自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

栃木県北紅葉サイクリング(大笹牧場、土呂部、湯西川)

 紅葉前線の南下に合わせたわけじゃなかった。

 確かに前週、南会津を周遊して錦秋を満喫した。このときは南会津のおおよその紅葉状況も情報収集したし、じっさいにぴたりと当てはまった。

 一週間を経た週末、だから栃木県北を訪れればピークだろうと考えるならばそうなんだろう。でも僕の動機は、「新宿で東武鉄道株主優待乗車証を格安で入手できるチケットショップを見つけた」からだった。それだけのことだ。

 

 湯西川の食堂で、おかみさんは「今日で紅葉も最後だ」と言った。

 

 栃木県北の錦秋は、結果的についてきた。

 

 乗った列車は先週とまったく同じ、東武の朝の快速列車。例によって車内はいっぱい、ドア脇の各所に自転車もいっぱいだった。僕は自転車を手に持ち、下車駅の大谷向まで1時間半、立っていくことになった。この浅草6時台の快速ではよくあることだ。東武日光行きの後ろ2両なんて乗ることさえ難しいほど混んでいるのだから。切り離される下今市まで若干空いているこちらの車両に乗っていた人たちが、下今市で後ろの2両にいざ移動してみると乗り切れないほどの車内だったようだけど、無事東武日光に行きつけたのだろうか。

 僕は下今市からひと駅、大谷川の対岸の大谷向駅で快速を降りた。

 

(本日のルート)

 今日は大笹牧場に向かってみようと思う。

 以前、日光から霧降高原、六方沢を経由して大笹牧場に入ったことがある。もう何年も前の夏のこと(→旧ブログ記事:霧降高原・土呂部・湯西川)。この大谷向からの県道245号は走ったことがない。マジックで地図を塗りつぶしていくように、僕はこのルートを選んだ。

 道は山あいに入るにつれ木々が色づきを見せ始めた。道路のセンターラインは消え、車同士の離合が何とかできる程度の道幅になった。でも気にするほどじゃなく車はときおり現れる程度。自転車で走りやすい。紅葉をながめながら上や横を見たり、自転車を止めて写真を撮ったりすることも気にならなかった。僕は自由に紅葉のなかのサイクリングを楽しんでいた。

 

 大笹牧場に着くまでどれだけ立ち止まっただろう。

 最も視界が開けた場所で自転車を止め、幾重にも連なる山々が色づいているようすを眺めていると、一台の車が止まった。夫婦と思しき男女が降りてきて僕のすぐ脇で写真を撮り始めた。

「今年は汚いね」

 誰に言うともなく、その男性のほうが言った。

「はあ」と僕はなかば仕方なしに拾って相槌を打った。

「うん、今年は汚いよ。例年はもっときれいに染まっていく」

 と得意げに言う。

「そんなものですか」──じゅうぶん僕にはきれいですが、と言いかけたが、やめた。

「赤がよくないね。いつもだったらもっと赤がきれいに入るんだ」と男性は腕組みをする。「ここはね、この道でいちばんいい場所だよ。とっておきの紅葉スポットだ」

「へえ、そうでしたか。いいところで僕も止まりました」

 僕が自転車を止めて写真を撮り、この夫婦が車を止めてわざわざ降りている光景を見て、ほかの車もここで止まろうとする。しかし道の狭さと、ときどきながら現れる対向車に車を止めきれず、あきらめて行ってしまう。

「どこから来たの」

「今市からです」

「じゃあこの道を上ってきたんだ」

「そうですね」

「ひやー。どこまで行くの?」

「大笹牧場に寄って、川治側に下ります」

「そう、気をつけてね」

 そういうと男性は女性と一緒に車に乗り込んだ。僕も「お気をつけて」と見送った。

 大笹牧場はそれからほどなくして着いた。

 

大谷向駅から県道245号へ向かう道)

 

