自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

富士と水と桃と/山梨県東部・峡東/桃の巻 (Jul-2017)

(前篇:富士と水と桃と/山梨県東部・峡東/水の巻 より)

 

 旧御坂峠にたどり着き、天下茶屋に腰を落ち着けた僕らは、ここまで上ってきた御坂みち旧道の県道708号のよさを話していたかった。かつて太宰が逗留した建物がそのままに、その座敷の片隅で御坂山系の湧水で淹れたコーヒーを飲んでいると、この古民家を風が涼しく通り抜ける。そういう場は完ぺきに整っていた。

 もちろん、ぽつりぽつりとその話題になる。が、少しすれば途切れる。KさんにもSさんにも、そして僕にも、どうしたって道の途中で出会った熊の姿が焼き付いて、よみがえってきてしまう。

 

 御坂みちが河口湖を離れ、浅間神社の脇を過ぎると本格的な上りが始まった。

 今朝大月駅から走り始めた僕らは、全般的に上り基調の道で、途中勾配のきつい区間もあったけれど、山に上るような本格的なものではなかった。路地みちを選んだルートは思いがけず琴線に触れ、好奇心に任せてそこかしこで止っては風景で、道で、心を満たし癒やしていた。

 早めのお昼に吉田うどんを食べ、富士吉田から河口湖に抜け、いよいよ御坂みち。しかも旧道が始まる。僕の大好きな峠のひとつだ。

 僕は何度かこの旧御坂峠に来ているけれど、いずれも御坂側から上っている。河口湖側から上るのはこれが初めて。きっと違った雰囲気が楽しめるに違いないと高揚していた。

 

 そうは言っても現代の御坂みちである国道137号は甲府盆地富士五湖を結ぶいちばんの幹線道路で、その交通量となるとすさまじい。数珠つなぎに走る車列はまるで、自動運転の実現した車たちによる等間隔車間距離のよう。同じように交通量の多い国道139号は路地みちを選ぶことで避けた。しかしながらこちらは避けようもない。ほかに道もないのだ。御坂山系を一気に貫通する御坂トンネルまではこの国道137号の一択になる。

 そのトンネルの手前で旧道が分岐する。そこまでがきつかった。現在の国道137号の勾配はきびしく均一で、淡々と上るしかなかった。会話は途切れ、自分のペースだけで走る。現国道の区間がきついというのは御坂側も同じだ。おそらく旧道に入ればこの坂も終わるだろうと思い、上っていく。

 やっとたどり着いた分岐でまずひと息ついた。そして旧道に行こうとするのだけど国道137号を横切ることがなかなかできない。御坂側から来たときは旧道は左への分岐だった。河口湖側からだと旧道は右に分岐する。旧道に用のない現代の国道はその交差点に信号も設けない。車が切れるタイミングを計るのだけどそれは一向に訪れなかった。いささか強引に、自分自身に「せーの」と声をかけて横切る必要があった。

 それからすると旧道の静寂ぶりはどうだろう。

 ハードロックのライブに行き、その帰り道で街に出たときの耳の落ち着かなさを思い出す。大きな音に耳が麻痺して、音圧の格差についていけないのだ。車が走るか走らないかだけの差なのにそう感じる。車が走るということはそれそのものが騒音を起こしているのだ。

 

 旧道たる県道708号を走る車は数分に数台が通る程度だ。

 眺望はないけれど、林間の道には良さがある。林を抜ける風は涼しいし、路面や僕らを照りつける夏の日差しすらやわらかく感じる。マイナスイオンっていうのはわからないけど、木々たちが光合成という名の呼吸で発する酸素が降りかかってきて、それを全身に浴びる。三人で雑談を交わしながら──そう、勾配も雑談が交わせるだけの緩やかさになった──、この心地よさを実感しながら上った。

 クマだっ、と最初に叫んだのはいちばん後ろにいたSさんだった。そしてすかさず先頭のKさんが止る。

「木の上!」

 林のなかの木の一本を、上から下に向かって垂直に駆け下りる黒い物体が目に入った。確かに熊だった。そのまま崖の下へと消えていき、目に残像だけが残った。

 近くはなかった。しかしながら遠くもなかった。50メートルからせいぜい100メートルくらい先だったか。目の裏に残った残像を紐解くと、体調が1メートルくらいの小熊に思えた。それでも大きく感じた。重たそうで、相撲取りのようだった。それなのに、木の幹を垂直に、落ちるではなく下りて行った。俊敏で軽快だった。あの大きさであの素早さは何なのだろう。そもそも木を垂直に下れる技術って何なのだろう。

