自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

渋沢丘陵から足柄、金時隧道(May-2017)

 パン、という大きな音がその日のケチの始まりだった。

 それは初め自分の足もとで起きた音とは思えなくて、広がる畑のなかの鳥獣除けの空砲か、あるいは山のなかでの狩猟の発砲か、そんな遠くの場所での火薬を使った音にしか聞こえなかった。

 でもすぐあとに続くしゅうううという音とペダルを踏んだ力がぬるっと横に抜ける感覚で、ああ俺のタイヤがバーストしたんだなあと天を見上げた。少し哀しかったのかもしれない。パンクのときの哀しさってなんであんなに気分の多くを占めるのだろう。

 偶然にもすれ違い通りかかった、トレックのロードに乗ったおじさんが、「大丈夫? 替えあるの?」と止まって聞くので、大丈夫です、持ってます、ありがとうございますと答えた。僕は春の青空のもと、シャッターの上がることのなさそうな商店の前で後輪を外し、自転車を横に寝かせた。

 でもこれから続くケチのおかげで、いつかは来てみようと思っていた──でもそれは小さな期待で、すっかり忘れていた──、原っぱのなかの道の風景を手に入れた。


 小田急線、秦野の駅でMさんと会う。4月、常陸太田でのずぶ濡れサイクリングですっかり悪いことをしたなと、気分を盛り返せるお口なおしサイクリングを企画した。小田急線なら近いMさんにまる一日を使わせずに楽しんでもらえるよう、それほど長くない距離の短時間サイクリングである。

 渋沢丘陵を越えて松田へ出て、そこから足柄街道へ入ってゆき、滝を見ましょう。その先は林道で大雄山まわりで小田原へ抜けます──。

 僕はそう、コースを説明した。帰りも小田急線一本で帰ることができますよねと付け加えた。

 が、じっさい、最後のつじつまを合わせたのは小田原の駅だった。


(本日のマップ)

GPSログ


 僕は渋沢丘陵を2年前の冬に歩いた。徒歩なのでハイキングコースのような道も通った。今回は自転車だから、同じルートとはいかない。自転車用にアレンジしなおした道をゆく。

 渋沢丘陵は伊勢原あたりから松田にかけて東西にどんと横たわった丘で、東海道線の平塚、大磯、二宮、国府津といった町々と小田急線の伊勢原や秦野、松田といった町々を分断するように寝そべっている。秦野の駅を南に向かうとすぐさま丘陵部で、坂を一気に駆け上がる。勢いで駆け上がったそこは全方位性の青空で開放的な雰囲気だった。そして震生湖。関東大震災でこの丘陵部にできあがった湖だ。ちょっとだけ立ち寄ってみる。湖という名には小ぶりで、小さな駐車場は車でいっぱいである。ハイカーと釣り客のようだ。

 ここから丘陵部を行く道はちょっとした山の縦走にも似ている。標高にしたらせいぜい二百メートルに過ぎないのに、あたまのうえに広がる青空の広さが、丹沢の尾根にでもいるよう錯覚させる。もっとも、丹沢の縦走路に自転車は入れないけれど。

 渋沢丘陵の静かな小径は2万5千分の1の地図クラスじゃないと見つけられない道だ。それでもいく人かの自転車とすれ違った。こんな道に入ってくる人たちだ、僕と同じ香りがした。タイムを争ったり順位を競ったりするアスリート系の自転車乗りじゃない。小径を進んでいるとときどき、富士山が顔をのぞかせた。その大きさがあまりにも大きくて、埼玉に住んでいる僕にとっては衝撃的でさえあった。

 小径だけで丘陵部のルートをつないで行ければいちばんいいのだけど、そうもできず県道708号に出た。坂を上りつつすぐにあらわれるトンネルは「峠隧道」。

「行きたいところがあるんです。大したところじゃないですが」

 僕はMさんにそう声をかけ、左手11時方向に分岐する小径を選んだ。おそらく県道の旧道で、その先には峠集落がある。僕らを先導するように宅急便の車が集落へ入っていった。

