自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

自転車で坂を上るために(2)

 前回、自転車で坂を上るためには、慣れと意識を持てるように、坂を上りに行きましょうって話をしました。同じ坂に繰り返し出かけると、それを早く得られますという内容とともに。

 速くなる必要のない僕らにとって、上れればいいわけですから、メンタル面が大事、だから慣れと坂に対する意識が持てるようになると強いです。

 じゃあそれ以外、上るためのコツのようなものはないか。これを今回は話してみたいと思います。前回のメンタル的なものよりもさらに、僕個人にしか当てはまらないものかもしれません。ごくごく狭い範囲での参考としてご覧いただければ。

 坂を上っていると、当たり前ですが苦しくなります。僕などトレーニングなどで鍛えているわけじゃありませんので、楽に上れることはありません(鍛えると楽に上れるのかどうかもわかりませんが)。でも、この「苦しさ」がじつは重要だったりします。

 本来は心拍数で明確に数値化するのがいいのでしょうが、僕は心拍計を持っていないし、今後も買うつもりがないので、数値を示すことはできません。なのであくまで目安ですが、僕の場合、息の上がり具合で判断しています。

 坂を息も上がらずに楽に上れることができたら、こんなにいいことはありませんが、じつはそうではないということに気づきました。

「ある程度息が上がっている方が、うまく坂を上れる」

 ということです。

 もちろん息が上がり過ぎてはだめです。動くこともできなくなってしまうほどになってはその日あとあとまで響きます。

 だからと言ってそれを恐れて、息を上げないように走っていると──もっともそんなこと言っても勝手に上がっちゃうものですが──、なんだかうまく上れない。それが僕の感覚です。

 息を、限界点までは上げないようにしつつ、でも上げていく。それを心がけています。

 息が上がっている状態がうまく上れる、その裏返しに息が上がっていない状態ではポテンシャルが出ないとも言えます。坂を上っていれば自然と息も上がるので些細なことではあるけど、速く上りたいとかグイグイ行きたいとかそんな意識が頭をかすめて脚に力を込めたとき、もしまだ息が上がっていない状態だとしたら、そのまま脚がいっぱいいっぱいになり動けなくなってしまいます。太ももの、表側大腿四頭筋や裏側のハムストリングが張ってしまい、脚が動かなくなります。これは息を限界まで上げきってしまうことよりも一日のサイクリングを台無しにします。なので、息が上がってくるまでは必要以上にペダルを踏み込まないようにしています。息が上がると心拍数もおそらく上がっていて、息が上がっていないと心拍数も上がっていない。踏み込んだときに脚に生まれた老廃物が、ポンプの活動(イコール、心拍数)が上がっていなくて、脚からどんどん排出できないのかな、なんて空想します。



 長い坂道などは上り続けられず、途中で限界近くまで息が上がってしまうこともあります。その場合、僕はさっさと止まって休憩しますが、そのとき休憩しすぎないように気をつけてます。息が下がりすぎてしまうと、また息を上げるまでにエネルギーを使ってしまうからです。息が下がりすぎないよう休憩し、頃合いまで落ち着いたら出発します。

 だから上り返しのあるコース──つまり、上って下り、また上るようなコースが僕は苦手です。下り坂を下っているさいちゅうに、どうしても息が落ち着いてしまうのです。下りで息が落ち着くまで下がらないように下りも踏んでいく、なんてストイックなことは残念ながら僕にはできないようです。

 息の上がり具合はきっと、心拍数と連動しているんでしょう。心拍計をつければもっと裏付けのある話ができるようにも思えますが僕は坂を上ることにそこまでの必要性は感じていないので、この感覚を意識しながら臨んでいます。



 (1)でも書きましたが、僕はアスリートではないし自転車をスポーツとして楽しんでいるわけでもありません。旅をするうえで坂を越えなくてはならないので、ここまでの考え方で乗っています。タイムを上げるとか、強くなるとかと言った場合はまったく違う考え方とアプローチが必要です。あくまで、僕の乗り方のうえでの考えとして読んでもらえれば幸いです。