 僕がいちばん発見が遅かった。あるいはひとりだったら発見できただろうか。そして何もできなかった。もう一度同じ場面があったとしても何もできない気がした。下り坂を全力で逃げるとか、原始的だが死んだふりをするとか──その正誤は別にしても──、そんなこと何ひとつできない気がした。立ち尽くすだけだった。

 周囲をよくよく確認し、三人でもう大丈夫だと確証を得てからゆっくり、先へ進んだ。

 

 

 かつてスキーをやっていたころ、スキースクールの校長が経営するペンションに泊った夜、飲みながら熊の話になった。夏場にネイチャーガイドもやっている校長は、最近スキー場周辺まで下りてきている熊がいると言った。

 酒のつまみ話で聞いている僕にとって、それは非現実の動物でしかなかった。せいぜい童話やおとぎ話に出てくるかわいい仲間であり、愛らしいキャラクターでしかなかった。「けもの」という音の響きにも実感が持てなかった。

「それってスキーやっていて突然会ったりする可能性あるんですか? あるいは夏場に散策で歩いたりしているときに。なにか予兆とか前兆で気づくってことないんですか?」

「だいたいいるとわかるんですよ。なんて言うか妙に臭うんです。獣くさいって言うか、独特のね。糞を見つけることもありますけど、何といっても獣の臭いでしょうね。さっきまでここにいたんだなっていう。それを感じたらその一帯からは離れて近づかないことです」

 

 

 三人で熊が駆け下りた木の横を通過する。気配はもうない。僕はスキースクールの校長の話を思い出し、鼻を利かせてみたのだけど、特に感じるものは何もなかった。あるいは僕の鼻がいけないのか、獣くささというのはひとつもなかった。もしかするとただの酒の席でのつまみ話にすぎなかったのかもしれない。

 ふたりに一度止ってもらい、バッグ鈴を出してハンドルまわりに下げた。交通量の少ない山へ入っていくことが多い僕は、どれだけ役に立つのかわからないけれど、鈴をバッグに入れている。

 御坂みち旧道は県道だ。林道ではないし、交通量が少ないとはいえ数分で何台かの車は通過している。大型車だって走るしバスも時刻表がある。御坂峠からこの河口湖側は交通量も多いほうで、管理の行き届いた幹線道路と言っていい。やがて落ち着いてきて、意識下でその状況がマッチングできると、ただただ驚きに変わった。ひとりで無法にゲート越えをした林道とはわけが違う。

 

 朝、大月駅を出発したとき、南の空に富士山が浮かんで見えた。わずかながらの雪渓を残しつつ、山は夏の色をしていた。山というのは不思議だ。季節によって衣替えをするように色が違って見える。それは雪や木々の葉によるものじゃない。季節ごとの空気の違いで光の屈折が変わり、目に届く色が違って見えるんじゃないだろうかって、僕はそう勝手に思っている。夏色の富士は低い薄ぐもりのなか、おぼろげな裾野とはっきり映る山頂部とを見せていた。これが何とか持ってくれて、御坂峠から見えるといいんですけどって、正面に見える富士山を見ながら走っていた。

 でも夏の風景はやっぱりそうはうまくいかない。どすっと重めの空気が遠景を阻んでしまう。お昼どきであればなおさら。旧道の林の切れ目から見る南方の風景には、もう富士山はいなかった。

 峠に着いたことは、路上駐車されている車の多さでわかった。みな車から降りて河口湖を見下ろす風景を楽しんでいる。僕らも同じように自転車を立てかけ、河口湖への風景を眺め見た。空気が澄んでいればその後ろに富士山が控える。太宰が言うところの風呂屋のペンキ画であり、芝居の書割がここに控える。

 やっぱりそれを期待している自分がいる。旧道の途中でもう、今日は富士山を見ることができないとわかっていながら、残念に思い、晩秋に再訪か、などと考えている自分がいる。見えない季節に期待だけ抱いて来るからいけないのだ。

 さてコーヒーでも飲みましょうと天下茶屋に入った。

 止った車から降りた婦人はすかさず日傘を広げる。別の車から出てきた若い女性は涼しげなワンピースで、風で流れる裾と、長い髪を押さえながらかかとの低いパンプスで歩いている。

 ここは富士五湖にいる延長、避暑地・観光地の流れをそのまま持ってきているのだ。誰ひとりとして道中に熊がいることなど知らない。おおよそ熊が出る場所と来訪者とが似つかわしくない。