 それほど長い道じゃない。集落は左右に民家が広がり、中ほどにバスの折り返し場があった。神奈川中央交通、通称神奈中の峠線の終着だ。バス停も「峠」。

「峠というトンネルを抜けると、峠の集落。終点のバス停も峠。どうです、なんかいいでしょう? 楽しくないですか」

 僕は悦に浸る。このためだけにルートを外した。Mさんは笑ってうなずいてはくれているが、きょとんとしているのが手に取るようにわかる。

 旧道はすぐに現県道に戻され、再び坂を上る。途中で町界を越えて大井町に入った。東名高速の大井松田の大井である。少しだけ下ってまた上り。篠窪の集落越えをするのにまたひと山。篠窪のトンネルを嫌ったのと、地図で見てよさそうな道があったのでトンネルの上を越える小径を選んだ。県道と違って車通りは少ない。そしてピークを越え、下り坂に入ると道の正面に銭湯のペンキ画のような完璧な富士山が現れた。



 酒匂川に出た。松田の駅前を通ってきた。ホームには大勢の乗客の姿が見えて、小田急に比べて本数の少ない御殿場線でも利用者は多いみたいだ。

 ここからしばらく酒匂川沿いのサイクリングロードをゆく。

 富士山は、変わらずその大きな山容を見せていたが、だんだんと足柄・箱根の山々が近づいて、その陰に隠れつつあった。

 サイクリングロードはそれほど距離を走らないうちに終わりを告げ、こんどは県道を駆使して足柄の山あいに足を踏み入れていく。


 その矢先、大きな破裂音とともに、僕の後輪のチューブがバーストした。


 チューブ交換で大休止となったことを詫びた。携帯ポンプで空気を入れるのは大変で、おそらくせいぜい4気圧くらいしか空気を入れきらなかった。高圧はあきらめて出発する。矢倉沢を目指して進むと、今度はMさんがフロントの変速ができないと言う。

 止まってもらい見てみると、変速機は動く。しかしながらチェーンがアウターにかからない。ワイヤーの張りか。

 Mさんの自転車は変速機のワイヤーの途中にアジャスターがついていたので、これを使って調節した。するとチェーンがアウターギアにかかるようになってくれた。しかし走り始めて5分もしないうち、また変速できないと言う。とすると、ディレーラーのワイヤーを留めているネジがゆるんでいるのか。本来なら、このネジはワイヤーを引っ張りつつ、それをペンチやプライヤーで押さえながら締めていくもの。素手で押さえても引っ張りきれないから、どこまでできるかわからないけど、変速ができない今を打開しなきゃならないから、フロントディレーラーのネジをゆるめた。


 矢倉沢に着いた。前から来てみたいと思っていた場所だった。そしてここに向かってくる途中からずっと、里の原風景が広がっていた。古道に行くために入り組んだ道を入る。そこからは茶畑が見えた。きれいな風景だ。

 Mさんのフロント変速機はどうやら作動してくれているよう。よかった。矢倉沢関所跡を通って、さらに足柄街道を進んでいく。勾配はそれまでにも増して急になった。


「滝に、行きましょう」

 僕はMさんに告げた。パンクあり、変速機調整ありでもうお昼の時間をずいぶんまわっていた。ルートは入り組んでいる。お昼を地蔵堂の万葉うどんで食べようと思っていたから、同じ道を通って行きつ戻りつを繰り返す。だから滝と食事と、どちらを先にしてもかまわない。おなかも空いていたけれど、先に滝に行っておきたいと根拠もなく思った。

 Mさんはオーケーの返事。おなか空いていませんかと聞くとまだ大丈夫、先に滝に行きましょうとの答えだった。

 夕日の滝は、そこにあったキャンプ場の一角とでもいえばいいのか、それともキャンプ場とは別なのか、自転車を止めた僕らはキャンプ場のなかの滝への道をゆく。バーベキューの炭の煙があちらこちらから上がっている。その奥へと足を進めていくと、頭のはるか上から水が一筋に落ちている。突然現れたその滝の、あまりの近さに驚いてしまった。目の前に滝つぼがある。高い頭上から水が落下している。おそらく滝としてはそれほど大きいものじゃないはず。でもこの至近距離から見る迫力は他の滝ではあまり見られないように思う。