 大笹牧場はやはり有数の観光牧場でもあって混んでいた。車がひっきりなしに出入りを繰り返し、オートバイも多かった。そうだよなあと思う。いちばん気持ちのいい季節、そして紅葉が最盛期だもの。そして自転車乗りも多かった。そういえば県道245号を走っているときは僕を追い抜いて行ったひとりにしか出会わなかったから、みな霧降高原から六方沢を越えてやってくるのかな。

 僕は売店でメンチカツを買い、ドリップコーヒーを買った。日陰に入ると風が冷たく感じる。でも日なたにいるととても暖かい。だから日なたのベンチに座った。湿度も含めて自転車にはいちばんいい気候だ。

 

 大笹牧場から下り、栗山で川治からやってくる県道23号にぶつかる。この県道は川俣から奥鬼怒へ向かう。僕はさらに分岐する県道249号で土呂部を越えて湯西川へ向かうつもり。

 川治ダムの古めかしい築堤のうえを越え、県道249号へ。はじめからセンターラインすらない道で土呂部峠を目指した。

 山あいへと分け入っていく道は川に沿って上っていくことが多い。朝の大谷向から大笹牧場へ向かう県道245号は小百川に沿って上って行った。この県道249号はその名の通り土呂部川に沿っていく。

 途中、小さな古びたダムに出合う。土呂部ダムは水力発電用の小さなダムでダム湖も小さいものだ。湖面は全体的に濃い緑色に染まっているけれど、これは汚れて緑色になっているんじゃなく、透明でこの色だということがそばに来てわかった。上から眺めると、底まで見通すことができる。

 ダムは対岸にあり、アプローチ道路はあるものの、ダム関係者専用の道でダムに立ち寄ることはできなかった。それゆえ急に古びたダムが神秘的にさえ思えてきた。ダムの向こう側──落ちている先とその風景は見ることはできないので、実際放流しているのかどうかさえわからなかった。

 

 土呂部川のきわめて近くを通る。緩やかな渓流の横を道で進んでいくようすはまるで高原でも走っているように思わせた。

 川に手はあまり入っていないのだろう。倒木があってもそれきりにしてある風景はむしろ僕には自然で美しく映る。そんななかを水はやわらかく下っていく。

 高原を感じさせるのは土呂部川だけじゃない。坂を上る途中、突然風景が開け、だだっ広い草地のなかを抜けていくことになった。

 峠近くまでくるとまた勾配がきつくなった。その坂につらくなってきたころ、県道350号を左に分ける。どちらかというと田代山林道と言ったほうが馴染む道だ。ここを行くと福島県舘岩村──ちょうど先週行った、前沢曲家集落に近いところだ──まで行き着くことができる。とっても興味深い道ながら通れるのか通れないのか、情報はどこで収集できるのか。分岐にある青看には舘岩どころか何の地名も記されていなかった。

 行ってみたいとつねづね思う。しかしながらここまでの距離と道自体の距離、それから通行できるのかできないのかも含めて入っていくことができない道だ。途中、長い長い未舗装路が待ち構えているとか。

 

 それからすぐに土呂部峠。

 と言っても峠を表す碑も標識もなく、町界が通過しているわけでもなかった(市町村合併した今、今日走っているルートすべて日光市なのだから)。したがって僕が勝手に「ここが峠だ」と決めつけ、写真を撮った。標高1200メートル、日差しがやわらかく注いでいて、ここでも寒くない。

 

(県道249号の起点にある川治ダムと、その先の分岐)

(眺めるだけの土呂部ダム)

(峠へ向かう土呂部地区の道と風景)

 ここから道は県道249号で変わらぬまま、湯西川へ向かって進路を東に変えて下る。標高差400メートル余りをひと息に下っていく。

 

 

 僕はおなかも空いてきたことだし、下り坂に任せてどんどん進んでしまおうと考えていた。しかし、この土呂部峠から先の紅葉はどうだ。連なる山々はどれも真っ赤に燃えている。黄色のなか、深紅に染まった木々が点在している。下り坂でブレーキをかけ、完全に停止することは面倒だけど僕はそれをいとわなかった。立ち止まり、山を眺め、写真を撮る。何枚も撮る。──どうしてこうも見たまんまの風景や色を写真に収めることができないのだろう。そう悔しさをにじませた言葉をそのまま口にした。誰もいない。そんなことを言っても誰も聞いていない。音すらない。静寂の峠道で僕は紅葉を眺め、そして愚痴った。

