自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

伊豆大島サイクリング島(May-2017)

 5月の快晴の日よりだった。東京や埼玉は30度を超えた真夏日になると言っていた。でも同じ東京都ながら伊豆大島は別。気温予想を見ると、最高気温は24度になっていた。

 だから最高の気候のもと、サイクリングできたに違いない。僕は13時過ぎの元町港で自転車をバイクラックにかけ、この島一周に満足した。



 伊豆大島は、サイクリングの島だった。

 まるで隅々まで配慮されたライドイベントのようだった。

 もちろん僕がイベントに出るわけもなく、ただこのサイクリングのすべてが、イベントのなかの出来事だったんじゃないかと思えた。

 よく言えばサイクリングするにあたってすべてに気を配られた島、ただ僕の直感的感想のひとつには、「走らされた」感もあった。


(本日のルート)

GPSログ


 僕が選んだのは、東海汽船の企画する「伊豆大島サイクルきっぷ」である。往復の船代が4千円というこの驚愕のきっぷ、実は冬季は2千円だった。東海汽船とはすごいことをするものだ。

 だから2千円のころから存在は知っていたのだけど、ずっと二の足を踏んでいた。それはこのきっぷが「二等椅子席限定」であり、また往復とも大型客船限定だということ。

 夜行の船ならば、雑魚寝でもじゅうぶんだから横になれることが前提だと思っていた。あいにく僕は、発車から到着まで椅子の座席に完全拘束される深夜バスという存在が大の苦手で、眠れたことがない。これまで何度か深夜バスを利用したことはあるけれど、脚がむくむという表現は正しいのかわからないけど、血流が悪くなっていのだろうとわかるほど脚がだるく重くなり、それを一度感じてしまうと眠れずに、目を閉じても何度も目を覚ましてしまうのだ。

 それと大型客船限定となると行程の大きな縛りになる。伊豆大島は多数のジェット船も就航していて、いろいろな港と短時間で結んでいる。たいして航行に時間のかかる大型客船はそれゆえ出港時間も早い。行きの夜行であればともかく、帰りの早い出港時間は大島滞在時間を大幅に削ってしまうのだ。そうすると大島に一泊するかどうかも考えなくちゃいけない。ジェット船なら一日でまわれるところを二日とするか。そうなると宿泊の手配も必要になる。縛りが多くなればなるほど早めの計画と予約が必要で、直前まで天気を見て計画を立てたいと思っている僕の考えとだんだんとかけ離れていく。

 それでも僕がこのきっぷを使おうかと思ったのは、まず大島での行程を無理に一度に詰め込まなくてもいいじゃないと思ったこと。一周なら一周、三原山に上るなら三原山と二度に分けたっていい。だって4千円なのだから。それで日帰りすればいいじゃんと思った。そして22時に出て朝の6時に着く船であれば、そう極端に長い拘束時間ではないんじゃないかと思ったこと。

 そう考えて、加えて週間予報で天気の確約が取れることを確認した水曜日、これで空いていれば行こうと考えた。そして東海汽船に電話をした。


 僕はルートを島一周に絞った。伊豆大島サイクルきっぷは払い戻しと、便の変更、等級の変更がいっさいできない。したがって日帰りで予約をした僕は、朝の6時に着いてからその日の14時半の船に絶対に乗る必要があった。三原山に上れなくもないようにも思えたけれど、時間に追われて走りまわって、見るものも見ず、止まりたいところで立ち止まれないのも楽しくない。だから三原山に上りたければもう一度同じ船でくればいい、そう思った。このプランは7月の14日までやっているのだ。

 ただ、島の東南部にある砂漠には興味があって、これは見てみようと横道にそれることにした。


 夜の竹芝は、多方面から人が徐々に集まってきて妙なテンションの活気に包まれていた。日中、船の航行がない時間に都内散策のサイクリングでここに立ち寄ったことがあるのだけど、そのときとは空気がまったく違う。自転車を輪行袋にしまい、窓口へ行って予約番号を告げて乗船手続きを済ませた。ここで帰りの乗船券も発行された。これをずっと持っていなくてはいけない。