 落ちてくる水の、重さを感じた。



 夕日の滝を訪れているころから、僕はどうにも寒くなってしまってかなわなかった。万葉うどんに着くと、迷わず温かいうどんを注文した。まわりの、例えば車でやってきている人たちの恰好は特に厚着ではない。自転車乗りの人も来ていた。彼らだって半袖のジャージかせいぜいそれにアームカバーを加えているだけだ。僕だけが変に寒さを感じている。

 うどんを美味しくいただいて、レジで支払いを済ませているとそこに、「工具、空気入れ貸します」と書かれた紙が貼ってあった。僕はさっきのパンクで、ほとんど空気圧を上げられていないことを思い出した。そして、空気入れをお借りすることってできますか……と控えめに聞いてみた。


 無事空気も充填でき、もと来た道を上っていく。入り組んで、何度か通った交差点を通過し、今度は林道黒白線へ向かった。しばらく先で大雄山方面に向かう林道に乗り換え、大雄山最乗寺を見て、それから少しずつ下りながら小田原の駅を目指す計画だ。だから今上り始めたこの林道を上り詰めてしまえば、あとは下り基調になるだろうと思っていた。

 林道はかなり立派で、道幅は決して広くないけれど、舗装やのり面の整備が下手な県道よりもいいのではないかと思わせた。

 そしてずいぶん上ってきたところでの分岐、そこでのGPSの捕捉も、僕の地図の確認も、遅れてしまったこともあって、一度行き過ぎた。すぐに気づいたので、引き返して下る。そして分岐を見つけた。よくよく見れば立派な舗装路だ。大雄山へ向かう林道である。


 そしてその道は、大きくて頑丈なゲートで閉ざされていた。


 もう選択肢はふたつしかなかった。今まで上ってきたこの道をそのまま上るのがひとつ、もうひとつは上ってきたこの道を引き返し、中途半端にはなってしまうがピストンでコースを戻る方法だ。

 金時隧道を目指す──。


 長い、長い林道。計画を立てなかった道へ、情報なしに入っていくとさらに長い印象になる。金時隧道は知っていた。仙石原へ抜けられることもおぼろげに知っていた。でもそれだけだ。ここに行くときは情報を、たとえば距離とか、標高とか、そういったものを収集したうえで、いつか出かけようと思っていた場所だった。

 カーブを曲がってもまだまだ先が続く。9%の注意標識が現れ、10%の注意標識が現れる。つづら折りは現れない。カーブはひたすら不規則でリズムがない。勾配だけが一定に、いつか訪れるであろう金時隧道を目指して標高を稼ぐ。

 一定の疲労感を維持しつつふと顔を上げると、風景が変わっていた。いつこんな風景になったのだろう。

 ここが、箱根仙石原に続く場所なのだと思わせた。しかしながら仙石原のような観光地ではない。言うなれば、「原っぱ」。原っぱは仙石原が観光地として残された原っぱであるなら、ここは手つかずの原っぱ。

 よく見えない。道から全体がよく見えない。

 それは道に沿った木々が邪魔をしているのかもしれないし、山坂道に疲労してまわりをあまり見られない僕のせいかもしれなかった。でも原っぱは、こうである、こうなっているという風景が浮かび上がった。ヴァーチャルに、見えない部分の光景が補完された。きっと、手つかずの原っぱはこうであると、僕の想像力がそうしたのだろう。


 金時隧道が、その姿を見せた。


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渋沢丘陵への坂道を上り、尾根の道へ出ると富士山が迎えた。

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渋沢丘陵の片隅にある震生湖は、木々に囲まれた静かで目立たない湖だった。

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峠のトンネルを抜けて……、

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峠のバス停に到着。

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峠の集落。

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道路の曲線美。

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道、広がる街、そして富士山。完璧なセットもの。

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酒匂川を進んでいると、浮世絵のような構図に出合う。

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足柄古道へ。

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日本の里。原風景。

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夕日の滝は近く、迫力と、気さえ感じた。

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水の力と重さを実感する。

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昼食に万葉うどん。からだが冷えたので温かいうどん。空気入れも貸してもらった。

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計画ルートがここでシャットダウン。続く今日の計画外のなかでも最大のものだった。

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金時隧道へ向かう林道。

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道はやがて、「仙石原にもつながっているのだ」と実感させる風景に。奥志賀林道をも思い起こさせた。

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いよいよの金時隧道。