自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

静かな那須めぐり(Aug-2017)

 確かに5台よりは多かったと思うが、10台より少なかったように思う。すれ違う車に追い越して行った車を足しても、間違いなく20台には満たなかった。もちろん自転車とすれ違うこともない。歩く人もいない。ときに強烈な斜度も現れるこの一本道の坂道は、大観光地那須とは思えない人知れぬ道だった。4台の自転車が、この道をゆっくり、時間をかけて上っていく。


 なにしろみんなが初めましてという状況でのサイクリングで、どのくらい走れるのか、どのくらいのところまで行けるのか、何もかもが未知数。正直ルートを引くのも勘に頼るほかなかった。場所だけは最初から話題に上がっていた那須、どんなふうにコースプロデュースするかを顔ぶれから決めようなんてことはできなかった。


 東京・世田谷のMさんと福島・二本松のAさんとの会話のなかで、僕が「じゃあおふたりのあいだを取って那須ですね」などとうかつなことを言い、それにふたりが「それはいいですね」「行きましょう」と呼応して引っ込みがつかなくなったのが事の発端だ。あるいはふたりとも社交辞令であったかもしれない。僕にはそれが判断つかなかった。

 それとは別に自分の興味で那須周辺の地図を眺めていたときに、那須高原の栄えた中心とはずいぶん離れた場所に「深山ダム」と「沼ッ原(ぬまっぱら)調整池」と書かれた場所を見つけた。その見つけたという興味だけで情報を集め始めると、沼ッ原には大きくはないが湿原が存在することを知る。

 僕はここへ行ってみたくてたまらなくなった。

 地図を見ると深山ダムと沼ッ原湿原に向かう道はそれぞれ別だったので、一日のサイクリングで順当に考えるならどちらかの一択。僕は沼ッ原を選んだ。起点は黒磯駅か──。そうすると見たいって思っていた板室温泉の街なみのなかも通って行けそう。僕は黒磯から板室温泉を経由し沼ッ原に上り、下って那須を突っ切り白河へ向かうルートを考えた。白河ラーメンを食べるのも悪くない。

 ──そのときにふと思い出した。


 那須の話はまるで段取りが決まっていたかのように進んだ。社交辞令なんじゃなく、まるで僕が計画をなかなか立てず、出すものも出さずにいたようでさえあった。日程が決まりルートを決める。僕の興味本位の沼ッ原湿原がそのまま採用され、ただし輪行をしないAさんは車で来るとのことから、黒磯の那珂川河畔公園を起点・終点にするルートで組んで提案した。距離にして60キロと少し。これまで聞いている話からすればおそらくふたりには問題ない距離だろうと思った。

 ルートは、観光スポットとか有名なお店を通ることや観光の車が使う道をできる限り避けるようにした。これは僕個人の好み。那須の混雑する場所はいやだった。車や人が多いことももちろんだけど、そういった場所で「観光地に呼ばれ、遊ばされてる」雰囲気を、遠目にさえ感じてしまうこともいやだった。

 とはいっても見どころのほかに食事の場所や休憩できるカフェなんかの情報を収集しておいた。GPSiesで引いたルートにそれらのポイントを加えていく。そしてそれらがなるべく散っているように選んだ。なにしろどのくらい走る人たちなのか知らないのだ。行程に対する時間が読めないから、どこで昼食になってもいいように、どこで休憩したくなってもいいように、いくつかの場所を用意し、ちりばめるように、ルートと外れた場所であってもとりあえずポイントは入れ込んでいった。

 さらなる情報収集として、ここのところ会話させてもらっていた、栃木の大田原に住むYさんにいくつかの相談を持ちかけた。「沼ッ原はなかなかきついですよ」──そのとき相談のなかで出た話題だ。

 考えてみたら僕は地図上の沼ッ原調整池、沼ッ原湿原に惹かれてルートを引いたものの、コースプロフィールをよくよく見ていなかった。Yさんの言葉を受けて引いたルートの標高をあらためて見ると、なんと沼ッ原は1,300メートル近い場所だ。出発する黒磯が300メートルと少しだから、「これはえらいルートを用意してしまったのかもしれない」と前日になって初めて気づいたのだった。僕はあわてた。



 だから僕は初めましてのあいさつもそこそこに、まずはコースプロフィールについてふたりに詫びる必要があった。「知ってましたよ~」とAさんは笑う。「ゆっくり行けばいいじゃないですか」とふたりは言ってくれた。僕は少しほっとした。