 フェリーターミナル内は釣り、自転車、トレッキング、ラン? キャンプやバーベキュー、観光、それから週末島へ帰るのであろう島の人々などさまざまな目的の人で飽和していて、これらの人が伊豆諸島の各島へ向かうのだ。フェリーは二便。ひとつは僕がこれから乗るさるびあ丸で、大島、利島、新島、式根島神津島へ向かう。もうひとつは橘丸、三宅島、御蔵島八丈島へ向かう。その二便が30分のあいだを置いて、この竹芝から出る。

 乗船手続きを終えてのんびりする間もなく、さるびあ丸は乗船を開始した。手慣れた人はさっさと行列を作り、船に向かって進む。僕も見よう見まねでその行列についた。

 僕は、夜行船内で眠れなくなるのが嫌で、Tシャツとハーフパンツというゆるめの恰好をしてきた。サイクリングの恰好じゃ締め付けになってしまうんじゃないかと思ったからだ。でもサイクルウェア、レーサーパンツ、ジャージの人だってたくさんいた。僕はこれがために着替えが発生し、荷物がその分増えているけれど、船中一泊を除けば日帰り旅なのだし、着たままというのもありなのだ。本当に旅慣れた人は軽装だ。僕も船で眠れるかどうかがポイントかもしれない。

 竹芝を出た船はレインボーブリッジの下をくぐり、横浜ベイブリッジの下をくぐって横浜港に着いた。ここでもまた大量の乗船客を飲み込み、いっぱいになって夜の海に出た。僕の乗る2等座席船室もいっぱいだった。


 結果から言うと、眠れたとは言えなかった。深夜バスで感じる脚の張り、むくみを感じてそのたびに目を覚ました。やっぱり脚を水平にして横にならないと僕の場合だめなようだ。ただ深夜バスと大きく違うのは、船内を歩けること。席を立ち、船内を歩いたり、そこで屈伸やストレッチをしたり、脚をマッサージしたりして、張った足をほぐしたり気を紛らわせたりすることで、席に戻るともう一度目を閉じることはできた。それからしばらくは眠ることができた。

 それでも何度も目を覚ましてしまうから、東京の日の出時刻を確認して、その時間になったらデッキに出てみることにした。デッキには同じように日の出をながめに来た人がもう幾人かいた。そして船は洋上に停まっていた。ぷかぷかと浮かんでいるだけだった。考えてみたら帰りの船は5時間と少しなのだ。行きの夜行便だけが8時間かかるのもおかしな話だ。こうやって時間調整しているのだろう。

 そして、朝日が水平線からのぞく。いつの間にか増えた人たちから、シャッターを切る音が絶え間なく聞こえた。


(竹芝を出港後、すぐにレインボーブリッジをくぐる)

(東京発の輪行袋はデッキの一角に集められた)

(朝日が水平線からのぞく)

(あっという間に太陽は昇る)


 伊豆大島6時。定刻である。

 船は大島での下船客を下ろすと、利島へ向けてまた出港していった。僕は大勢のサイクリストに混じって、自転車を組み上げる。

 到着は岡田港だった。元町港の場合もあって、どこに着いてどこから出るかというのはそのときどきで変わるらしいので、帰りの便はどこから出るのか、乗船券を回収している係員に聞きに行った。しかしこの時点ではわからないとのこと。そういうもの? 僕は行程上元町港を通ったときに、フェリーターミナルで聞いてみることにした。

 たくさんの人が下船したが、自転車乗りもかなりの数だ。自転車が組みあがった人から順々に、岡田港を出発していく。それでも自転車を組みあげる時間なんてみんな似たようなものだから、出発すると自転車の列のようになる。ばらけて出発しても、最初の岡田港入口の信号で群になる。青になって出発すると、それはまるでサイクリングイベントのスタートシーンのようだった。