 

 しばらく下り続け、久しぶりに道路脇に住宅を見た。土呂部の集落で最後に家を見て、電線電柱もなくなってからずいぶん時間が経った。人家がないところを長い時間走り続けていると不安になる。そんなものだ。それなのに今日は、人家が現れたことに寂しさも同時に覚えた。ほっとする気持ちもあるけれど、この見たこともないような別世界の紅葉に包まれたサイクリングが終わることを感じたから。きっとこの先も紅葉はしているだろう。でもここまで見て感じてきた、包まれていた光景はここで終わる。

 湯西川温泉の奥の外れ、最初に現れた食堂に入った。やはり下りで体が冷えていたから、ラーメンを頼んだ。おかみさんは鹿肉を食べてほしそうだったけど、僕はあたたかい汁物がよかった。豚ロースラーメンを頼むと、ちょっと時間がかかるけど美味しいからと自信を持って奥に戻っていった。

 おかみさんは話好きで、紅葉がもう今日で終わりである話と、自転車の話をくり返した。僕が入ったとき、入り口の席にロードでやって来た男性がひとり食事をしていた。あの人はねよく来るの、来ては鹿肉のステーキを食べていくんだよと言った。

「今日は泊まりかい?」

「いえ、このまま湯西川温泉の駅に下って、電車に乗って帰ります」

「そしたら道の駅で温泉に入っていくといいさ。ここ(湯西川温泉街)で入ると駅までに汗かいちゃうから」

 

 

 湯西川ダムができて、それにあわせて新たにできた道路は広くてきれいだった。以前ここを走ったときにはすでに供用されていたが、僕が持っていたGPSマップの地図が対応しておらず、当然まだ湖も表示されないからただ山中を矢印が進む表示が続き、混乱した。今は地図も新しくしてあり、この高規格の道路を表示する。

 かつて見た、ダム湖に水没した木々は、葉をすべて失ったまま天に向かっていた。その光景は美しくもあり不気味でもあった。青白い湖面から白く細い枝が幾本ものぞいている。美と恐怖は表裏一体なのかもしれない。あるいは美は不安で落ち着かない心のうえに成立するものなのかもしれない。自転車を止め湖面を眺めながら思う──。

 湯西川ダムに立ち寄った。ダムカードがもらえるかと聞いてみると、手慣れたようすでカードをいただけた。ちょうど水陸両用自動車の最終の運転が終わり、参加者が駅へのバスに乗り換えて出発していった。水陸両用自動車のイベントが終わってしまえばダムは新月の日の星空のようにひっそりとした。車で訪れている観光客が幾人か築堤のうえを歩くだけで、他にもう人もいない。日の落ちた山あいには明確な時間の区切りがそこに存在している。

 

(湯西川へ下る錦秋ロード)

(湯西川に入って最初の食堂、山道で豚ロースラーメンをいただく)

(まるで霧氷のようにさえ見える水没してしまった木々たち)

 上りの浅草行き最終快速まで30分。温泉はあきらめて足湯に入った。手のひらもついでに湯につけてみる。湯西川からの下りはウィンドブレーカーを羽織ったとはいえ、冬用の手袋をしてきたとはいえ、身体が冷えていることを実感した。足から、手のひらからじわりじわりとあたたかさが伝わってくる。

 放っておくといつまでもそこに居ついてしまいそうで足湯を立った。きっぷを買い改札をくぐってホームヘ降りる。ここはホームがトンネルのなかにあり、地上の道の駅と一緒になった改札からは下り階段か下りエレベーターでホームヘ出る。上越線土合駅下りホームのようだ。そこまで長くはないけれど。

 遠くにヘッドライトの明かりが見えた。それが五十里湖を渡る長いトラス橋を越え、この駅のトンネルに入ってきた。2両の短い編成。僕はこのまま春日部まで身を任せる一本の列車に、紅葉の余韻のまま乗り込んだ。