 そう考えると車とは、河口湖からここ御坂峠までの道中をまるで編集でカットするように、移動を可能にした乗り物だと思う。瞬間移動──テレポーテーション──を実現する機械と言ってもいい。入口の扉が河口湖畔にあり、それを開けるとこの御坂峠に出られるどこでもドアをくぐってきたようなものだ。ワンピースや日傘と熊の出る道はそぐわない。

 だからあえてもう、熊の話題もそこまでに、この御坂峠や今日のサイクリングの話をするのだけど、なかなか長く続かなかった。

 

 天下茶屋はそもそも峠の茶屋で、店員の愛想は必ずしも良くない。おまけに最近は昼どきを中心に混むものだから、混んでいればなおさらかもしれない。でも古くからのこの建物はきれいにしてあるし、建てつけの悪いむかしながらの木枠のガラス戸も、アルミサッシに替えられることなく健在だ。そんな畳間の一角で、外から斜めに入り込む日差しとその向こうの風景を眺めるのは至福だ。富士の伏流水もおいしかったけど、御坂山系の水もうまい。コーヒーが、身体に沁み入っていく。

 

▼ 厳しい上りの国道137号

▼ 旧道(県道708号)は静かな林間道路の楽園

▼ 熊に出会ってから、あわてて鈴をつける

▼ 御坂峠、天下茶屋に到着

▼ 待望の遠景は、残念ながら河口湖まで

 だめだ、やっぱりここから富士山を眺めたくなった。秋になったら来ようか。

 

 

 下り坂──御坂側の県道708号は、今度は猿に遭遇することになった。僕らを追い越して行った車が突然ブレーキを踏み、止った。その先には猿。車は猿がよけてくれるのを少しだけ待ったけれど、動く気配がないことから、谷底側のガードレールに寄せて抜けて行った。ほかにも群れをなして猿が道ばたにいる。三人だから平気だけど、ひとりだったらひるむ。

 下りは本当に楽だ。峠までどれだけの時間をかけて上ってきただろう。そしてその標高をどれだけの時間で吐き出してしまうのだろう。

 旧道・県道708号はあっという間に終りを告げ、国道137号に合流した。こちらも先ほどの河口湖側での分岐同様、合流に難儀することになった。両方向の車の動きを見つつ、車線を横断して向こう側へ渡る必要があった。

 国道137号に入ってからも下り坂が延々と続く。

 この道は旧道と違い、カーブも少ないうえ勾配もきつい、交通量も多いことから速度がまたさらに上がった。こういうところは車が作る気流ができて、それに引っ張られるように速度も上がる。ちょうど自転車レースでの集団にいるようなものだ。

 ある程度のスピードで下っていると、暑さが、空気が変わっていくのがわかった。気温が高くなっていくし、風はべたっとまとわりついてきた。車からの熱気もあるだろうけど、湿度の高いじわっとした空気に変化していく。

 今はいずれも笛吹市になった、旧御坂町、旧一宮町を経て旧春日居町に入った。

 桃が近い。

 

 ここまで国道137号から道なりにつながる県道314号を休まず走ってきた。大幹線道路で交通量も多く、流れに飲まれるように走ってきた。町に下りてきたのだからほかに選ぶべく道もあったのだけど、下り基調だしまあいいかと思っていた。

 今日のいちばんの目的であった桃のパフェは旧春日居町にある。桃の家カフェ「ラ・ペスカ」という店で、地図で探すと決して広い通りとはいえない町なかにあるように見える。中央本線の線路が近づいたところでまた午前中のように路地みちに入った。

 このあたりは住宅街で、大月から都留、富士吉田にかけて走った路地みちに感じられるような懐かしさとは違う。それでもその地その地の営みを感じられる路地は楽しい。店はもうすぐそこだ。スピードを上げて飛ばす必要なんてない。

 走っていて面白いのは、住宅街のなかに突然、桃畑やぶどう畑が現れることだ。果実の豊富な山梨県の、畑のあり方のひとつを見た。

 桃はまさに鈴なりで、ぶどうは実をつけ始めたところ。どちらも農夫が、脚立や移動式の台に乗って畑の手入れに精を出している。路肩に軽トラを止めて。その路地を走っていると、ほのかに甘い香りが伝わってきた。

 中央本線の踏切を渡り、相変わらず路地みちが続く。

 僕の手もとのGPSマップには、ルート作成時に立てた旗が表示されている。店の場所に立てたのだけど、こんな路地のなかに待ち時間必至の店などあるのか、わずかながら疑問だった。

 それでもすぐ店は現れた。地図も、立てた旗もあっていた。狭い路地に車がごちゃっと止っていた。

 農園の一角にちいさな建屋がひとつ、目の前の路地では車を整理するおじさんが、一台一台の車に機転を利かせながら駐車場所を案内している。建屋のまわりには人がたくさんいて、これが待っている人たちなのだと容易に想像がついた。