 岡田港から出ると、島内のメインルート、「大島一周道路」こと都道208号は高台の丘の上にある。ここまで最初からなかなかの上りで、朝いちばんから体力を奪われる。しばらく頑張って上っていると大島一周道路に突き当たった。右に行くと元町港を先にまわる反時計回りルート、左に行くと東岸を南下して筆島や波浮港へ向かう時計回りルートだ。僕は時計回りルートを選択した。

 朝の時間が早いこともあって、車はまだほとんどいない。道は立派で自転車乗りが列をなしているものだから、早い遅いに合わせて、抜きつ抜かれつが発生する。本当にサイクリングイベントのようだ。僕はイベントやレースは趣味じゃないので参加したことはないけれど、参加する知人を連れて行って外野からながめていたことがある。その様相だ。

 標高にして80メートルばかり上ったあと、泉津の集落に向けて一気に駆け下りる。せっかく稼いだ標高をすべて吐き出してしまった。特に見どころもなさそうなのでそのまま駆け抜ける。というか周りのサイクリストたちもそのまま行くので、ついそれに乗ってしまったというのもある。

 泉津からはまたじわじわ上りが始まる。これが大島一周最大の上りだった。

 この一帯は、道が椿の木に囲まれていた。大木が多くうっそうと葉が茂っていて薄暗い。道路のまわりに根がびっしりと生えていて、土塁を形成しているように見えた。根の力強さを感じさせた。

 少しの距離の大島公園。ここまでで百メートル上る。ほとんど上ってばかりの印象だ。ここには動物園があって、カピバラもいて、それでいて無料とか。でも時間はまだ7時。立ち寄ったところで動物園だしと思い、そのまま先へ進んだ。僕と一緒の集団も公園には目もくれなかった。

 さらに坂を上り、標高をもう百メートル稼いだ二百メートル超、三原山へ向かうあじさいレインボーラインを右に分けた。僕の前を走っていた人たちはみな、この道へ入っていった。ここで僕の前からサイクリストはいなくなった。

 それから先も淡々と上り坂が続く。上りにくい坂じゃない。ゆるくなったりきつくなったり、メリハリがあるから均一のきつい斜度で上るよりずいぶん上りやすい。もちろんきついことには違いがないのだけど。

 東岸を南下しているけれど、海はほとんど見えない。椿を中心にした木々に覆われていて、ひたすら森のなかを進んでいく。快晴の空だけが頭上に開けていた。

 東岸の海岸沿いに海のふるさと村キャンプ場があり、ここへの分岐路が現れた。東岸を走っていると海から離れているものだから、海岸への興味がわいた。でもキャンプ場への道はこの道しかなく、今この時点の標高は350mに近い。この一本道を駆け下りて、海を見て、それから同じ道をまたひたすら上り、この標高350m地点まで戻ってくると考えたらうんざりしてしまった。道の入り口を眺めただけで、僕は先へ進むことにした。

 この標高になるといったん落ち着いて平坦化する。といっても完全な平坦じゃなくて細かな上りと下りを繰り返す。休ませてくれるようなところはないらしい。

 もう数キロ進むと、月と砂漠ライン入口と書かれた看板が立っていた。


(朝6時、大島岡田港に到着、自転車を組む)

(これから一日付き合う、大島一周道路)

(椿の大木のトンネルはうっそうとし、根も力強い)

三原山へ向かうあじさいレインボーラインは右へ)

(海は見えるけどはるか彼方)

(月と砂漠ラインへの分岐へ到着)

 三原山は今回見送ることに後ろ髪は引かれなかったのだけど、砂漠だけは見ておきたいと思っていた。親切なまでの看板、これにしたがって道を折れた。月と砂漠ラインという道だ。これだけでは砂漠まで行けない。駐車場から歩くのだ。そこまで看板に書いてあった。

