の駅もあるかもしれないし、係員を配置しているところもあるだろう。初めのうちこそきれいに、周囲との調和も忘れずに造られたいいデザインだなあと思って見ていたけれど、そろいもそろってこう似通っているとだんだんと飽きてくる。しまいには「またこれかな」と想像してしまうまでになった。

 そういう点で言うと最も古い駅舎を残していたのは村井駅だろうか。ここは中央本線のトーンが色濃い松本以南。松本までは金太郎飴駅舎ではないから残されているのかもしれない。といっても開業当時(明治時代)からの古さを感じるわけじゃない。2代目なり3代目だと思う。



 道に戻ろう。

 明科から山あいに入っていく国道403号は、西条に向かってだんだんと道が細くなっていった。勾配もきつくなり、そこで片側交互通行の工事信号。上り勾配での片側交互通行はきつい。工事箇所の左には真新しいトンネルが口を開けていた。工事はのり面か災害破損の対処と言ったところか。この真新しいトンネルが開通すれば対処もいらなくなるのだろうに。もう少しだっただろうに大変だ。

 片側交互通行は3箇所もあって、うち上り区間には2箇所あった。そのうちのひとつがきつくて長くて苦しかった。偶然にも対向車はなかったのだけど、片側交互通行区間の終わりで反対側の信号を振り返って見るとすでに青だったから、通行規制時間の青信号中に抜けられなかったってことだ。

 精神的に追いつめられると弱いのか、ここでかなり力を使ってしまい、まだ半分も来ていないところで早くも消耗を感じていた。

 ピークを越えると西条に向かって下りで、西条駅前の商店で休憩した。そこから坂北へもおおむね下り。この段階で、あとは次の聖高原に向かって少し上る程度で今日は終わりかなあ、などとありもしない楽観論が僕の意識を埋めていた。


 坂北の駅では貨物列車が止っていた。電源も落としているのだろうか、機関車も鉄の塊のように静かだ。まるで置きものか静態保存のようにとどまっているように見えた。

 先に進む。

 じっさいには聖高原の駅など上りの序の口だった。

 ゆるゆると上りが続き冠着(かむりき)駅。この駅前でもう一度休憩したが、もう駅前から続く道が急な坂になって山に吸い込まれているのが見えていた。

 冠着の次が日本三大車窓で知られる姨捨駅。駅の標高は冠着よりも低い。というかもうここから先篠ノ井に向かって下り一辺倒だ。駅前からの上り坂に違和感を感じつつも、これで一段落とほっとして、飲んでいた甘いアイスコーヒーを飲みつくすと、ゴミ入れに捨てた。


 篠ノ井線はすぐにトンネルに消えた。

 鉄道線路は見えなくなり、そばの花が一帯を覆った。そば畑は段々畑で、それに沿って道は上っていく。僕の行く道は、聖高原を過ぎてから国道403号を離れ、県道になっていた。今、目の前の道は494号。

 そばの段々畑は進むにつれて間隔が狭くなって、結果的に勾配がどんどんきつくなっていった。上りはどこまでも続いていて、駅前で見た「冠着山登山道」とあった看板をまた途中でも見かけた。登山の人も歩くような道ってこと? そしてさらにきつい。死んで苦しんでまた死ぬような県道番号は、何度も僕の足を止めさせた。

 車もまったく通らない。道路の舗装はきれいだけど、センターラインなどない場所だ。上っていくにしたがってそば畑も終わり、藪と森に変わる。ひとりの僕は若干の不安を覚えて鈴をつけた。

 ガーミンに表示されている地図を見ると、篠ノ井線は僕の下にいながらもずっと点線で描かれている。つまり、鉄道はここを長大トンネル一本で貫き、駅間の標高差通りに姨捨に向けて下って行ってるに違いない。僕は篠ノ井線にフラれ、厳しい──10%もいよいよ越えたように感じている──上り坂を何度も休みながら上った。休んでも休んでも、休憩にはならなかった。