 そんなことを朝の那珂川河畔公園で話していると、写真で何度も見た覚えのある黒いキャノンデールが現れた。まぎれもない、昨日いろいろな相談に乗ってくれたYさんだった。サプライズだ。相談のときに見てもらっていたルートと時間から、ここへ乗りつけてくれたのだ。初めまして、よろしくお願いします、そんなあいさつが四方向で飛び交い、僕はMさんAさんYさんと一緒の4人でのサイクリングに臨むことになった。


(本日のマップ)

GPSログ


 走り始めた河川敷の道は、那珂川河畔公園から鳥野目川河川公園につながる公園内の道だった。園内の自動車のスピードを抑制するために50メートルおきくらいにバンプが設置してある。僕らロードバイクもいちいちはね上げられる。うっとうしいけど仕方がない。

 黒磯から板室温泉へは板室街道が一本でつないでいるけれど、僕はできるだけそこを選ばず、裏手の道をまわるよう引いた。公園を抜けるとむしろ公園内よりも車の量が減った。ほとんどすれ違わない。雑木林とあいだあいだに水田が現れる道を、わずかながらの上り勾配で進んでいった。しばらく走るのちに、「ここ、母親の実家なんです!」と目の前を通り過ぎる家を指差しYさんが言う。「ええっ!?」「本当ですか」──交通量のほとんどない道で少しだけ並走してそんな会話を交わすと、少しずつぎこちなさがほぐれていった。

 やがて板室街道しか選べる道がなくなって、片側一車線、オレンジの中央線の道を走る。でも交通量はそれほど多くなかった。安心して走れる。道はずっと上っていて、負担がほとんどかからないなかで標高を100メートル以上稼いだ。ずっとこういう上りだったらいいのにと思う。僕のそんな邪念を見透かされたのか、下り坂が現れた。それもなかなかの勾配と距離で下る。自転車は加速しどんどん進むが、そのぶん稼いだ標高を一瞬にして吐き出してしまった。

 板室温泉の細い路地で自転車を立てかけると、

「しばらく、下って上ってが続きますね」

 とYさんが言う。そうなんですか、と答えると、「でもそれが終わったらひたすらの上りです」と言った。


 木造の加登屋本館は、古い町なみの板室温泉のなかでも異彩を放っていた。狭い道路に目いっぱい張り出して建てられた建物は、圧倒される強い迫力を感じたし、道の屈曲に余すことなく合わせた曲がり具合がその独特の印象を強調している。国の有形文化財に登録されたと書かれている。加登屋本館と摺り込まれた正面のガラス戸の奥には、ズラリとスリッパが並べられているのが見える。あれ? ここはもう宿泊はできないのでは……。

「泊まりたいですねえ」

 とMさんが中をのぞきながら言った。僕は、

「もう泊まることはできないみたいです」

 と答えたが、帰って調べてみると宿泊もできるようだ。

 圧倒されるがままに写真なんかしばらく撮ったあと、次に進みましょうと自転車に乗る。

 この先へ進む道は温泉街の途中から分岐している。加登屋本館は温泉街の最も奥にあるから一度戻る必要があるのだけど、Uターンして温泉街を奥から眺めた風景が良かった。風景というのは反対側からも眺めてみるものだ。印象が違って感じられることがある。

「そこを流れる川はもしかして……」

 道に並行してせせらぎの音が聞こえてくる。その川をYさんに尋ねた。

「ええ、那珂川です」

 那珂川といえば、茨城県水戸市ひたちなか市のあいだで太平洋にそそぐ大河だ。烏山のあたりじゃ澄んだ清流でアユを釣ったりヤナを組んでアユを取ったりする。それがこの川なのか──。ここに来て、川の長さ、大きさを実感する。


▼ 素朴な街なみの板室温泉に入っていく

板室温泉の最奥、加登屋本館

 沼ッ原へ向かう一本道に入る前に、みんなで乙女の滝に立ち寄ってみた。自転車を置き、整備された階段を下っていくと清流の河畔に出た。そして奥には大きな一枚の滝がある。轟音とともに真っ白な水のカーテンがかかっている。なぜこの滝が「乙女の滝」という優しげな名前なのだろうと疑問を抱くほど、勇壮で雄々しい滝だった。滝壺のそばまで行けますよとYさんに促され、河畔の大小の岩をひとつひとつ乗り換えながら歩いた。滝壺に近づけば近づくほどその迫力が大きくなってくる。落ちる水の音の厚みがすさまじい。そしてその重々しい水のかたまりはすべて吸い込まれるように滝壺に消えていく。滝壺を満たした水は乱れることなく、重く一直線に落ちる水を受け止めていた。一帯は砕けた水しぶきが霧になってあたりを覆っていて、それがメガネや服を僕らを濡らした。

