下仁田街道・妙義山(Oct-2018)
朝の高崎線は高校生でいっぱいの列車だった。熊谷で勤め人の恰好をした人々が降りていくと制服姿ばかりが残り、深谷、岡部、本庄とひと駅ごとに下車していく。そのひとつ、本庄駅で僕も制服に交じって降りた。
自転車を組み上げていると、
本庄はかつて、中山道から下仁田街道──信州街道、富岡街道、上州姫街道などとも──を分岐した追分。中山道の宿場町でもあり、NSD67総選挙では3位に入るという(PDF資料)知名度ある宿場町のようだ。──何だかよくわからないけど。
下仁田街道は、新町、倉賀野と経て高崎へ向かう中山道からここ本庄で分けて藤岡へと向かう。川越街道・児玉街道とつないできた道と合流し、さらに吉井、富岡、下仁田と群馬県南部を、まるで中山道のバイパスのようにつないだ街道だ。
現在、川越街道から児玉街道、そして下仁田街道へ至る道は国道254号として踏襲されている。国道254号はさらに内山峠を経て佐久、そして東信の山あいを越えて松本に至る、大幹線国道である。
今日はこの道で下仁田へ向かい、そこから妙義山道路を走ろうと思う。
(本日のルート)
(GPSログ)
◆
出発してすぐ、国道254号に入って
国道254号の旧道を行くと藤岡のまちを通過する。JR八高線の踏切を渡り、まちなかを屈曲する。時を経た古いまち並みというほどじゃない。でも面影を残し風情が漂う。時代々々の建物や構造物から現代のものまで、さまざま混在する。江戸から明治、大正、昭和と生き抜いてきたまちの印象で、僕は旧宿場町が当時の建造物のまま、まち全体残るところよりも、こういったほうが好みだ。生きてきて時代を経て積み上がった生活感が好きだ。こういったまちの風情は、児玉でも吉井でも感じられる。この街道沿いにはあえて「旧宿場町」などと観光向けに謳わない、いいまちが現れる。
群馬県内の国道254号ってとても走りづらくて、狭い路肩を重交通量に揉まれながら進まなきゃならない。バイパスは藤岡と富岡にあるけれど、どちらも尻切れになっていて、最終的には
そんなわけで僕は片側一車線道路の路肩の隅ぎりぎりを行く。歩道のない箇所も多くて、地元の徒歩の人や街道歩きの人は僕以上におっかないだろうって思う。下仁田街道を楽しむのもなかなか大変だ。大型車が僕を抜けず、何度か後続に行列を作ってしまったし、バックミラーばかり気にしているものだから、景色を眺めながらのんびりとという印象になかなかなれなかった。
僕が知る限りこの藤岡と富岡に一部分存在するだけのバイパスの状況は10年どころか20年くらいあまり変わっていない。
正面に、妙義山と浅間山を望んだ。街道とマッチしてすばらしいよこれ、とつい声に出した。
吉井のまちに入り、下仁田街道とかつての宿場町らしい風情を感じさせた。藤岡同様、沿道に連なる家や商店のまちなみは時代を経て新しくなっているから、あえて取り上げるほどじゃない、でもかえってそれがじつにいい風景である。
吉井からは、高崎からやってきた上信電鉄の線路と並行する。といっても線路とはある程度の距離を挟んでいる場所が多く、直接目にする機会は少ない。こういうとき、電車がやってくると、なぜかとてもうれしい。ただ、その機会はまれ。そんななかうれしいことに一度、踏切の
下仁田街道の旧宿場町でいうと、吉井から福島、富岡、一ノ宮、下仁田と続く。並行する上信電鉄にも上州福島、上州富岡、上州一ノ宮と駅がある。どこもいい風情があるけど、富岡だけは別格。良くも悪くも。下仁田街道沿いで唯一の巨大観光地であり、なんてったって世界遺産である。道路から埋められた電柱、観光客への配慮のある案内や動線、観光客向けの商店──。古民家カフェなんか僕も好きだけど、巨大観光地で立ち寄るかというとどうだろう。喫茶店なら、地のものと無理やり組み合わせたとか、取ってつけた話題性メニューなんかより、シンプルにモーニングでコーヒーを飲むほうが好きなんで。
