自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

南会津紅葉劇場/南会津周遊(田島、舘岩、伊南)~その2~

その1からつづく

 

 国道352号は新潟県出雲崎から栃木県の上三川(かみのかわ)までを結ぶ長い長い国道で、僕らは今そのうちの会津区間、旧田島町から旧舘岩村を経て旧伊南村への区間を走っている。

 そのあいだ中山峠を越えるが、ここを旧道で越えてきた。国道352号は今、南側を迂回して中山トンネルで越えている。会津高原たかつえスキー場の入り口で国道に合流し西へ。僕が楽しみにしていた前沢曲家集落へ向かっていた。西へ向かう道は下り基調で気持ちよく走れるだろうと期待したものの、残念ながら少し強めの北西風で相殺されてしまった。

 

(本日のルート)

 前沢曲家集落はこの地区にぽつんと存在している集落で、驚くのはすべて人が暮らす家々だということだ。集落に入るのに入場料が必要で──維持する観点から賛成だ──入場料を支払うときにそう説明を受けた。住民の生活があるので庭や建物に入ることは不可。なるほど暮らす人からすれば、通りがかりの見知らぬ人が庭や家へ入り込んで来たらそれは気持ちが悪い。僕は納得し、リーフレットを受け取った。

 集落のなかを歩く。入り口には水車小屋とバッタリ小屋と書かれた小屋があった。いずれも水の流れを利用し製粉などを行う機構で、バッタリはちょうど獅子おどしのような構造。水受けに水を流し、たまった水で押し下げられる。下げられるとたまった水は放出されて、同時にてこの反対側、作用点にあたる部分に製粉などの「つき」の機構がその反動で勢いよく落ちるという仕組みだ。つきの部分の下には石臼があった。初めて見る機構はシンプルながらとても新鮮だった。

 集落は、言ってしまえばなんてことはない。集落の奥に神社があり、そこに上ると集落全体を見渡すことができたが、大内宿のような圧倒的な印象はない。でも大内宿は街道沿いの宿場であり、道に沿って茅葺き屋根が一列に並ぶのは必然。対してこちらは山あいの小さな集落だから入り組んだ路地とそこから引き込む私道の先に家が点在するのが必然。比較するものじゃなかった。よく考えればわかることだ。

 家々はみな見事なまでに曲家で、それでも一軒一軒微妙に異なる。屋根が茅葺きだったりそうでなかったり、形状も違う。それぞれに踏み入ってみることはできないのは残念だけど、人の家なのだ。当たり前だ。

 この集落を観光資源として売りにしているのに、観光商店が一軒もない。大内宿のようにおみやげ屋や食事処、喫茶などなど、道に面する側はみな観光商売をやっているけれど、ここにはそれがない。本当に、人々の暮らしている集落を歩いてみてください、ということなのだ。

 

(水車小屋とバッタリ小屋)

(集落のなかを歩く)

 唯一、集落の入り口にいちばん近い一軒が、資料館として開放されていた。

 

 

「上がって、休んでってください」

 資料館の男性は、土間から家のなかを眺めていた僕らに上がるよう促した。いろりには火が入り大きな炎が絶やすことなく上がっている。いろりの縁に僕らのほかに夫婦がひと組腰を下ろしている。僕とUさんは靴を脱ぎ、いろり端の板の間に上がった。先にいたその夫婦がわら編みの座布団をふたつ、手渡してくれた。

「あたたかくて動けなくなりますね」

 とUさんが言った。僕もうなずく。

 ここへ向かってくるあいだ、やっぱりずっと風が冷たくて寒さを感じていた。集落を歩いていても流れる北西風が冷たくて、身体は冷える一方だった。大きないろりの火は僕らの身体を照らし、温める。火のあたたかさがありがたいと思った。

「どうぞ、食べてください」

 資料館の男性がお茶とお新香と塩ゆでした落花生を出してくれた。遠慮なくいただいた。お新香はぬか漬けで、その塩気がうれしい。大根だろうか。一緒にある緑色は何? いんげん? 僕はわからぬまま2、3本まとめて口に放り込むと、口のなかを強烈な辛さが襲った。どうやら青唐辛子らしい。