「今日は水量も多いなあ」

 とYさんがつぶやいた。

 ちょっとした寄り道だったけど、立ち寄ってよかった。僕は満足して駐車場への階段を上った。

 駐車場は何台かの車が止められているだけで、寂しい限りだった。いつでもこんなに空いてるんですかと聞くと、もっといますよとYさんが言う。紅葉の時期なんかはいっぱいです、と。なるほど紅葉はきれいそうだ。しかし駐車場にある売店はシャッターを閉ざしている。ここも車の多いときにはやっているんですかと聞くと、ここはもうやってませんとのことだった。僕にはここが混雑する絵が思い描けない。

「ここで自販機最後です」

 とYさんはみんなに声をかけた。「もっとも動いていればですが」

 確かに売店がシャッターを閉ざしていると自販機の電源も落とされていることだってあるかもしれない。近づいて、硬貨を入れてみると動いていることがわかった。

 めいめい、ボトルに補充する飲みものを買う。僕はボトルのスポーツドリンクはそのままに、ピーチネクターを買って飲んだ。スポーツドリンクは飲み続けていると味に飽きて、やがて口をつけられなくなってしまうので僕はよくこうする。スポーツドリンクはボトル一本分。このボトルを一日持たせつつ合間合間の休憩で別の飲みものを買って飲む。自販機の前に立って衝動に駆られたピーチネクターでのどを潤した。


▼ 迫力の名瀑、乙女の滝


 道路は雲海のなかに入り、抜けて晴れ間に出て、また雲海に入った。沼ッ原への一本道は気味悪いほど静かで、板室街道では聞こえてきたウグイスをはじめとした鳥の声もひとつも聞かれないし、この時期じゃどこの山へ入って行ったって当たり前のやかましさの蝉の声もまったくなかった。自分の乱れた呼吸が周囲に届くんじゃないかと思うほど。

 7キロの上りを終えた駐車場は雲海のなかだった。一本道で数えるほどの車としかすれ違わず抜かれずだったのだから当然だけど、駐車場にも車はまばらだ。

「きつかったですね」

 とみな口にする。地元をよく知るYさんも、車で来て山歩きをしたことはあれど、この道を自転車で上ったのは初めてだそうだ。自転車を置くと、まず眼下にある沼ッ原調整池を見に行ってみる。Yさんを先頭に数十メートル歩くが、何も見えない。

「すぐ目の前なんですが……」

 みんな背伸びをしたり木々のあいだをねらってみたりするが、たぶん、そんなことをしないでも目の前にあるのだろう。それだけ僕らを包んでいる雲海が濃く厚いのだろう。それでも少ししてから一瞬、護岸された調整池の一部分がうっすらと見えた。確かにまぢかにある。

 それから散策路を下りて木道に出て、待望の湿原を歩いてみた。湿原は素晴らしかった。完全な草原になってしまった戦場ヶ原やこちらも間もなく枯れて草原になってしまうであろう小田代ヶ原を見てきたこともあって、これほど見事に湿原として残っている場所は久しぶりだ。Aさんも「浄土平なんかは枯れてきてしまって」って言う。沼ッ原の水たまりのなかにはイモリが元気に動き回っていた。

 規模もちょうどいい。一周1キロに満たないくらいだろうか。尾瀬なんかそれこそ一日二日がかりだし、そうなるとそれ目的で行くわけじゃない僕などが出かける場所じゃなくなる。その点ここは小一時間もあれば散策が楽しめるから、こうやってサイクリングに組み入れて来ることができる。もちろんしっかり楽しみたい向きには縦横にあるトレッキングルートにつないで、茶臼岳に上ることもできるし──じっさいYさんは那須の紅葉を楽しむときはここから茶臼岳に歩くそうだ──、南は塩原温泉方面へ、西は山を越えた会津西街道、下郷へ抜けていくことさえできるそうだ。

「今、ちょうど花のない時期なんですよ」

 とYさんが言った。「ニッコウキスゲは終わって、リンドウはまだ。何もないんですよね」

 なるほどそういうものかと思う。僕は花には疎くて、逆にこの湿原全体の風景をこの空いている時期に楽しめたのであればかえってよかったなと思った。

 だってぞくぞくするほどまるで別の時空の広場なのだ。今ここにいられるだけでうれしいし素晴らしい。


▼ 霧雨に濡れた沼ッ原への上り一本道

▼ 沼ッ原調整池はほぼ見えなかった

▼ 沼ッ原湿原は人も少なく素晴らしい場所


 僕は大満足で自転車に戻った。

 目的にしていた板室温泉の街を散策できたし、事の発端だった地図で見つけた沼ッ原にやってきて、湿原まで散策することができた。途中見つけて立ち寄れればと思った乙女の滝も想像以上で豪快だった。