富岡、一ノ宮と過ぎ、国道254号は旧下仁田街道から分かれ、、
かつてこの道を走ったことがある。線籍は県道195号。しかしセンターラインなし、離合困難な完全一車線の箇所もある道は、いっさい青看には現れない。下仁田へは国道で行けという指示なんだろう。この道が楽しい旧街道サイクリングかというと、車が来なければ、と前提をつける。離合の難しい箇所では自転車でもよけて待つ必要があり、そのわりにそこそこ交通量があるので。
今回は国道を選んだ。一度鏑川を渡り、山の斜面をなめる。上信越道の下仁田インターチェンジを経て、下仁田の中心からは外れたところにある道の駅しもにたに立ち寄って休憩した。
下仁田のまちなかへ入ってきて、時刻は10時半を過ぎていた。
昼食をどうしようか、悩んだ。
ふつうに考えればまだ早い時間だけど、この先妙義山に向かうことを考えると、二時間かそれ以上、食事をするところはないと想定するのが妥当だ。早いけれどやっている店があるなら食べてしまおうか、と路地に入りこんだ。
下仁田の路地には、美味しい店がたくさんある。ドラマ「孤独のグルメ」だって来た。それが僕らにとっていいことだったかはわからないけれど、その店に限らず美味い。
しかしまだどの店もやっていなかった。おそらく、早くて11時からなのだろう。あてもないまま僕は下仁田駅へ向かった。
駅の待合室の椅子に腰をおろし、店の開店時間を調べた。やはり早い店でも11時からだった。12時という店もあった。でもまあいい。あと10分すれば開く店がある。僕は11時開店に目星をつけ、直前まで下仁田駅の待合室でぐずぐずしてから、出かけて行った。
◆
下仁田を発ち、しばらく国道254号を走ったあと、県道に進路を取った。
坂を上り始めると山の風景に変わってきた。いい雰囲気だ。山あいの農村で、各戸の庭には柿が鮮やかに実っていた。ニッポンの秋の風景だ。もう少しすると、もがれた柿が紐にかけられ、軒に連なるのかもしれない。少しペースを落として、じっくり楽しみながら進んだ。
──眠い。
眠気は今朝のはじめからあった。しかしながら昼食を食べ、お腹がこなれてきた今、それが極限に来たことを感じた。柿が、各戸の塀から覗くのは、ともすると残像記憶のリピートなのかもしれなかった。居眠り運転……このままでは間違いなくそうなる。いやもうそうなっている。何度か経験がある。あとになって走っていたときの記憶がない、そういう事態だ。下りは本当に危険。上りはそれに比べればマシだけど、そういう問題じゃない。当たり前に危険。
僕は首を大きく振った。どこかで休もう。まったく車の来ない道なら、道端で寝たこともある。でもそれはしない。通りがかりの人があれば、倒れているのかと勘違いされ、通報されたり救急車を呼ばれてしまうから。
バス停が定間隔で現れている。──これだ、どこか待合小屋のあるバス停はないだろうか。そんな都合よく期待などできないけど。
そこへまるで図ったようにバス停の待合小屋が現れた。考えてひとつ目かふたつ目か、そんなすぐのことだった。
僕は自転車を立てかけて止めた。
蜘蛛の巣も多くてけっして居心地がいい場所ではない。ベンチに模して壁伝いに角材がつけられているけど、座るには奥行きがなく、お尻がぎりぎり乗る程度。それでもいい。僕は腰半分で座り、蜘蛛の巣のない側の壁にもたれかかって目を閉じた。
頬に当たる風が冷たくなった感触を覚えて目を開けた。
バス停と待合小屋があった。その壁に自転車が立てかけてあった。大丈夫、生きている、すべて現実──。
自転車で死ぬことがあるとすれば、きっとこういった状況だと思う。