「あのスペースに入れてもらうから、頭から入って行ってバックで斜めに入れて」

「今あそこの赤い車が出るんで、その場所に入れて」

「道路の左の広くなっているところに寄せて止めてほしいんだけど」

 などと案内するおじさんが、

「自転車はこの駐車場のいちばん奥の右側に土のうが積んである場所があるから、そこに置いて」

 と僕らに指示をくれた。

 それにしたがって自転車を降り、押しながら駐車場を奥に進む。建屋のまわりはテラスふうにしてあり、そのベンチやテーブルは人で埋まっている。みんな待っている人だ。それより手狭な駐車場に止められた車の数に驚く。ナンバーを見ても驚く。山梨県内は半分いるにしてもそれ以外は県外だ。僕の地元である春日部や越谷もいる。三河ナンバーもいる。長野もいる。Sさんが名前を書き、テラスのテーブルにつく。

 店の前には2時間待ちと書かれたPOPボードが置かれていた。

 

 

 まず、ピーチトーストなるものが運ばれてきた。次いで、桃のパフェ、ピーチ・ジュエルなる商品だ。Kさんも同じものを頼み、Sさんはフルーツサンドとピーチ・ジュエル。

 桃で飾られたテーブルの上を写真で撮りまくる。特にインスタグラムをやっているふたりの写真攻勢がすごい。位置を変えたり、角度を変えたり。でもよく見てみればふたりだけじゃない。他のテーブルもみな一緒だ。運ばれるや否や、誰もがカメラを構え、シャッターを切る。確かにそれだけ見た目にもインパクトがあるし、説得力もある。言葉なしに伝わるイメージは、インスタグラムなんかには最適だろう。それはそれでじゅうぶん楽しそうだ。

 そんなわけで一連の儀式的写真撮影を終え、いよいよ食べる。もちろんこれだけのものだからおいしいわけだ。桃も計算された熟れ具合で歯ごたえも心地いい。人によっては硬いのを好む人もいれば熟れているのを好む人もいるかもしれない。たまたまかもしれないけど僕は多少味に渋みがあっても硬めのほうが好みで、それがぴったりだった。ピーチトーストのほうが若干熟れていたかもしれない。これはこれで桃の旨みを味わうものだろうし、桃のパフェ、ピーチ・ジュエルは桃の新鮮な食感を楽しめるから硬めがうれしかった。

 これにて旅の目的はコンプリートされた。2時間も待つことはなく、じっさいのところ30分程度だったと思う。

 

「さあ、温泉に行きましょう」

 もちろんこれもKさんSさんによって計算されていたプランだった。この桃の店から自転車で3分もかからない、そこに今日の汗と疲れを洗い流す温泉があった。源泉はかなりぬるめで、いくらでも入っていられる。のぼせることもふやけることもない。入っているぶんだけ疲れも流れ出ていくように思える。手も足も思い切り伸ばしてお湯に浸かっているだけでストレッチとマッサージを一度にしているようなリラックスだ。

「よくこんな温泉見つけましたね、ありがとうございます」

 と僕はSさんに言った。

「去年見つけたんです。でも去年は帰りの電車の時間を気にしちゃって、30分かそこらで出ちゃったんで、Kさんに悪いことしちゃって」

 とSさんは苦笑いした。

 確かにこのお湯、ちょっと浸かるだけじゃもったいないな。

 

 輪行袋に自転車を収め、ホームで待つころにはもう暗くなり始めていた。ひぐらしの声か、そんな夏のもの寂しげさを彩る夕暮れどきを、数えるくらいのベンチしかない無人駅で迎えるエンディングも計算だったのか。

 感服。楽しかった。

 安物のモノラル・ラジカセから鳴っているような自動放送が列車の接近を告げたのち、室内の明かりがこぼれるステンレスの電車がゆっくり進入してきた。

 

▼ 路地で住宅街を抜けていくと、ふつうに桃畑があらわれる

▼ ぶどう畑もあらわれる

▼ 今日のテーマ、桃の家カフェ「ラ・ペスカ」に到着

▼ 2時間待ち!?

▼ ピーチ・トーストにフルーツサンド

▼ そしていよいよのピーチ・ジュエル(桃のパフェ)

▼ 正徳寺温泉へ

▼ 駅までの道も、畑のなかの路地みちで

▼ いよいよ日も落ちた、帰ろう

(本日のルート)

→GPSログ

 

追伸:Kさん、Sさん、写真を使わせていただきました。ありがとうございました。