 でも行程上はまだ旅の途中、ちょうど半分の場所だ。おなかだって空いている。

 時刻は13時を過ぎている。下ってお昼にしましょう、そう言って僕はウィンドブレーカーを着こんだ。Mさんも。標高差600メートルを一気に下るには寒い。


 別荘地の区画整理道路にはそこかしこに進入禁止の私設標識と「別荘地につき関係者以外の立ち入り禁止」と書かれた標識が立っていて、そこにカフェがあると知らなければ一帯に入っていくこともたじろぐほどの場所だ。区画の入り口には閉ざされてはいないものの大きく重いゲートが構えていたし、区画内を歩く人もいなければ車も走っていなかった。

 だからやっと見つけた店でまず自転車を止めるよりも先に扉を開け、店主に「食事をすることはできますか?」と聞き、了承を得るまでは安堵できずにいた。

「ええ、どうぞどうぞ。よくお越しくださいました」

 とにこやかに迎える店主に対し、

「みんなしてこんな自転車の恰好なのですがよろしいですか?」

 とまで僕は聞いた。場、というか、この地域一帯にさえ不釣り合いに思えたから。

「もちろんです」と店主はまた笑顔で答え、一緒に店から出てくると、「自転車はどうぞその辺に立てかけて止めてしまってください」と案内までしてくれた。

 こんな場所だし、というのはあまりにも失礼だけど、他の客はもちろんいなかった。どこでもお好きなところへと親切に案内された小綺麗な店内はきわめて静かで、その静かさにどことなく不安な気持ちをかき立てなくもなかったが、もちろんいくつもの扉をくぐって行かなくちゃならなかったり、その過程で髪をとかして履き物の泥を落としたり、金属製のものをすべて外したり、顔にクリームを塗ったり、髪に香水をふりかけたり、からだじゅうに壺の塩をもみこんだりすることもない、ごくごく自然な安心できるカフェだった。

 前菜のジュレから始まり、それぞれが頼んだランチメニューは野菜をふんだんに使った満足いくメニューだった。そしてこれで千円とは驚きだった。


 食後に那須の台地をもう一度850メートルまで上り、そして下る。パイを食べに行きたいのですが、などと僕は勝手なことを言い、三人を引き連れてまわった。その店のパイはアップルパイなどに代表されるスイーツ系と食事にもなるミートパイ系がある。食事を済ませた僕らは思い思いのスイーツ系パイを頼み、コーヒーをいただいた。


▼ 別荘地内で見つけた「Crafts&Cafe えな」

▼ 温かみのある店内で時間ぎりぎりランチをいただいた

▼ パイの店、タラゴン

▼ ブルーベリーパイとコーヒー


 帰路もまた、観光に使われる主要道路をすべて外した。まるで那須に来ているとは感じられないほど。ごみごみした人だかりと、渋滞の那須とは程遠い、水と緑と静寂の那須を堪能していく。唯一大観光地那須を実感したのは、那須街道県道17号を横切るときに、車が途切れずにかなり待たされたことくらいだ。

 夕刻17時を回り、森のなかではひぐらしがかなかなかなと鳴いた。高度を下げてきて少しだけ蒸し暑さを覚える風が流れた。終わりを告げたヒマワリ畑では花がみな下を向いていた。水田では黄金色の稲穂がつき始めていた。

 黒磯の那珂川河畔公園に戻るまで、そんな道を走った。サイクリングの終盤は街なかに戻ることが多いせいか、どうしてもごみごみした道、交通量、渋滞やたくさんの信号に紛れ込むことが多いから、このルートは最高の終幕だ。自画自賛じゃないけれど、僕ひとりでこの最後のルートを走りながら「いい、最高だ」と口にしていた。


那須の旅の終わりを惜しむ帰路

 今日そろったメンバーはばらばらのところから集まった。戻った那珂川河畔公園からまたそれぞれの場所に帰っていく。Aさんは車で二本松へ向かう。Yさんはこのまま走って大田原へ帰る。Mさんは輪行して都内世田谷へ帰るし僕は埼玉へ帰る。

 そしてまた、どこかのステージでばらばらの場所から集まってきて一緒に走るのだろう。今日一日過ごしたのと同じように。