 そして、僕は驚きの風景に出合うことになった。


▼ 県道494号の終点。古峠と書かれたそこは雄大な千曲川の流れる善光寺平そのものだった


 日本三大車窓篠ノ井線姨捨駅からヘリを飛ばした空撮ならこんな風景に違いない。姨捨駅のスイッチバックだって、はるか彼方の眼下だ。


 僕は、ルーティングを間違えたのだ、きっと。

 もっと国道403号を活用すべきだった。勾配ばかりきついルートはやがて林道になり、その下り坂を駆け下りた。一車線ぎりぎりの狭い道を300メートル以上下ったところで、動物よけのゲートさえあった。僕は初め、通行規制のゲートかと思い肝を冷やした。この下った坂をもう一度、この急激な勾配を上ることは不可能だったから。それに車も来ない人もいない林道はつねに手で鈴をたたいていなくちゃならなかった。鈴は揺れれば鳴るけれど、揺れなければ鳴ってもくれない。上りでもそうだけど下りはそのまま下げているだけじゃほぼならない。自転車につけた鈴は意外にも揺れないのだ。僕はお飾りになりかけている鈴をずっと指でひっかけたり無理に車体を揺らしたり、いらない急ブレーキをかけたりしながら鳴らし続ける必要があった。

 それに姨捨駅に向かって、林道は明らかに下りすぎていて、棚田や果樹園のあいだの細い道を上り返さなきゃならなかった。駅はもう少しの近くまで来ているのに、上ってまた下ってまた上った。田畑のなかの路地みちは勾配が20%くらいに思えた。

 国道403号に戻っていれば、きっとこんな過酷さはなかったんじゃないだろうか。


 見たかったスイッチバック駅での列車交換は、もう一時間も前だった。全然間に合わなかった。冠着から鉄道線路での下りを走ったって間に合ったかどうか怪しいほどだったけど、それでも一時間の峠の回り道をしてきたのだ。


 姨捨駅が僕を迎えたのは列車交換の光景じゃなく、大量の観光客だった。

 駅舎内、上りホーム下りホームにも人だかりがあって立錐の余地がなかった。どこからこんなに人がわいてきたのだろうと思うほど、姨捨駅は人気だった。疲労困憊のあまり駅のベンチに座ってコーラでも飲もうと思っていたのに、座れる空きなどなかった。

 しばらくして、

「まもなく長野行きの列車が入ります」

 と駅舎内に放送が流れた。

 駅舎内にいた人たちもみなホームに出ていった。やがて坂を下って211系電車がホームに入ってきた。扉を開け、扉を閉める。すぐに列車は後退していった。スイッチバックだからいったん後ろに下がって行く。

 列車が停車したときに放送はなかった。発車のときにもなかった。多くの人は入ってきた列車にシャッターを切り、あるいはビデオを回した。それが扉を閉め、スイッチバック線路を後退していくまで続いた。列車に乗ったのはごく一部の人で、このなかに乗客はあまりいないのだ。駅の放送も乗客向けじゃなくて観光客向けなのだ。

「それでは○○ツアーのみなさまは出発になりますので、バスに急ぎお戻りくださ~い」

 と、どこにいたのか旗を持った女性添乗員が、列車の出発を見送った客に言ってまわっていた。

 日本三大車窓も、善光寺平を望むよう線路ではなく外を向けて置かれたベンチも、蒸気機関車輸送時代からの遺産として残っているスイッチバックの駅も、ホームも線路も配線も、なんだか急に作りもののように思えてきてしまった。誰かに仕立てられた服を着せられているような気分になった。僕までが観光バスのツアーに乗っかってやってきた申込者のようだった。

 バスのツアー客がいなくなっても、自家用車で訪れているたくさんの観光客が風景やスイッチバックの線路や駅やホームの写真を撮っていた。僕だって一緒になって写真を撮ったり駅構内を自由に散策したりすればよかったのだ。何も気にすることなく。でもそうするには、僕はくたびれ過ぎていた。

 姨捨の駅もまた、金太郎飴駅舎だった。


塩尻駅

▼ 広丘駅

▼ 村井駅

平田駅

南松本駅

松本駅

▼ 平瀬信号場

▼ 田沢駅

▼ 明科駅

西条駅

▼ 坂北駅

聖高原駅

冠着

姨捨

▼ 桑ノ原信号場

稲荷山駅

篠ノ井駅