 月と砂漠ラインは細い急坂だった。標高350m近辺を上り下りしている大島一周道路から、一気に600m超まで駆け上がる。前半はまだいい。上っていくにしたがってやがて10%前後の勾配になる。最後の駐車場へのアプローチはコンクリートの簡易舗装で、強烈な坂だった。

 駐車場に車は一台もいなかった。自転車を置き、ここからは徒歩。

 砂漠とはいってもアフリカの大地の写真で見るような黄色の砂地ではなく、黒い溶岩地帯だ。足もともザクザクした溶岩礫のなかをゆく。さらに歩いているこの道でさえ森におおわれているとはいえ、すでに砂漠であり、どこまで行けば砂漠に来ましたと言えるのかよくわからなかった。それでも先へ進む。

 ──と、10分ばかり歩くと眼前が広がった。


 来るべきところに来た。

 僕は、溶岩砂漠のうえに大の字になって寝ころんだ。そうやって受け止めなくちゃいけないような、エネルギーがあるように思えた。でもそんなエネルギーが本当にあるかどうかは不明。いいのだ。真っ黒な溶岩の上に寝ころんで、真っ青な快晴の空を眺めていれば、それでいいのだ。


 砂漠からの戻り道で、サイクリストにすれ違った。これから砂漠に向かうサイクリストだ。あいさつを交わし、僕は駐車場に戻る。駐車場に戻ると小径車が止められていた。

 砂漠はアプローチの道路が二本あるのだけど、一本は通行止めで、結果的に月と砂漠ラインをピストンすることになった。戻りはずっと下り。上ってきた急勾配を下ると、路面がこんなに悪かったのかと気づいた。全部下りきって大島一周道路に戻り、また時計回りに波浮港へ向かう。このルートもまた下り。ここまで上り続けてきたから、初の快走と言ってもいい。岡田から泉津への下りもあったけど、ちょっとだったし、もう忘れた。

 途中、名勝の筆島が見える。ここもまたきちんと案内がある。筆島と書かれた碑もあり、筆島の説明もきちんとある。そこは筆島を眺めるのにいちばんの場所でもあった。

 もう標高は百メートルを切っていた。上った分に比べたら下りなんてあっという間だ。そして波浮港の集落を上からながめ、さらに下っていよいよ0メートル。港を越え、集落の路地は懐かしさを覚えた。静かな路地を抜けて、防波堤に自転車を置いた。波浮港にある鵜飼商店は有名な店らしい。揚げ物を買い食いするのだそうだ。僕はコロッケと串カツを買った。これを買い、防波堤に出て食べた。そういえば飛んでいるトンビを見た。危ないかな──、僕は空を見上げながら手早く食べた。


 ちょうど食べ終えたころ、小径車がやってきて防波堤沿いに自転車を止めた。そして彼は鵜飼商店へ入っていった。砂漠ですれ違ったサイクリストだ。


(自転車で行ける月と砂漠ラインも駐車場まで。この先は徒歩で)

(溶岩の、しかしながらうっそうとした森のなかを歩く)

(広がる溶岩の砂漠)

(転がっている溶岩礫)

(筆島。筆の先と言われればそうかなあ)

(筆島の案内もきちんとある)

(高台から波浮港を望む)

(波浮の集落)


 どういうわけか、鵜飼商店での買い食いを終えると、身体がずいぶん疲れている気がした。

 もうここからは東岸のような長い上りはないものの、大島一周に平坦路がないことはわかっていた。飲みもの不足? ──ボトルとは別になにか飲もう。

 しかし島内にコンビニはない。これはわかっていたのだけど、自販機にごみ箱が据え付けられているところが極めて少ないのを波浮港まで来て初めて知った。飲みたいのだけど、空き缶やペットボトルを持って歩くことができない。それでも自販機を見つけるたびに、ごみ箱を確認した。ようやく、ひとつごみ箱を据えた自販機を見つけた。と言ってもそれは脇に、ジュースの缶の運搬用の段ボールを置いただけのものだ。