死の淵から引き込まれるように、パズルが仕組まれるのだ。うまい具合に事が運ぶ。今回でいえば、僕の払い切れない眠気に対して、図ったタイミングで待合小屋のあるバス停が現れたこと、つまりそういうことだ。死は口を開け、眠気で意識の行ったり来たりする僕を、幻想や夢で覆い、ひと息に引きずりこむ。待合小屋は幻想であり夢である。眠りたくて仕方のない僕に、休むための場所という好カードを見せ、そこへハンドルを切らせる。本当のそこには何もなく──現実何もない、ガードレールすらない路肩から突き落とすのだ。眠気と幻想のなかの僕は、切ったハンドルでいとも簡単に転げ落ちるのだ。
ブレーキ痕すらない車が崖下に落ちる事故があとを絶たないように、死の淵から引き込まれるというのはそういうこと。よくあること。
バス停と待合小屋は幸い現実だった。現実のものを見、判断したのであれば、そういう引き込みを払い切り、僕自身の意思で立ち寄ったってことだ。
時間にしてせいぜい10数分。眠気はだいぶ晴れた。
休憩したバス停からほどなくして県道196号に入る。またの名を妙義山道路。古くは有料道路で、妙義有料と呼ばれていた道だ。
徐々に勾配がきつくなって、つづら折で上り始めた。
妙義山道路は山頂まで至る道ではなく、中腹をまわる道。その最高点は中之岳で標高770メートル余り。
この道は、下仁田側の県道51号から入るルートと、松井田方面の県道191号から入るルートを選べる(県道191号との交点は富岡市)。妙義山は登山道でしか上ることができないし、岩場に鎖で上っていくようなところもある超上級ルートで、僕には無縁の場所。したがって妙義山は登ることなく眺めて楽しむ山なのだけど、じゃあどう眺めるか──。僕は今回も選んだ、下仁田側から入るルートのほうが好みだ。
岩のとがった山肌が幾重にも重なり、その特異な山容をどう見るか。
下仁田側から入った妙義山道路は、つづら折と林のなかの道で、ちらちら見え隠れする山稜部以外はその姿がほとんど見えない。坂はきつくなりいよいよ10%ではないかと思いながら上るつづら折は、方向感覚さえ失いそうだ。そして中之岳への最後の左カーブを大きく回り込んだ途端、そこに妙義山が現れるのだ。それはあまりにも唐突で、あまりにも大きくて、あまりにもまぢかだ。言葉を失い、ただただ圧倒されて、駐車場に入る。振り返る。やっぱり大きくて、しかも岩山の奥行きに気づく。いくつもの岩の峰が近くにも、遠くにも存在しているのだ。これがまさに、下仁田側から入った妙義山道路のストーリィ展開である。
そして今回もこれを味わった。わかっていても、言葉を飲み込んでしまうすご味だった。
中之岳は薄い雲のなかにあるようだった。霧でかすんでというほどではないけど、眼下の風景が白くぼんやり見えた。頂を天に突くような岩山たちは、同じ雲のなかにいるのか、その先端まではっきり見えた。
そして上ってかいた汗がすぐに冷えて、いられなくなった。僕は急いでウィンドブレーカーを着る。汗に関係なく、寒いほどだ。
松井田側から上ってくると、はじめから妙義山はその姿をあらわにしている。カーブのたびにその姿を眺められ、だんだんと近づいてくる山を感じることになる。結局は同じ場所(中之岳)に着き、同じ山を眺めるのだけど、そこへ至るまでのストーリィが異なる。好みはあると思う。
僕はこの松井田へ向かう道を、下った。
上りのストーリィとは逆に、だんだんと妙義山が離れていき、小さくなる。
◆
下って、信越本線の磯部駅前に出た。ここで終わりにしたって良かった。
どうしようかな──。ここっていうのもな。
もう少し、走ることにした。
振り返ると、妙義山が雲に隠れていた。朝、並んで見えた浅間山など、どこにあるのかすらわからなくなっていた。
平地に下ってきて、蒸し暑さが戻った。僕は着ていたウィンドブレーカーを脱いだ。畳んで背のポケットにしまい、さらに上州路を先に進むことにした。