「これ、辛いですね。とても」

 僕は自然に言葉が出てしまう。

「そうでしょう」と資料館の男性は笑う。「辛いのは、当たりですよ。辛くないのがいたら、それははずれ」

 僕はうなずき顔だけ笑って、大根を食べたり落花生をむいて口に放り込んだりした。それでも出ていると気になるもので、今度は1本ずつ口に運ぶ。──やはり辛い。辛いものは辛い。

 資料館の男性は言葉は多くないがこの集落の説明をしてくれる。この集落のようすや今の暮らし──おのおのの家のなかはすっかり今ふうで、誰もがふつうにフローリングの床で生活していると教えてくれた──、唯一昔の家の形態を残しているこの資料館を例にむかしの暮らしや家の使いかた、それに茅葺きの維持なんかも話を聞かせてくれた。そしてどうぞこの家のなかを見てまわってくださいと言う。

 

(曲家住宅の一件が資料館として保存されている)

 

 一段上がると畳の部屋、そこにもいろりがある。立派な仏壇もある。奥は寝室、ロフトも付いている。畳の部屋には熊の皮が敷かれている。

「熊は本物ですか?」

「本物ですよ」

「いるんですね」

「もちろん、ふつうにね。ここにも下りてくるし、国道だってわたってますよ」

「そうなんですか、じゃあ出遭ってしまったらどうしたらいいですか」

「まあ、──あきらめるしかねんじゃね」

その答えに僕は苦笑した。

「でもね、遭ってしまっても意外と何もないことが多いんですよ。襲って来ないし、何事もなかったように行ってしまう。道をわたっているのもそれを見かけるだけで、なにかが起きるわけじゃないです」

 

 

 このあたりでは国道だって魅力的だ。走っていて風景に魅了され、自転車を止めて脇道に入る。それがいちいちだからなかなか先に進まないわけだけど、好きでやっている。自転車の醍醐味だと思っている。走ってばかりなんていられない。

 国道352号は整備された二車線道路でありながら、ところどころまだセンターラインのない狭い箇所も残る。いずれにしたって自転車が車を気にしなきゃならないような交通量じゃないし、走っていて気持ちがいい。両側を取り囲む山々は相変わらずの見事な色づきだし、ずっと道に並行して流れている舘岩川が右に左に行き来するさまもドラマチックだ。道にかかる洞門(スノーシェード)さえ風景の一部として自然に目に入ってくる。楽しくないわけがない。

 

 ずっと西に向かって走ってきた国道352号は、旧伊南村で国道401号に突き当たった。ここで国道352号は左へ折れ、桧枝岐を目指す。僕らは進路を国道401号、右へ、北へと向かった。旧伊南村では、町の中心部にある「古町の大イチョウ」を訪ねるのを楽しみにしていた。じっさいにどのくらいの大きさなのかは想像もつかないけど、この時期これが黄金色に染まっていたらさぞ美しいだろうなと思い、徐々にワクワクしてきた。。

 国道を離れ川沿いの県道を走って伊南の町なかへ向かった。地方にありがちな農村のように映るけど、ここが冬は豪雪の下に埋もれることを、家々の建築や道路の造りや信号機など、そんなこまごましたものから感じられる。

「小学校の庭にあるらしいですね」

 とUさんが声をかけてくれる。確かにGPSマップはごく近くであることを示している。

「あ、これ、小学校──」

 僕はそれらしい建物を見つけ、自転車を止めた。そうですね、これですね小学校、とUさんも僕の後ろで自転車を止めた。

 どれだ? と見まわす。場所は間違いない。Uさんも目を走らせるが、その数秒後、ふたりして同時にあっと気づいた。自転車を止めたその目の前に、それがイチョウであると知っていなければとてもそうは思えない、圧倒的な太さを持った幹が鎮座している。

 僕もUさんもそのそびえる天を、首を90度に曲げて見上げた。

(南会津舘岩から伊南へ)

 

(伊南小学校の校庭の隅にある古町の大イチョウ

その3へつづく 

 

→ いつも楽しくサイクリングにご一緒くださるUさんのブログはこちら