 のどを潤して、そして少しの休憩で多少回復した。

 もしかしたら暑さに参っているのかな。都内に比べて気温は低いものの、5月の中旬はついこの前まで長袖のちょうどいい春だったのだ。身体がまだ慣れていないのだ、きっと。


 そんなこともあって、ほどなくして着くと思っていた地層断面まで、思いほのか時間がかかった。

 バウムクーヘンと称される地層の断面は、かなり長い距離にわたっていて、想像していたよりも壮観だった。何度か写真を撮りながら進む。地層には触ったりすることができないから、ガードレールで保護されている。その切れ目が駐車スペースであり、写真を撮るべき場所として確保されていた。

 僕はバウムクーヘンよりも道の曲線美に魅せられて、しばらく眺めていた。そして出発する。そこへ入れ替わりに、砂漠と、鵜飼商店で出会った小径車氏がやってきた。


 野増の集落を過ぎると、すぐに元町へ着いた。疲れていたわりには意外にも楽にたどり着けたようにも思えた。もしかすると、眠気に襲われ始めてもいたので、記憶が飛んでしまったのかもしれない。でもとにかく、元町へ着いた。

 まずは元町港へ行ってみる。帰りのフェリーが出る港を確認しておく必要があった。

「ああここから出るよ」

 フェリーターミナルの窓口のオジサンはそう言った。「14時30分ね」

 それを聞くと気が楽になり、急に力も抜けた。

 なにか食べよう。

 元町は大島町の町役場もある、島内でいちばん大きな町で、ここでなら食事も困ることがなさそうだった。その中のひとつを見つけて入り、刺身と焼き魚の乗った定食を食べた。



 出港までまだ2時間ある。

 食事を終え、フェリーターミナルで座って休憩をしていたら腰も上がらなくなってしまったけど、ここでこのまま時間をつぶしているのもかえってしんどいから、少し走ってみることにした。

 GPSマップに引いてきたルートは、岡田港から出る場合も想定して、島内を一周するルートを作ってある。この先、野田浜まで海岸線を走るルートになっているから、ここまで行って帰ってきてもいいかなと思った。

 野田浜まではサイクリングロードのような道もつけられていた。おもしろいのは、この区間だけ大島のなかでもまったく印象が違うのだ。もっとも海のそばを通る区間はまるで沖縄にいるような錯覚を起こした。石や貝を混ぜたアスファルト舗装もそれを思わせた。岩場があり砂浜もあり──。

 野田浜からは折り返して元町に戻ろうかと思ったのだけど、もう少し走ってみてもいいかなと思い、引いてきたルートのまま北岸ルートを進んだ。野田浜から先は海がまったく見えなくなった。

 気づくと岡田の集落まで来ていた。


 元町港にもどってくるとまた食欲を覚え、島のりラーメンを食べて船を待った。


(地層断面)

(元町港)

(野田浜への道は沖縄を思わせる)

(野田浜からは林のなかの路地)

(島のりラーメン)

 素晴らしい自然、素晴らしい風景に終始圧倒された。

 そして島全体の道が自転車でとても走りやすい。

 ただ僕にとっては準備されすぎた場所でもあった。道案内の看板は手ぶらでも走れるほど整備され、ここを行けばこんな光景が見られると事前にじゅうにぶんに案内された。それこそ船のなかから、ここを見るべしと案内があった。現地へ行けばここで写真を撮るといいと、まるで進められているようだ。たくさんのサイクリストが船に乗り、降りてみな走り出すとそれはイベントライドのよう。やがて途中でばらけはするものの、どこかで必ず誰かと一緒になる。帰りの客船まで同じ顔触れになると、もう船からまるごとパックされたイベントに参加したようだった。

 悪いことじゃない。自転車という趣味の敷居を下げるには、これだけのサポートがあれば安心だ。こういう車の少ない場所で乗るのも自転車の楽しみを広げるのにひと役買ってくれる。

 でも僕は物足りなさを覚えてしまったのも事実だった。

 あくまで、僕個人的な好みでの話だ。


 さあ、帰りの船に乗ろう。